対談 「本の旅人」2018年3月号より
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人気上昇中、二人の新鋭作家がターニングポイントとなった作品を語る。文庫化記念対談!
取材・文:河村 道子
角川文庫のなかで人気上昇中の、芦沢央『悪いものが、来ませんように』と徳永圭『片桐酒店の副業』。芦沢さんと徳永さんは、デビュー時期も年齢も近いうえ、幼い子供を持つママでもあります。新鋭作家として波に乗っている二人の作品が、このたび新たに揃って文庫化。対談ではママトークも交えながら、文庫化新刊の読みどころ、各々の創作の姿勢をたっぷりと語り合いました。
文庫化新刊に見えるそれぞれの〝転換点〟
徳永: 初めてお会いしたのは、ちょうど去年の今頃でしたね。
芦沢: 初対面という感じがしなかったです。作品を読んでいても、徳永さんとは興味の範囲が似ているなぁと感じていました。
徳永: 私も。デビュー作からしばらく、コメディ要素の強いものを書いていたのですが、重いテーマに取り組み始めた頃から、芦沢さんと作風が似ているという声を周りからも聞くようになりました。
芦沢: 『片桐酒店の副業』もブラック要素が入っていましたよね。
徳永: もともと引き出しのひとつとしてあったと思うんです。それに本格的に取り組んだのが、今回文庫化する『XY』です。
芦沢: 容赦ないなぁと思いました。嫉妬や欲望など、人間の負の部分を真正面から果敢に書いていらっしゃる。
徳永: 芦沢さんこそ、いったいどこまで人間を深く掘るんだろうって、新刊を読むたびに驚かされています。
——文庫化新刊は各々4作目の小説。自身にとって、どんな意味を持つ作品ですか?
徳永: コメディからシリアスへと舵を切った、大きな分岐点のような一作。重いテーマでも逃げずに書くという覚悟が決まった作品でもありました。
芦沢: 私もまさにターニングポイントとなった一作です。それまでの私は、心理描写で物語を動かす癖があって。単行本執筆時、編集者からその指摘を受け、そこから状況描写と警察小説の要素も加えながら、原稿用紙二千枚分を書き直しました。そのなかで自分は何が得意で、何が苦手なのかというところを探っていきました。この作品から、書くものがかなり変わっていったという感があります。徳永さんは路線転換をされて、いかがでしたか?
徳永: 驚くほど書きやすくて。私は初めて書いた小説でデビューをしたので、自分は何が書けるんだろうというところで試行錯誤を続けてきたんです。コメディ色の強い作品がデビュー作だったので、ずっとその路線で書いてきたのですが、違うものにも挑戦したいと書き始めたら、〝あ、どんどん書ける〟って。
芦沢: その心地よい執筆のスピード感が作品にも表れていますよね。
真摯に向き合った作家性にも繋がる倫理観
——生きることに疑問を抱く30代のヒロインを変えた劇的な恋愛。けれどある日、絶望の淵に立たされてしまった彼女は、禁断の行為に出ることを決意する——。〝愛していれば、何をしても許されるのか?〟という問いを投げかけてくる『XY』の出発点は意外なところだったそうですね。
徳永: 連続婦女暴行事件の犯人が捕まったというニュースを観ていた時、〝あれ?〟と思ったんです。身体的な力の差ゆえ、性犯罪って男性が加害者で、女性が被害者になることが多いじゃないですか。でも本当にそうなのかな?と。女性は夜道を歩く時、もし襲われたら……って、ちょっと身構えるところがありますよね?
芦沢: 警戒する癖がついているというか。
徳永: 女性はそうした危機感を日常的に抱いているところがあるけれど、男性はあまりない。そんなに余裕があっていいの?と(笑)。本気を出せば、女性の方が計画的に、したたかに遂行するんじゃないのかなって。その思い付きが出発点でした。
芦沢: 男性と女性とでは、読み方が変わる作品ですよね。
徳永: まったく違いました。男性は〝怖い!〟みたいな感想が多かった(笑)。
芦沢: 私はこの作品、読み手の倫理観と想像力を問う物語だなと思いました。作中で二箇所、自分本位に己の欲望を満たすため、かなり踏み込んでいくことをする場面があるじゃないですか。けれどその行動の見え方は、シーンによってまったく違う。読みながら抱く感情がすごくブレるというか、揺らぐんですよね。ある時は応援すらしたくなったり、かたや〝気持ち悪い、許せない〟と思ったりして、揺らいだことに気づいた瞬間、ハッとする。〝人の持つ倫理観って、所詮その程度のものじゃない?〟と、問われた気がしたんです。そこがこの小説の凄いパワーだなと。
徳永: 倫理観というワードが出てきましたが、執筆中、一番意識したのがそこでした。物語自体もそうですが、書く側の倫理観もです。題材もデリケートなものを含んでいるので。実は、違うラストも考えていたのですが、そちらの方が作品としてはインパクトがあったんです。でもそれによって、不安に陥ったり、傷つく方もいるに違いないと。それは書き手としての自分が許せなかったんです。
芦沢: そこで踏みとどまろうとするところに、作家性というものがにじみ出ているような気がします。
徳永: ありがとうございます。作家としての信頼感というのは、本当に大事にしたかった。それをとことん考えさせてくれたという意味でも、印象深い作品になりました。
一番、書きたかったのは夢を持つ生きづらさ
——『いつかの人質』は様々な人の視点から、誘拐事件と並行して起きる失踪の真相を照らしていきます。3歳の時に連れ去りに遭い、失明した愛子。12年後、彼女は再び誘拐事件に巻き込まれてしまう。一方で描かれるのは、失踪した妻・優奈を捜す人気漫画家の夫。優奈は12年前の誘拐犯の娘で……。
