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レビュー

手も触れず札束が倍に!?マジックを悪用した詐欺に刑事と天才少女マジシャンのコンビが挑む『マジシャン』

 演劇やミュージカルといった舞台劇の世界には、「再演」という文化がある。ある演目が好評を得たならば、一定の期間を置いて、同じ演目を再び上演する。そして、もう一度観たいという人、好評を聞きつけたけれど公演期間には間に合わなかった人に、「再会」の機会をプレゼントする。
 作り手の目線に立って考えてみるとどうだろう? 「再演」とは「再現」だ、と捉える人もいるかもしれない。一言一句、一挙一動をできるだけ初演に近付けることが、観客の期待に応えることなのだ、と。しかし、大多数の作り手は、異なる認識を持っているはずだ。初演で手にした違和感を元に、セリフや演技、演出に細やかなチューニングを施し、より良い完成形を目指す。「再演」とは初演の「改訂」であり「更新」である、と。
 松岡圭祐は、小説という表現ジャンルにおいて後者の「再演」を試み続けてきた人だ。単行本が一定期間の後に文庫化される際だけでなく、文庫化された作品に対しても、さらなる完成度の向上を目指して原稿に手を入れ、再出版を企てる。このたび『マジシャン 最終版』として文庫刊行されることとなった本書も、二度目の「再演」、三バージョン目に当たる。
 初出=初演は二〇〇二年十月に単行本刊行され、それを元に二〇〇三年六月に文庫化された『マジシャン』だ。デビュー作から始まる〈催眠シリーズ〉、作家の人気を確かなものとした〈千里眼シリーズ〉に続く、第三のシリーズとして生み落とされた。その後、二〇〇八年一月に『マジシャン 完全版』として再文庫化。今回が、再々文庫化だ。いずれのバージョンも、メインとなるキャラクターやストーリーの芯の部分は変わっていない。だが、その間に作家が別の作品を執筆し、チャレンジしてきた経験や技術が筆に乗り移り、見事な改訂・更新が施されている。
 なにしろ冒頭から、ガラッと変わっている。章タイトルが廃止され、章番号のみの表示に統一。一章(「1」)のみならず、二章と三章の前半が新たに追加されている。そこで主に記されているのは、本作のヒロインである里見沙希(さとみさき)の知られざる過去の事件だ。彼女はどんな性格でどんな能力の持ち主であるのか、読めば鮮やかに刻みつけられるようなエピソードが演出されている。と同時に、ある登場人物の設定が改変されている。スタート地点での加筆修正がもたらす効果は大きかった、と断言できる。
 やがて本格的に幕を開ける本編は、硬質で実直な警察捜査小説だ。ベテラン刑事の舛城(ますじょう)は、都内で十数件発生している、目の前で一万円札が倍に増える(!)という詐欺事件の捜査に乗り出す。「犯人」と目される人物は、「被害者」が提供した札束には一切手を触れず、レプリケーターなる〈SFに登場する架空の装置〉をかざすことで、札束の厚みを倍にした。偽札ではなく、紙幣番号が一枚一枚異なる真札だというのだから、訳が分からない。
 しかし、舛城の脳内データベースには引っ掛かった。〈ただの黒い紙を、特殊な液体をかければ一万円札になると偽って売りつける〉、ブラックマネー詐欺。そのケースでは、客の目の前で〈液体をかける際、黒い紙を巧みに本物の一万円札とすりかえたらしい。手品だな。目の前で紙幣に変わったんだから、被害者は信用しちまったんだ〉。今回の事件もマジックの技術を応用したものではないかという仮説を元に、マジック関連施設への聞き込み調査を始める。その過程で出会ったのが、銀座の小劇場でマジシャンのアシスタントとして下働きをする、里見沙希だった。「犯人」のマジック的な思考をトレースし、トリックを見破るためには、マジシャンに捜査協力してもらうことが近道だ。沙希からの申し出もあり、舛城は彼女と即席のタッグを組むことになる。
 松岡圭祐が編み出す物語の魅力は、大きなクエスト(=追求・探求)と、小さなクエストの融合にある。本作で言えば「一万円札が倍に増える」という詐欺事件が、大きなクエストに当たる。どのようなトリックが使われているのかというハウダニットと、仕掛けている黒幕は誰なのかというフーダニットが、二重に折り重なって物語全体の起承転結を形作っている(実は最初期のバージョンではもうひとつ、コンピューターの新型ウイルスEXが巻き起こす金融危機を食い止める、という大きなクエストが採用されていた。それを削除することで、マジック絡みのストーリーに一本化すると共に、人間ドラマの深みを倍増させることに成功している)。
