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こんなに面白い小説を、あなたはまだ知らない。

シチュエーション、キャラクター、謎解き。すべてが画期的な知的エンターテインメント「グアムの探偵」シリーズ。記念すべき第1巻より、「第三話 グアムに蝉はいない」を2日に渡ってお届けします。
   

 グアムに生まれ育つと、島の自然のよさがわからなくなる、まことしやかにそうささやかれる。自分には当てはまらないとレイ・ヒガシヤマは思った。
 朝の出勤前にはマリン・コー・ドライブを飛ばし、ハガニアボートベイスンでサーフィンを楽しんだりもする。波が上級者向けのせいだろう、わりとすいているうえ、周りは地元民の顔見知りばかりで気が楽だった。子供のころはシュノーケルにも興じた。最近ではカララン・バンクスまでダイビングに繰りだしたりもする。
 日本人観光客がグアムに魅せられる理由もよくわかる。近いだけでなく、外国に求めるものがほどよく配置された島だ。アメリカの準州だから街並みも洒落ているし、田舎ゆえのんびりしている。日系人が多く働いているため、会話にも不自由しない。万が一トラブルに見舞われたとしても、言葉の通じる業者を頼ればいい。グアムで探偵を務めるレイもそのひとりに数えられる。
 ただし仕事の半分は、地元民からの依頼だった。日本語を話せる強みも必要とされなければ、たいてい探偵が請け負う仕事ですらない。きょうかかってきた電話も、そんなケースに当てはまる。
 爽やかな晴れの日の午前、ハガニアボートベイスンへ向かう道ながら、サリーン・マスタング・ロードスターのステアリングが重く感じられる。濃いサングラスを透過し、なおも目に飛びこんでくる強烈な陽光が恨めしい。
 チャモロビレッジの裏、パセオ球場のわきにクルマを停めた。いちおうナイター用の照明設備とスタンドを備えた球場だが、草が伸び放題で廃れている。だいぶ前にAKB48がミュージックビデオの撮影に使ったものの、ロケにはまったく支障がなかったにちがいない。そう確信できるぐらい周りは閑散としていた。
 この一帯はパセオ公園の敷地内で、小さな人工の半島に位置する。椰子の木のほか熱帯林も美しく、岬の先端にはちっぽけな自由の女神像も建つが、訪れる観光客はごく少ない。付近のチャモロビレッジ自体、ナイトマーケット開催の夜はともかく、日中はほとんどただの空き地だった。常設の売店がいくつか軒を連ねるにすぎない。それも一部の店は、昼食から戻る時刻を看板に表示しておきながら、そのまま夕方を迎えるいい加減さだ。物珍しさに足を運んだ人々も、たいてい一巡してさっさと立ち去ってしまう。
 レイはクルマを降り、芝生のなかに延びる小道を歩いていった。妙なことに、コンコンコン……と絶え間なく機械的な音が響いてくる。静寂のなかだけに、微音ではあってもはっきり耳に届く。
 芝の上にプロアと呼ばれるアウトリガー・カヌーが並んでいる。塗装や修理のためだった。ここハガニアボートベイスンは、休日を迎えるとマリンスポーツの拠点になる。
 サングラスをかけた小太りのチャモロ人男性が、レイを振りかえると立ちあがった。「あれ? 見た顔だな。いつもサーフィンにきてる……」
「そう。レイ・ヒガシヤマ」
「イーストマウンテン・リサーチ社の人?」
「じつはそうなんだよ。ご連絡どうも」
「よかった」チャモロ人の浅黒い顔に白い歯がのぞいた。まちかねたというように駆け寄ってくる。「マイスだ、ここで働いてる。ボートをいじるのが仕事でね」
「よろしく」レイはマイスと握手を交わした。
「何日も前から、あちこちに電話したよ。警察は相手にしてくれないし、公園の管理事務所も知らんぷり、探偵事務所も三軒あたったが返事の電話もよこさない。でもあんたはこうしてきてくれた」
 グアムの島民どうしに、他人行儀な態度はありえない。すぐに打ち解け、くだけた喋り方になる。レイも軽い口調で応じた。「役に立てるかどうか。騒音問題への苦情なんて、本来は受けつけてないんでね」
「兄弟」マイスが不服そうにいった。「お互い島暮らしの仲間じゃないか」
