
発売4日で即重版がかかった、澤村伊智さんの『予言の島』。
昨年公開された映画「来る」の原作、比嘉姉妹シリーズで人気を博す著者が、
満を持して挑んだ初めての長編ミステリの冒頭を試し読み公開いたします!
初読はミステリ、二度目はホラー。この意味をぜひ、体験してください!
プロローグ
「だって、聖天さんといやあ仏様の親類だぜ、それをいまききゃ、お小夜さんの風体は巫女みたいじゃないか」
「そんなこと、構うもんですか。加持だの、祈祷だのってやつは、できるだけもったいぶったほうが信用がある」
――横溝正史『獄門島』
古びた襖の向こう、座敷に人が集まっている。「むくい荘」で一番広い、一階の奥の部屋だ。誰かが怒鳴り、別の誰かが謝る。どちらも標準語だった。テレビでしか聞かない喋り方は酷く奇妙で、刺々しく耳に響いた。
ぱらぱらと紙を捲る音。かちゃかちゃ、ごとんと撮影機材を組み立て、並べ置く音。
靴下を履いた足が畳を踏み鳴らす時の、音のしない音。
比呂は襖の隙間から、そっと中を覗き込んだ。
大人たちの背中が見える。大きなテレビカメラとモニターも見える。幾本ものケーブルが畳を這っている。何本かは襖の隙間から廊下へ出て、壁のコンセントに刺さっている。長く太いミミズか、足の無いゴカイのようだ。照明が座敷の奥を照らしている。
あの子はどこにいるだろう。
ついさっきまで話していた、可愛くてお姫様のような彼女は。
背伸びして、しゃがんで、彼女を捜していると、
「はい五秒前」
声がした。座敷の空気が変わる。徐々に緊張が高まっていく。
「四、三……」
知らない大人が奥に向けて、指でカウントダウンを示している。二から先は数えない。いつの間にか座敷の皆が黙りこくっていて、比呂は息を潜めた。知らない大人が手でそっと奥を指した。「どうぞ」ということだろうか。
ややあって、ふう、と溜息がした。苦しんでいるような重い溜息。
「どうされましたか」
大人の一人が言った。ぱさ、と紙の鳴る音がする。
「……頭が痛い」
年老いた女性の声がした。
「夜になってからです。強い霊気がキリキリと脳を圧迫しています。寒気もする。ほら、こちらご覧になって」
比呂は声の主を直接見ることをあきらめ、モニターに目を凝らした。画面中央やや右、派手な格好をした老女が正座している。左隣の中年男性に、自分の右腕を見せている。
「ほんまや」
男性が大きな目を見開いた。この旅館の主、須永だ。日に焼けた顔が照明を反射して光っている。
「ええ、さっきからずっと鳥肌が立ってるの」
彼女の言葉で比呂はようやく状況を理解した。
「そんなに危険なんですか。強いっていうか、戦闘力高いっていうか」
誰かが訊ねた。どこか馬鹿にしているように聞こえる。
「……ええ」
老女は答えた。画面の中でぶるぶると身震いしている。こめかみを押さえながら顔をしかめる。視線は山のほうを向いていた。
「とても強い恨みを感じます。凄まじい憎しみも感じます。この村に住む人、この島を訪れる人を、片っ端から憎悪している。あっちの世界に引きずりこもうとしている。自分と同じ苦しみを味わわせ、甚振り、ゆっくりと、じっくりと――」
殺そうとしている。
彼女は囁き声で締め括った。座敷がしんと静まり返る。髪を茶色く染めた若い撮影スタッフ二人が、口を押さえて背中を震わせていた。笑っているのだ。老女の言うことが嘘だ、出鱈目だと決めてかかっているのだ。
比呂には信じられなかった。
彼女の言葉遣いや話しぶりに圧倒され、怖くなっていたせいだ。彼女の言葉から想起した暗い山の景色に震え上がっていたからだ。この状況で笑える神経が理解できない。それ以前に、人が真剣に話してる最中に笑うのは失礼だ。
モニターの老女が青い数珠を握り締めた。
老女は有名な霊能者らしい。テレビで観た記憶があるし、島の大人たちもそう言っていた。比呂は霊やUFO、ネッシーといったものにあまり興味を覚えない。一学年下の山下光輝はかなりのマニアだったが、家庭の事情で半年前に引っ越していた。彼がまだ島にいたなら、きっと大喜びしただろう。そんな空想に浸っていると、胸がちくりと痛んだ。
みんな出ていった。
この島にはもう、自分一人しかいない。僕一人しか――
「地縛霊ですかね?」
スタッフが訊く声で比呂は我に返った。
「怨霊は怨霊です。疋田山に棲むヒキタの怨霊。こちらの古い言い伝えにもある。先程そう仰っていましたね?」
「え、ええ」
須永が慌てて答え、背後の島民たちに「せやな?」と同意を求めた。彼らは一様にうなずいて返す。
「今でも島のもんを恨んでる、取り殺そうと狙ってるって、そないな話がありますわ。はい」
ぎこちなく答える須永に、老女は「どうもありがとう」と力なく笑みを見せた。
そんな言い伝えがあるのか、と比呂は驚いていた。大人たちの間では周知のことらしい。
大人が老女の名を呼んで、
「どうされるんですか? 話してみます? 戦ってみます? それか守護霊に相談するとか?」
「山に行きましょう。とりあえず対話してみます。うまくすればカメラに映るかもしれない」
「行かなあきませんか」
須永が突然訊いた。知らない大人たち――撮影班の何人かが首を傾げ、顔を見合わせる。手にした冊子を確認する者もいる。
