文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。
(解説者:朝宮 運河 / ライター)
本書『ラストナイト』は、
二〇一六年といえば、デビュー以来十年を超すキャリアの総決算ともいえる『Aではない君と』が第三七回吉川英治文学新人賞を受賞し、社会派ミステリー作家・薬丸岳があらためて脚光を浴びた転機の年であった。その翌年には短編小説「
そうしたブレイクと相前後して発表された『ラストナイト』は、上昇気流にある作家ならではの意欲とテクニックがたっぷり注ぎこまれた充実の一冊だ。心揺さぶる人間ドラマとサプライズに富んだ展開が融合した、現代ミステリーの逸品である。
東京の
幾度となく罪を犯し、五九年の生涯の半分以上を刑務所で過ごしている片桐は、普通の感覚ではちょっと近寄りがたい相手だろう。しかし二〇代までの片桐は、ラーメン店の経営者になることを夢見る、働き者で気のいい青年だった。その彼がなぜ
第一章の主人公は菊屋の店主、
かつての親友同士が年齢を重ねるにつれ、ライフスタイルの違いから疎遠になってしまうのは現実にもよくある話だが、菊池と片桐の関係はもうすこし複雑である。片桐が最初に起こした事件は、菊屋に因縁をつけにきたやくざから、菊池の妻をかばおうとしたのが原因だったからだ。その事件がもとで、片桐は愛する妻子と別れることになった。希望にあふれていた二〇代の日々を回想し、菊池は悲しみを覚える。
刺青で顔を覆い隠し、罪を犯し続ける片桐は、いわば現代社会の異物である。彼と関わりを持つことになった人びとの胸中には、恐れや怒り、反発や同情などさまざまな感情が呼び覚まされる。その多彩な心模様が、本書のひとつの読みどころといっていい。この第一章では、菊池が友情の終わりを予感するシーンがあまりにも切ない。
続く第二章では、五年前に片桐の事件を担当した弁護士・
中村は出所直後訪ねてきた片桐の様子に不審なものを感じ、また罪を犯そうと考えているのではないかと疑う。これまで弁護士として多くの犯罪者と接してきた中村には、片桐の更生を信じたいある切実な理由があった。強い思いに駆られて、中村は片桐と別れた妻子が暮らしているという浜松に向かう。
一方のひかりは、母と死別し、呉服屋を営む
と、あらすじを紹介しながら、あらためて「ああ、薬丸岳らしい小説だな」と感じてしまった。薬丸岳らしいとはどういうことか。ここで簡単に著者のプロフィールをふり返っておくと、一九六九年生まれの著者が『天使のナイフ』で第五一回江戸川乱歩賞を受賞してデビューしたのが〇五年。同作は少年犯罪によって妻を殺された男が、犯人グループへの
しばしば著者がインタビューで語っているように、『天使のナイフ』創作のモチベーションとなったのは、一九八〇年代に発生した現実の少年犯罪(女子高生コンクリート詰め殺人事件)だった。自分と年の近い少年たちが、残虐な犯行に手を染めたことへの驚きと怒りが、後年優れた創作へと結実したのだ。以来、心神喪失者による殺人を扱った『虚夢』、少年刑務所の元法務技官という変わり種の刑事を主人公にした「刑事・夏目」シリーズ、教育現場の闇に迫った『ガーディアン』など、法制度や少年犯罪への鋭い視点を含んだミステリーを相次いで刊行。読者を獲得してきた。
それらと密接な関係をもつのが、〝償いと
そして本書もそうした流れを
デビュー作『天使のナイフ』の文庫解説において、乱歩賞デビューの先輩作家である
このような現実の社会が抱える難問に対し、作者は怯むことなく真正面から立ち向かっていく。結論を急がず、説教に逃げることもせず、賛否両論を丁寧にすくい上げながら、一歩一歩橋頭堡(きょうとうほ)を築いていくかのような筆致には迫力さえ感じられる。終章で語られる「本当の更生」については、主人公とともに苦悩した者でなければ到達できない真実が含まれているように思う。講談社文庫版『天使のナイフ』解説より
これは『天使のナイフ』に限らず、すべての薬丸作品にあてはまる至言だろう。中村が菊池に「それじゃ困るんですよ!」と感情をぶつけるシーン。ひかりが思いの丈を吐き出すシーン。四章や五章の語り手に訪れる、人生の貴重な一瞬──。おそらくこれらのシーンは、著者が主人公の目線まで下りてゆき、ともに
そしてもうひとつ、本書の長所としてあげておきたいのが構成の巧みさである。作中で描かれているのは、片桐が出所してから一連の出来事に決着がつくまでの五日間。その間に起こった出来事を、著者は五つの章をリンクさせることで提示する。同一のシーンが別々の視点から複数回描かれる、というテクニックは映像ではお
濃密な人間ドラマに思えた物語が、四章以降ややテイストを変え、ミステリーとしての顔を露わにしてゆく展開も素晴らしい。四章の主人公である
そしてついに訪れる五日目の夜(=ラストナイト)。片桐の人生に隠された真実が明かされるクライマックスには、思わず息を
冒頭でこのところ薬丸作品の映画化・ドラマ化が相次いでいると書いた。具体的には一八年に『友罪』が『64 ロクヨン』の
今のところ『ラストナイト』は映像化されていないが、複数のエピソードが絡み合う構成は、映画にもドラマにも適している。もしも映像化されるとしたら、孤独を漂わせ、まなざしに陰りを帯びた片桐を演じるのは、誰がいいだろうか。そんなことを想像しながら読むのも楽しい。
作家として大きな飛躍を果たした薬丸岳が、今後どんな作品を書いてくれるのか。期待して見守りたいと思う。
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