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レビュー

ダメ男を巡る妻と愛人の戦い!だが裁判直前で愛人は失踪、勝利した妻も誰かに殺され…『ミネルヴァの報復』

 何気なく扉を開けて中に入ったら普通の家ではなくて、からくり屋敷だった――
 それが深木みき章子あきこという作家の印象である。からくり屋敷といっても、戸口から一歩踏み込んだくらいでは判らない。もう引き返せないくらい奥まで入ったところでにわかに変なことが起きる。そういうわなのようなからくり屋敷。常に用心が必要なのである。
『ミネルヴァの報復』は、その深木が二〇一五年八月に原書房から上梓じょうしした、第六長篇にあたる作品だ。今回が初の文庫化である。
 深木のデビュー作は第三回ばらのまち福山ミステリー文学新人賞を一田和樹いちだかずき『檻の中の少女』と同時受賞した『鬼畜の家』(二〇一一年。原書房→現・講談社文庫)だ。その後深木は、第五長篇『敗者の告白』(二〇一四年。KADOKAWA→現・角川文庫)で〈弁護士睦木怜の事件簿〉という単行本の副題通り、新たなシリーズキャラクターを登場させる。ただし同書は事件関係者の手記や書簡で本文が構成される形式であったため、睦木むつぎの出番は終盤のみ、役回りも事件の謎解きに徹し、その人となりが描かれることもなかったのである。
 シリーズ第二作にあたる本書では、事件に巻き込まれたのが同じ弁護士でもある友人の横手よこて皐月さつきだったこともあって睦木の出番は多い。横手曰く、「まるで存在自体が吸い取り紙であるかのように、相手の言葉を、そして相手の状況をまるごと受け止める包容力が睦木にはある」のだという。実際に横手も睦木に、弁護を引き受けた依頼人が行方不明になった、という相談を持ち掛けている。第一章「失踪」では、その顛末てんまつが物語られる。
 発端は、東京・銀座にある横手皐月法律事務所に辻堂俊哉つじどうとしやが訪ねてきたことである。辻堂は横手が大学時代に属していた山岳同好会の先輩で、同じ法学部だったが司法試験は受けずに今は海外で添乗員などをしながら暮らしている。彼の依頼は、妻・康子やすことの離婚裁判を担当してもらうことだった。だが、状況は極めて不利である。辻堂には西舘佑美子にしだてゆみこという浮気相手がおり、証拠写真まで妻には押さえられていたのだ。負け戦確定の裁判は諦めるように横手が諭すと、彼は別の頼み事をしてきた。西舘佑美子に会って、状況を説明してもらいたいというのだ。それを引き受けてしまったのが、横手にとっては不幸の始まりだった。
 この第一章には弁護士出身の作者らしく裁判についての知識がふんだんに盛り込まれているので、蘊蓄うんちく目的で読んでも楽しい。特に横手皐月が巻き込まれた厄介事、裁判の依頼人が失踪したらどうなるか、といったあたりの話は初めて知る読者も多いはずだ。そうした情報で読者を惹きつけている間に、作者はミステリーとしての仕込を行うのである。目次をご覧になると、この第一章が二つの断章に挾まれていることに気づかれるだろう。「死体のある光景」のその一・その二である。場所もあろうに弁護士会館の中で他殺体が発見されるという衝撃的なものだ。横手皐月にとっては迷惑至極な離婚裁判の一件がコミカルに描かれる第一章と、殺人事件の断章とはあまりに色彩が対照的である。これがどのように結びつくのか、という興味が本書の前半を牽引する関心事になる。
 からくり屋敷、と冒頭に書いた。深木は、物語にどのような内容を盛り込むかということだけではなく、それをどのような構造で書くかということにも趣向を凝らす作家である。デビュー作の『鬼畜の家』は、ある一家に起きた忌まわしい出来事を複数の視点人物の言によって浮き彫りにしていくという形式の作品だ。そこで描かれたのはドメスティック・バイオレンスという非常に現代的な題材だったのだが、続く『衣更月家の一族』(二〇一二年。原書房→現・講談社文庫)では大胆な模様替えが行われる。オムニバス小説のように複数の事件を併置し、最終章でそれらを一気に解決へと導くという意欲的な試みの作品なのだ。そして第三作『螺旋の底』(二〇一三年。原書房→現・講談社文庫)では舞台が海外へと移され、女性主人公の叙述を基調としたゴシック・スリラー風の物語が展開する。第四作『殺意の構図 探偵の依頼人』(二〇一三年。光文社→現・光文社文庫)は、『鬼畜の家』『衣更月家の一族』と合わせて三部作を構成する作品で、前二作にも共通して登場する探偵役・榊原聡さかきばらさとるの存在を前提としたある仕掛が盛り込まれている。
