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薬丸岳さんの衝撃と感動の社会派ミステリ、『悪党』がWOWOWでドラマ化!
5月12日の放送開始を記念して、『悪党』の冒頭部分を特別に公開します。
ドラマの前に、まずはこちらでお楽しみください!(全5回)(第1回から読む)
<<第2回へ
(承前)
木暮が私を見る。戸惑っている私に気づいている目だ。
細谷夫妻が求めていることもわからないではない。いや、自分なら誰よりも痛いほどわかるはずだ。だけど、何をもって、どんな材料をもって、罪を赦すというのだ。
「それを知るためにはもっと調査に時間がかかりますよ。当然、調査費用もそうとうかかります」
木暮らしく、金銭の面から切り返した。
「それならば大丈夫です」
細谷が脇に置いた鞄の中から封筒を取り出してテーブルの上に置いた。
「ここに三百二十万円あります」
ほう、という目で木暮の視線が封筒に釘付けになる。心中が透けて見えた。さぞや小躍りしたい気分だろう。
「このお金は健太を殺されたことによって得た犯罪被害者給付金です。私たちも病弱なものですから、今までに何度もこのお金に手を付けようと思ったことがあります。だけど、どうしてもこのお金は使えなかった。健太のためにしか使えないお金です」
「ちょっと待ってください」
木暮が封筒をつかむ前に私は言った。
「何をもって坂上の罪を赦すというのです。坂上のどんな言動を見れば罪を赦せるというのですか」
「あなた方の判断でかまいません。被害者とも加害者とも関わりのないあなた方の判断でけっこうです」
「私にはそんな判断は……」
「佐伯君、ちょっといいかな」
木暮が手で制して立ち上がった。間仕切りの外に私を呼び出す。
「お染さん、細谷さんに新しいお茶をお出しして」
事務机に向かって資料を整理していた染谷に言う。染谷が面倒臭そうな表情を浮かべながら、巨体を椅子から持ち上げた。
「佐伯君、今うちが抱えている仕事が何件あるか知ってる?」
私に向き直って小声で言う。
「0です」
「でしょう。どうして断る理由があるの」
「さっき言ったように、何をもって罪を赦せるのかということです」
「そんなの簡単じゃない。あなたに坂上を赦せる材料がひとつでもあったとしたら、それでいいんじゃないの?」
赦せる材料──
木暮の言葉に、姉の顔が脳裏をかすめた。
薄暗い廃屋の中で、制服を引き裂かれ、静止した目で私を見上げていたゆかりの姿が──
私の心の中には犯罪者に対する激しい憎悪が渦巻いている。だからこそ、そんな自分には坂上の何を見たとしても赦せる材料など見つけられるはずがないのだ。
「この仕事決めたから」
木暮が指で拳銃の形を作って私に向ける。私に命令したり、なだめすかしたりするときによくやる癖だ。
気が乗らない仕事だが、所長の木暮に逆らうことはできない。
木暮は十二年前まで埼玉県警で働いていたという。かつての私と同業だが、警察官になったときには木暮はすでに警察を辞めていたので、面識があったわけではないし、四十半ばにしてなぜ警察を辞めたのかという詳しい事情も知らない。
木暮との出会いは四年前だ。どこで調べたのか、私のアパートに突然やってきたのがきっかけだった。警察を懲戒免職になり、前科がついて自暴自棄になって荒れた生活をしていたころだ。そんな事情を知りながら、木暮はこの『ホープ探偵事務所』に迎え入れてくれた。
小さな探偵事務所だ。常勤しているのは私と、事務仕事をやっている染谷というおばさんと、所長の木暮だけだ。人員が必要な調査のときには、木暮が数合わせの素人をどこからか連れてくる。
細谷夫妻が帰り、木暮がパチンコに出かけてから、私はずっと今回の依頼のことを考えていた。
とても難しい依頼だ。
坂上の内面に少しでも踏み込まなければ今回の依頼は果たせないだろう。
「お染さん、明日までに調べてほしいことがあるんだけど」
遠慮がちに染谷に言うと、面倒臭そうな顔を向けられた。
次の夜、私は『ドール』のカウンターにいた。バーテンダーに坂上のことを訊くと、おそらく来るのではないかと答えた。三杯目を飲んでいるところで、坂上がやってきた。
私を見ても、坂上は表情を変えず、友人であるかのように自然に隣に座った。
「来るような気がしてたよ。第六感ってやつかな」
坂上がマッカラン18年のボトルとグラスをふたつ頼んだ。
「ただ単に、仕事に困っている風に見えただけじゃないか」
「そうかもな」
「最近は仕事にあぶれてばっかりで……このままじゃホームレスになっちまう。前の話に興味があってね」
「おれは人事も兼任してる。一応面接はさせてもらうよ。マスター、書くものあるかな」
メモとボールペンをもらうと、ボトルとグラスを持ってテーブル席へと促した。
「名前と住所と電話番号を書いて」
私は坂上に言われた通りにメモに書いて、渡した。
「佐伯修一──」メモを読み上げていた坂上が笑った。「住所はネットカフェかよ」
「金があるときは」
「よくこの店に入ってみようという気になったな。ハーパーといえども安い店じゃない」
「やけだった。この酒を飲ませてもらったときは、もう死んでもいいと思った」
