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レビュー

「この物語が世界に存在する奇跡」『鹿の王 3』

 2011年の秋、チベットを訪れた。
 五体投地をしながら巡礼をする人々、あどけない顔をした少年僧、砂で描かれた息を飲むほど美しい曼荼羅やバターで出来た精巧な彫刻、出逢うものすべてに心動かされ、息つく暇もないほどだったのだけど、中で一番印象に残っているのは、ポタラ宮で生じたある感覚だった。
 宮殿の内部に足を踏み入れた瞬間、全身が総毛立った。頭はひんやりしているのに背中から血液が全身に回り、やがてからだが熱くなってきた。見るもの触れるものすべてに感じすぎて、歴代のダライ・ラマが座っていた玉座を見たときは泣いてしまった。自分の感情がコントロールできなかった。
 それは決して嫌なものではなかった。怖かったけれど、でも守られているような気がして、自分の輪郭がなくなって、それなのに頼もしくて。とにかくからだの中の細胞ひとつひとつが強烈に何かと呼応しているような感覚があった。
 それから何度かそういう体験をしている。いずれも古い教会、ひっそりと佇む寺社、または鬱蒼とした森、緑深い山などに足を踏み入れたときだ。
 それが、いきものの体内を、そしていきものが存在している世界を、つまりミクロとマクロを同時に目撃している感覚だったのだと気づくことが出来たのは、「鹿の王」を読んだからだ。慣れ親しんでいるはずのわたしたちのからだ、そしてあずかり知らない何か大いなるものに、わたしは同時に対峙していたのだ。

 主人公はヴァンという名の男だ。東乎瑠という強大な国に抗い戦った独角と呼ばれる戦士である。独角は飛鹿という鹿を操り、自分の命はなきものとして隊のために戦う運命にある。彼は東乎瑠との戦いに敗れ、アカファ岩塩鉱で奴隷として囚われの身である。
 ある日岩塩鉱が野犬らしきものに襲われる。奴隷たちは皆その場で、または後に死に至るのだがヴァンは生き残る。彼は自分が生き残った理由が分からぬまま、もうひとり生き残っていた幼女を救い、ユナという名をつけてともに逃亡の旅に出る。
 もうひとりの主人公はホッサルという男。『何事においても異例ずくめの若者』で、古オタワル王国の始祖の血をひく〈聖なる人々〉のひとりでもあり、その技術によって医学院の主幹を務める。ホッサルは岩塩鉱で起こった事件の原因究明をしてゆくうち、やがてヴァンにいきつく。
 こうやって書くと「追う者」と「追われる者」の物語、という単純な図式になってしまうだろうか。この物語はもちろんそんな簡単なものではない。
 東乎瑠帝国に内包されたアカファ王国は東乎瑠帝国に思うところがありつつも忠誠を誓っている。そしてそれはアカファの頭脳でもあるといっていいオタワル人からの進言でもあるのだが、そのオタワル人は結果アカファに支配されながら敬意を払われ、畏れ忌まれながら重用されている。故郷を奪われた様々な民族、例えばユカタ地方の火馬の民、沼地の民や山地の民は東乎瑠帝国を憎んでいるが、一方彼らの土地を奪ったはずの東乎瑠人たちもまた、辺境に移住させられたが故にここにいるのであり、故郷を思い続けている。
 ヴァンを巡る人物たちの思惑も複雑だ。独角の頭であり、逃亡奴隷であるために追手をかけた東乎瑠帝国の与多瑠、黒狼熱から生き延びた貴重な症例なので追っていたホッサル、ホッサルと理由は似ているが別の思惑もあって後追い狩人のサエに追わせたトゥーリムや、ある目的のためにヴァンを求めた火馬の民のケノイ。
 皆それぞれの思惑を持ち、それぞれの理を持ち、それぞれの生き方を信じている。すべてをここで語り切ることは到底出来ない。今現在我々が住んでいる世界が非常に複雑で決して説明がつかないように。つまり世界と同じように、この物語に絶対的な「悪役」や「ヒーロー」はいないのだ。上橋さんは安易に何かの味方をしないし、安易に何かを敵とみなさない。ほとんど高潔と言いたくなるその姿勢は、我々の身体に対しても及んでいる。
 ホッサルは言う。

