芦沢央は、「逆算する」という。
トリックや動機を考えて、そこに向かって逆算して、物語を作り上げていくのだそうだ。もちろん、エンターテインメントの小説家として珍しくはない。ただ、インタビューの席でそう聞いた時、心から納得できる感触があった。ああ、だから彼女が用意する結末はいつも、いわゆる〝とってつけた感〟がないのだな、終盤にそれまで描いてきた景色を見事に反転させてみせるのは、そこに向かって緻密に物語を構築していくからこそなのだと。
本作は芦沢央の第四作で、単行本は二〇一五年に刊行されている。幼い頃に偶発的な誘拐事件に巻き込まれ、その際の事故で視力をほとんど失った少女が十二年後、今度は意図的に何者かに連れ去られるという第二の事件が起きる。その頃、第一の事件の犯人の娘は大人になって結婚したものの、夫のもとから姿を消していた。ふたつの出来事にはどのような関連があるのか。
本作の出発点は、犯人の動機だったという。もちろんここでは明かせない。以降、この解説に記すことは真相のヒントになりかねないので、どうか本編に目を通してから読み進めるよう、お願いしたい。
いわゆる誘拐事件モノのミステリと呼べる本作であるが、何よりもの特徴は、同じ人物が十二年の時を経て二度誘拐されることだ。一度目は故意ではなかったというものの、二度目の事件は犯人も動機も不明。金銭目的とは思えず、また偶然だとは考えにくい。まずはその興味で読者を引き付ける。
ただし、犯人対警察の攻防といった類の話の進め方ではなく、被害者家族である宮下家と、もう一組の夫婦の物語となっているのが特徴的だ。宮下家では一度目の誘拐で娘が視力を失ってしまったがゆえに、母親は過保護になり、父親はまだ事実を受け入れられないのか、勤務先では娘の事情を隠した発言をしている。手違いの事件によりいびつな形になってしまったまま時を重ねてきた家族が、第二の事件を経てどう変化していくのかが、読みどころのひとつだ。
また、二度も人質となった娘、愛子の行動もスリリングに読ませる。母親の庇護のもと安全に暮らしてきたものの、だからこそもっと自由に生きたいと願う彼女は、監禁された部屋でさまざまな脱出方法を試み、失敗しても屈しない。その過程で親を恨むどころか甘やかされてきた自分を省みるあたり、気高さすら感じさせるものがある。これは両親と娘それぞれが別の場所で精神的葛藤を乗り越えていく、宮下家の成長物語ともなっているのだ。
一方、同時進行するもう一組の夫婦、江間の物語は謎に満ちている。過去に遡り、その出会いから共に漫画家という同じ夢を追いかけてきた道のりが描かれているだけに、妻の優奈が突然離婚届を残して、夫・礼遠の元から姿を消した理由は単なる不和とは思えない。ただ、愛子の誘拐事件と関連があるに違いない、とは読者も感じるところ。
ここで気に留めておきたいのは、タイトルにもある「いつかの人質」という言葉だ。二度の誘拐事件で人質となった愛子を指しているとは誰もが思うだろう。ただ、〝囚われの身〟という意味から考えてみると、愛子の親から自由を奪われていたという側面や、宮下夫妻の過去に縛られている姿、優奈の夫の元から逃げ出す前の日常、そして礼遠の優奈を捜して奔走する様子もまた、何かに囚われた様子を表しているのではないだろうか。
また、少しずつ浮かび上がってくるのは、「夢を追う」というテーマである。その言葉だけ素直に聞けば、美しく思える。もちろん順調に夢が叶えば何の問題もない。ただ、必ず叶う保証もないとなったら、誰だっていつまで夢を追っていられるのか不安になるのではないか。疲れ果てて諦めたくなる時だってあるかもしれない。そんな時、他人が「諦めろ」もしくは「諦めるな」と言うのは簡単だ。しかし努力し続けるにしろ断念するにしろ、何より大切なのは本人の意思である。つまり、傍から見れば誰かを応援するのは美しい行為に思えるが、応援される当人は、それをまったく違うとらえ方をしている可能性もある。その残酷さを突きつけてくるのも、本作の重要な要素である。そして人は夢というものにどう対峙していくのか、そんなことを考えさせるラストが待っている。
