二〇〇〇年以降、わが国の司法、福祉、医療、教育、心理など臨床関係の学会、研究会において、かつてないほど「自閉症、発達障害」がテーマとして取り上げられ、一大ブームとも言うべき様相を呈した。そればかりか、TVや週刊誌においても「発達障害」に関する特集が盛んに組まれ、社会的な注目を集め、「片づけられない女」「アスペのにおいがする」といった言葉が人々の間で飛び交っている。
実は、一九六〇年代前後にも同様の波があった。半世紀という歳月をはさんでわが国で起きた自閉症ブーム。何が違っているのだろうか。六〇年前の波は学会という狭い領域における研究者間の論争(牧田―平井論争)であった。
だが、新しい波は当事者たちの登場によって、そのうねりが始まった。一九八六年に、テンプル・グランディンが「我、自閉症に生まれて」を著し自閉症者として初めて著書を世に問い、九二年にドナ・ウィリアムズが「自閉症だったわたしへ」を発表し、世界的なベストセラーになった。
以後、グニラ・ガーランド、ウェンディ・ローソン、リアン・ホリデー・ウィリー、わが国では、森口奈緒美、泉流星、成澤達哉、藤家寛子、ニキ・リンコ、東田直樹など数多くの自閉症者による著書が出版された。こうした当事者の自叙伝によって、自閉症者の内面の世界が世間に知られるようになった。こうした当事者、もしくはその家族による手記や自叙伝が社会に与えたインパクトは極めて大きなものがあった。本著はその系譜につながるものである。
このような当事者や家族による自叙伝は、一九四三年にレオ・カナーが「自閉症」の概念を提起するに至るまでの長い、そしてそれ以降の自閉症研究に新しい光をあてるものである。それと同時に、一部の専門家や研究者による研究調査や治療療育でなく、当事者やその家族による研究や実践、療育、あるいは専門家と当事者との対等な対話が今後一段と高まっていく可能性を示すものであると考えられる。
さて、自閉症研究における「精神病」概念の混乱、用語の不統一の時代に、カナーの「早期幼児自閉症」の概念が出現する。この概念の出現が画期的であったのは、当時の自閉症研究が「スキゾフレニア」(統合失調症)の傘のもとで行われ、クレペリンの「早発性痴呆」あるいはブロイラーの「スキゾフレニア」の概念を一層拡大させるものであったからだ。
カナーがそうした立場から脱したのは、ドイツから移住し、アメリカ医学界主流から離れたところに身を置いていたことが影響していると考えられる。同様の事情は、カナーの論文が世に出た翌年に発表したものの、長く光が当たらなかったハンス・アスペルガーにも言えることで、革新的な出来事は周縁部分から起こるという証左であろうか。
一九三〇年代に主流であった「スキゾフレニア」類似の精神病という概念を前に、「かなり類似性が見られるにもかかわらず、この病態は今まで知られている他の児童期のスキゾフレニアのすべてと多くの点で異なっている」とカナーは確信をもって書いた。これらの子どもは生まれつきの情緒的交流の障碍であるというのがカナーの主張であった。「子どもの知的潜在能力は基本的障碍によって覆われているだけである」と子どもの示す知的ひらめきを強調し、精神薄弱とも違うことに、カナーは気づいていた。
その意味では、彼の記載した第一番目の症例であるドナルドの診察がその自閉症概念の確立に役立った。ドナルドは一歳で多くの曲を歌え、二歳前に多くの人と家の名前を言え、二十三番の讃美歌と長老派の二十五もの教義問答の質問と答えを覚えた。その一方で、フライパン回しなどを好み、それを妨げられるとかんしゃくを起こし、一人でいることを好み、人々に無関心であった。オウム返しに話し、代名詞の逆転現象を示し、字義どおりに言葉を用いて、その意味では柔軟性が欠けていた。だが、その後ドナルドは大学を卒業し、地方銀行に勤務し、出納係として働いた。いまでいうと「高機能自閉症」なのであろう。
アスペルガーは「これらの子どもは何においても自発的に想像することができ、そして独自のものしかありえない」「自発的精神病質は知的障碍がないかぎり、ほとんど皆が就労に成功し、その多くは知的な高度の専門的職業、または高い地位についているのは内心驚くほどである」とその特性を述べている。
