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レビュー

静かな強い衝撃が待ち受ける。著者・竹本健治初の短編から異色作まで詰め込んだ、幻の初期作品集『閉じ箱』

 竹本健治の第一短篇集をはじめて手にした時に覚えた静かな衝撃を、私は未だに忘れることができない。
 書肆(しょし)に並べられた四六判ハードの単行本『閉じ箱』の表紙カヴァーこそが深い森を想わせる〈緑の(いざ)ない〉であったのだけれど、あの初版が一九九三年ということは、実にあれから四半世紀という年数が経過したということになる。――その感慨も深い。
 近年ますます、その執筆成果が評価され、長編ミステリに立て続けに授与された栄誉や、巨大長編への高まる期待、ひさびさの第三短篇集の上梓(じょうし)など、竹本健治へ注がれる視線は、これまでにないほど熱を帯びてきている。そんななか、『涙香迷宮』ではじめて竹本健治を知った読者にとっても、第三短篇集『しあわせな死の桜』を堪能したファンにとっても、昨今ますます高まる竹本健治をめぐる話題の中で、常に語られ続けてきたのが、この第一短篇集『閉じ箱』とその収録作についてではなかったか。
 単行本『閉じ箱』は、九六年に新書(ノベルス)版に姿を変え、九七年に角川ホラー文庫レーベルとして文庫化されたあと、しばらく刊行の気配が途絶えていた。言うならば、〈幻の第一短篇集〉として稀覯本(きこうぼん)めいた認識をされていたのが『閉じ箱』なのである。
 本書は、実に二十一年ぶりに、ブリガドーンのように現れた新装版(再文庫化)なのだが、四半世紀前と比べれば、竹本健治作品は圧倒的に読まれている。竹本健治という作家に対する情報も大量に流布されているし、竹本健治作品を読む場合の〈ある種の覚悟〉を、読者の方でも、ある程度、心得ていると思われる。だが、しかし――。この第一短篇集について言うならば、いかなる読者であれ、その覚悟を微塵に打ち砕かれることになるかもしれない。話題作から竹本健治の世界に分け入った読者であれ、これまでに竹本健治の数々の作品群を味わった上で〈原点〉を振り返るために本書を手に取った読者であれ、本書とその収録作に触れた者は、あらためて、静かな強い衝撃を受けることになる筈だから。言うならばそれは〈はじめて竹本健治に出会った悦びと戦慄〉であり、四半世紀前にはじめて本書を読んだ時の私と同様のものであるだろう。というのも、この四角い箱のような第一短篇集には、竹本健治という作家の血肉ともいうべき特異な個性(ジャンルや様式に対する独自のスタンス、世界への眼差し、センスの高さと鋭敏さ、蓄積と逸脱、時代に対する先見性……なども含めた個性――いや、やはり、異形性ともいうべきか)が、原石の(まばゆ)(きら)めきと、原液の危険な揮発性とを伴って、閉じこめられているからである。

『閉じ箱』が刊行されるまで、竹本健治は長編作家という印象が強かった。
 一九七七年、探偵小説専門誌《幻影城》に、千二百枚の『匣の中の失楽』をひっさげてのデビュー。意欲的なメタ・フィクションの構造を持つこの大長編は、分割連載されたのち、翌年、幻影城より刊行されるやいなや、〈(アンチ)ミステリー〉なる概念を意識的に呈示してみせた中井英夫(なかいひでお)『虚無への供物』や、小栗虫太郎(おぐりむしたろう)『黒死館殺人事件』、夢野久作(ゆめのきゅうさく)ドグラ・マグラ』などの〈奇書〉たちと、並び称されることとなる。