「死ぬ気になれば、たいがいのことはどうにかなる。運転免許は」
「ない。必要かな」
現住所などの情報を与えたくない。私は噓をついた。
「特に必要はない。ただ、足が速ければそれにこしたことはない」坂上が薄笑いを浮かべる。「わかってると思うが、それなりにリスクがある仕事だぞ」
黙って頷いた。
「一応、実家の住所を教えてくれ」
「知らない」
「知らない?」
「親から勘当されてる。ふらふらしている間にどこかに引っ越したみたいだ」
「勘当ね。いったい何をやらかしたんだ」
「人殺しの息子なら勘当したくもなる」
小声で言うと、坂上の目が反応した。
「どういうことだ」
「オヤジを狩っててやりすぎた。十七のときだよ」
昨日、染谷に調べてもらった実際にあった傷害致死事件のことを話した。
「どこに入ってた」
「栃木に二年」
坂上が入っていたのとは違う少年院の名前を言った。
「やっぱり不採用かな」
私は訊いた。
「一応、採用する。だけど、向き不向きがあるから、一週間ほどは試用期間ということでいいか」
「わかった」
坂上がメモに住所を書いた。
「明日、昼の十二時にここにきてくれ」
メモを差し出したときに、ドアが開いて、りさが入ってきた。
りさに目を向けた瞬間、坂上の表情に暗い影が差す。負い目を感じている目だ。
りさは坂上の本当の姿を知らない。確信した。
「じゃあ、明日からよろしくお願いします」
気を取り直したように坂上が言った。もう消えてくれということだろう。
私は立ち上がって、りさに軽く会釈をして店を出た。
翌日の十二時、指定された事務所のインターホンを押した。
名前を告げると、ドアが開いて坂上が顔を出した。
「とりあえず入ってくれ」
坂上に言われて事務所に入ると、数人の若者たちが椅子に座って、携帯電話に向かって話している。会話を聞いていると、弁護士や警察官を装って猿芝居を演じている。やはり坂上の仕事は私が思っていた通り振り込め詐欺なのだ。
「こっちにきてくれ」
奥の部屋に通された。中央に大きなテーブルがあり、その周りにパイプ椅子が置いてある。ふたりの若者が座っていた。
「紹介する。今日から働いてもらうことになった佐伯君だ。よろしく」
坂上が紹介すると、ふたりの若者が軽く会釈する。拍子抜けした。どう見ても、犯罪組織に属しているようには思えない、今どきのやわな若者だ。
「あの部屋の光景を見て、どういう仕事か理解できたかな」
坂上が言った。
「セールス業だろ。電話して、金を振り込んでもらう」
「まあ、そういうことだ。だが最近じゃ振り込みはほとんど使わないけどな」
坂上が言うには、法律が改正されてATMから十万円以上の現金での振り込みができなくなったことで方法が変わってきているという。振り込みの代わりにバイク便を使ったり、確実に相手が信じ込んでいるなら闇の職安サイトで雇った使い捨ての若者に直接回収させにいく。
足が速いにこしたことはない、とはそういうことか。
「いきなり実戦というのは難しいから、一週間ほどこっちの仕事を手伝ってもらう」
椅子に座って、テーブルを挟んでふたりずつ向かい合った。坂上がテーブルの上に置いた紙束を差し出す。
「これは仕事で使うマニュアルだ。今までに使われたいろんな詐欺のパターンが載っている。だけど、このままではもう使えない。すでにニュースになったりして、手口がばれてるからな」
「それで、ここにいる四人でシミュレーションして、新しいシナリオを作っていくというわけか」
「察しがいいな。そういうことだ」坂上が満足そうに笑った。「佐伯君にはカモの友人役をやってもらおう。おかしなところがあればどんどん突っ込んでくれ」
坂上と若者が警察官や弁護士や交通事故の被害者などを装って話をする。騙す側だ。もうひとりの若者がカモの役をやる。私はカモの若者の隣に座って、冷静に横やりを入れる役割をやらされた。つねに疑っているのが前提で、坂上たち騙す側が話す事柄を怪しいと反論していく。坂上たちが黙ってしまったらそこで終わりだ。ふりだしに戻って、四人でどうすれば破綻しない話になるかをまた考える。数時間、それを繰り返した。
「休憩にしよう」
坂上が言って、若者のひとりに隣の部屋からビールを取ってこさせる。
「佐伯君、突っ込みが厳しいね。法律や警察関係のことにも詳しそうだ」
「そんなことはない」
調子に乗りすぎてしまった。本来なら、犯罪組織に加担などしたくないから、穴だらけのシナリオにしてやるべきなのに。
この空間にずっといると自分の感覚が麻痺していくことに気づく。まるでサークル活動か、ゲームをしているようだ。
坂上はもとより、このミーティングをしている若者も、隣の部屋で電話をかけている者も、金を回収に行く者も、自分たちが犯罪に加担しているのだというリアルさが欠如しているのだ。
カモになった者から金が回収されるたびに歓声をあげて自分たちの成果を純粋に喜んでいる。そこに見知らぬ他人の生活を壊しているということの自覚はなさそうだ。
「おまえがいてくれたら、いいシナリオができそうだ」
坂上がビールをあおる。
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