こんなに面白い小説を、あなたはまだ知らない。
シチュエーション、キャラクター、謎解き。すべてが画期的な知的エンターテインメント「グアムの探偵」シリーズ。記念すべき第1巻より、「第三話 グアムに蝉はいない」を2日に渡ってお届けします。
 
 
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 グアムに生まれ育つと、島の自然のよさがわからなくなる、まことしやかにそうささやかれる。自分には当てはまらないとレイ・ヒガシヤマは思った。
 朝の出勤前にはマリン・コー・ドライブを飛ばし、ハガニアボートベイスンでサーフィンを楽しんだりもする。波が上級者向けのせいだろう、わりとすいているうえ、周りは地元民の顔見知りばかりで気が楽だった。子供のころはシュノーケルにも興じた。最近ではカララン・バンクスまでダイビングに繰りだしたりもする。
 日本人観光客がグアムに魅せられる理由もよくわかる。近いだけでなく、外国に求めるものがほどよく配置された島だ。アメリカの準州だから街並みも洒落ているし、田舎ゆえのんびりしている。日系人が多く働いているため、会話にも不自由しない。万が一トラブルに見舞われたとしても、言葉の通じる業者を頼ればいい。グアムで探偵を務めるレイもそのひとりに数えられる。
 ただし仕事の半分は、地元民からの依頼だった。日本語を話せる強みも必要とされなければ、たいてい探偵が請け負う仕事ですらない。きょうかかってきた電話も、そんなケースに当てはまる。
 爽やかな晴れの日の午前、ハガニアボートベイスンへ向かう道ながら、サリーン・マスタング・ロードスターのステアリングが重く感じられる。濃いサングラスを透過し、なおも目に飛びこんでくる強烈な陽光が恨めしい。
 チャモロビレッジの裏、パセオ球場のわきにクルマを停めた。いちおうナイター用の照明設備とスタンドを備えた球場だが、草が伸び放題で廃れている。だいぶ前にAKB48がミュージックビデオの撮影に使ったものの、ロケにはまったく支障がなかったにちがいない。そう確信できるぐらい周りは閑散としていた。
 この一帯はパセオ公園の敷地内で、小さな人工の半島に位置する。椰子の木のほか熱帯林も美しく、岬の先端にはちっぽけな自由の女神像も建つが、訪れる観光客はごく少ない。付近のチャモロビレッジ自体、ナイトマーケット開催の夜はともかく、日中はほとんどただの空き地だった。常設の売店がいくつか軒を連ねるにすぎない。それも一部の店は、昼食から戻る時刻を看板に表示しておきながら、そのまま夕方を迎えるいい加減さだ。物珍しさに足を運んだ人々も、たいてい一巡してさっさと立ち去ってしまう。
 レイはクルマを降り、芝生のなかに延びる小道を歩いていった。妙なことに、コンコンコン……と絶え間なく機械的な音が響いてくる。静寂のなかだけに、微音ではあってもはっきり耳に届く。
 芝の上にプロアと呼ばれるアウトリガー・カヌーが並んでいる。塗装や修理のためだった。ここハガニアボートベイスンは、休日を迎えるとマリンスポーツの拠点になる。
 サングラスをかけた小太りのチャモロ人男性が、レイを振りかえると立ちあがった。「あれ? 見た顔だな。いつもサーフィンにきてる……」
「そう。レイ・ヒガシヤマ」
「イーストマウンテン・リサーチ社の人?」
「じつはそうなんだよ。ご連絡どうも」
「よかった」チャモロ人の浅黒い顔に白い歯がのぞいた。まちかねたというように駆け寄ってくる。「マイスだ、ここで働いてる。ボートをいじるのが仕事でね」
「よろしく」レイはマイスと握手を交わした。
「何日も前から、あちこちに電話したよ。警察は相手にしてくれないし、公園の管理事務所も知らんぷり、探偵事務所も三軒あたったが返事の電話もよこさない。でもあんたはこうしてきてくれた」
 グアムの島民どうしに、他人行儀な態度はありえない。すぐに打ち解け、くだけた喋り方になる。レイも軽い口調で応じた。「役に立てるかどうか。騒音問題への苦情なんて、本来は受けつけてないんでね」
「兄弟」マイスが不服そうにいった。「お互い島暮らしの仲間じゃないか」