そして、自身が自閉症児の母親である、英国のローナ・ウィングの提唱による「スペクトラム(連続体)」概念の登場によって、カナーとアスペルガーの間にブリッジがかけられ、定型発達者に至るまで一本の連続体で結ばれていくことになる。
さて、本著の主人公であるジェイクは、サヴァン症候群の人物で、映画「レインマン」のモデルとなったキム・ピークと同様、特異な才能を見せ、「ヒューマン・カメラ」や「カレンダー計算」が可能である。
実は、複数の自閉症児たちと暮らす私も、こうした「ヒューマン・カメラ」や「カレンダー計算」、「複雑な暗算」をやすやすとこなす少年たちを発見することがある。あるいは、一度だけ耳にした音楽をピアノ演奏で再現する姿を見て驚かされる。
しかもジェイクの場合、そうした異能の特性にとどまらず、九歳で大学に入学し、相対性理論に取り組み、十二歳で物理学の問題を解き、その解答が一流専門誌に掲載されるのである。
こうしたジェイクの変貌をもたらしたものはなんであろうか。それは、本著の著者である、母親のクリスティン・バーネットの存在であることは疑いない。クリスティンはジェイクの観察を丁寧に行い、専門家が指し示す療育方針とは別に、PECSと名付けられたカードを利用して、コミュニケーションスキルを磨き、毛糸を利用して作品を作らせるなど、「あらゆる場面にトレーニングを忍び込ませるよう工夫」(84頁)をした。
エリック・ショプラーは、自閉性障害に対するTEACCHプログラムのなかで、自閉症者が視覚優位であることに着目し、「視覚的な情報提示」を中心とした構造化を提案し、「親が家庭における治療教育者になる」(四つのモデル)ことを柱としていることを考えるとき、クリスティンの存在とこうした取り組みが大きな光を放っていることは言うまでもない。
自閉症児の親が悲嘆にくれ、意思疎通の困難に絶望し、気がついたら手をあげていたという例も少なくない。自閉症の子どもの七十から八十%が精神発達遅滞を合併しており、誰もがジェイクのように才能を開花させるわけではない。また、誰もがクリスティンになれるわけではない。ジェイクを一つの極とするなら、もう一つの極には「強度行動障害」と診断されるような子どもたちがいる。
もちろん、クリスティン自身もジェイクの自閉症という事実を突きつけられたとき、「あふれる涙で前が見えなくなり」「路肩に車をとめ、運転席に座ったまま激しく泣く」(47頁)のだった。そして、「自閉症」だと確定診断を受けたとき、「完全に打ちのめされ(中略)一晩中一睡もできませんでした」(54―55頁)。それは、自閉症児の親が必ず遭遇する壁である。悲嘆、絶望、不安、怒りなどの内面に立ちはだかる大きな心理的な壁に親たちは突き当たるのである。
だが、そのクリスティンには夫のマイケルや祖父のヘンリーがいて、コミュニティーがあった。大きな影響力を有していたヘンリーが節くれだったゴツゴツした手をかさね、まっすぐに彼女の目を見て言った言葉、「大丈夫だよ、クリスティン。ジェイクは大丈夫だよ」(65頁)が彼女の背中を押す。「大丈夫」。一歩前進する勇気を与える言葉である。私自身が子どもたちの親に、そして私自身に折々に言う言葉である。
何より、「ジェイクの可能性を――それが何であろうとも――フルに引き出すために、必要なことは何だってやる」(16頁)という絶望と悲嘆の壁を乗り越えた、クリスティンの決意があった。愛情に裏打ちされた子どもへの丁寧な観察を通じて、「楽しい経験に満ちた毎日」の重要性、「できないことでなくできることに注目する」(98頁)ことがいかに子どもの発達保障の上で大事であるかを知るのである。その後のジェイクの才能の開花には息をのむような驚きの連続である。神様からのギフトに違いないと思わせるものがある。