徳永: ひとつの事実、ひとりの人間が、見る人によって、まったく違うものとして表れてくる。多視点で語られる構成からは、それが浮彫りにされていきますね。
芦沢: 人間って、すごく多面的な存在だと思っていて。それを著わすことが、本作で目指したところのひとつなんです。
徳永: タイトルに込められたもうひとつの意味がわかるところで鳥肌が立ちました。
芦沢: うれしい! 本書では誘拐された愛子が酷い目に遭いますが、単行本ではその部分が強く伝わったことで、今、徳永さんが言ってくださったようなことが少し伝わりづらかったかなと感じていたんです。そこにあるのは、人気漫画家を夫に持ち、同業であるのに、自身は日の目を見ることができない優奈の葛藤で。
徳永: 何かのプロを目指したことのある人には、そこがグサッと来る。夢っていつ諦めればいいの?って。私、もともと漫画家を目指していたんです。まさに優奈と同じ立場でした。担当さんから何度もリテイクをくらい、掲載はしてもらえず……。20歳から始めて、5年後にやめたんですけれど、どうしても物語をつくりたくて、小説を書き、そこから文字に転向して。だから優奈の苦しみは、我がことのように伝わってきました。
芦沢: 私も作家への夢がずっと諦められなかったんです。新人賞への応募を何年にもわたり、繰り返して。夢を諦めきれないことって、しんどいですよね。私が書くものの核になっているのが生きづらさなんですけれど、この生きづらさについては、絶対に一度は向き合って書いてみたかった。自分自身、ずっと苦しかったので。
徳永: 文庫版は、単行本からかなり改稿をされましたね。
芦沢: ミスリードの仕方で、効果が変わってくるところがあるなと。改稿で迷ったのはエピローグです。3パターン書きました。もちろん単行本は信念を持って出しましたが、違う着地の仕方もあるのではないかと。夢を持つ生きづらさを、この話では一番書きたかったのだから、そこにもっとフォーカスするラストにしたいなと。
徳永: 一番印象に残ったのが、そのラストの改変でした。
芦沢: 生きづらさに繋がる夢というものを持つ人、それを諦めきれない人に寄り添いたくて。それでも生きていくんだよねって。
徳永: すっごくわかる! それは業みたいなもの——だと思う。
芦沢: そう、業。作家になって今年で6年目になりますが、創作というものに対して、自分の業がどんどん深くなっていく感じがしているんです。だからこういうエピローグになったのかなと。
物語だからこそ届けられるものを信じて書いていきたい
——そうした業を抱え持つお二人は、一方で子育て真っ最中のお母さんでもあります。執筆と子育ての日々をどのように送っているのでしょう。
芦沢: うちは今、5歳と2歳なんですけど、ほんと今だけですよね。こんなにも〝お母さん! お母さん!〟って子供が言ってくれるのって。もっと一緒に過ごしたいし、いろんなものを見ていたい。今朝もね、星が描けるようになったんです、上の子が。今まで何度一緒に手を持って描いても描けなかったんですけど、点を5つ打って、それを結んでごらんって言ってみたら途端に描けるようになって。何かができるようになるのを間近で目撃するのは本当に楽しい。そのひとつひとつを逐一見ていたいという想いはありますが、今だからこそ書ける小説もある。そこにはやはり葛藤がありますね。預けて書いているということに対しても。
徳永: うちの子は今1歳8カ月なんですが、とってもわんぱくで。私は産後6カ月で保育園に預けて復帰しましたが、最初から私にすがってきたシーンは一切なかった(笑)。
芦沢: うちの子たちも保育園、大好きですよ。これは私の問題ですね。子供が私に会いたがるというより、私が子供に会いたがっている(笑)。
徳永: それは私も(笑)。自分が二人いればいいのになぁってよく思います。
——母という立場や想いが創作に影響を及ぼしていることはありますか?
徳永: 私は母親になってから、子供の出てくる物語と自分に対しての距離感がうまくはかれなくなってしまったんです。〝自分の子供だったら〟〝私がこの親の立場だったら〟と感情移入しすぎて。自分がこれほど変わるとは思いませんでした。次回作の『カーネーション』は、母親の立場で書いたものなのですが、その距離感を探りながらの執筆でした。芦沢さんはあまり気にされないですか? 〝これはフィクション〟と割り切っています?
芦沢: 私は、作家と母親になったのがほぼ同時期だったので、〝書くってこういうこと〟というのが、その立場に関係なく、自分の中にあるのかもしれません。だから子供が酷い目に遭う話も書くし、生きづらさも書く。でも『今だけのあの子』という短篇集の中で、〝大人って楽しいよ、人生これから楽しいこといっぱいあるよ〟と子供に示すのが、大人にできること、という想いを持つおばあちゃんを書いたのですが、根底にいつもあるのは、その想いなんです。〝人生、そんなに捨てたもんじゃない〟ということを、私は物語のなかで著わしていきたいんです。そこに母としての意識が働いているかどうかは自分でもわからないけれど、その気持ちは年々、強くなってきていますね。
徳永: それはきっと、読む人の心を救うところへ繋がっていく。そして物語にはそうした力を込めることができる。
芦沢: 物語でなければ届かないこと、ありますよね。
徳永: それを信じて物語を書いているのだと思います。私も読んだ方が、〝あ、ちょっと救われた〟という気持ちを抱いてくださったら、自分自身も救われるような気がしますね。