私たちの身体は、ひとつの国みたいなものなんだ

第4巻P37

このひとつの身体の中に、実に様々な、目に見えぬ、ごくごく小さなモノたちが住んでいて、いまも、私の中で休むことなく働いている。滑らかに連係を保ちながら。そうやって、私の身体は生かされているんだ

第4巻P38

 たとえ病理の種であっても、その種のおかげで生き延びることもある。まるっきり清らかで透明な身体だけが健康とは限らない。清濁併せ吞み、善も悪も絶対的な力を持たないところで、わたしたちは「生きて」いる。世界という大きな場所と自分たちのささやかな「生」の、その営みの複雑さと奇跡を目の当たりにしたとき、わたしはどうしようもなく震えるのだ。
 それにしても、上橋さんはどうしてこんな物語を書くことが出来たのだろう。
「鹿の王」はポタラ宮や森のような空間ではなく、寺社や教会に漂う歴史でもなく、一冊の書籍に過ぎないはずだ。ページをめくると「文字」と呼ばれている黒いぶつぶつが並び、色もなくにおいもなく音もなく、景色もない。なのにこれだけわたしの細胞を喚起する。色もにおいも音も景色もないのに、すべてがある。いいや、すべて以上がある。そこには、創作の深淵みたいなものに触れた人間にしか許されていない秘密があるように思う。
 その秘密を知りたくて、上橋さんとお話しさせていただいたことがある。いいや、お話というより、わたしの一方的な疑問や感情を上橋さんにぶっつけるという、失礼な千本ノックみたいな時間だったのだけど、上橋さんはどんな質問にも、どんな混乱した感情にも、真摯に、そして正直に答えてくださった。
 お話をうかがっていると、上橋さんの書き方は書くというよりは潜っているような感覚だなと思った。潜るといってもただ一方的に下方へ潜るのではない。上方へ、左へ、右へ、思いがけない場所へ。物語の源泉を辿る旅を、上橋さんご自身がなさっているという印象だった。
 上橋さんが到達される物語の深淵は、きっと誰にも到達できない場所なのだろう。わたしたちのからだが未知なように、わたしたちの世界がずっと複雑なように、その「場所」は誰からも遠い場所にあり、でも近くにあって、皆のものであり、同時に孤高だ。そんな「大いなる場所」に手を伸ばす上橋さんの勇気はいかばかりだろう。
 上橋さんがおっしゃった中で、強烈に印象に残っている言葉がある。
「どれだけ深く潜っても、戻って来ることが大事だと思うんだ」
 誰も到達出来ない深淵に潜っても、誰も見たことのない景色に触れたとしても、そこに留まるのではなく、必ず「こちら側」に戻って来ること。だから「鹿の王」は完成したのだ。それを思うと、胸が熱くなる。
 最後にわたしが勝手ながら思ったことを書きたい。ヴァンが犬たちと混じる、つまり「裏返る」ときの感覚は、上橋さんがこの物語を描くときに得た感覚なのではないだろうか。

裏返ったときに見た、あの無数の光。か弱く、小さく、しかし、みな、生きるために輝いていた。 せめぎ合い、負け、ときには勝ち、ときには他者を助け、命を繫いでいく無数の光

第4巻P248

あの風景の中には、虚しさがない。――ただ、命だけがある

第4巻P64

 おのれの命と、世界でうごめく無数の命、ミクロとマクロ。上橋さんが見た世界、そしてわたしたちの「中」に、「外」にある世界。
 何度読んでもこの物語が世界に存在すること、その奇跡に感謝せずにはいられない。


▽『鹿の王』シリーズ・[解説]一覧
「この本こそが、ファンタジーである」本屋大賞受賞作を書店員が熱く語る。『鹿の王 1』
https://kadobun.jp/reviews/32/cf3b36a2

「深い闇のかなたに小さな、けれども確かな灯火がある」医療小説の旗手が読み解く、生と死の豊穣なドラマ! 『鹿の王 2』
https://kadobun.jp/reviews/34/131f15a8

本屋大賞作品、そのタイトルに隠された謎とは――読み手の人生を動かす、唯一無二のファンタジーを読み解く 『鹿の王 4』
https://kadobun.jp/reviews/70/2c718aa9


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