文庫解説 文庫解説より
『新八犬伝 結』昭和っ子の魂を揺さぶった一大エンタメを、京極夏彦が読み解く!
本作は、四十四年前に放映され、大人気を博したNHKの人形劇『新八犬伝』(全四百六十四話)のシナリオを抜粋再構成し、ノベライズ化したものである。
NHKは開局して間もなく人形劇の放送を開始している。もちろん人形劇はNHKの独占コンテンツではないのだが、操り人形劇「マリオネット」、影絵劇「シルエット」、そして指人形劇「連続ギニヨール」と、複数枠を設けていたのはNHKだけであり、独擅場の感は大いにあった。まだテレビアニメーションが一般的でなかった時代、映像を使った新しい表現に作り手側も意欲的だったのだろう。
しかし何といってもNHK人形劇を大衆に知らしめたのは恒松恭助作/劇団やまいも(現・劇団ちろりん)制作の『チロリン村とくるみの木』を嚆矢とする夕方の帯枠(月曜~金曜・各十五分の放送。『チロリン村とくるみの木』は当初は週に一度の放送であったが、人気を踏まえ一九六二年より夕方の帯番組となった)だろう。
足かけ九年に亘って放送され、好評のうちに終了した『チロリン村』の後を承けたのは、かの『ひょっこりひょうたん島』であった。
井上ひさし・山元護久作/人形劇団ひとみ座制作となる『ひょっこりひょうたん島』は、後にリメイク版も制作され、主題歌も世代を超えて定期的にカバーされているので、番組を視聴し得なかった年代の方々でもご存じかと思う。若年層向けとはいうものの、社会風刺性・諧謔性に富んだ『ひょうたん島』は、瞬く間に国民的番組と呼べる程の人気を獲得し、五年続いた。これをして夕方の人形劇枠は、朝の連続テレビ小説同様、視聴習慣を伴う定番コンテンツとなったのである。
続く小松左京原作/竹田人形座操演によるSF人形劇『空中都市008』、『ひょうたん島』の路線を先鋭的に深化させた『ネコジャラ市の11人』(『ひょうたん島』と同じ制作陣)を間に挿み、満を持してスタートしたのが、この『新八犬伝』であった。
時代劇、しかも曲亭馬琴の原作である。人形のデザインも含め、それまで夕方の人形劇を視聴していた子供たちの間に一種の戸惑いが生まれたことは間違いない。これは『008』『ネコジャラ市』の不振を払拭するための路線変更と受け取られがちなのだが、NHKの人形劇を俯瞰する限りは(『008』も含め)予定されていたローテーションだったように思う。
SFに路線を変更して失敗、元に戻したが人気の回復は見られず、そこで新機軸を投入――という構図は判り易いのだが、『008』が不人気だったという記憶は筆者にはない。これは当時人気を博していた海外の人形劇『サンダーバード』を意識した路線変更という説もあるようだが、帯枠となる前の『チロリン村』の前番組は『008』と同じ竹田人形座による星新一原作のSF『宇宙船シリカ』であり、別枠でもやはり竹田人形座による手塚治虫原作の『銀河少年隊』が放映されていたことを鑑みると、人形劇が夕方の帯枠に統一されたための登板であり、路線変更とはいえないように思う(『チロリン村』にしても『ひょうたん島』にしても外圧による打ち切り説が根強いのだが、そうした事実があったのだとしても、人形劇の場合は準備に時間が掛かるため急なスイッチは難しい。
多少のスケジュール変更はあっただろうが、規定路線ではあったのだろう)。世はまさにアポロの月面着陸に沸いていた頃でもあり、タイムリーな選択でもあったと思う。『ネコジャラ市』についても、アヴァンギャルドな展開に多少視聴者置いてけ堀の感はあったものの(実際作中での路線変更はなされているのだが)、視聴習慣が失われるまでの不評ということはなかったようである。
そもそもNHKの人形劇第一作は岡本綺堂原作の『玉藻前』であり(子供向けではなかったのだが)、その後、吉川英治の『信州天馬侠』なども制作されている。
伝奇・冒険系時代劇は、むしろNHK人形劇の主流だったのである。