ところで、この点に関して単行本を読了している方なら、文庫版を読んで「おやっ」と思ったのではないか。実は結末の光景がまったく違うのである。単行本では、夢を手放すかと思わせるエンディングだった。だが、この文庫バージョンはどうか。「夢」に対して、作中人物はまた違う。その決断をどう受け取るかは、読者一人ひとりの人生観が影響してくるだろう。
別の著作のインタビューで、著者は「自分はどの作品でも、(作中人物が)生きづらさにどう取り組むかを考えながら書いている」と語ったことがある。本作も登場する誰もが、生きづらさを抱えている。家族や夫婦という共同体、ハンディキャップを持った少女、夢を追う者……。みなそれぞれの苦しさのなかでもがき、それでも道を見つけていこうとしているのだ。著者の作品にはブラックな結末のものもあるが、それでもいつも、生きづらくても生きていこうとする人々への愛情と優しさを感じさせてくれるのは、そこに彼女の人生観が表れているのだろう。だからこそ、今回の文庫化にあわせての結末の変更も納得がいく。
それに芦沢さん自身も、夢を諦められなかった人なのだ。学生時代から新人賞への小説の応募をはじめたものの結果が出ず、一時は出版社に勤務。退社を機に再び応募をするようになり受賞に至ったのだが、つまり小説家を志してから実に十二年ほどかかっている。二〇一二年に野性時代フロンティア文学賞を受賞したデビュー作『罪の余白』(現・角川文庫)は、娘を亡くした父親と、彼女を死に追い詰めた同級生の少女との心理戦が巧みに描かれるスリリングな内容だった。では学生の頃からミステリを執筆していたかというとそうではなく、当初は純文学的な作風だったというから意外である。それでなかなか入選にまで至らなかったため、いったん賞ごとの傾向と対策を練るのをやめて、自分を楽しませようと書いたのが、仕掛けのある小説だったという。作風を変えた作品で最終選考まで残り、ならばと書き上げた『罪の余白』で受賞したこともあり、デビュー以降は本作を含めサプライズを用意した作品を次々発表。そのなかで「逆算する」というテクニックを磨いていったといえる。二〇一五年には短篇「許されようとは思いません」(同名の短篇集に収録、新潮社)が日本推理作家協会賞の短編部門にノミネートされるなど、ミステリ作家のイメージもすでに強く持たれている。
動機やトリックから「逆算」して物語を作るからこそ、そこに至るまでに齟齬がないよう、何度も丁寧に物語世界を構築し直しているのも特徴だ。トリックのある短篇を執筆する際、視点人物を誰にするか、十数通り考えて描き直した、という話も聞いたことがある。この加筆する姿勢に関しては、本作でも充分にうかがえる。先述のラストだけでなく、実は比べてみると細部も単行本からさまざまな変更が施されていることが分かるのだ。しかも、真実をいつ読者に気づかせるか、あるいはいかにテンションを持続して読ませるかと配慮してなされたものだと分かる部分がいくつもある。そして確かに、この文庫版のほうが、一段と読者を引き込む力が強くなっている印象があるのだ。ここまで手を加えるとは、そして確実に効果を出しているとは驚きだ。決して手を抜かない、その妥協のなさも恐れいるが、そこで見せつける作品を向上させるスキルも、この作家が期待を抱かせる理由のひとつである。
ただ、彼女は決してサプライズだけを得意としているわけではない。たとえば『貘の耳たぶ』(幻冬舎)は、トリックなしの長篇。産院での赤ん坊のすり替え事件に関与した二人の母親の長期にわたる心理状態の変化を、緊張感を持って巧みに描き出している。サプライズを構築するテクニックは驚嘆に値するが、得意技はそれだけではないのである。必要な時に、必要な書き方で小説を作りだすことができる人だとつくづく思う。つまりは、今後彼女の新作が出たとしても、読み終えるまではどういう作風か判断できない、ということでもある。それもまた、彼女という書き手のサプライズ力であろう。なんとも油断ならない作家、それが芦沢央なのである。