文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。
(解説:
「なに、あれは眉や鼻を鑿(のみ)で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋っているのを、鑿と槌(つち)の力で掘り出すまでだ(後略)」
(夏目漱石『夢十夜』「第六夜」)
これは
アーサー・コナン・ドイルが創造した名探偵、シャーロック・ホームズの名言、「ほかのすべての条件があてはまらない場合は、残った可能性がどれほどありそうにないものでも、やはり真実にほかならない」(『シャーロック・ホームズ最後の挨拶』「ブルース=パーティントン設計書」。
本書収録作に触れる前に、シリーズの概要について簡単にまとめておこう。シリーズの主人公・
各短篇集にはそれぞれの趣向が凝らされているので、未読の方はどの一冊から始めても問題なく楽しめるだろう。たとえば『狐火の家』は、密室トリックが使われた事件であることが判明するまでの見せ方が毎回異なるので、プロットの違いを楽しめる。『鍵のかかった部屋』はさまざまな密室を取りそろえた作品集であり、舞台設定のおもしろさで読ませる。シリーズを順番に読んでいった場合の楽しみは、キャラクターが変化していく過程を味わえることだろう。初登場時の青砥純子はごく当たり前の、有能な弁護士という雰囲気だったのが、コメディリリーフ的な役割をだんだん担うようになってきた。本シリーズは二〇一二年に
第三短篇集の文庫化にあたり、収録作を分割して二冊で刊行されることが決定した。最長の「ミステリークロック」と倒叙形式で話が進んでいく「ゆるやかな自殺」の二篇、『鍵のかかった部屋』同様に密室の設定がおもしろい「鏡の国の殺人」と「コロッサスの鉤爪」の二篇という組み合わせである。本書は後者だが、もう一冊の『ミステリークロック』も併読してもらいたい。表題作は初めて読んだときに私は「これを独立した長篇にせず、短篇集に入れるとは、なんて気前のいい作家なんだ」と半ば
前置きが長くなった。『コロッサスの鉤爪』の話題である。
二篇のうち先に発表されたのが「鏡の国の殺人」だ(初出:「小説野性時代」二〇一三年十二月号~二〇一四年三月号)。とある美術館に夜間侵入した榎本径が死体を発見してしまう、という衝撃的な場面から話は始まる。これまで、怪しい怪しいと言われながら決して裏の顔を
ルイス・キャロルが作中でしばしば開陳する逆説的言辞やナンセンスな韻文、数々の印象的なキャラクターは過去に多くのミステリー作家を魅了してきた。キャロル・モチーフの作品だけで一ジャンルが形成されていると言っていいほどで、日本にも
表題作となった「コロッサスの鉤爪」は、かつての『硝子のハンマー』を上回る壮大な規模の密室が描かれる作品だ(初出:「小説野性時代」二〇一五年十二月号、二〇一六年一月号、三月号~五月号)。海そのものが密室と見なされるのである。海上でゴムボートが転覆し、乗っていた男が死ぬ。事件当時その海域には『うなばら』という実験船が作業中だった。ただし船がいたのは三百メートルの深海で、犠牲者に近づくことは不可能である。潜水に伴う気圧差が障害になるためだ。また事件当時の模様は水中聴音機によって記録されていた。現場を見ることはできないが聴こえてはいるので、工作が施されればわからないわけがないという、いわば音の密室だ。
さらに異様な状況が付け加わる。犠牲者の遺体には、何かの生き物がつけたような
どう見ても怪物が犯人としか思えない事件、というミステリーのジャンルも存在する。
最初にも書いたが、榎本径のシリーズには新しい発見が満ちている。謎解き部分を読んだ者に、そういう世界があるのか、という驚きをもたらしてくれるのだ。貴志がこのシリーズで行っていることは、脈々と受け継がれてきた謎解き小説の物語形式を現代的な道具立てによって補強し、再生させる試みなのである。アイデア量の豊富さについては他の作家の追随を許さないほどで、当代一のトリックメーカーという称号を贈りたい。貴志の
推理でおもしろいのは、榎本が真相に到達する過程が、青砥の仮説を否定するという形で行われることだ。本書収録の二篇ではその模様が実におかしい喜劇的場面として描かれる。いくら否定されても珍説・怪説を出すことをやめない青砥には、時に榎本を「……くそ。不死身か? メンタル、不死身なのか?」と嘆かせる
元版の『ミステリークロック』に収録された四篇の特徴を一口で言うと、足し算の魅力であったと思う。一つだけだと何を表しているかわからないピースがあるが、二つ以上を足し合わせることで本来の姿が見えてくる。「ミステリークロック」はまさにそういう作品で、足し算する項目の多さでは群を抜いている。本書収録の二篇でいえば、「鏡の国の殺人」は、それとそれを足すか、という意外性があるトリック、「コロッサスの鉤爪」は図に一本の補助線を引くことで解法が浮かび上がってくる作品だ。ダイオウホウズキイカ+ある生物=真相という話なのだと書いても信じてもらえないかもしれないが、本当だから仕方ない。
現代屈指の完成度を持つ謎解き小説であり、個性的なキャラクターの探偵小説であり、ルイス・キャロルやダイオウホウズキイカといったモチーフの奇想小説でもある。ミステリーはこんなにおもしろいものなのだということをぜひ実感していただきたい。
▼貴志祐介『コロッサスの鉤爪』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/322008000156/
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