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レビュー

平凡な悪意は、怪異となり己に牙を剥く。『嘘を愛する女』著者が放つ“厭な”怪談『夢に抱かれて見る闇は』

「ほんと、(いや)な話……」
『幽』十号に掲載された「枯骨の恋」を読み終わった瞬間、口からついて出たのはそんな言葉だった。もう十年も前になるが、あの時のいわく言いがたい、もやもやとした気持ちは今も思い出すことができる。
 第三回『幽』怪談文学賞短編部門で大賞を受賞した作品ということで、期待を膨らませて読み始めた作品だった。タイトルから「怪談 牡丹燈籠(ぼたんどうろう)」的な話を想像していた。
 だが、蓋を開けたら、まったく違う物語がそこにあった。
 舞台は現代。
 登場人物は、この社会のどこにでもいそうな、ごく普通の、ごくどうしようもない男女。起こる怪異はずいぶんと地味。もしかしたら、単なる「思い込み」であるかもしれないほどに。
 だが、それは確かに「怪談」だった。
 しかも、現代怪談の地平を広げる新しい「怪談」だったのだ。
『幽』怪談文学賞(第九回より『幽』文学賞に名称を変更)は、二〇〇六年に怪談専門誌『幽』主催で始まった、怪談に特化した文学賞だ。
 二〇一五年には惜しまれつつも終了してしまったが、選考委員に岩井志麻子(いわいしまこ)木原浩勝(きはらひろかつ)(第三回まで)、京極夏彦(きょうごくなつひこ)高橋葉介(たかはしようすけ)南條竹則(なんじょうたけのり)(第四回より)、東雅夫(ひがしまさお)の各氏を迎え、たった十回の間に実力ある書き手を何人も輩出した。
 栄えある第一回の受賞者は、正統派ホラーの黒史郎(くろしろう)、独自の文学路線を走る水沫流人(みなわりゅうと)、人間の悪意を淡々と描く宇佐美(うさみ)まこと(二〇一七年に第七十回日本推理作家協会賞〈長編及び連作短編集部門〉を受賞)。第二回は官能的な怪談に力を発揮する長島槇子(ながしままきこ)、地方の閉塞感を書かせたら右に出るものはいない雀野日名子(すずめのひなこ)(翌年第十五回日本ホラー小説大賞短編賞受賞)、ノスタルジーとファンタジーを併せ持つ怪談の名手・勝山海百合(かつやまうみゆり)(二〇一一年に第二十三回日本ファンタジーノベル大賞受賞)と、まさに多士済々で来ていた賞だけに、第三回は一体どんな作品が選ばれるのか興味津々だったところの「枯骨の恋」である。
 選評では、京極夏彦氏が『「おそろしさ」に対する情念が頭ひとつ抜き出た』、東雅夫氏が『ひときわ異彩を放つ』作品だと述べていた。
 もしや、どぎつい恐怖譚かとおそるおそるページをめくったわけだが、豈図(あにはか)らんや「枯骨の恋」は力こぶを入れて読者を怖がらせにかかるタイプの話ではなかった。
 なにせ物語のメインとなる怪異ですら、何の出し惜しみもなく冒頭からポンッと投げ出される。ヒロインはそれをまったく恐れないどころか、部屋の隙間の埋草扱いだ。
 さらに、語られる怪異の正体が、また恐ろしく小さい話だった。
 向上心のかけらもない人間が、ちっぽけな自己顕示欲を満たすために、刹那的な行動を取り続けた結果起こった、個人的な破滅。それによって生まれた怪異には全人類を滅ぼす災厄を起こす力はないし、見ただけで死を運んでくる呪いもない。
 薄暗がりに、この世ならぬものが見える。たったそれだけだ。
 だからリアリティがある、とはいわない。むしろ、本作が醸す負のリアリティに寄与しているのは、登場人物の造形にある。
 彼らにとって、他人とは寂しさをごまかすための道具に過ぎず、気持ちを思いやるとか、お互い助け合うとか、そんな人間らしい感情はからきしない。
 道具だから、相手が壊れようが、骨だけになろうが構わない。
 それでいいの? と問いつめたくなるレベルだが、彼らの自己認識を覗いてみれば、おそらく自分たちが特別間違った生き方をしているとは思っていないだろう。善人とまでは言えないが、ごく当たり前の人間。多少自堕落で身勝手かもしれないけれど、後ろ指さされるほどではない、と。
 そして、一面においてそれは正しい。
 人生と真剣に向き合うことなく、その時々を適当に流し、何もなければそれでよし。他人を道具としか見ない生き方に疑問を感じない層は、現代社会においては確実にマジョリティだろう。
 岡部えつは、その手の「平凡で無自覚な悪人」を書かせると抜群にうまい。
 それがもっとも鮮やかに表れているのは「アブレバチ」だ。
 以下、若干結末にも触れる部分があるので、ネタバレ絶対拒否派の方は、本篇読後に読んでいただければと思う。