「オーケー、わかった」レイはため息まじりにたずねた。「で現場は?」
「ここだよ。きこえるだろ」
「騒音が?」
「ああ」
 レイは耳を澄ました。面食らいながらマイスを見つめた。「まさかこの、コンコンコンって音か?」
「そうだよ。三日も前から鳴り響いてる。日中ずっとだ。気になって夜中にも来てみたら、まだきこえてね。ひと晩じゅうつづいてるらしい」
 ここ一週間ほどは早朝のサーフィンもご無沙汰だった。たしかに以前こんな音はなかったが、騒音と呼ぶには大げさすぎる。レイはサングラスの眉間を指で押さえた。「ハガニアボートベイスンに造船用の機械でも持ちこまれたかな、誰もがそう思うだろうね」
「とんでもない。うちはぜんぶ手作業だ。このいらいらする音をうちのせいにされたんじゃかなわん」
「いらいらする? ここは半島の先だし、民家もない。そんなに大きな音でもないし」
「静けさが取り柄のパセオ公園だぞ。ボートにいろを塗りながら、微風に揺れる椰子の木のざわめきに酔う、それが俺の日常だった。ところがどうだ。へんなノイズがいっこうにやまず、絶えず神経を逆なでしてくる」
 いささか過剰反応にも思えるが、たしかに無音の静寂は破られている。マイスにとっては、許しがたい環境破壊に思えるのだろう。レイは歩きだした。「この音はどこから?」
「すぐそこの入り江だ。韓国人の若い連中が、大学の実験だといってつづけてる。文句をいっても、まるできいちゃくれない」
 一帯を覆う果樹を抜けていくと、穏やかな水辺にでる。入り江は対岸が見えているせいもあり、幅の広い運河のようだった。
 透き通るような海面に、一隻のボートが浮かんでいる。岸から六十フィートほどの距離だった。杭にロープで係留されている。ボートに人の姿はないが、詰め物をして上げ底にしてあるらしく、かぶせてあるビニール袋がわずかに盛りあがっている。その頂点に、回転する円盤を備えたエンジンらしき機械と、燃料タンクとおぼしき鉄製の缶が据えてあった。
 手前の岸には若者らが六人ほど群れている。男が四人、女がふたり。グアムには韓国人の観光客も多く訪れるが、ここにいる男女たちは髪を染めず、服装もいたって地味だった。いかにも大学生らしいルックスといえる。
 キャンプ用のテーブルや椅子だけなら遊びに見える。だが数式をびっしり書き綴ったノートのほか、パソコンや電卓、記録用とおぼしきデジカメまでが並んでいた。空のスーツカバーが、ファスナーを開けた状態であちこちに投げだしてある。誰もスーツを着ていないことから、道具の運搬用と推察される。節約のため、ありあわせの物を利用しているようだ。
 眼鏡をかけた青年がきいてきた。「あのう。なんでしょうか」
 英語だった。マイスが若者たちに声を張った。「こちらはイーストマウンテン・リサーチ社のレイ・ヒガシヤマさんだ。いろいろ調査する会社の人だぞ」
 マイスは権威性を誇示したがっているようだが、さほど有名な探偵事務所でもない。若者たちが知らなくて当然だろう。現に全員がぽかんとした反応をしめしている。
 やれやれと思いながらレイは若者らを眺め渡した。「なにをやってるところか、説明してもらってもいいかな」
「イ・ハジンといいます」眼鏡の男が応じた。「僕らはグアム大学自然科学学部の学生です。海水中の音速が環境によりどう変化するか、データをとっているところで」
「海のなかの音を拾ってるのか?」
 ハジンがうなずいて、仲間らに目を向けた。男女の学生がひとりずつ行動した。岸から水中に垂らしてあった配線のうち一本を引き揚げる。防水仕様らしきマイクがぶら下がっていた。
「ふうん」レイはボートを眺めた。「あのエンジンはボートの上に置いてあるだけだな。動力源にもなってない」
「ええ」ハジンがいった。「どこにも接続せず、ただ稼働させているだけです。もともと小型船舶の航行音を記録した水中録音が、水圧や温度、塩分濃度により、どう変化するかを分析しています。速度と位置を割りだせるか、その実験なんです。当該の小型船舶と同じエンジンを用意しました」
「というと、海中の音感センサーの開発かな」