 毎回小説の構造が変化するのは、結末から逆算された必然である。物語の謎が、そうした構造を要請するのだ。前述した第五作『敗者の告白』を含め、本書以前に深木が発表した長篇作には一つの共通点がある。中核にあるものはごく単純な、それこそ一行で表現できるような思いつきだが、それを謎たらしめるために築かれた楼閣が壮大なのだ。逆の言い方をすれば、複雑な構造物が極小の着想へと収斂しゅうれんしていく謎解きが楽しめるわけで、深木作品がミステリー・ファンを魅了してやまないのはその点だろう。
『ミネルヴァの報復』は、右に紹介した過去の作品に比べると、構造自体は単純である。「死体のある光景」なる不穏な断章こそ挾み込まれてはいるが視点人物は横手皐月に固定されて動かない。ごく普通の「女性視点のミステリー」である。
 この作品で初めて深木は、探偵役である睦木れいが主人公の相談に乗るというミステリーの定型的な物語構造を用いた。横手皐月と彼女は対照的である。直情径行型で思いついたことをすぐ実行しなければ収まらない横手と、相手の話を聞くことが第一で、十分に熟すまで自分の考えを口にすることを良しとしない睦木。本書はその対比が際立つように書かれたキャラクター小説でもある。注意して読むと、横手皐月という主人公がほとんどの登場人物と何かの形で対になる部分を持つように書かれていることがわかる。二人三脚でやってきた法律事務所の事務員・佐伯裕美さえきひろみは、普段は控えめな性格だがいざとなると大胆な行動に出る人物で、その意志の強さを横手はしばしば自分と引き比べる。また、トラブルの元凶である西舘佑美子の生き方には、独身をとおしてきた自分を重ね合わさざるをえない点があるのだ。
 こうした具合に、他の登場人物との対比で主人公像が浮き彫りになるよう作者は計算しながらこの小説を書いている。思うに深木は本書を執筆するにあたり、特殊な構造を用いず、ごく当たり前のフォーマットを用いて従来通りの意外性を演出できないか、と考えたのではないだろうか。キャラクターを読者に印象づけることを主眼とする小説の中でも自分が理想とするような謎の仕掛は可能か。それが本書で深木が試みたかったことだろう。ゆえに「ごく普通」と読者が見る箇所、何気ない描写や、キャラクターの示す動作にこそ本書では気を付けるべきなのだ。作者の意図するからくりは、そこに隠されている。
〈ミステリーの女王〉と称されたアガサ・クリスティーは〈意外な犯人〉トリックを多く創出したことでも知られるが、実はその本分は多種多彩なキャラクターを配した性格劇でこそ発揮された。複雑な人間関係の中に謎の種を仕込む名手だったのである。深木の作風には、登場人物の性格描写をおとりにつかったトリックなど、そのクリスティーに相通じる要素を感じる。未来の読者からは、『ミネルヴァの報復』は深木が本来の持ち味である性格劇の作者へと変貌を遂げた転換点の作品と評価されることになるのではないだろうか。
 本書は第六十九回日本推理作家協会賞長編及び連作短編集部門の候補作となった(受賞は柚月裕子ゆづきゆうこ孤狼ころうの血』)。同賞に匹敵する栄誉を獲得するのも、そう遠い将来ではないだろう。読者をからくり屋敷へと巧みに誘い込む深木の作品には、騙かたりの技法を重視するミステリーならではの魅力がある。願わくばそれが一人でも多くの読者に伝わらんことを。

>>深木章子『ミネルヴァの報復』


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