それだけに(だからこそ)、制作陣も力を入れたことは間違いない。
まず、人形美術として当時新進気鋭の人形師だった辻村ジュサブロー(現・寿三郎)を起用したことが挙げられるだろう。それまでは操演も含めて人形劇団に依託していたのだから、これは大抜擢である。伝統的文楽人形のスタイルを継承しつつ、オリジナリティーにも溢れた辻村作の美麗な人形たちは大評判となった。辻村は三百体を優に超える人形を製作し、これを期に一挙にスターダムへと伸し上がった(辻村は『新八犬伝』に続く柴田錬三郎原作『真田十勇士』の人形美術も担当する)。
もうひとつ、狂言廻しとして作中に“人間”が登場するところも看過できない。前作『ネコジャラ市』においても、ナレーちゃんと称する解説進行担当のナレーターが劇中に登場するのだが、これは人形であった。しかし、『新八犬伝』では黒子が登場し、逐一説明を施すスタイルが取られた。馬琴の原作は複雑に込み入ったストーリーである上、子供には理解できない言葉や歴史的設定なども多い。視聴者との橋渡し的な役割を本来舞台上では“見えない”はずの黒子に託すというのは、一種の発明であっただろう。この役は、当時の人気スターであった歌手の坂本九に振られた。坂本の語りは洒脱かつ軽妙で、親しみ易く、かつ判り易くもあった。
黒子であるから基本的に顔は見えないのだが(多く本人が演じていたという)頭巾には丸に九の字が記されており、“九ちゃん”であることは周知の事実として諒解されていた。「閑話休題」「青天の霹靂」「さもしい」など、日常的に使用しない言葉を坂本の名調子で覚えたという児童も多かったようである。
子供たちの戸惑いはみるみるうちに払拭された。『新八犬伝』はたちまち大人気となり、放送も一年延長された。
しかし、何よりもその人気に貢献したのは、長大な『南総里見八犬伝』の複雑怪奇かつ理路整然とした魅力を余すところなく取り込み、娯楽作品としてアレンジし、構成し直した脚本の力に依る処が大きいと思う。
シナリオを執筆したのは石山透である。
石山は、これも一世を風靡したNHK少年ドラマシリーズの記念すべき第一作となる『タイム・トラベラー』の脚本も担当したヒットメーカーである。石山の脚本は込み入った筋書きを平易に改変することをしない。キャラクターそれぞれのエピソードも(サブキャラに至るまで)省略せずに丹念に描いており、込み入ったまま判らせようという工夫が施されている。延長にあたっては同じ馬琴作の『椿説弓張月』のエピソード(琉球編)を挿入したり、説経節のキャラクターを登場させたりもしている。
省くどころか足しているのである(もちろん割愛された部分も多々あるのだが)。
何より着目すべきは、玉梓の怨霊の使い方である。玉梓は全編を通した“敵”として、原典よりも遥かに多く登場する。辻村作のほぼ等身大の人形(傑作である)の独特な操演は「われこそは玉梓が怨霊」という出現時の決め台詞と相俟って非常に印象的なシーンとなっており、そこだけは覚えているという者も少なくない。多層構造になった原典の中から、犬/狸の対立という隠れた基幹構造を抜き出し、基本線に据え直すという石山の手法は、まさに卓見というよりない。最終回で消滅(成仏?)するという構成からも、それはある程度意識的なものだったと思われる(原典の玉梓は終盤で討ち取られる。ラスボスは関東管領扇谷定正である)。
本書は、その石山の脚本をベースに(四百六十四話すべては拾われていないのだが)、放送作家の重金碩之が小説化(底本でのクレジットは構成)したものである。
底本は放映中に日本放送出版協会から三分冊で刊行され、後に復刊ドットコムより再刊されたものである(辻村本人の挿画が再録されなかったことが残念である)。
『新八犬伝』の映像は劇場版を除けばわずか四話分しか現存していない(うち三話と劇場版はDVD化されている)。リアルタイムで視聴した者しか味わえなかった魅力の片鱗が本書から伝わるだろうか。