 三つ編みの女子学生が笑顔になった。「鋭いですね。お察しのとおり、船のデータを音で網羅する仕組みの考察です」
 ハジンが紹介した。「彼女は同じクラスのチョ・ヒジュンです。デル・グロッソとユネスコの計算式、どちらも暗算が得意です」
 マイスは苛立たしげに口をはさんだ。「小難しい話はそれぐらいにしてくれ。とにかくうるさくて仕事が手につかん。即刻やめてもらおう」
 レイは思わず唸った。「マイス。こりゃグアム大学に助成金がでてる重要な研究だよ。新聞で読んだ。ウナギの稚魚シラスや、サンゴの密漁被害に遭ってる準州政府が、最優先に解決すべき課題としてる」
「だからといって断わりもなく、ずっとこの忌々しいノイズを発しつづけてだな……」
 ヒジュンが困惑ぎみにいった。「公園の管理事務所には許可をとってますけど」
 沈黙がおりてきた。ボートからエンジンの音だけがリズミカルに響いてくる。マイスはばつの悪そうな顔になった。
 その反応で状況を察した。レイはマイスを見つめた。「管理事務所は知らんぷり、あんたはそういったよな」
「抗議を無視されたのは本当だよ」
「でも大学の研究に許可してるって説明は受けたんだろ?」
「たしかに説明は受けた。だが納得いかないから探偵に相談したんじゃないか」
 またため息が漏れる。レイはハジンに向き直った。「音圧や周波数について、具体的に協議した?」
「もちろんです」ハジンがうなずいた。「岸に届く音を五十デシベル以下に抑えるよういわれてます。ずっと守ってます」
 そうだろう。たしかに音の大きさはそれぐらいだ。レイはつぶやいた。「マイス。五十デシベルはエアコンの室外機や、換気扇と同程度だ。洗濯機や掃除機にもおよばない」
「まさか」マイスが憤慨した。「この音が? もっとうるさいだろ」
「静かだからそう思えるんだって」
「その静寂がだいじだといってるんだよ!」
「しーっ。声が大きい」
「チャモロ人を馬鹿にするのか。数千年前にプロアを漕いで島にたどり着いた先住民だぞ。ここはハガニアボートベイスン。プロアの聖地だ」
「人工の半島だよ」レイはうんざりしながらこぼした。「戦後ハガニアに山積みになってた瓦礫で埋め立てた。すぐそこの岸辺に戦跡のトーチカがあるだろ。あのあたりから先は、むかし海だった」
「兄弟。歴史の講釈を受けるために呼んだんじゃないんだ。それとも古代の遺跡ラッテストーンの謎でも解き明かしてくれるのか?」
「ラッテストーンはたんなる高床式住居の土台だろ。謎でもなんでもない。カルチャー・アンド・エコパークにも模型が組んであるじゃないか」
 マイスは顔面を紅潮させた。「ネットを見たら、あんたの事務所は弱者の味方だと書いてあったぞ。なのにからかうだけか」
「わかったよ、マイス」レイは苦笑しながらハジンに目を戻した。「きいたとおりだ。基準値以下のノイズだとしても、近隣で働く人には気になるみたいでね。とはいえ許可が下りているんだから、つづけるかどうかはきみたちしだいだ」
 ハジンはほかの学生らと戸惑い顔を見合わせたが、やがて告げてきた。「おっしゃることはわかります。でもデータ収集は、四日目のきょう海面が冷えるまで継続しないと意味をなさないんです。今夜の八時ぐらいまではお赦し願えませんか」
 レイはマイスにきいた。「どう?」
「じゃ八時までなら」マイスはあわてたように付け加えた。「ちゃんと音がやむか、一緒に確認してほしいんだがね、兄弟。こっちは報酬を払うんだから、それぐらい頼めるだろ」
 ようやく丸くおさまりそうだ。レイは内心ほっとしながら応じた。「わかった。じゃ夜八時にここで」
   

 レイはひとりクルマに戻った。いちおう公園の管理事務所とグアム大学に電話してみる。すべて学生の説明どおりで問題ないと確認できた。あとは夜八時に音さえやんでくれれば、仕事も無事完了となる。たぶん心配ないだろう。
 エンジンをかけようとしたとき、スマホが鳴った。レイは応答した。「はい」
 父デニスの声がたずねてきた。「終わったか?」
「トラブル仲裁はほかの職員に行かせてよ。ヒックかオークスあたりが得意そうだろ」
「どっちも別の仕事がある」
「油を売ってるのはじっちゃんぐらいか?」