「急にどうされましたか」
「いや、こんな夜は足元危ないんちゃうかなと思いましてね、へ、へへ」
作り笑顔で言う須永の顔には、大粒の汗が光っていた。この瞬間にも頬を伝い、顎の先へと流れていく。他の島民たちは一様に俯き、自分の手元を眺めている。
老女は微笑を浮かべた。まだ頭痛がするのか引き攣り笑いになっている。
「大丈夫です。小さい頃はよく山を歩いていましたから。イタコだった母の手を引いて、夜の山道を歩いたことも何度もありますよ」
「へえ、あの有名なあれでっか、恐山のイタコ」
「違います」
「へっ?」須永が笑顔のまま訊く。
「いえ……大丈夫です。それより山に行きましょう。今すぐ」
そう言うと、彼女は不意にこちらを向いた。目が合ってしまう。
カメラレンズを正面から見ただけなのは分かっていたが、比呂は反射的に息を止めていた。全身が緊張で硬直する。
長い黒髪。前髪はとさかのように固められている。顔中に深い皺がくっきりと刻み込まれ、瞼は青く頬と唇は赤い。島の女性とはまるで違う、濃く派手な化粧だ。テレビ用だろうか。
「怨霊はいます」老女が静かに言った。
「先日こちらで亡くなった方も、その祟りで命を縮めたのです。島の方が立て続けに体調を崩した、といったこともあったはずです」
雷に打たれたような衝撃を全身に感じた。えっ、と声を上げそうになって、比呂は咄嗟に口を押さえた。彼女の断定口調が胸に突き刺さる。頭には両親の顔が浮かんでいた。
咳ばかりするようになった父親。寝込みがちになった母親。
当たっている。両親のことを言い当てられている。
島の誰かが伝えたとは思えない。現に須永たちも驚いている。何故彼女には分かるのだ。これが霊感というものの力なのか。
であれば両親がああなったのは、本当に――
息が苦しい。自分の鼓動がうるさい。須永たちの反応に満足したのか、ふっ、と老女の口元が弛んた。
全身の体毛が一斉に逆立った。
「ええ、わたしには分かります。この島は、この村は強力な怨霊に支配されている。わたしはそれに立ち向かわなければならない」
目を逸らしたいのに逸らせない。
比呂は恐ろしくなった。彼女のする怨霊の話はもちろん、彼女自身にも恐怖を抱いていた。
「はいオッケーです!」
声がした途端、座敷が慌しくなった。誰かが誰かを叱り飛ばす。
比呂は弾かれるように襖から離れて廊下を走り、ロビーへと向かった。カウンターに掴まって、動悸が落ち着くのを待つ。少し駆けただけなのに息まで乱れているうえ、服の下が汗に濡れている。
「ヒロくん」
声がして振り向くと、あの子が――サチカが立っていた。輝かんばかりの笑顔で言う。
「ここで待ってていいって。だから遊べるよ」
「ほんま?」
比呂は自然と笑い返していた。
「じゃあ東京の話、聞かせてや。安室奈美恵に会うたことあるってほんまなん?」
「うん。局ですれ違った」
「キョク?」
「テレビ局の建物のこと。めちゃくちゃ可愛かったよ」
「へええ」比呂は感心しながら、カウンターの下の空間にもぐり込んでみせた。サチカがくすくすと笑いながら続く。お姫様のようなカールのかかった髪が鼻をくすぐり、比呂はくしゃみを堪えた。
「他は誰と会うた?」
「んっとね——」
しゃがんだサチカが頬に指を当てたその時、
「えらいことやぞ、これ」
張り詰めた声がした。廊下の奥から須永たち島民が固まって、早足で歩いてくる。比呂とサチカは顔を見合わせ、口を噤んだ。
島民たちは早口で話し合っていた。小声ではあるがほとんど口喧嘩、言い争いのようだった。彼らはカウンターの前で足を止めた。
「取り返しのつかんことになったらどないすんねん」
「最悪死ぬぞ」
「上等やないか、それはそれでめっけもんや」
「何かあってからでは遅いで」
「この手の番組は何もないから成立すんねんぞ」
「今更しゃあないやろ」
須永が突っぱねた。
「こうなったらあとは運任せや。いや……ヒキタの怨霊の気分次第や。せやろ」
誰も何も答えない。撮影班がどやどやとやって来ると島民たちは口を噤み、そそくさと外へ出て行った。
大人たちの足が目の前を通り過ぎていく。板張りの廊下をどすどすと歩いている。
比呂はつい今しがたの須永らの言葉を思い返していた。
島の大人があんな話し方をするのを見るのは初めてで新鮮だった。それ以上に不安を覚えていた。
「ヒキタの怨霊……」
無意識につぶやいていた。
聞いたことがない。両親どころか誰にもにも教えてもらったことがない。だが須永たちの話はまるで冗談には聞こえなかった。
「どういうこと?」
サチカが言った。先程までの笑顔は完全に消え、瞳が不安で揺れている。顔色まで悪くなっているように見える。
長いスカートが目の前を通り過ぎた。孔雀が刺繍された黒いスカート。しずしずと玄関へ向かう。あの老女だ。サチカの祖母だ。これから疋田山に向かうに違いない。
目玉のような羽の模様を見つめながら、サチカがぼそりと言った。
「あんなもの、全部インチキなんじゃないの……?」
(このつづきは本編でお楽しみください)
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