「オーケー、わかった」レイはため息まじりにたずねた。「で現場は?」
「ここだよ。きこえるだろ」
「騒音が?」
「ああ」
 レイは耳を澄ました。面食らいながらマイスを見つめた。「まさかこの、コンコンコンって音か?」
「そうだよ。三日も前から鳴り響いてる。日中ずっとだ。気になって夜中にも来てみたら、まだきこえてね。ひと晩じゅうつづいてるらしい」
 ここ一週間ほどは早朝のサーフィンもご無沙汰だった。たしかに以前こんな音はなかったが、騒音と呼ぶには大げさすぎる。レイはサングラスの眉間を指で押さえた。「ハガニアボートベイスンに造船用の機械でも持ちこまれたかな、誰もがそう思うだろうね」
「とんでもない。うちはぜんぶ手作業だ。このいらいらする音をうちのせいにされたんじゃかなわん」
「いらいらする? ここは半島の先だし、民家もない。そんなに大きな音でもないし」
「静けさが取り柄のパセオ公園だぞ。ボートにいろを塗りながら、微風に揺れる椰子の木のざわめきに酔う、それが俺の日常だった。ところがどうだ。へんなノイズがいっこうにやまず、絶えず神経を逆なでしてくる」
 いささか過剰反応にも思えるが、たしかに無音の静寂は破られている。マイスにとっては、許しがたい環境破壊に思えるのだろう。レイは歩きだした。「この音はどこから?」
「すぐそこの入り江だ。韓国人の若い連中が、大学の実験だといってつづけてる。文句をいっても、まるできいちゃくれない」
 一帯を覆う果樹を抜けていくと、穏やかな水辺にでる。入り江は対岸が見えているせいもあり、幅の広い運河のようだった。
 透き通るような海面に、一隻のボートが浮かんでいる。岸から六十フィートほどの距離だった。杭にロープで係留されている。ボートに人の姿はないが、詰め物をして上げ底にしてあるらしく、かぶせてあるビニール袋がわずかに盛りあがっている。その頂点に、回転する円盤を備えたエンジンらしき機械と、燃料タンクとおぼしき鉄製の缶が据えてあった。
 手前の岸には若者らが六人ほど群れている。男が四人、女がふたり。グアムには韓国人の観光客も多く訪れるが、ここにいる男女たちは髪を染めず、服装もいたって地味だった。いかにも大学生らしいルックスといえる。
 キャンプ用のテーブルや椅子だけなら遊びに見える。だが数式をびっしり書き綴ったノートのほか、パソコンや電卓、記録用とおぼしきデジカメまでが並んでいた。空のスーツカバーが、ファスナーを開けた状態であちこちに投げだしてある。誰もスーツを着ていないことから、道具の運搬用と推察される。節約のため、ありあわせの物を利用しているようだ。
 眼鏡をかけた青年がきいてきた。「あのう。なんでしょうか」
 英語だった。マイスが若者たちに声を張った。「こちらはイーストマウンテン・リサーチ社のレイ・ヒガシヤマさんだ。いろいろ調査する会社の人だぞ」
 マイスは権威性を誇示したがっているようだが、さほど有名な探偵事務所でもない。若者たちが知らなくて当然だろう。現に全員がぽかんとした反応をしめしている。
 やれやれと思いながらレイは若者らを眺め渡した。「なにをやってるところか、説明してもらってもいいかな」
「イ・ハジンといいます」眼鏡の男が応じた。「僕らはグアム大学自然科学学部の学生です。海水中の音速が環境によりどう変化するか、データをとっているところで」
「海のなかの音を拾ってるのか?」
 ハジンがうなずいて、仲間らに目を向けた。男女の学生がひとりずつ行動した。岸から水中に垂らしてあった配線のうち一本を引き揚げる。防水仕様らしきマイクがぶら下がっていた。
「ふうん」レイはボートを眺めた。「あのエンジンはボートの上に置いてあるだけだな。動力源にもなってない」
「ええ」ハジンがいった。「どこにも接続せず、ただ稼働させているだけです。もともと小型船舶の航行音を記録した水中録音が、水圧や温度、塩分濃度により、どう変化するかを分析しています。速度と位置を割りだせるか、その実験なんです。当該の小型船舶と同じエンジンを用意しました」
「というと、海中の音感センサーの開発かな」