 このように異色のスタートを切って始まった竹本健治の執筆活動は、その後も、八十年代は、天才少年・牧場智久(まきばともひさ)と大脳生理学者・須堂信一郎が登場する本格ミステリ長編(ゲーム三部作)や、宇宙時代のスナイパー〈パーミリオンのネコ〉が登場するSFシリーズ、さらには、竹本健治本人と実在のミステリ関係者(新本格ムーヴメントを迎えた時期でもあった)がぞくぞく登場する疑似推理小説(ミステロイド)『ウロボロスの偽書』(のちまで続く〈ウロボロス・シリーズ〉の一冊目)の《奇想天外》誌連載を経て、九十年代へ突入していこうという――その邁進ぶりは、まさに、重量級の長編作家のそれであった。
 そんななか――突如として、竹本健治は、作家活動十五年目にして、はじめての短篇集『閉じ箱』を上梓する。
 読者は、ここであらためて、竹本健治の短篇作家としての美意識に触れることとなる。
 竹本健治が、こんなに短篇を書いていたのか、と誰もが驚いた。この第一短篇集には、職業作家となる以前の七〇年代の同人作品から、デビュー後のミステリ専門誌、幻想文学誌に書かれた精緻(せいち)な短篇小説たちが、ずらりと集められていたのである。
「短篇集」という()れ物の(こしら)え方から見ても、『閉じ箱』は実に美しい。
 二〇本もの短篇。作品名の一篇一篇が美しく、目次は、まるで開いた詩集の頁のようだ。
 短篇集としては、いささか収録数が多いとも思われるが、掌編(ショートショート)に類する長さの作品もある。そのバラエティもうれしいが、詩的な標題が目次にこれだけの数で並んでいるのは、短篇好きにとってはたまらない。作者じしんの短篇好きもここから窺える。短篇好きの作家は、目次を作る瞬間に大きな悦びを感じるものだ。作品の並べ方、章分けなどによるグルーピングの構成、読者への読ませ方、作者の趣向を考える悦び……。
 目次で目を惹くのが、作品を四つに仕切ったトランプ・カードの紋標(スート)である。
 クラブ、ダイヤ、ハート、スペードの順に並べられている。ちなみにこの順番は、コントラクトブリッジ(のちに書かれる『トランプ殺人事件』の題材)の順位でもあるのだが、分類された作品内容の傾向とトランプの紋標との関係性を、作者は明確に語ってはいない。だから、作品を読みながら考えるのも読者の愉しみとなっている。この目次に記された紋標のスタイルは、以降の第二短篇集『フォア・フォーズの素数』、第三短篇集『しあわせな死の桜』へと継承されることになるのだが、トランプの紋標による作品分類の意味合いは、その都度、変化しているのである。
 この紋標の着想は、カード・ゲームに親しんだ作者の霊感によるものと思われるのだが、敢えて想像するならば、中井英夫の四冊の短篇集、通称《とらんぷ(たん)》に(あやか)ったものかもしれない。竹本健治が憧れた異形の作家にして、『匣の中の失楽』でのデビューを推挙した恩人。そのきっかけとなった短篇を収録した第一短篇集なればこそ《とらんぷ譚》の影を(まと)わせたとしても矛盾はない。長篇『匣の中の失楽』が中井英夫の『虚無への供物』と並び称されたように、短篇集『閉じ箱』が《とらんぷ譚》と同じ奇想図書館の棚に並んでいる光景も、作者の目にはすでに映っていたのかもしれないのである。
 では、あらためて、この『閉じ箱』に閉じこめられた重要な作品たちと、竹本健治の異形性について、探っていくことにしよう。
(なお、作品をお読みになる前に、解説で物語の結末を示唆してしまうことによる弊害は、ミステリ等のジャンル、ショートショート等の様式を問わず、すべての短篇小説に言えることと私は思う。できるだけそれを防ぐように留意して書くつもりだが、できれば、この先は、本編をお読みになってから、お読みくださるほうが安全ではないかと思われる。)