「親父はお袋とデートだ。アサンへ行ってる。結婚記念日だ」
「ああ。プレゼント買わなきゃな」
「孫のおまえが成長し、きちんと仕事をこなすぐらい立派になったと実感できれば、それがなによりのプレゼントだと親父はいってる」
「わかったわかった。両方やるよ。きょうの仕事もきちんと終えるし、プレゼントも買う。たまにはじっちゃんも喜ばせたいし」
「いい心がけだ。そっちが済んだのならアンダーソン空軍基地へ向かってくれ」
「空軍基地? どうして?」
「ナイジェル・マクミラン大尉っての、おまえの知り合いか?」
 すぐ頭に浮かぶ光景があった。基地に近いスターツ・ホテルのラウンジ、あれは一週間ほど前だったか。
 レイがホテルに張りこんでいたのは、とある日本人旅行者の浮気調査のためだった。イーストマウンテン・リサーチ社から監視の交替要員がきたころには、すっかり夜も更けていた。なにか食べようと、レイはひとりラウンジに入った。あいにくディナータイムは終わり、酒のほかには軽食しかなかった。クルマできているため飲酒はできず、ソーダ水を注文したうえで、クラブサンドイッチをつまんだ。
 近くのテーブルにいた神経質そうな男が、レイに話しかけてきた。白人で年齢は二十代後半、髭はない。私服姿だったが、短く刈りこんだブロンドの髪は、空軍基地内の理髪店に特有の仕上がりと見た。ひとりでリゾートホテルのラウンジを利用するからには、相応の役職にちがいない。ほどなくナイジェル・マクミランという名の空軍大尉だと判明した。彼自身がそう名乗ったからだ。
 もっともそのときの彼の振る舞いは、立派な軍人と呼ぶにはまるで値しなかった。ブランデーをロックで次々とあおり、すっかり酔っ払いの域に達したらしい。赤ら顔で、呂律がまわっていなかった。
 当然というべきか、発言も支離滅裂だった。まず尉官が不用意に素性を明かすこと自体が軽率に思えた。さらに彼は、海兵隊を沖縄からグアムへ移すのはまちがいだと、国家の方針を否定しだした。グアム最北端のリティディアンに、射撃訓練場の建設が予定されている件についても、自然を破壊すると批判した。アジアの平和のため、米軍はグアムから撤退すべきだ、ついにそう断言した。
 平和主義者かと思いきや、そうでもないようだった。B1爆撃機により中国の制空権を脅かせば、米中の関税をめぐる貿易摩擦も決着する、そんな無茶な意見を口にした。近々開催される中間選挙で、グアム市民はトランプ大統領に投票すべきともいった。島民はアメリカ国籍だが投票権は与えられていない。当然知っているはずだ。
 レイはスマホを通じ、デニスにいきさつを説明した。「彼は酔いつぶれてたし、ラウンジも閉まっちまったから、連れだすしかなかったよ。初対面で親しくもないのに、空軍基地までクルマで連れていった」
 デニスの声がきいた。「なかに入ったのか」
「入るかよ。スターサンドビーチまで基地内を突っきれたのは、俺がガキのころの話だぜ? 大尉はゲートの前で降ろしたよ。警備兵が敬礼して、敷地のなかをSUV車で送っていったから、ようやく本物の軍人だと信じられた。正直あまりにもだらしなく酔っ払ってるもんだから、嘘じゃないかと疑ってた」
「そのマクミラン大尉が、おまえをご指名だ」
「指名って、なんのことだよ」
「彼の上官から空軍警察を通じて連絡があった。マクミラン大尉がこのところ職務を放棄し、宿舎の自室に立て籠もっているらしい。説得を試みているが、大尉はレイ・ヒガシヤマとしか話さない、そういってるそうだ」
「どうして俺と?」
「わからん。まさかとは思うが、おまえ……」
「そっちの意味で男と意気投合するかよ」
「おまえ、自分が探偵だと知らせたのか」
「いや。明かしたのは名前だけで、職業は伏せておいた。おかしな話だな。俺はただ彼の発言を否定せず、相槌を打って聞き流してただけだ」
「おまえのその素振りが、大尉には思いを同じくする仲間に思えたのかもしれん」
「迷惑な話だな」
「空軍警察はレイ・ヒガシヤマが探偵と知り、おおいに期待を寄せているようだ。うまく説得してほしいと望んでる。マクミラン大尉も、おまえなら自室に迎えるといってるらしい」
「ますます心配になってきた」
