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レビュー

若手刑事を同僚が誤殺?脅しの末の逃亡劇、訳ありな婚約者...。人間関係の迷路の先にあるものは『三毛猫ホームズの暗黒迷路』

文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。

(解説:山前 譲  / 推理小説研究家)

 ちょっとのんびりできる時間ができた。本でも読もうかなあ。さて、何を……。世の中にはさまざまなジャンルの本があります。どうセレクトするかは迷うことでしょう。趣味の本か仕事関係の本か、はたまた新しいことにチャレンジするためのものか。じつに悩ましい問題です。

 小説というジャンルに限ってみても、その選択肢はあまりにも多すぎます。ミステリーとか恋愛小説とか好きなジャンルがあれば、あるいはお気に入りの作家がいれば、絞り込むことができますが、いっそのことパッと見たタイトルにかれたものを読もう、という人も多いのではないでしょうか。

 やはり妙にそそられるタイトルというのはあります。たとえばベストセラーとなったすみよる『君の膵臓をたべたい』は、ちょっとインパクトが強すぎますが、それだけにどんなストーリーか興味をもった人が多かったはずです。同じ作者の『青くて痛くて脆い』も絶妙なタイトルではないでしょうか。

 数多くの作品を世に送り出してきた赤川次郎さんにも、タイトルから惹かれてしまうものがたくさんあります。もっとも強烈なのはやはり『セーラー服と機関銃』でしょう。一九七八年十二月に刊行された赤川さんの七作目の著書ですが、書店で目にしたとき、「いったいどんなストーリー?」とまず思ったものです。

 まったく異質のものを組み合わせたそのタイトルはざんしんでした。ちなみに初刊本のカバーに描かれていた主人公であるほしいずみの制服はなんと──ちょっと不可解なその絵、機会があれば確かめてみてください。一方で、おおばやしのぶひこ監督による映画化も印象的な『ふたり』のように、シンプルの極みのようなタイトルもまた、物語世界に想像の翼を拡げさせることになるでしょう。

 また、赤川作品には、シリーズ・キャラクターものであることを明確にしたタイトルもあります。デビュー作の「幽霊列車」に登場した永井夕子の謎解きは、〈幽霊〉を冠した連作集にまとめられてきました(例外的な長編に『幽霊法廷』と番外編の『知り過ぎた木々』がありますが)。吸血鬼の娘のエリカやマザコン刑事のおおたにつかがわの〈花嫁〉シリーズ、マリとポチの〈天使と悪魔〉シリーズ、あの有名な盗賊が主人公の〈鼠〉シリーズなどもあります。

 そして、もちろん三毛猫ホームズの活躍もそのひとつです。一九七八年四月に刊行された『三毛猫ホームズの推理』が第一作でした。名探偵として大先輩であるシャーロック・ホームズの作品群に倣ってのネーミングです。

 そこから『三毛猫ホームズの××』という共通のタイトルのもとに連綿と書き継がれている、絹のようなつややかな毛並みのホームズ、警視庁捜査一課の刑事のかたやまよしろうとその妹のはる、その晴美に恋い焦がれているいし刑事によって解決された数々の事件については、いまさら多くを語るまでもないでしょう。

 作品数が増えていくうちに、『三毛猫ホームズの××』の××のところがじつにヴァラエティに富んだものとなっています。いつかホームズの好物をリスペクトして『三毛猫ホームズのアジの干物』なんていう作品も書かれるのかなあ、などとも思ったりしたのですが、これはペットの飼い方の本と間違われてしまいそうです。



 そんな三毛猫ホームズのシリーズのなかでも、この『三毛猫ホームズの暗黒迷路』はもっとも深刻なタイトルであるのは違いありません。〈暗黒〉と〈迷路〉──どちらもまったく先が見えず、不安に駆られてしまうじつに重苦しいキーワードです。もちろんそれをレジャーとして楽しむ機会がないわけではありませんが、現実社会で真っ暗なところに置かれてしまったら、出口の分からないところに迷い込んでしまったなら、とても冷静ではいられないでしょう。