 まず、〈♣〉の章の五作品。ここから読み取れるのは、ミステリ作家としての竹本健治の職業的な仕事ぶりだ。〈♣〉はミステリの章。というのは、もちろん、表層のレヴェルでの話であって――「氷雨(ひさめ)降る林には」の犯人と語り手の特異性、「陥穽(かんせい)」の閉ざされた山荘での殺人と推理合戦、「けむりは血の色」の中学生探偵とアリバイトリック、「美樹、自らを捜したまえ」の暴かれる過去の犯罪、「緑の誘ない」の殺害方法の奇抜さ……などとミステリ的な手法を列記しただけでは、登場人物たちの鬼気迫る行動動機、異様な事件や異形な結末を成立させてしまう独特の空気感(アトモスフィア)までは説明できないだろう。ミステリ読者のみならず、怪奇幻想やモダンホラーの愛読者をぞくりとさせるようなシーンも濃密に見受けられる。たとえば、「氷雨降る林には」のもたらす重層的な衝撃には、トマス・トライオンの映画化作品を思わせる手法も取り入れられている。また、とりわけ私を魅了したのは、「緑の誘ない」のクライマックス・シーンにおける異様な決着のつけ方で――このシーンはミステリとしてはアンバランスとも思われるものでもあるが――ここでは、加害者と犠牲者の立場が逆転し、エーベルスの怪奇小説「蜘蛛」や、乱歩(らんぽ)の「目羅博士」を思わせるような、ファンタスティックな展開が用意されているのだ。
 このファンタスティックな傾向は、まさに「目羅博士」の後日談だという「月の下の鏡のような犯罪」を含めた〈♦〉の章で、臨界に達する。
 単行本版で完璧ともいえる解説を著した山口雅也(やまぐちまさや)はそのなかで、この〈♦〉のパートを「竹本の近代自然科学に対する興味を反映した作品が並んでいるのではないか」と看破しているが、まさに慧眼(けいがん)だと思う。敢えて補足するならば、科学は科学でも黒魔術にも匹敵する〈黒科学〉の論理を駆使して、竹本健治は、異様なファンタジーを創りあげたようにも思われる。
 たとえば、この短篇集の表題作でもある「閉じ箱」も、この〈♦〉の章に入っている。(『閉じ箱』という名は、短篇集のタイトルとしてあまりにも優れているので、つい、表題作として使われた短篇があることを忘れてしまうほどなのだが、この短篇の衝撃も凄まじい。)この短篇「閉じ箱」は、初出誌のチェスタトン特集に向けて書かれた作品であり、ブラウン神父を思わせる神父が登場するのだが、彼の理性を襲うのは、まさに〈黒科学〉的に世界を変貌させる量子論の数式というダークなファンタジーなのである。(こののち、神父はどうなってしまったのだろうか。ひょっとすると、ローマン・カソリックならぬロシア正教の聖ワシリイのような佯狂者(ようきょうしゃ)となって、のちの竹本作品に登場するのではないか……などという妄想さえ抱きたくなるほどだ。)
 しかし、〈♦〉の章には、さらに重要な短篇が収められている。
「夜は訪れぬうちに闇」。これこそ、最も古い七十五年の同人誌作品なのだが、実は、この短篇こそが、中井英夫の目にとまり、〈幻影城〉で竹本健治をデビューさせるきっかけとなった作品でもある。しかし、そのエピソード以上に、注目すべきなのは、本作には、のちの竹本健治作品に顕れるさまざまな特徴が、凝縮されていることだろう。
 ひとつめは、竹本健治がその後、幾度も描き出す《子供の世界》、その一人称で使われる「ボク」の呼称が最初に使われた作品であるという点だ。