 大きなクエストの中には、小さなクエストが無数に(ちりば)められている。例えば、捜査の過程で出合うマジックの数々。マジックの実演販売員が、からっぽだった右手から塩を出現させた。どこに塩を隠していたのか? 目の前で完全に破りとられた紙幣が、事前に記録した紙幣番号そのままに復活した。何が起きたのか? 紙上で繰り出されるマジックのタネ=トリックを、沙希と舛城は次々に見破っていく。その積み重ねが、大きなクエストの攻略へと有機的に繋がっていくのだ。また、舛城刑事が関係者にぶつける「謎掛け」も小さなクエストの一種。作者は大量のアイデアを投下して、読者の心をくすぐり、ラストまで確実にページをめくらせようと尽力している。
 そのうえで、なのだ。本作はマジックを取り入れた異色の探偵推理小説であると同時に、異色の成長小説でもある。舛城と沙希は疑似的な親子関係を結び、互いを見つめ合い思いやる(見つめられ、思いやられる)過程で、自らを大きく成長させることになる。擬似的な親子関係は、他にも確認することができる。亡くなった実の両親のかわりに里親となった、稀代の詐欺師・飯倉義信(いいくらよしのぶ)。マジシャンの大先輩である出光(いでみつ)マリも、乗り越えるべき存在、という意味で親としての役割を果たしている。
 沙希の物語ではあるが、我々の物語でもあるのだ。子供には、実は何人もの「親」が要る。大人達が目を配り手を差し出し、口を動かすことで、ようやく一人の子供を成長させることができる。ラストシーンで舛城が〈沙希は案外、成長過程において孤独ではなかったのかもしれない〉とつぶやき、続けて述べる思弁は、すべての大人達に突き付けられたメッセージだ。血縁関係のある子供がいるか、いないかは関係ない。子供とは社会全体で育てるものであるという視点に立った時、大人として「親」として、自分はきちんと振る舞えているのか? 否応なしに思考が動き出す。
 こうした一連の舛城のモノローグにも、作者は前バージョンから細かく手を入れている。沙希が大人達に抱く「願い」をより濃く、より強く、舛城にキャッチさせているのだ。さらにこのモノローグが現れる直前、前バージョンには存在していなかった印象的なエピソードを挿入している。そのエピソードが一手前にあるからこそ、舛城の心は柔らかく溶けたのだ。そして、登場人物を突き抜けて、読者の心中でも感動が(はじ)けることとなった。
 忘れがたいラストシーンが紡がれた本作には、続編が存在する。同時刊行された『イリュージョン 最終版』だ。絶対に、そちらも読んでほしい。なぜならば、誤解をおそれずに言うなら、二作の関係は「フリ」と「オチ」なのだ。『イリュージョン 最終版』の物語を――より厳密に言えば、その物語のクライマックスで描かれるあるメッセージを――強烈に突き付けるために『マジシャン 最終版』は執筆された、と推測できる。
 前作のラストシーンから約一年後が舞台となっているその物語は、天才的なマジックの技術を持つ少年・椎橋彬(しいばしあきら)の人生にフォーカスを当てる。彼はステージ上での一発逆転を夢見ながらも、マジックの技術を活かして万引きを繰り返し、やがて多額の窃盗事件を引き起こしてしまう。誰も見抜くことができない少年の犯罪に、舛城刑事は気付く。再び、沙希に捜査協力を要請する。
 読み比べてみれば一目瞭然だが、「完成版」から「最終版」への加筆修正は、『マジシャン』よりも『イリュージョン』のほうがずっと激しい。二〇〇ページ近く、原稿がばっさり削られているのだ。その行為によって実現した成果のひとつが、さきほど言及した「クライマックスで描かれるあるメッセージ」だ。「完成版」では数十ページかけて表現していた内容を、「最終版」ではたった六行(!)のセリフに凝縮させている。伝えている内容は同じなのだが、こちらの方がずっと鋭く速く、深々と刺さる。
 何よりも大事なポイントは、そのメッセージを誰が放っているか、なのだ。年齢が上だから大人で、未成年だから子供という区分を、このシリーズは採用していない。まるで子供としか思えない大人もいるし、大人のように子供を見守り成長を促すことのできる、子供もいる。……これ以上はもう、ネタバレに直結するため記すことはできない。実際に本をめくり、一行一行を噛み締めながら読み進めてみてほしい。
『マジシャン 最終版』は、続編『イリュージョン 最終版』と共に「再演」されるに当たり、マジックを題材にしたミステリーの妙味がブラッシュアップされ、時代性が約十年前から最新のものへと書き換えられただけでなく、社会における子供と大人の関係性というテーマにも磨きがかけられた。時間を忘れて楽しめる小説でありながら、読み終えた後に必ず、心に残るものがある。稀代のエンターテイナー・松岡圭祐の作家性を象徴する、名シリーズとの出会い(もしくは再会)を、心ゆくまで楽しんでほしい。
 最後に、もう一度記しておきたい。本書を読み終えた人は必ず、『イリュージョン 最終版』を読むように! 度肝を抜かれる感動が味わえますので。

>>松岡圭祐シリーズ特設サイト


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