「アブレバチ」は、ブラック企業でのパワハラという、現代日本では珍しくない光景から始まる。
 上司が撒き散らす罵詈雑言に耐えきれなくなって退職した千穂(ちほ)だったが、三ヶ月ほど過ぎたある日、かつての同僚で、もっともひどいパワハラ被害を受けていた滝江(たきえ)が自殺したことを知らされる。
 滝江に会社から逃げるようアドバイスしていた千穂は、なぜもっと力になれなかったのかと後悔の念にかられて、遠方にある滝江の実家にお悔やみに向かう。
 一見、同僚思いの優しい心根から居ても立ってもいられなくなった末の行動にみえる。だが、底には利己的な目的が潜んでいた。滝江の親を焚き付けて、会社に対しての訴訟を起こそうと企んでいたのだ。辞職した千穂は、食べるものにも事欠くほど困窮していた。このままだと住む場所さえ失ってしまう。弔問(ちょうもん)は、千穂にとって背水の陣だった。
 だが、おもしろいことに、道中の千穂は滝江への同情と後悔をひたすら独白し続ける。まるで本心をごまかすように。さらに、利己的な動機を吐露した後も、それを恥じる気配はない。好意的に解釈すればそれだけ追い詰められているのだろうが、恥じ入る姿勢のなさこそ、「平凡で無自覚な悪人」たるゆえんだ。
 自分を被害者という立場に置く限り、人は内なる利己主義や悪意を容易に肯定できるし、たまさか都合の悪い感情が発露しても良心は咎めない。
 しかし、滝江の生まれ故郷には、ありきたりな都会の闇など太刀打ちできない、何百年にわたる女たちの怨嗟(えんさ)が起こす怪異が待ち構えていた。
 滝江の母・誠子(せいこ)が語る、閉塞した地方の、時代に取り残された実態が強烈な呼び水となって、物語はじわじわと現実から異界へ引きずりこまれていく。
 だが、ここでありがちな田舎ホラーには走らないのが岡部怪談の真骨頂だ。
 村の禍々(まがまが)しい「アブレバチ」伝説も、「不気味だけれども荒唐無稽な迷信」では終わらない。背景に「平凡で無自覚な悪人」の影がちらつく。
 決して豊かではない村で生き延びるために、一番弱い女子供を犠牲にしてきた歴史。そこに浮かびあがるのは「弱い者を犠牲にしてでも自分だけは生き延びたい」という醜悪なエゴイズムだ。人を加害者にも被害者にもするこの負の欲望は、厄介であるがゆえに文学の普遍的テーマになってきた。つまり、描くのに怪談という手法を選ぶ必要はない。
 しかし、強烈だが平凡な「負」を、正と対比させることなく、ありのままに表現しようとするならば、怪談に()くものは実はないのだ。
 たとえば、生者の復讐譚であれば、復讐する側にどれだけ理があろうとも、相手を傷つけた時点で何らかの社会的責任を負わずには済まない。
 しかし、復讐者がこの世のものではないならば、現世の法や倫理は届かず、余計な憐憫(れんびん)に足を捕われることもない。ゆえに、怪談における復讐者は、何者にも邪魔されることなく、存分に思いを成就させることができる。
 苦しい、悲しい、憎い。名もない人間が日常で出会う負の物語。決して正史には残らない小さな黒い歴史に、倫理や正義といった秩序側の理屈抜きに向き合えるのが怪談なのだ。
 アブレバチは、閉じた村では誰も止めることができない口減らしという因習に復讐できる、唯一のカウンターだ。利己的な負の秩序に罪を自覚させる強力な手段なのである。村というミクロコスモスの外から、筋の異なる近代的秩序を(にしき)御旗(みはた)のようにかざしてやって来た千穂があっさりそこに飲み込まれるのは、当然の帰結なのだ。
 そして、千穂は偽りの正義感を自覚しないまま動いた結果、小さな慈悲を見落として、逃れられたかもしれない呪いに捕まってしまう。
 最後まで己を省みない傲慢さ、つまり「平凡で無自覚な悪人」だったがゆえに復讐されていく千穂の姿は、現代人を写す鏡だ。

 単純な善悪観や因果応報など、従来のお約束を使えない現代の怪談に、「近代の小市民的自己」という最大のモンスターを持ち込み、新しい怪異の立ち上げ方を見せてくれる岡部怪談。その主題を手垢のついたサイコホラーで終わらせないのが、著者のすごみであり、冒頭「現代怪談の地平を広げる新しい怪談」と評した理由だ。
 自意識はいいだけ肥大しているくせに、人と違うことを極端に恐れる現代日本人にとって、自分と向き合うのはとても厭な作業だ。だから、内なる毒を容赦なくあぶり出してくる岡部怪談を読むと、とても厭な気持ちになるだろう。
 だが、気づけたなら、解毒できる。
 収録された八篇のうち、比較的ハッピーエンドといえる(かもしれない)のは「縁切り(かわや)」と「メモリイ」だが、この二作の主人公は、起こった怪異を通して過去と向き合い、自分を客体化していく。結果、ギリギリのところで軌道修正に成功し、「平凡で無自覚な悪人」から「平凡だが自覚的な人間」になれたのだ。
 物語が正しく作用すると、人は己を見つめ直すことができる。心の健康診断ではないが、岡部怪談の厭さを愉しみつつ、ちょっと自分を振り返る(よすが)にしてみてはどうだろうか。

>>『夢に抱かれて見る闇は』書誌ページへ


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