《子供の世界》は、竹本健治のホームグラウンドだ。主に、三人称では「少年」、一人称では「ボク」が多用される。たとえば、本書の〈♥〉の章に収められた連作掌篇集「七色の犯罪のための絵本」では一番目から六番目の作品までが「少年」、七番目の後半から一人称の「ボク」なる自我が語りだす。一人称で世界と対峙する「ボク」。この「ボク」の目と肉体を通して描き出される世界の衝撃は胸に染み渡る。のちに、オリジナル・アンソロジー《異形コレクション》の監修者として、私が竹本健治に依頼して書いてもらったなかでも、「ボクの死んだ宇宙」、「フォア・フォーズの素数」の二作品が、「ボク」の語った忘れえぬ物語だった。(どちらも第二短篇集『フォア・フォーズの素数』に収録。ちなみに、この第二短篇集のラストを飾る作品「銀の砂時計が止まるまで」はシリーズ・キャラの〈パーミリオンのネコ〉と出会った「ボク」の物語である。)
 この《子供の世界》の「ボク」が少し大人びた環境に接する中学生になったのが〈♣〉の章の「けむりは血の色」の「ボク」だが、この年代の一人称は、その後の作品では「僕」と漢字で表記されることが多くなったと思われる。ニュアンスの違いは第二次性徴への推移にあるような印象を受けるのだが、のちの連作短篇集『汎虚学研究会』の主人公「僕」などがそうだ。しかし、この大人びた少年探偵団の《子供の世界》観は、紛れもなく「夜は訪れぬうちに闇」から始まっているのである。
 この「夜は訪れぬうちに闇」で、一人称の「ボク」とともに、強烈な印象を残す子供が「ゴーちゃん」だ。この悪魔的な《天才少年》のイメージも竹本作品の重要な要素のひとつといえる。たとえば、のちに名探偵役となる天才少年・牧場智久にも、「フォア・フォーズの素数」の数学を玩具にする少年カイ君にも、「ゴーちゃん」の面影を感じとることができる。と同時に、「ゴーちゃん」が象徴する竹本作品のもうひとつの要素は《対決》ではないかと思うのだ。《対決》といってもフィジカルな意味ではなく、言葉での対決、論理での対決、創造的な対決、好敵手との対決……あるいは端的に、ゲームの対決と言っても良いだろう。そう。竹本健治作品には、探偵小説的な「名探偵対犯人」の構図でもあるかのように、主人公と互いに挑発しあい、論戦を挑む好敵手との頭脳的な対決が、しばしば登場している。それは『匣の中の失楽』の推理ディベートしかり、まさにゲームが題材となった牧場智久の事件と、彼の囲碁の対局もしかり、いや、本書に例をとってみても、「陥穽」の推理合戦も、「閉じ箱」の数式男の一方的な挑発も、そして今回あらためて読み直して驚いたのだが〈♥〉の章の「恐怖」の、衝撃的な真実に至るきっかけも、賭けをともなった知的な《対決》だったのである。(そういえば、昨年末、山口雅也によって復刊された『奇想天外』誌の21世紀版に、竹本健治が学生時代に書いた問題作が掲載されているが、その執筆動機も、ある種の驚くべき《対決》なのだった。)
 思えば『涙香迷宮』の〈いろは歌〉という驚くべきパズルも、内なる《対決》から生まれたのではないかと読めるほどであり、竹本健治を読み解くうえで《対決》は重要な鍵に違いないと思われるのだが、その源泉も、この「夜は訪れぬうちに闇」に描かれる「ゴーちゃん」と美少女「レオギネ」の熾烈(しれつ)な《対決》だったといえるのである。
 そして――この作品に込められた竹本健治作品のもうひとつの特徴――極めて重要な特徴は、そのラストに顕れている。
「夜は訪れぬうちに闇」は、ストーリィとしては、《子供の世界》に忍び込んだ見えざる闇との戦い――たとえば、天沢退二郎(あまざわたいじろう)の長篇ファンタジー『光車よ、まわれ!』を思わせるような世界――のクライマックス・シーンだけで構成された物語である。しかし、その幕切れは、あまりにもあっけなく、痛切なのだ。このラストで「ボク」(と読者)が味わう別れの悲しさ、痛切な孤独、寂寥(せきりょう)感は、他に類を見ないほどである。それは「ボク」にとっての〈失楽〉なのである。