 片山義太郎はこの長編で、まさにそんなこんとんとした世界にほうり込まれているのです。三人を殺して逃走中のかなやまこうぞうの潜伏先が分かりました。そこはゴーストタウンと化している一角でした。深夜、義太郎が停年間近のささ刑事らと金山の逮捕に向かった時には、ひとがなくて真っ暗で、道が入り組んでいて、戸惑うばかりでした。まさに〈暗黒〉の〈迷路〉なのでした。

 そして、たしかにそこに金山はいたのです。義太郎たちは彼を追い詰めます。ところが、なんと取り逃がしてしまうのでした。そして〈迷路〉に残されていたのは、若手刑事のわかはらの銃殺死体……。

 金山に殺された? ホームズがその場にいたらすぐに事件は解決したかもしれませんが、残念ながら片山家でお留守番です。金山はまんまと逃走してしまいました。そして、彼を追ってなおも続く義太郎の捜査行で直面したのは、さらなる〈迷路〉なのです。それは人間関係の〈迷路〉でした。

 金山広造とその弟分のかんてつ。金山の母であるおお。笹井刑事の妻のたかと娘の。貴子の友人で笹井刑事にほのかな思いを抱いているむらりよう。亜紀子のボーイフレンドのしげはらつとむ。亡くなった若原刑事の母のようと婚約者のなかざわ……。さくそうする人間関係が義太郎をさらなる〈迷路〉へといざないます。

 それは人間心理の〈迷路〉でした。それぞれが抱いた思いが交錯し、事件関係者の人生が迷走しはじめるのです。とりわけ複雑なのは恋心でした。恋愛関係の絡み合いが、事件を思わぬ方向へと導いていきます。じつは義太郎も当事者のひとりとなってしまうのでした。ついに結婚? このシリーズの愛読者ならきっとドキドキするに違いありません。

 そして金山の行方も分からぬままに時が過ぎたある日、晴美にかかってきた一本の電話が片山兄妹きようだいを、そしてホームズを新たな〈迷路〉へと誘っていくのです。

 最後に待っているのはミステリーらしい事件解決への〈迷路〉でした。新たな死が謎解きの興味をそそっていきます。そして最後には、それぞれが心に抱いていた〈暗黒〉に光が差していくのです。

 赤川さんはこの『三毛猫ホームズの暗黒迷路』が二〇〇七年三月にカッパ・ノベルス(光文社)の一冊として刊行された際、こんな「著者のことば」を寄せていました。

「自分は決して犯罪など犯さない」そう思っている人は多いのではなかろうか。しかし、人間はほんの小さな一歩を誤った道に踏み入れることで、簡単に悪事に手を染めることがある。
 人間とは弱いものであり、同時にやり直し、立ち直ることができるものである。「罪を憎んで人を憎まず」という言葉を、ホームズや片山たちの行動を通して考えてみたい。

 その年、アメリカ合衆国で住宅バブルがはじけ、翌二〇〇八年、世界はいわゆるリーマン・ショックに見舞われます。金融危機に伴う景気後退は日本にも訪れました。それはまさに一種の〈暗黒〉でした。しかし、人類はそれまでも何度となく〈暗黒〉に直面しています。そうしたバブル的な経済の崩壊、未知の病原によるパンデミック、大規模な自然災害、自らが起こした戦争や重大な事故やテロ……。

 その都度、なんとか〈迷路〉の出口を見付けてきましたが、必ずしもそれは必然ではなかったはずです。為政者のなんのバックグラウンドもない思いつき政策と空疎な言葉の羅列に翻弄され、不安にさらされた人々も数多くいたはずです。

 赤川さんは「暗黒の時代」と題したエッセイで、ヨーロッパ中世の暗黒時代に興味を持っていると述べていました。それは西ローマ帝国滅亡後からルネサンスの前までの混乱の時代ですが、そのエッセイは〝僕が一番興味があるのは、その暗黒時代に生きていた人々が、果たして自分たちの時代が「暗黒」であると考えていたのかどうか、ということだ。暗がりにれた目は、それを暗さとは感じなかったのだろうか〟と結ばれています。

 我々は〈暗黒〉を直視しなければいけません。そして〈迷路〉の出口を求めなければいけません。我らがホームズがシリーズのそこかしこで見せてきたようなえいが、その出口に導いてくれると信じたいものです。そのためにはやっぱり、好物のアジの干物を用意しなくてはいけないのかなあ。

赤川次郎『三毛猫ホームズの暗黒迷路』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/322002000917/


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