【カドブンレビュー】


「丹精こめてつくった花壇が家畜に荒らされるので、何とかして」

今から150年ほど前、妻の願いを叶えようとしたひとりの農民が改良した「万能フェンス」、鉄条網。日本では一般に有刺鉄線と呼ばれている。
この頃の大発明といえば、ガトリング砲、大陸横断電信網、ダイナマイトなど、現代においても重要な技術が揃い踏みだ。それに比べ、鉄条網は鉄線にトゲとなる短い鉄線を巻きつけただけの単純なローテク製品に見える。しかし「短時間に、広大な面積を、安価に、厳重に囲い込む」という機能において、今もってこの鉄条網に代わるものはない。

本書では第一章・二章で鉄条網の誕生から改良、西部開拓の波にのって北米大陸に爆発的に波及、その代償としてかつてない規模と早さで土壌破壊が進んでゆく様子を紹介。第三章、二度の大戦のなかで塹壕戦に組み込まれていく過程を経て第四章以降、人と動物、動物と農作物を隔てる鉄条網の機能はついに人間に向けられる。
外敵を排除する鉄条網は敵の進撃や侵略の阻止も可能にし、国と国の境界に立ち、国内や民族同士を敵と味方、思想や宗教、貧富、さらに肌の色で分け、差別する側とされる側、排除する側とされる側に分断する障壁となってゆく。
日本人の多くは気に留めることもない、なんの変哲もない「トゲつき鉄線」。この針金が豊かな土地を瞬く間に荒廃させ、戦争をより陰惨な消耗戦に変え、ときに個人の運命をも大きく変えた。国連環境計画上級顧問等を歴任した石弘之氏と、サラエボの国連機関で戦後復興プロジェクトに従事した経験をもつ長女・紀美子氏との共著による、全八章を費やして鉄条網ごしに見る近現代史。それはまさに人類の負の歴史である。

最後の第八章では朝鮮半島を南北に分断する軍事境界線やチェルノブイリ原発30キロ圏、原発事故後の福島第一原発周辺といった、鉄条網で遮断され、人間がいなくなった地域について報告する。人間は鉄条網のなかで絶望するが、天然自然の動植物は鉄条網のなかに復活する。排除と荒廃の象徴である鉄条網のなかで起きる豊かな再生は、なんと人間への皮肉に満ちていることか。

第一次大戦の西部戦線では、地球を延べ七回り半するほどの長さの鉄条網が使われたという。それから100年。今もこの世界は、鉄条網によって雁字搦がんじがらめになっている。人の「欲望」がつづくかぎり、解放される日はこないだろう。

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