 この世界から切り取られたかのような《寂寥感》こそ、竹本健治作品に通底する極めて重要なモチーフである。ラストの「ボク」が噛み締める別れの感情。あるいは「氷雨降る林には」や「閉じ箱」のラストで視点人物が思いをはせる「自分さえもいない」光景……。ある種の発見とともに主人公にもたらされる失楽の痛み、孤立感、疎外感、寂寥感。「夜は訪れぬうちに闇」は、このモチーフの源泉でもあったのである。
 さて――このように、重要な要素を含んだ「夜は訪れぬうちに闇」であるが、なんと近年、続編(姉妹編)が作られていた。現在、第三短篇集『しあわせな死の桜』の表題作となって読むことができる。この作品で、読者は、一人称の「ボク」の目を通して、「ゴーちゃん」にも「渡クン」にも「レオギネ」らしき少女にも、会うことができる。いや、読者の中には「しあわせな死の桜」を先に読んでから、この「夜は訪れぬうちに闇」を読むことになった読者もいるだろう。面白いことに、どちらを先に読んだ方でも、同じ感慨を抱くことになるのではないか、と私は想像する。作者にとって、それだけ重要な作品なのだ。そして、この「しあわせな死の桜」は、次の〈♥〉の章ともリンクする。
 この〈♥〉のパートは、掌篇の部ということなのだろうか、七つの掌篇で構成された「七色の犯罪のための絵本」が収録されている。実は、この掌篇連作集、もともと建石修志(たていししゅうじ)の插し絵とともに雑誌連載された文字通りの〈絵本〉なのだった。後年、もとの絵本という形で『虹の獄、桜の獄』としてまとめられたが、そこに書き下ろされたのが、ゴーちゃん再登場の短篇「しあわせな死の桜」というわけだったのである。
 さて、この〈♥〉の章には、「七色の犯罪のための絵本」のほかに、傑作の誉れ高い掌篇がもうひとつ収録されている。「恐怖」である。これも、初出は同人誌掲載の作品なのだが、おそらく、将来編まれるであろう日本の恐怖小説傑作選には必ず入るであろう逸品である。しかし、竹本健治の恐怖小説は、最後の章に集められていた。
〈♠〉の章である。これこそが、モダンホラーの章ではないかと、私は思っている。たとえば「実験」は、作者は単行本版のあとがきでアーサー・マッケンの「パンの大神」をヒントにしたと書いているが(この有名な怪奇小説は、開頭手術を扱っており、ひょっとすると『閉じ箱』の別の作品にもヒントを与えていたのかもしれない)、特に物語の前半部分のグロテスクな展開と異形なイメージは、やはりアーサー・マッケンに影響された二十世紀最大の怪奇作家のひとりラヴクラフトの初期作品の異様さをも髣髴(ほうふつ)とさせる。ラヴクラフトと竹本健治は、これまで、あまり比べて論じれる機会が少なかったと思うのだが、ともに狂気を題材とすることで、共通項がある。山口雅也は『閉じ箱』収録の短篇を《アイデンティティーの崩壊》というキイワードで語ったが、ラヴクラフトもまたアイデンティティーの崩壊をモチーフにする作品を多く書いている。ラヴクラフト的な小説を書く者たちの大半は、ラヴクラフトの著作から直接影響を受け、オマージュとして魔書や邪神の固有名詞を継承する者達も多いのだが、竹本健治は異なる。竹本健治はラヴクラフト作品の影響を受けずして、むしろラヴクラフトのごとき読書体験から、独自にラヴクラフト的な世界に辿り着いたのではないか。そんな気さえする。ラヴクラフトの描く世界は《宇宙的恐怖》と呼ばれたが、竹本健治の描くアイデンティティーの崩壊や失楽の痛みは、《宇宙的寂寥》とでも呼んでもいいのかもしれない。
