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レビュー

よく分からずに恐れていたものが、読んだ後にはちょっとだけ怖くなくなっている。『子育てとばして介護かよ』

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(評者:新井見枝香 / 書店員・エッセイスト)

子供の頃、テレビで志村けんが「陽子さんよぉ~、飯ぁはまだか?」と震える声で言うのが可笑しくて、よく真似をしていた。「おじいちゃん、さっき食べたばかりでしょ?」何度聞かれても答えてあげるお嫁さん役のいしのようこ(当時は「石野陽子」)は、気付けばもう50代。志村けんは、もうすぐ70歳だ。まだ子供だった私も、30代後半。当時は「認知症」という言葉が浸透しておらず、「ボケる」ボケで笑いが取れる時代だった。しかし今、もし身近な高齢者に「飯はまだかい」と真顔で言われたら、引き攣った笑顔で「た、たた食べたばかりでしょ?」と答えて、財布片手に本屋に駆け込むだろう。どうしよう、恐れていたアレが、ついに来たのかもしれない。全然可笑しくないじゃないか。どうしていしのようこは、あんなに泰然としていられたのだろう。認知症、高齢者、介護、などの言葉が飛び交う棚の前で、私はただ呆然と立ち尽くす。どれから読んだらいいかわからない、というか、そんなもん、お金を払って読みたくなどないわ! 書店で頭を抱えていると、本の女神(担当編集者)が現れて『子育てとばして介護かよ』という本を指し示した。

著者の島影真奈美さんは、33歳で出産したいという希望があったものの、夫婦ともに仕事があり、真奈美さんは大学院にも通ったりして、タイミングを逸していた。そしてそのまま、年に一度会うくらいの関係でしかなかった、夫の両親の介護に追われることになる。

「知らない女性が勝手に出入りしているの」85歳になるお義母さんが、突然おかしなことを言い始めた。するすると窓から入り込んで、大事なものを盗んでいくという。心霊現象であって欲しいが、認知症の症状である。食事を摂ったことを忘れる、眼鏡を額の上に乗せたまま探し回る、という志村けん的「ボケ」だけでなく、見えないものが見えてしまう、という症状もあるそうなのだ。なにも知らなければ、お坊さんか霊媒師を呼んでしまうところである。

真奈美さんが義父母の認知症に気付いたときは、現在の私と同じく、全く知識も心の準備もない、時間的余裕もない状態だった。同じ「初めて」でも、子供を産んだり育てたりするのなら、知識を蓄え心の準備をする猶予がある。もちろん実際は思い通りになどいかないだろうが、前もって育児休暇を申請したり、評判のいいベビーカーをリサーチしておいたりはできるだろう。ミルクを飲んだあとにはゲップをさせたほうがいい、くらいのことは、一般常識だ。そうしたことを自然に学べる出産・子育てエッセイは、楽しい読み物としても定番の人気があり、書店に行けばよりどりみどりである。だが、介護はそうもいかない。ある日突然降りかかる。せめて最低ラインの知識をつけておきたいが、基本的に楽しみではない事柄であるため、味気ないハウツー本に手が伸びない。子供用の薬は甘く味付けされているが、大人だって、できれば苦い薬は飲みたくないのだ。

しかし真奈美さんの文章は、子を産む気などさらさらない私が子育てエッセイを好んで読むように、なんだか愉快な気分にさせてくれた。よく分からずに恐れていたものが、ちょっとだけ怖くなくなっている。そして自然と身に付いた知識は、いざという時に、必ず効いてくれる薬となるだろう。

現在書店では、80歳になった大御所作家が充実した老後を送っているエッセイだとか、傘寿を迎えた主人公が第二の人生を歩み始める漫画だとかが売れている。死ぬ瞬間まで楽しい人生を送る老後は素晴らしい。だが、それはごく希なケースだから本になっているのだ。根拠もなく自分だけは認知症になどならない、と思い込むのは、認知症になってからで十分である。すでに認知症となった真奈美さんのお義母さんは「わたしたち、そのうち認知症になっちゃうかも! もの忘れが最近ひどいのよ」と冗談めかして言った。さらにお義父さんは「認知症を防ぐための生活習慣」を説く新書を熱心に読んでいた。思わず私は、そのページに付箋を貼る。ここ、すごく重要だ。「忍者ハットリくん」でハットリくんたちが「ズコー!」と両足を上げてずっこける、なんとも力の抜けるシーンを思い出す。そういう読み方で間違っていないと思う。この本の中には、義父母によってもたらされる真奈美さんの「ズコー!」が随所にちりばめられているのだ。ぜひ、楽しく読みながら、正しいズッコケ方を習得してほしい。きっとそれは、あの泰然自若たる「いしのようこ的対応」にもつながっていくのだろう。多分。

ご購入&試し読みはこちら▷島影真奈美『子育てとばして介護かよ』| KADOKAWA


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