文庫解説 下巻 文庫解説より
直木賞作家・逢坂剛が描く「男の世界」! 白い人工血液を発端に、謎は時空を超える『熱き血の誇り』
あなたが初めて作家・逢坂剛の小説を読んだのは、いつのことだろうか。
逢坂作品を読み継いできた読者のなかには、当然、一九八〇年代と応える人も少なくないと思われる。が、そうした方々の場合は、既にこの『熱き血の誇り』を一九九九年に発売された単行本や、二〇〇二年の文庫版(新潮社→新潮文庫)で読んでいる可能性が高い。今、装いも新たに角川文庫に収録された本書を手にしているのは、比較的近年になって逢坂作品の魅力に開眼した人が多いのでは?
仕事柄、あまり大きな声では言い難いが、かくいう私もそのひとりである。
一九八六年に刊行された『カディスの赤い星』(講談社→講談社文庫)で、逢坂さんが第五回日本冒険小説協会大賞、第九十六回直木三十五賞、第四十回日本推理作家協会賞の三冠を獲得し、大いに注目されていた頃、私はまだその作品を一度も読んだことがなかった。
第十九回オール讀物推理小説新人賞を「屠殺者よグラナダに死ね」(のち「暗殺者グラナダに死す」に改題。『コルドバの女豹』所収)で受賞しデビューしてから七年。後に百舌シリーズの前夜作=エピソード0的位置付けとなる『裏切りの日日』(一九八一年講談社→集英社文庫)も、スペイン現代史ものの原点といわれる短編集『幻のマドリード通信』(一九八三年大和書房→講談社文庫)も、そのスペインを舞台にした初の長編作『スペイン灼熱の午後』(一九八四年講談社→講談社文庫)も既に刊行されていたし、さらには『カディスの赤い星』より約半年前に発売された『百舌の叫ぶ夜』(一九八六年集英社→集英社文庫)が、「面白い!」、という噂も聞こえてきていた。そこへきての三冠獲得である。そりゃもう注目が集まるのも当然で、加えてその頃学生だった私は、毎日通学時に本を読むくらいには読書好きだったので、「逢坂剛」という作家名は書評や書店でも幾度となく見かけるようになっていた。探しているわけでもないのに、あちこちで名前が目に飛び込んでくるほど、勢いがあり人気もあった。
でも、それは何というか「自分とは違う世界の人たちの間で人気」という印象だった。十九歳だった私は、漏れ聞こえてくる逢坂作品のスペインの内戦がどうとか、公安警察がこうとか、広義での冒険小説にも警察小説にもまったく興味がなかったのである。
私が、といってはみたけれど、周囲の読書好きな友人たちも概ね同様で、実感としては逢坂剛的な小説、たとえば『カディスの赤い星』前後に日本冒険小説協会賞を受賞した作家=北方謙三や船戸与一、志水辰夫や佐々木譲も十代女子からはとても遠かった。バブルへ向かう浮かれた時代(逢坂さんが直木賞を受賞した前月、私は麻布のマハラジャでクリスマスパーティをしていた)に、異国の辛気臭くて面倒臭くて泥臭い(と思っていた)話を好んで読む意味が分からず、それでも時々書店でパラパラと捲ってみると、登場人物の二十代女性が「どうなさったの?」とか「いやよ、およしになって」などと言ったりもしていて、その度に違和感が否めなかった。今なら、そうした台詞のディテールなど、重視されていないジャンルと時代だったのだと理解できるが、当時の私は「なるほど……」と呟き、そっとページを閉じて棚に戻すばかりだった。
約三十年前の話である。いささか乱暴な表現になるけれど、「逢坂剛的な小説」は、あの頃、明らかに「男の世界」だった。男性作家による男性読者に向けられた物語(たぶん編集者も男性だったに違いない)だと感じたし、作家も読者も「それでよし!」と思っていたのではないだろうか。
それから二十数年後、私が逢坂作品を初めて読んだのは、『大迷走』の単行本(二〇一三年集英社→集英社文庫)だった。何かの会合で居合わせた同業の男性が手にしていたのを目にして、軽い気持ちで「逢坂さん、読んだことないんですよねぇ」と打ち明けたところ大いに驚かれ、これ面白いよ? と読み終えたばかりの新刊を貸してくれたのだ。頭の中にはまだ逢坂剛=「男の世界」のイメージがあったものの、気分転換のつもりで読み始めたら――。そのまま約四時間、一気に読み終えてしまったのである。長年の逢坂さんファンに聞かれたら、「そりゃそうでしょう」と苦笑されるかもしれないが、滅茶苦茶面白くて、なのに可愛げがあって、やっぱり「男の世界」だったにも関わらず、それが楽しく、なんか違う、イメージと全然違う! と大いに驚いた。
なんだか妙に嬉しくなった私は、『大迷走』に繋がる御茶ノ水警察シリーズをひと月に一冊のペースで読み、同じくコメディ要素が濃いと評判だった『相棒に気をつけろ』(二〇〇一年新潮社→新潮文庫→集英社文庫)、『相棒に手を出すな』(二〇〇七年新潮社→同)の世間師シリーズを読み、百舌シリーズを読み終え、逢坂さんの分身とも言われる岡坂神策シリーズに着手し、そうしているうちにドラマ版「MOZU」が大ブームとなった。その時点でも、逢坂さんの代表作といわれる『カディスの赤い星』や、内戦後のスペインを主な舞台とした大河作品イベリアシリーズも未読だった私は、逢坂作品に関して密かに自分の読み方は邪道だという引け目があったのだが、ドラマ&映画化に伴い百舌シリーズがベストセラーランキングに並ぶのを見て、自分はなんてくだらないことを気にしていたのかと笑ってしまった。
