東京都千代田区の秋葉原駅近く、神田川に架かる万世橋のたもとに、1912(明治45)年から1943(昭和18)年まで「万世橋駅」という駅が存在した。駅が開業する以前、万世橋のほとりには幽霊屋敷があったという。たんに古い空き家だったというだけでなく、実際に幽霊事件の現場として人々を恐怖させ、わざわざこの屋敷で一夜を過ごす体験取材を敢行した雑誌記者さえいたほどだ。しかし、この屋敷のその後のことはわかっていない。万世橋駅開業後、周辺の開発にともなって取り壊されたのかもしれない。1923(大正12)年の関東大震災で、周囲の家々と同じく焼失したのかもしれない。
万世橋駅は、駅として利用されなくなった後は交通博物館などとして利用され、2013(平成25)年からは、駅のホームや高架下のレンガの遺構をそのまま活かした商業施設に変わっている。ホームだった場所はガラス張りのデッキになったが、ここに上がるための階段として、1912(明治45)年の開業当初から使われていた「1912階段」、1935(昭和10)年に設置された「1935階段」がある。とくに「1935階段」の踊り場には大型タッチパネルディスプレイが設置され、万世橋駅があった頃から現在までのこの地の歴史を記録した数多くの写真資料を、映像で見ることができる。明治維新後の西欧化、震災や戦災からの復興、高度経済成長期、来年に迫る2度目の東京オリンピックに向けて、絶え間なく発展を遂げてきた東京という街の変貌の一端。
しかし、こうして記録に残る風景よりも、忘れ去られてゆく風景のほうがはるかに多い。もう誰も幽霊屋敷のことなど知らない。思い出す人もいない。ただ断片的な怪談だけが、今に残る。
そんなふうに、かつて事件や事故のあった場所、いわくつきの場所に立ちのぼるいくつもの幽霊譚。地元の住人の証言や過去の新聞記事や歴史資料を手がかりに、丹念にその正体を探ってゆく。『東京の幽霊事件 封印された裏歴史』には、東京都内や関東近郊を巡る17話がまとめられている。
本書を“怪談もの”として読んだなら、きっといい意味で裏切られる。紹介されている怪異はいずれも、単純に「幽霊怖い」で終わる話ではない。たとえば「一 谷中霊園」では、1957(昭和32)年におきた、東京都台東区の谷中霊園内の五重塔が不審火で全焼した事件について、異説を紹介している。不審火の原因は男女の心中によるとされているが、実は第三の人物による殺人・放火・死体遺棄事件だったという。こちらの線から見ると、事件からは恋人同士の放火心中というドラマ性が失われ、代わりに当時の暗い世相と混沌が重く纏わりつく。「一〇 品川橋~天王洲」「一一 堀切」なども、犯罪の多様化・悪質化に警察の捜査体制が追いつかず、多くの凶悪犯罪が迷宮入りしていた昭和30年代におきた事件を取り上げ、さらに「三 お玉ケ池」では、江戸時代に風光明媚な名所として知られた神田のお玉ケ池が、18世紀以前の文学者によって記されていない理由、お玉ケ池伝説が創出されていった謎に迫る。
人びとが何か不思議なものを目撃し、不可解な現象に遭遇したとして、それを幽霊や怪異と思い込んでしまう何らかの理由がそれらの場所にはある。事件や事故があり、そこに社会への不満、幸運な誰かにあやかりたいという信仰、歴史のなかに消えていった何者かの、悲しくまた恐ろしい古い伝説の記憶。そういったものをかさねて、生きている人間の複雑な感情が「幽霊」をつくりあげてゆくロジックに圧倒される。
こんな紹介の仕方をすると、この本にはあまり怪談的な怖さは期待できないと思われるかもしれない。でもご心配なく。幽霊がそこに出る理由の背景は、幽霊よりもはるかに怖いから。
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