6月4日前後の中国では、スマホ決済の送金ですら「六四」「八九六四」元の金額指定が不可能になる。
和僑(わきょう)』『境界の民』など、中華圏の社会・政治・文化事情について取材を続けてきたルポライター・安田峰俊さんの最新作『八九六四』が、5月18日(金)に遂に発売となります。
今回挑んだのは、現代中国最大のタブ-“天安門事件”。
1989年6月4日。変革の夢は戦車の前に砕け散りました。台湾の民主化、東西ドイツの統一、ソ連崩壊の1つの要因ともされた天安門事件。あの時、中国全土で数百万人の若者が民主化の声をあげていました。世界史に刻まれた運動に携わっていた者、傍観していた者、そして生まれてもいなかった現代の若者は、いま「八九六四」をどう見るのか? 各国を巡り、地べたの労働者に社会の成功者、民主化運動の亡命者に当時のリーダーなど、60人以上を取材し、絞り込んだ大型ルポです。
発売まであと少し! 待ちきれない皆様のために、『カドブン』では「序章」と「目次」を先行公開します。ぜひご覧ください!!

 
 
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序章 君は八九六四を知っているか?

1 郭定京(仮名)

事件当時19歳、浪人生 取材当時41歳、書籍編集者
「八九六四」当時の所在地:中華人民共和国 北京市内
取材地:中華人民共和国 北京市 東城区の大衆食堂
取材日:2011年12月9日

タブーだけれど話したい物語

 北京(ぺきん)は北方民族の街だ。そんなことを思った日だった。

 2011年12月9日の昼下がり。私は人を待っていた。かつて(しん)雍正帝(ようせいてい)が即位前に住居としていた雍和宮(ようわくきゅう)にほど近い、下町の民家をリノベーションしたゲストハウスのロビーである。
 やって来た人物は、中国のさる大手出版社に勤める郭定京(グオデインジン)(仮名)だった。
 生っ粋の老北京(ラオベイジン)(北京っ子)である彼は、当時41歳。体型はやせ型で、知識人らしく非常に美しい北京官話を喋った。母方が清朝の旗本階級である満洲(まんしゅう)旗人の家系だといい、本人も自分のルーツへのこだわりが強い。近ごろ清朝史の書籍を編集したという。
「ようこそ北京へ! 日本の友人よ、さあ食べてくれ飲んでくれ」
 郭は日中関係が良好だった1980年代に青春時代を送ったせいか、日本へのあこがれや親近感が強い。そもそも今回の待ち合わせも、日本事情を中国語で紹介する書籍の企画を私に提案してくれたためだった。
 郭はまず私を連れて職場を案内し、しばらく打ち合わせをおこなった。やがて太陽が(かげ)りはじめると「仕事はここまで」とばかりに、彼は私を胡同(フウトン)(横丁)の奥にある涮羊肉(シュアヤンロウ)の店に引っ張り込んだ。(げん)代にモンゴル人が考案し、満洲人である清の皇帝たちも好んだ羊肉のしゃぶしゃぶ料理である。冬の北京の風物詩だ。
「次の党総書記はきっと習近平(しゅうきんぺい)だろう。よくわからない男だけれど、北京生まれの人間が中国のリーダーになるのは喜ぶべき話なのかな──」
 老北京の男はタフでハートフルだ。そして三度の食事よりも政治の話が好きである。郭は喋りながら燕京(イエンジン)ビールを何瓶も空け、蒸気機関車のようにぼうぼうとタバコの煙を吐いた。下町の食堂の石油ストーブの空気によく合う振る舞いだった。
「……ところで、君は六四(リヨウスー)を知っているか?」
 やがて、酔いも手伝って互いに打ち解けたころ、彼は唐突にこんなことを言い出した。
 六四。もしくは八九六四(バージヨウリヨウスー)。すなわち1989年6月4日に発生した六四天安門(てんあんもん)事件だ。中国の政治改革を要求した学生や市民のデモに対して、当時の中国共産党の最高指導者・鄧小平(とうしょうへい)らが人民解放軍の投入を決定し、武力鎮圧をおこなった。公式発表でも300人以上、一般的な解釈では数千人から一万人以上の犠牲者が出たとされている。
「知っていますが、当時の私は小学2年生でしたから、リアルタイムの記憶はないんです」
「事件を知っている日本人は多いのかい?」
「新聞やテレビで、たまに特集が組まれています。世界史の教科書にも出てきます。名前くらいは知っている人は多いはずですよ」
 郭は「そうなのか」としばらく黙り込んだ。
「……あの事件の話は中国ではタブーだ。おおやけの場で論じてはならない」
 自分から話の口火を切っておいて「タブーだ」もないだろう。案の定、私が何も言わずにいると、彼は勝手に思い出話を語りはじめた。