シリーズ作ではない本書を今手にしている方々のなかにも、逢坂作品を読み始めたのは百舌シリーズがきっかけだという方は多いはず。けれど、そこからどの作品を経て本書にたどり着いたのかは、人それぞれだろう。何を読んできたにせよ、いや、たとえ本書が初めての逢坂作品であっても、案じることなかれ。楽しみは、ここにも、そしてこの先にも大いに広がっている。
本書『熱き血の誇り』の初出は一九九八年。長野五輪が閉幕して間もない四月から翌年三月まで静岡新聞で連載され、先にも触れたように、九九年十月に単行本にまとめられた長編作である。ちなみに一九九八年は、サッカー日本代表が初めてW杯に出場が叶った年で、和歌山毒物カレー事件が発生し、夏の甲子園の決勝で松坂大輔がノーヒットノーランを達成し、パイレーツの「だっちゅーの」が流行語大賞になった年だ。
戦国時代の九頭郷高根城主奥山民部少輔貞益の正室で、ふたりの幼子を連れ戦火に包まれた城から脱出したおかわ御前の悲劇をプロローグに、物語は厚底靴を履いたコギャルが闊歩する一九九八年の東京から幕を開ける。
学習院や日本女子大学のあるJR目白駅が最寄りとなる八甲製薬の秘書室に勤める寺町麻矢は、その日、役員室の受付でちょっとしたトラブルに巻き込まれた。突然、社長の八十島に会いたいと乗り込んできた男が、「八甲製薬は、人殺しの会社だ。八十島甲吉は、その責任を取れ」と言い放ち、追ってきた保安係や上役と揉めたのである。さらに同日退社後、麻矢はトラブルを起こした張本人である吉本可市から、その父親の死に関する不穏な事情を聞き出した。吉本は、父親を死に至らしめたのは八甲製薬の製品である人工血液「フロロゾル」だと主張するが、二十五歳の麻矢だけでなく、五年先輩で宣伝部に所属する古森卓郎も、その製品名に聞き覚えがなかった。だが、吉本に対応した上役たちの態度がどうも腑に落ちない。かくして麻矢は古森をたきつけ、親友でフリーカメラマンの秋野のぶ代に協力をあおぎ、フロロゾルについて独自に調べようと決意する。
そこから一転、舞台はスペイン南部アンダルシア地方の最南端、カディス県にあるロタへ飛ぶ。代々続くヒターノ(スペインのジプシー)の家の生まれで、フラメンコのカンテ(歌)の歌い手としても周囲に知られている鍛冶屋のブロンセ(ミゲル・サントス・パストール)は、ある日ヒラソルと名乗る日本人ギタリストと出会い、思いもよらぬ事態へと追い込まれてしまう。追われる身となったブロンセは、早急に国外へ脱出しようと考える。
更に舞台は静岡県へと移る。静岡市に住む浜野佐吉は息子の望のために、妻の亮子が信仰する新興宗教〈ユダの光〉の似非信者となり活動していた。そこへ望が小学校の屋上から落ち、病院へ搬送されたと連絡が入る。駆け付けてみると、命はとりとめていたものの、輸血なしでの手術は厳しいと医師から告げられた。しかし、輸血を禁じる〈ユダの光〉信者たちと亮子は、断固として受け入れない。そのとき、怒りに震える浜野に教団の医療相談士を名乗る男が、「息子さんを助ける方法が、一つだけ残っています」と声をかけてきた。男は、「人の血液を輸血するかわりに、人工血液を使用するのです」と告げ、望の体には真っ白な液体が流し込まれることになった。
やがて物語の舞台は、この静岡県へと集約されていく。東京からフロロゾルの秘密を探りにやって来た麻矢は何者かに拉致され、古森は大怪我を負い、のぶ代は麻矢の救出に奔走する。スペインからこの地に行き着いたブロンセには二つの追手が迫る。麻矢を拉致したのは後ろ暗さを抱える八甲製薬なのか。北朝鮮の関与の噂は本当なのか。スペインからの刺客のほかに、ブロンセを追う風岡商会と〈ユダの光〉の関係性、その目的は何なのか。人工血液の謎から起因した物語は、いくつもの「血」の謎を提示し、やがて驚愕の真実が明かされる。
そうしたミステリー的な謎解きの興奮と同時に「血縁」というものについても、深く考えさせられる。「血」の「縁」。逢坂さんの、特に初期には、あの「百舌」をはじめ、「血の繋がり」が物語の重要なファクターとなっている作品が多々ある(というか、ほとんどすべての作品で描かれている)。血が繋がっている、ということの意味の重さは、同じ秤で量れないのだと気付かされるのだ。
スペインやフラメンコについての描写は言うまでもなく、静岡県警警備部外事課警部補の岩戸良輔が単独行動を好むことにニヤリとしてしまう読者もいるに違いない。プロローグから「おかわ御前の伝説」にたどり着き、「幻の池」の存在を初めて知る人もいるだろう。様々な新興宗教や薬害問題について、思い起こすきっかけにもなるかもしれない。本書で描かれたブロンセの生い立ちや背景から、「異国の辛気臭くて面倒臭くて泥臭い」話に関心が広がる可能性だってある。
広がっていく、続いていく。逢坂さんの小説は常にそこで世界が閉じることがない。嬉しいことに、私たちは、今からでも、どこからでも、その世界に入って行ける。そして遅れてきた読者としては、これからも、できるだけ長く迷い続けたいと願っている。
さて、次は何を読もうか、と。
>>逢坂 剛『熱き血の誇り(上)』
>>逢坂 剛『熱き血の誇り(下)』
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