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試し読み

嵐の予感……秩父の町に音楽フェスがやってくる!?  映画より一足先に小説版が登場『小説 空の青さを知る人よ』試し読み②

10月11日(金)の映画公開に先駆け、小説版の試し読みを特別配信!

町おこしを兼ねて音楽フェスを誘致することになった秩父の街。
姉・あかねに片想いする正道は張り切っているけれど、あおいは何だかモヤモヤして……。
>>前話を読む
 * * *

 みんなでせっせと座布団とテーブルを運んだおかげで、夜の寄り合いまでには準備が整った。公民館の広い和室には町内会の面々が五十人以上詰めかけて、賑やかな声が廊下にまで漏れ聞こえてきた。いつもの倍以上の人が集まっている。
 お盆に熱々のお茶が入った湯飲みを並べてあおいが和室に入ると、あかねがそれを受け取って一人ひとりに配っていく。お茶を渡した相手と楽しそうに言葉を交わす。そのたびに、あかねは肩を揺らして笑った。つまらない世間話にも、何がそんなに可笑しいのか、笑った。
 和室の奥に置かれたホワイトボードには「第一回音楽の都フェスティバル」と大きな字で書いてある。こんなに人が集まった理由は、どうやらこのイベントにあるらしい。
「いやーやっぱりよ、味噌ポテトの屋台は味にバリエーションが欲しいとこだな。味噌にゆず入れたり七味入れたりよ」
 賑わいの中で、はっきりとそんな声が聞こえてくる。
 ホワイトボードの側で年上のおじさん達を相手に、中村正道が熱弁を振るっていた。あかねと同じ三十一歳の彼は、市役所の観光課で職員をしている。
 ちなみに、あかねとは高校時代の同級生だ。さらに言うと、バツイチだ。
「けどよー、本当にこんなんで人くるんかさ?」
 誰かが正道に言った。秩父市役所のジャンパーを着込んだ正道は、大口を開けて声を張り上げる。
「なーに弱気なこと言ってんだよおっちゃん! このへんは観光でも市内にばっか客とられてるしよ、ここらで一発、がつんとぶちかまさねえと!」
 正道がわざわざ立ち上がって拳突き上げる。わいわいと騒がしかった和室の熱量が、自然と正道に集まっていく。町内会の面々は正道やホワイトボード、手元に配られたプリントを見つめた。
「おう、ビッグウェーブにのんなきゃ損だんべ。せっかく観光課の正道ちゃんが融通つけてくれたんだからよ」
 正道の側にいた男性が歌うようにそう言って、周囲のおじさん達も「そうだな」と続いていく。
 正道にはそういうところがある。人を動かしたり先導したりするのが上手いわけではないけれど、「これをしよう」「やってみよう」と嵐のようにノリと勢いで推し進めて、なんとなく周囲の人をその気にさせてしまう。
 そんな正道を見て、お茶を配って回っていたあかねがにやりと笑った。
「そうそう、結構コレ、動いたらしいって市役所でも噂なんですよ〜」
 あかねが胸の前で親指と人差し指で丸を作る。周囲にお金のマークを見せつけるようにして不敵な笑みを浮かべた。
「ガセ流すなあかねっ!」
 正道が慌てて身を乗り出す。「なんだガセなのか?」「結構出てるんじゃねえの?」などという声があちこちから飛んできて、正道がさらに大きな声で「そうじゃなくて!」と弁解する。
 あおいは、何も言わず和室を出た。暖房は入れてないはずなのに、和室の空気は熱っぽくて暑い。あまり心地よくない温度だった。
 台所へ戻ると、コンロの上でヤカンがかたかたと音を立てていた。シンクの側で床に腰を下ろし、正嗣がスマホを弄っている。またお気に入りのゲームでもしてるんだろう。
 中村正嗣は、正道の一人息子だ。小学五年生なのに、顔はもう笑えるくらい父親にそっくりだった。
 和室からは、まだ正道達の声が聞こえてくる。
「外から歌手やらバンドやら連れてくるだけじゃなくて、それこそ地元ぐるみでよ……」
 どうやら、「音楽の都フェスティバル」とやらは随分大がかりなイベントになるようだ。紅白歌合戦に出場するような有名な演歌歌手が来るとか、その人にご当地ソングを作ってもらうとか、随分と壮大な話が聞こえる。
「もう声かけてんのか?」「時間もうあんまりねえだろ」という声も立て続けにした。
 結構なお金が動いたというのも、あながち冗談ではないのだろう。
「あおちゃんも参加すれば?」
 コンロの火を止めると、正嗣が突然そう聞いてきた。目線は、ゲームから動かさない。左右の指を忙しなく動かしている。
「町興しになんて利用されたら、それはすでに音楽じゃないよ」
 沸騰したお湯をポットに注ぎながら、あおいは答えた。和室の熱っぽい空気を、まざまざと思い出す。
「音を楽しむんじゃない。音が苦しむって書いて音が『苦』だよ」
「今、いいこと言ったと思ってるかもしれないけど、まったく言えてないから」
 正嗣が平坦な声でそんな生意気なことを言ってくる。スマホから顔を上げない正嗣にあおいはふん、と鼻を鳴らして、ヤカンをコンロの上に戻した。金属と金属が触れるガシャンという音が、思っていたより大きく台所に響いた。
 苛立ちがあとからむくむくと湧き上がってきた。先生の「就職っと」も、千佳の「圧あるぅ」も、近所のおばさんの「感謝しなよ」も、全部。
 ぐいっと唇をねじ曲げて、ゲームをし続ける正嗣のこめかみを両手でぐりぐりとしてやった。「いだ、だだ、だだ!」と正嗣が両足をばたつかせて悲鳴を上げる。
「とにかく、ここいらは音楽によって生まれ変わんだよ!」
 正道の声は、それでも聞こえてきた。生まれ変われるもんなら勝手に生まれ変わってろ、と胸の奥であおいは毒づいた。