「とにかく、すぐにでも基地へ来てほしいって話だ」
 探偵よりセラピストを派遣すべき状況だろう。責任を負いたくはなかったが、ふだん立ち入れない基地のなかを覗きたい欲求はあった。
 なにしろグアムの三分の一は米軍基地だ。生まれ育った身からすれば、そんなに広い面積から締めだされるだけでも不本意に思える。たとえ探偵であっても、依頼に基づく正当性がなければ、軍事施設には足を踏みいれられない。これは絶好の機会かもしれなかった。
「行くよ」レイは通話を切り、クルマのエンジンを始動させた。
   

 指定された空軍基地の入り口は、先週マクミラン大尉を送っていったのと同じゲートだった。島の北東部を走る州道1号線の分岐先に設けられている。レイが乗ってきたサリーン・マスタングは、ゲートを入ってすぐの駐車場に停めるよう指示された。そこから先は、やはりあの夜の大尉と同様、SUV車に乗せられての移動となった。
 基地内居住区は広大かつ優雅で、タロヴェルデやバリガダハイツ以上に高級住宅街の風格を備えていた。大通りで子供のみが遊ぶと、グアムでは違法となるが、ここは私道のため自由のようだ。
 パティ岬方面へと延びる滑走路に連なる爆撃機に、レイは強く興味を引かれた。あいにくSUV車はそちらへ向かわず、居住区に隣接するオフィスの前に停まった。
 オフィス内では手早く打ち合わせが進められた。マクミラン大尉の上官、セイウチに似た口髭のグレン・バルフォア少佐によれば、大尉は第36航空団のなかでも情報を統括する部署の所属らしい。よって履歴に関する書類はいっさい見せられないという。その部署は特殊な存在にあたるため、組織図には明記されておらず、氏名をネットで検索しても関連情報はでてこないとの説明だった。レイもそういう扱いの軍人が存在することを知っていた。すなわちマクミラン大尉は、高度な軍事機密に接する立場にあった。情報将校のなかでは若手にちがいないが、重要人物のひとりだろう。
 垂れ目で下唇がでっぱった制服姿、空軍警察のヘクター・レンドル警部も、対応に苦慮していると告げてきた。はっきりしているのは、マクミラン大尉の精神状態が以前から不安定で、筋の通らない発言が多かったことだという。いま彼は自室のドアを固く閉ざし、引き籠もったまま、いっさいの対話を拒否している。インターホンで呼びかけたところ、いちどだけ応答し、レイ・ヒガシヤマとなら会って話すといったらしい。
 アメリカ人はこうした事態に力ずくの解決策を辞さない、国際社会からはそんなふうに見なされがちだ。軍隊内でのトラブルなら、いっそう強硬な手段にうったえるだろう、おそらく誰もがそう思う。
 だがそれは偏見だった。マクミラン大尉は拳銃を所持している。むやみに踏みこめば自殺を図る恐れもある。最後まで説得をあきらめない方針は、どの文明国のどんな組織だろうと同じだった。
 大尉が籠城するのは居住区の一角、平屋建て長屋の棟割りで、間取りは2LDKだときいた。バルフォア少佐やレンドル警部らとともに、レイはSUV車に乗り、現場に直行した。
 兵士らによる包囲がないのは、当事者を刺激しないためらしい。玄関ドアにつづく数段の外階段のわきに、警備がふたり立つにすぎなかった。
 拳銃のほかスマホも車内に置いていかざるをえない。ICレコーダーやデジカメなど記録可能な媒体も、すべて持ちこみを禁じられた。マクミラン大尉がそのように要求しているからだ。
 レンドル警部がいった。いまにも自殺しそうな人物の説得は、割れる寸前にまで膨れあがった風船をあつかうのに似ている。針を所持するなどもってのほか、爪が伸びているのも許されない。終始デリケートな対応が望まれる。
 マクミラン大尉に対しては、とりあえず外にでるよう説得する、それだけがレイに課せられた任務だった。なぜ引き籠もっているか、どうして職務を拒否しているかの理由については、問いただす必要はないという。
 健闘を祈るよ、レンドル警部のひとことで、レイは宿舎の前に降ろされた。SUV車はゆっくり走りだし、空軍警察の車両数台とともに、遠巻きに見守るように待機した。