 三つ編みの女子学生が笑顔になった。「鋭いですね。お察しのとおり、船のデータを音で網羅する仕組みの考察です」
 ハジンが紹介した。「彼女は同じクラスのチョ・ヒジュンです。デル・グロッソとユネスコの計算式、どちらも暗算が得意です」
 マイスは苛立たしげに口をはさんだ。「小難しい話はそれぐらいにしてくれ。とにかくうるさくて仕事が手につかん。即刻やめてもらおう」
 レイは思わず唸った。「マイス。こりゃグアム大学に助成金がでてる重要な研究だよ。新聞で読んだ。ウナギの稚魚シラスや、サンゴの密漁被害に遭ってる準州政府が、最優先に解決すべき課題としてる」
「だからといって断わりもなく、ずっとこの忌々しいノイズを発しつづけてだな……」
 ヒジュンが困惑ぎみにいった。「公園の管理事務所には許可をとってますけど」
 沈黙がおりてきた。ボートからエンジンの音だけがリズミカルに響いてくる。マイスはばつの悪そうな顔になった。
 その反応で状況を察した。レイはマイスを見つめた。「管理事務所は知らんぷり、あんたはそういったよな」
「抗議を無視されたのは本当だよ」
「でも大学の研究に許可してるって説明は受けたんだろ?」
「たしかに説明は受けた。だが納得いかないから探偵に相談したんじゃないか」
 またため息が漏れる。レイはハジンに向き直った。「音圧や周波数について、具体的に協議した?」
「もちろんです」ハジンがうなずいた。「岸に届く音を五十デシベル以下に抑えるよういわれてます。ずっと守ってます」
 そうだろう。たしかに音の大きさはそれぐらいだ。レイはつぶやいた。「マイス。五十デシベルはエアコンの室外機や、換気扇と同程度だ。洗濯機や掃除機にもおよばない」
「まさか」マイスが憤慨した。「この音が? もっとうるさいだろ」
「静かだからそう思えるんだって」
「その静寂がだいじだといってるんだよ!」
「しーっ。声が大きい」
「チャモロ人を馬鹿にするのか。数千年前にプロアを漕いで島にたどり着いた先住民だぞ。ここはハガニアボートベイスン。プロアの聖地だ」
「人工の半島だよ」レイはうんざりしながらこぼした。「戦後ハガニアに山積みになってた瓦礫で埋め立てた。すぐそこの岸辺に戦跡のトーチカがあるだろ。あのあたりから先は、むかし海だった」
「兄弟。歴史の講釈を受けるために呼んだんじゃないんだ。それとも古代の遺跡ラッテストーンの謎でも解き明かしてくれるのか?」
「ラッテストーンはたんなる高床式住居の土台だろ。謎でもなんでもない。カルチャー・アンド・エコパークにも模型が組んであるじゃないか」
 マイスは顔面を紅潮させた。「ネットを見たら、あんたの事務所は弱者の味方だと書いてあったぞ。なのにからかうだけか」
「わかったよ、マイス」レイは苦笑しながらハジンに目を戻した。「きいたとおりだ。基準値以下のノイズだとしても、近隣で働く人には気になるみたいでね。とはいえ許可が下りているんだから、つづけるかどうかはきみたちしだいだ」
 ハジンはほかの学生らと戸惑い顔を見合わせたが、やがて告げてきた。「おっしゃることはわかります。でもデータ収集は、四日目のきょう海面が冷えるまで継続しないと意味をなさないんです。今夜の八時ぐらいまではお赦し願えませんか」
 レイはマイスにきいた。「どう?」
「じゃ八時までなら」マイスはあわてたように付け加えた。「ちゃんと音がやむか、一緒に確認してほしいんだがね、兄弟。こっちは報酬を払うんだから、それぐらい頼めるだろ」
 ようやく丸くおさまりそうだ。レイは内心ほっとしながら応じた。「わかった。じゃ夜八時にここで」

書籍

『グアムの探偵』

松岡 圭祐

定価 691円(本体640円+税)

発売日:2018年10月24日

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    書籍

    『グアムの探偵 2』

    松岡 圭祐

    定価 734円(本体680円+税)

    発売日:2018年11月22日

    ネット書店で購入する