そして、一層の感動は、クリスティンが近隣の自閉症児の受け入れを決めるくだりである。この時点で、クリスティンはジェイクの親であることにとどまらず、「社会的親」へと昇華していったのである。実は、自閉症児の親たちにも子どもの養育と工夫を楽しみ、それを他の親たちや専門家と共有しようとする一群の親たちがいる。クリスティンもそうした「社会的親」への門の扉を力強く開け放ったひとりなのである。
そして、「リトル・ライト(小さな光)」と命名されたプログラムのもと、ローレン、エリオット、ジェニー、クレア、ジェロードなどの「見込みなし」とされた子どもが、次々と才能を開花させる。「子どもが熱中していることをどんどん伸ばすようにしてやれば、どの子も期待をはるかに上回る結果を出す」(124―125頁)というクリスティンの信念と工夫がもたらしたものであった。「レベル二の出来事にはレベル二のリアクションをしなさい」という痛みを表現する指導(193頁)では、期せずして「デジタル的指示」という自閉症児にわかりやすい適切な表現が使われている。
言うまでもなく、自閉症の子どもは能力の「揺らぎ」のある凸凹ちゃんである。できないことに焦点をあてる(リスク管理モデル)のでなく、できることに、興味・関心のあることに光をあてて支援する、生活を組み立てていくこと(長期基盤モデル)が重要であることをここで私たちはあらためて学ぶのである。
私が主宰運営する土井ホームにやって来た子どもたちも、まさにローレン、エリオット、ジェニー、クレア、ジェロードなどと同じく「見込みなし」とされた子どもたちである。社会性(対人交渉)やコミュニケーションの質の障碍、想像力の欠如といった三つ組みの問題を共通して抱え、周囲からの適切な理解と支援が得られなかったために、自尊感情が著しく低下してやってくる。被害的な認知の固定化を起こしていることも少なくない。
そのほかにも、発達性協調運動障害(不器用)、学習障害、相貌失認などの困難も抱えている。とりわけ、感覚過敏(鈍麻)の問題は、彼らの生活を一層困難にしている。こうした困難を周囲が理解しないために、本人は不安に陥り、それが「こだわり」となって表れてくると考えられる。
そればかりか、不適切な養育など持続的なストレスがかかると、幻聴などの精神症状をみせることさえある。その結果、入院したり、時には少年院などに送致され、そこでもお手上げとなって土井ホームにやってくる子どもも少なくない。
こうした子どもが抱える困難を暮らしの中で観察し、その特性を理解し、環境を整えること、特に刺激を減らす配慮をし、見通しのよい毎日のスケジュールにすることで、子どもは際立って落ち着いてくる。
大事なことは、日々の暮らしの中で子どものトレーニングを行うことである。様々な工夫を暮らしの要素に溶け込ませておくことである。子どもに家事のお手伝いをさせることによって、「ありがとう」「たすかったよ」「じょうずになったね」という魔法の言葉を繰り返しかけることで自尊感情が高まる。食後の何気ない会話の時間を持つことで、興味のある「へび」の話しかしなかった子どもが異なる分野の話題を提供するようになる。
このような取り組みで確実に子どもたちは成長し、愛着を持ち始める。食後に、私たち夫婦や妹の背後に回って肩を揉もうとし、本来人への関心の薄いはずの子どもたちが私たちの誕生日や記念日にプレゼントをするのはその紛れもない証拠である。
「自閉症の子どもの魂ってなんてピュアなの」「私は自閉症の子どもとともに暮らし、その子たちを見守り見守られて人生を終えたい」と語る妻にこうした子どもたちが各地から迎えられ、そのまなざしのもとに暮らしている。そうした暮らしを送っている私たち夫婦も本著を読みながら共感と感動の波に幾度となく心を揺さぶられ、時には心の底から突き上げる感動に涙を抑えることができなかった。本著は自閉症児とその家族による傑出した自叙伝として、今後長く読み継がれる本になるであろう。
本著を読むあなたが、あなた自身の中にいる「クリスティン」に出会うことを切に願う。そして、祖父ヘンリーのように、再度自分自身に力強く言おう。「大丈夫だよ」
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