 レイはため息をつくと、ふたりの兵士が警備する階段を上り、玄関ドアのノブを握った。鍵がかかっていた。わきにインターホンがある。ボタンを押した。
 くぐもった男の声が応じた。「はい」
「ひさしぶり。レイ・ヒガシヤマだ」
 無言のまま解錠の音だけが響いた。部屋の奥からのリモート操作らしい。レイはドアを開け、なかに入った。
 間取りは事前にきかされていたとおりだったが、2LDKといっても充分なゆとりがあり、内装もブルックリン風で洒落ていた。廊下の左手に洗面所とバスルーム、さらに進むと右手に寝室のドア。もうひとつ書斎があって、最後にキッチンやダイニングと隣接するリビングに行き着いた。
 ブラインドが下りているせいで薄暗い。どことなく酒臭かった。目を凝らすと、かなり散らかっているのがわかる。ビールの空き缶が床を埋め尽くし、ほとんど足の踏み場もない。
 咳がきこえた。奥のソファでシーツにくるまっているのは、まぎれもなく一週間ほど前にホテルのラウンジで会った、ナイジェル・マクミラン大尉その人だった。頭髪が乱れ、不精髭も伸びているものの、衰弱したようすは見てとれない。ただ不健康そうな見てくれに変わりはなかった。上半身を起こすと、パジャマにガウンを羽織っているとわかる。虚ろなまなざしがレイに向いた。
 テーブルの上も空き缶だらけだったが、インターホンのワイヤレス子機のほか、アンテナを備えた妙な機材が置いてある。レイにも見覚えがあった。探偵御用達の小道具だからだ。大尉はなんのために所持しているのだろう。
 レイは歩み寄ろうとした。「なぜ俺を指名したか知らないけど……」
「まった」マクミランがレイを制していった。「それ以上近づくな」
 静止せざるをえない。レイは当惑を深めながらたずねた。「ここに立ったまま話せって?」
「すまないがそうしてくれ」
「わかった。どうして俺を指名したか、まずそこからきかせてくれないか」
「どうって」マクミランはぶつぶつと応じた。「そりゃ、そのう、誰となら話すのかと問われたんで……。頭に浮かんだのがその名前だった」
「なんだって? 俺が誰だか覚えてないのか」
「いや、むろん覚えてるよ。というより、いま思いだした。どこかで会ったっけな、消防署の隣りのドミノピザだっけ」
「スターツ・ホテルのラウンジだよ」
「ああ、そうそう。スターツだ。ゴルフはやらないんだが、あのラウンジの雰囲気だけは好きでね」
 レイは油断なくマクミランを観察していた。シーツの下にオートマチック式の拳銃がのぞく。シグ・ザウエル社のP320だった。撃鉄がストライカー式のためハンマーがなく、コッキング済みかどうか見ただけではわからない。引き金を絞るだけで弾が発射可能な状態かもしれない。だとしたら不意を突いて飛びかかっても制圧しきれないだろう。
「なあ」マクミランがきいた。「あんた日本人か」
「日系アメリカ人だ。祖母がフランス系アメリカ人でね」
「アメリカ人か。なのに準州じゃ大統領選の投票権がないよな。おかしいと思わないか」
「たしかに不満だけど」レイは咳払いしてみせた。「あなたは以前、まるでグアム市民に投票権があるみたいな口ぶりだった」
「そうだったか? そんな馬鹿げたことはいわないだろ」
「いや。たしかにいった」
「あんた日本へ行ったことは?」
 レイはため息まじりに応じた。「あるよ。祖父の実家が奈良なので」
「ああ。奈良か。土を掘ればかならずなにかでてくるってのは本当か?」
「マクミランさん。俺の話ならきいてくれるというから来た。バルフォア少佐が心配してる。とりあえず外にでてみないか」
「遠慮する。いや、べつに少佐が嫌いってわけじゃないんだ。俺の疑問はむしろ空軍全体、というより国家のすべてに向けられていてね」
「それについても詳しく話せばいい。いまのうちなら意見に耳を傾けると、少佐も約束してくれてる」
「俺は外にでるつもりはない」
「強情を張ったところで、ここは基地のなかだ。部屋のインターネットと電話回線は切られてるし、スマホもジャミング電波で通じないだろ? もう外部との連絡はいっさいとれない。いずれ電気や水道までとめられ、いぶりだされちまう」
