「実力主義」ということばがある。
成果主義、能力主義などともいう。出身、年齢、学歴、勤続年数などをよりどころとせず、もっぱら成績でのみ評価して、昇進の可否や給料の額を決定する。
いい意味で使われることが多いようだ。対義語はおそらく「年功序列」で、こちらは悪い意味になる。成績の良否は関係なし。ただ年齢や勤続年数などという単なる数字で評価が決定してしまう。こんなものが幅をきかせる会社では社員の意欲の上がるはずもなく、日本社会の諸悪の根源にほかならぬ、うんぬん。
さすがに昨今はそこまで単純にものを言う人は少ないにしても、それでも実力主義というものを理性の極致、時代の先端、ぴかぴかのテーマパークととらえる向きは多いだろう。ところでこの巻では、徳川家康が、いわゆる江戸幕府をひらいたばかりの段階でこう断言する(読点は筆者が補足した)。
「これからの世は実力ではなく、きまりと仕組みによって動かしてゆくのだ!!」
あの実力主義を理想とする立場から見れば完全なる個性の抑圧、権力を手にした政治家の横暴恣行にほかならないが、しかし結果から見れば、この家康の決断の故にこそ徳川時代は約二百七十年という世界史にまれな長期の平和を実現させた。
俳諧や浄瑠璃などの元禄文化、浮世絵や寄席などの化政文化がさかえるための秩序と安寧を実現させた。逆に言うなら、それ以前は、実力主義が全盛だったわけだ。
いわゆる戦国時代である。領土をめぐる大名どうしの角逐もさることながら、よりいっそう深刻なのは、おなじ家内での跡目あらそい。
――力ある者が、殿様になる。
という空気が濃厚だったため、殿様の弟と息子とか、長男と次男とかが相戦い、城を焼き、死体の山をきずき合った。
足利将軍家の内紛に端を発する応仁の乱がその嚆矢にして集大成であることはいうまでもない。十五世紀の京の街は、実力主義のせいで灰になったのである。
君臣関係を前提とする、血縁とは一見無関係なように見えるあの下剋上というやつも、よく見ると、家臣はしばしば主家の内紛につけこんでいる。もしも当時の日本がひとりの人間の体だとしたら、その体内は、いたるところで跡目あらそいという癌に冒されて末期状態だったのである。
その癌をいわば予防するための薬こそ、すなわち長子相続だったわけだ。実力うんぬんは二の次にして、跡目はとにかく長男が継ぐ。
機械的に継承する。あの家康の言う「きまりと仕組み」そのもの。じつを言うとこの巻の家康は、前出のせりふを言うや否や、つぎのコマではもう嫡子・秀忠へ将軍職を、
――ゆずる。
という宣言をおこなうのだが、これはたいへん示唆ぶかい話のはこびだった。徳川支配の永続を天下に誇示する企図ももちろん大きいが、それ以上に、長子相続という新しい方法それ自体のお手本を見せる意図があるのだろうと私たち読者に思わせるからだ。家康はつまり、癌を治療する医者のような存在だった。
時代のながれよりも或る意味たいせつな、時代精神のながれがダイナミックにわかる瞬間。なお厳密には徳川秀忠は家康の三男だけれども、長男は死に、次男は他家へ出されたから、実質的に長男である。これ以降、日本社会は混乱しつつも、しだいに長子相続が主流となるのだった。
この長子相続の延長線上に、おそらくは現代の「年功序列」もあるのだろう。こんにち私たちが不合理のきわみと唾棄しているあの年齢を最優先する発想は、このようにして、生まれたときは合理中の合理にほかならなかった。いい悪いの問題ではない。ものの存在には理由がある。二十一世紀をしっかり考えようと思ったら、まず歴史をしっかり知らなければならない所以である。
この時代。
「きまりと仕組み」が重視されたのは、相続の世界だけではない。
社会のあらゆる分野においてそうだった。幕府内部では老中、目付、奉行等をそろえる官僚システムが整備されたし、街では上水道が発達した。地下に木樋(送水管)をうめることで町人も手軽においしい水が飲めるようになったのだから、これもまた「仕組み」の一種なのである。
こんぶ、米、酒など、日本中の物産がにわかに活発に流通しはじめたのも東廻り、西廻りの航路が確立したから。確立といっても海そのものは変わらないわけで、これはもちろん、人間のほうで航路をきめ、操船のありかたを統一し、港湾をととのえたということなのである。これによって海難事故の件数は減り、ものの売買が容易になり、金融取引が複雑化し……後世のいわゆる「近世」という時代は、このとき成立したと言っていいだろう。
ひょっとしたらもう「近代」だったかもしれない。どちらにしても二十一世紀の私たちと地つづきであることはまちがいないが、そのいっぽう「きまりと仕組み」の世の中は、つまらぬものでもある。
将軍拝謁時の大名たちの衣服や作法のごとき、些末な約束にこだわる息苦しさ。こんにちの私たちがあの年功序列の対極にある(と見える)実力主義というやつに心ひかれる一因もそこにあるのにちがいないが、それもふくめて、徳川家康という人は、まさしく私たちみんなの先祖だった。私たちはみな狸おやじの血を引いているのである。
>>山本 博文『漫画版 日本の歴史 9 江戸幕府、始動 江戸時代前期』
レビュー
-
試し読み
-
レビュー
-
連載
-
試し読み
-
連載