いまデモが起きても「たぶん行かない」

 あの春、郭定京は19歳の浪人生だった。
 デモの主要なリーダーの一人である北京大学の王丹(ワンダン)は一歳年上で、ほぼ同年代である。郭も北京市内を覆った体制変革の予兆に興奮し、しばしば天安門広場に行って座り込んだ。街頭デモにも参加し、体制の民主化や党指導者の退陣を求めて声を張り上げた。
 北京はただのアジアのいち都市などではなく、5000年にわたり人類史上に燦然(さんぜん)と輝く偉大なる中華文明の中心である。また1919年に起きた五四運動からこのかた、中華の覚醒(かくせい)(ほむら)は常に北京から燃え上がってきた。とりわけ北京の若き知識人は、中国の政治変革の先陣を切る役割を担うことを運命づけられてきた──。
 往年の郭もまたそう信じ、壮大な夢を描いた若者の一人だった。
 やがて6月4日未明、デモ隊への武力鎮圧が発生した。郭青年と仲間たちは激怒し、その次の日には大勢で軍用車に石を投げて抗議してみせたという。
「自分の前の方で頑張っていた連中は、みんな捕まってどこかに連れていかれた。僕はそれを見て慌てて走って、胡同の奥に逃げたから無事だった。危なかった」
 中華文明の未来を担う若者を無残に殺して回るような、めちゃくちゃな政権の統治が長続きするわけはない。祖国の目覚めは近い。諦めずに戦い続けよう。
 郭青年は、なんとか助かった仲間たちと互いに論じあった。
 しかし、未曾有(みぞう)の惨劇の翌日も、そのまた翌日になっても、ずっと中国共産党は倒れなかった。祖国は目覚めず、変革の夢は戦車の前に砕け散った。
 ──それが郭が私に語った八九六四だった。

「現代の中国で、また天安門の学生デモみたいなことは起きるでしょうか?」
 話が一段落したところで尋ねると「難しい」と即答された。
「いまの若者はみんな一人っ子で、命を()けるような行動は両親への孝行に反する。両親も子どもが民主化デモに行くなんて言い出せば必死で止めるだろう。それになにより──。社会が当時と比べ物にならないくらい豊かで便利になったからね」
 天安門事件の勃発直後、世界の先進各国は人権弾圧に抗議して一斉に対中投資を引き揚げた。だが、経済の停滞を憂慮した鄧小平が、1992年から積極的な外資誘致と事実上の市場経済の実現を呼号すると、安価な無尽蔵の労働力と巨大なマーケットに魅了された各国はすぐに中国に戻ってきた。こうして現在まで四半世紀も続く、奇跡の高度経済成長が始まった。
 イデオロギーは噓をつくが、カネは噓をつかない。好景気のなか、中国の人々は目の前のチャンスをつかむべく狂奔した。やがて気づいたときには、誰もが携帯電話やパソコンを持ち、広大な国土がキメの細かい高速鉄道網で結ばれ、あちこちの主要都市の地下を最新式の地下鉄が走る現代中国の社会が生まれていた。
 そんな社会で育った若者が、往年のようにリスクを覚悟で戦うことは難しいという。
「じゃあ、デモに参加した郭さんみたいな人はどうですか。またやらないんですか?」
「同じことだよ。例えばいま僕はとても幸せだ。子どもはいないけれど女房との仲はいいし、家も買った。仕事も面白くてやりがいがある。お金持ちじゃないけれど、日本に観光旅行に行けるくらいには暮らしの余裕もある」
 やや複雑な表情を浮かべて、郭が次のタバコに火をつけた。
「中国は民主化しなくても没問題(メイウエンテイ)(大丈夫)だったのですね」
「そうは認めたくない。ただ、現代の中国には社会問題が山積みだけれど、国民が体制を変えるために立ち上がるほどひどい国でもないんだ。(しゃく)だとは思うけれど、中国共産党はすでに大きな功績を挙げてしまった。その事実は認めざるを得ないさ」
「じゃあ、仮にいま、北京で民主化デモが起きたらどうします?」
「たぶん行かない」
 沈黙があった。
「──もう時代が違うんだよ。昔だからああいうことができたのさ」
 動詞の主語に、「中国」も「自分自身」も代入できそうな口ぶりだった。

 その後、郭とは出版の約束をしたものの、やがて2012年の尖閣(せんかく)国有化問題と大規模な反日デモが起き、日中関係が緊張してお流れになった。互いに何となく気まずくなっていると、彼はいつの間にか会社を移ったらしく、メールもつながらなくなった。
 清朝の残り香をほのかに漂わせた老北京との晩餐(ばんさん)は、完全に記憶のなかに閉ざされた。
 だが、この日の会話が私にこの本を書かせたと言っていい。

書籍

『八九六四 「天安門事件」は再び起きるか』

安田 峰俊

定価 1836円(本体1700円+税)

発売日:2018年05月18日

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    書籍

    『和僑 農民、やくざ、風俗嬢。中国の夕闇に住む日本人』

    安田 峰俊

    定価 821円(本体760円+税)

    発売日:2016年04月23日

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