「いや。少佐にそんな肝っ玉はないね。もし無理やり引きずりだそうってんなら」マクミランは拳銃を握り、銃口を自分のこめかみにあてた。「ズドンだ」
 鈍重な警戒心がレイの全身を包みこんだ。マクミランは正気ではない、そう判断せざるをえなかった。緊張を募らせながらレイは問いかけた。「なにか俺にできることはないか?」
「そうだな。夜中にはビールが底を突きそうだ、それまでに補充を願いたい。クアーズとアラスカンをワンケースずつ。エールスミスのホーニー・デビルも頼む。つまみも忘れるな」
 いらっとくる物言いだった。レイは抑制しながらきいた。「レトルトのチキンやハンバーグもあったほうがいいんじゃないか? 温めればいつでも食える」
「名案だ」
「食ったら外にでることも考えてくれるか?」
「考えるかどうかを考えてみてもいい」マクミランがつぶやいた。「いまいえるのはそれぐらいだな」
「基地の業者に届けさせればいいか?」
「いや。あんたが買ってきてくれ。いまからでかけて、きちんと全品を揃えてから戻ってほしいんだよ。夜九時半以降に来てくれ」
「買い物ならもっと早く済ませられるよ」
「それでも九時半すぎがいい。ふだん昼間は寝てる。引き籠もりなんでね、頭が冴えてくるのは夜から早朝にかけてだ。猫と同じ夜行性だな」マクミランは声をあげて笑った。
 レイはしらけた気分でマクミランを眺めた。猫なら可愛げもあるが、この大尉には当てはまらない。
「じゃ新兵」マクミランがいった。「さっそく買いに走ってくれ。まわれ右」
 半ばあきれながらも、レイは指示に従うしかなかった。もっとも頭のなかでは、対策を編みだそうと躍起になっていた。
 飲食物を大量に持ちこむのなら、盗聴器や隠しカメラを仕込むことも考えられる。ただし現時点では不可能だった。
 テーブルの上にあったのはワイドバンド対応の盗聴器発見機だ。無線式のあらゆるデバイスが検知されてしまう。
 なぜあんな物を用意しているのか。異様な警戒心の強さだ。ただ錯乱しているだけとは思えない。

 建物をでて、SUV車のほうへ戻る。レイが近づくと車体側面のドアが開き、バルフォア少佐が制帽をかぶりながら降り立った。レンドル警部も姿を現した。
 レイが話しかけようとしたとき、バルフォア少佐が片手をあげ制した。ちょっとまて、バルフォアはそういうと、部下に目配せした。兵士のひとりが金属探知機をかざし、レイの身体を検査しだした。
 面食らってレイはきいた。「なんの真似ですか。持ち物はぜんぶあずけたでしょう」
 レンドル警部が腕組みをした。「悪く思わんでくれ。マクミラン大尉に隠しマイクを持たされてる可能性もある」
「協力しにきたつもりなのに、もう共謀者あつかいですか」
「きみが気づかないうちに、こっそりポケットに滑りこまされたかも」
「まさか」レイは苛立ちを募らせた。「彼には近づいてもいませんよ。どうやって仕込まれるっていうんですか」
 兵士が首を横に振り、金属探知機を遠ざけた。バルフォアとレンドルはほっとしたような顔になった。ふたりとも詫びはいっさい口にしない。
 バルフォアがたずねてきた。「なにか話したか」
「ビールと食べ物を買ってくるよういわれました。ほかにはなにも」
「対話を拒絶されていないなら幸いだ。引きつづき説得にあたってくれないか。とにかく大尉が銃を置いて部屋をでるよう、いいきかせてもらいたい」
 レイのなかで不満が募った。事情がわからないまま説得するのは困難だ。レイはバルフォアにきいた。「彼が籠城を始めたきっかけはなんですか」
「知ったところで問題の解決にはならん」
「そうもいいきれないでしょう。大尉に心変わりを望むなら、原因の究明が重要になります」
「機密だ」バルフォアが冷やかに応じた。「いえん」
 レンドルが割って入った。「レイ・ヒガシヤマ君。どうか納得してほしい。私ですら機密に関することは、詳しく知らされておらんのだよ。とにかくいまは、マクミラン大尉を無事に部屋から連れださねばならん。腑に落ちないのはわかるが協力してくれないか」

(後半へつづく)
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