 夜の七時を過ぎたというのに、フェスティバルの話し合いは盛り上がっていた。もはや宴会のような雰囲気になっている。
 大量の靴が並ぶ玄関で靴を履き替え、あおいは正嗣と一緒に公民館を出た。
「あおい、ツグ!」
 背後から正道の声がした。立ち止まって振り返ると、玄関から正道が顔を出す。バタバタと靴を履いて、駆け寄ってくる。
「あー今日も、その、お堂で練習すんのか?」
 ぽりぽりとお腹のあたりを搔きながら、どこか言い辛そうに聞いてくる。
「うん」
「九時までにしろよ? お前のベース、低音が妙に響いて不吉だからよ」
 あおいが背負ったベースケースを一瞥し、正道は失礼にもそんなことを言った。
 反論するのも癪で、あおいはそのまま踵を返した。
「防音室、うちにはあんぞ」
 一歩、二歩と進んだところで、おもむろに正道が言う。
「は?」
 再び振り返ると、正道は今度は後頭部をがりがりと搔いていた。口をへの字にして、ほんのちょっと、頰を染めている。暗がりでもはっきりとわかった。
「兄貴、ほしくないか」
 ゆるゆるとボールを投げて寄こすような、そんな言い方だった。その意味がわからないほど、馬鹿ではない。
 子供でも、ない。
 要するに、正道とあかねが、結婚するということだ。
「……は?」
 それでも、そうとしか言えなかった、
「父ちゃん、突然キリ込むなあ」と正嗣が肩を竦める。これじゃあどっちが息子でどっちが父親かわからない。
 息を吸った。寄り合いのおじさん達じゃないんだから、正道にのせられてその気になんて、絶対になってやらない。
「バツイチにはさすがに渡せない」
 吐き捨てると、バツイチという言葉が不本意だったのか、正道は悔しそうに地団駄を踏んだ。
「こっちは相手に浮気された被害者なの! 清く正しいバツイチなの!」
「知らんがな」
 何が清く正しいバツイチだ。大体、そんなこと息子の前で言ってやるな。
 ちらりと正嗣を見ると、呆れたという顔であおいの後ろをついてきた。
「あ、なあ、あおい!」
 まだ正道が何か言っている。足を止めずに、「んー?」とだけ返事をした。
 でも、次に飛んできた言葉に――名前に、足が動かなくなる。
「……しんの、って覚えてるか?」
 懐かしい名前に、膨ら脛のあたりが強ばった。膨ら脛から全身へと、奇妙な緊張が広がっていく。
「ああ……なんとなく。なんで?」
 また、振り返らずに答えた。本当は、振り返ることが出来なかった。
「あ、いや……覚えてないなら、いいんだ」
 もう一度「練習するなら九時までにしろよ」と言って、正道は公民館に戻っていく。あおいは「ふーん」と鼻を鳴らした。
 覚えてなんていない。たいして興味もない。
「ふーん」で、それを表現したつもりだった。

〈第3回へつづく〉

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映画情報


映画「空の青さを知る人よ」
2019 年 10 月 11 日(金)全国ロードショー
吉沢亮 吉岡里帆 若山詩音/ 松平健  
落合福嗣 大地葉 種﨑敦美   
主題歌:あいみょん(unBORDE / Warner Music Japan)
監督:長井龍雪
脚本:岡田麿里
キャラクターデザイン・総作画監督:田中将賀
soraaoproject.jp

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