〈♠〉の章には、比較的オーソドックスな怪奇小説「跫音(あしおと)」、昨年末、第三部の連載が完結したばかりの巨大長篇と同じ名前を持つシュールな恐怖譚「闇に用いる力学」、そして、少女小説の趣を持った作者の自信作「仮面たち、踊れ」が集められているのだが……さて、この章には――読者はすでにお気づきだろう――もうひとつの共通項があるのだ。ここに集められた四編は、〈佐伯千尋(さえきちひろ)〉なる名前を持った「仔狐(こぎね)のような」印象のある女性が登場する物語なのである。とはいっても、すべての四つの物語の〈佐伯千尋〉は、別々の人生を持った女性であり、同一人物とはいえないので、いわゆる連作短篇の共通主人公とは異なる存在なのだ。この同じ名前を持つ女性は、この四編のみならず、『ウロボロスの偽書』の17章にも登場し、『フォア・フォーズの素数』や『しあわせな死の桜』の収録作品にも現れて、作者自身が〈佐伯千尋シリーズ〉と呼んでいるのだが、そのすべての千尋が、異なる千尋の生死を与えられているのである。このような例については――たとえば、綾辻行人の短篇集『眼球綺譚』に登場する由伊(ゆい)という名前だけが共通の女性たち、手塚治虫の短篇集『ザ・クレーター』の主人公(コミック作品における同じ顔の少年)、あるいは、モンキー・パンチ『ルパン三世』の初期における峰不二子の設定など、さまざまな例が頭に浮かぶが、〈佐伯千尋〉のケースは、独特なのである。どうやら不思議な共通項がある。関わった登場人物を、異様な世界に誘い、自我を崩壊させるような結末に導くという共通項が。それも、けっして妖女(ようじょ)やファム・ファタール的な存在というわけでもないようだ。狩られる狐なのか、赤い(にしん)なのか、いや、彼女こそが真の狩人(かりゅうど)なのか。彼女を追う者が、いつの間にか、異界の罠にかけられてしまうとでもいうような……。
 とはいえ、実は私の興味は〈佐伯千尋〉そのものにあるわけではない。こうした短篇のあり方を志向する竹本健治の短篇に対する考え方が実に興味深いのだ。『閉じ箱』執筆時、〈佐伯千尋〉ものは、発表のあてもなく書かれ、ストックされていたものも少なくなかったという。〈佐伯千尋〉ものだけを組み込む長篇のプロットもあったらしい。このように独立した短篇から、短篇集の枠をはみだすような、得体の知れないなにものかを幻出させようとする竹本健治の想像力、あるいは、幻視力を、たまらなく面白く感じるのだ。

 さて……今回、この『閉じ箱』をこじ開けて、臓腑(ぞうふ)のように貴重な幾つもの作品を再読し、私はあらためて竹本健治という稀代(きたい)のシメールの器量に感銘を受けている。
「シメール」というのは、ギリシャ神話に登場する異形であり、獅子(しし)山羊(やぎ)、毒蛇など様々な獣の要素を合わせ持つ幻獣を、英語圏ではキマイラと呼び、フランス語圏ではシメールと呼ぶのだが、とりわけ、このフランス語では、幻想文学を意味する言葉としても使われている。それを踏まえて、幾つものジャンルを超越し、独自の幻想を紡いでいる作家に対して、私は、秘かにシメールの称号で呼ばせていただいているのだが、そのなかでも、竹本健治は重力級のシメールなのだ。
 長篇のみならず、短篇集を出すたびに、そのトランプの紋標に託された幾つもの頭部は、常に生え替わり、いつも同じものとは限らない。そんな彼の化身の如き、短篇集や長篇をも超えるなにものかが、いつの日か再びブリガドーンのように現れる日を想像しながら、今は、この第一短篇集の凄みに浸りたいと思う。

(了)


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