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試し読み

【話題作再掲】他人の悪意が怖い。気弱な若者が目撃した、監禁殺人犯の異常行動。怒濤のどんでん返しミステリー!櫛木理宇『虜囚の犬』#7

カドブンで好評をいただいている、ミステリー『虜囚の犬』。
公開期間が終了した物語冒頭を「もう一度読みたい!」、「7月9日の書籍刊行まで待てない!」という声にお応えして、集中再掲載を実施します!
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(応募要項は記事末尾をご覧ください)

 ◆ ◆ ◆

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      *    *

 ──ひとまずこれが、薩摩家を初訪問した日のてんまつだ。

 白石はテキストをいっさい読みなおさず、誤字チェックもせず保存した。和井田宛てのメールにデータ添付し、「参考にしてくれ」とだけ記して送った。

 すっかりぬるくなったビールを飲み干す。

 時計を見ると、午後十一時を過ぎていた。まだ果子が帰る気配はない。

 眠れる気がしないな──、とひとりごちて席を立った。「今日だけ」と言い聞かせて、彼は二本目のビールを自分に許した。

      6

 翌朝起きると、テーブルにはいつものようにメモが残されていた。

〝ごちそうさま。えいいちくん来てたんだ? 会いたかった。果子〟

 果子は和井田を「瑛一くん」と呼ぶ。昔から、なぜかうまが合う二人なのだ。そのくせ個人的に連絡を取り合っている様子はないから不思議である。

 白石は朝食代わりのコーヒーを飲みながら、皿を洗った。

 清掃用ワイパーで床を掃除し、いつもは昼食後におこなう筋トレを午前中にこなした。しかし頭の中は、薩摩治郎とその家族でいっぱいだった。

 ──十年以上前に埋められたという人骨。

 ──監禁されていた二人の女性。

 ──鎖。首輪。ドッグフード。

 少年の声が、またも耳の奥で再現された。

 ぼくは犬だ、と言ったあの声。みずからを卑下しながらも、まるで無感情だった平たい口調。

 白石は自室のパソコンに向かった。

 ブラウザを立ちあげる。

 専業主夫になってからというもの、白石はごく限られたサイトしか閲覧しないよう決めていた。ブックマークは近所のスーパーや図書館のサイト、人気の収納術およびレシピサイト、サプリメントの通販サイトのみである。

 ツイッターだのフェイスブックだのは手を出していない。ニュースはポータルサイトのヘッドラインだけ確認し、コメントのたぐいは観ないようにしていた。匿名掲示板や、掲示板のレスポンスをまとめたアフィリエイトサイトはとくに避けた。

 ──以来、人の悪意に触れるのが怖くなってしまった。

 そうなればもう、家裁調査官の仕事は務まらなかった。

 白石は採用試験に合格後、養成課程を経て、家庭裁判所つぎ支部で少年事件を三年間担当した。

 転勤したのは四年目の春である。赴任先は、とうきよう家庭裁判所本庁だった。

 国家公務員なら転勤は当たりまえだ。わかっていて調査官になった。だが赴任先で──わずか半年の勤務で、彼の心は折れた。

 以後、白石は妹名義のマンションで専業主夫として暮らしている。

 あれから約三年がった。とはいえ、まだまだ心身のリハビリ中だ。回復しきってはいないと、和井田とのやりとりであらためて思い知った。

 かかわるべきではないと頭ではわかっていた。だが白石は、『薩摩治郎 殺人 女性監禁』のワードで検索をかけた。

 ──約2,160,000 件(0・48秒)

 無機質な数字とともに、膨大な量の記事が表示される。

 新聞社のウェブサイト、ポータルサイト内のブログ記事、ウィキペディア、匿名のレスを編集したアフィリエイトサイト。

 約十五分かけて、白石は主な記事に目を通した。

 彼が調査官として働いたのは、たった三年半だ。担当した少年はけして多いとは言えない。それだけにほぼ全員を覚えている。

 一、二度しか面接しなかった少年がいる。何度面談を重ねても手ごたえがなく、最後までわかり合えぬままだった少年もいる。

 ──でも、薩摩治郎は、どこか特別だった。

 起こした暴行事件そのものは悪質だ。しかし治郎は積極的に加担したわけではなく、むしろ被害者に近かった。印象に強く残るような少年ではないはずだった──本来ならば、だ。

 匿名掲示板では、治郎に関するあらゆる憶測が飛びかっていた。

「薩摩の被害者はたった三人? もっといるんじゃないか」

「ホテルで殺されたのは天罰? ふくしゆう? 義賊の仕業か?」

「おれも女を監禁してみたい! 広い敷地、無職、金持ちの三拍子が揃えば可能ってことだな。やはり不労所得生活者こそ、現代の勝ち組」

「臭かったって報道に萎えた。リアルハーレムはうまくいかねーな。やっぱ三次元の女ってくそだわ」

 殺人、首輪、陵辱と、不穏なワードがモニタにあふれる。

 どうやら薩摩治郎が女性を首輪でつないで監禁していたこと、庭から二体の人骨が掘り出されたことは広く報道されたようだ。

 しかし「ドッグフード」、「人肉」に言及している者はいなかった。報道規制がかかったのかもしれない、と白石は推測した。

 新聞社のウェブサイトには、宅配業者や近隣住人の証言が載っていた。

「あの家にはしょっちゅう配達してました。おもじゃなく離れのほうに直接です。ネット通販会社からの荷物ですよ。臭い家だなとは思ったけど、あんまり気にしてませんでしたね。本人がいかにもあれな感じだったし、風呂に入ってないんだろうなって……。まさか監禁事件だなんて、ほんとびっくりです」

「犬を飼ってるんだと思いこんでました。だってドッグフードや水を、何度も箱買いしてましたからね。てっきりあの悪臭も犬の臭いだと。着払いではなかったから、たぶんカード払いだったんじゃないですか? ものすごく愛想の悪い人でしたよ」

「治郎ちゃんねえ。子供の頃はいい子だったんですけど……いつの間にか、あんな感じになっちゃいましたね。とくにお父さんが亡くなってからは、人が変わったみたいでした。奥さんも扱いに困っていたようですよ。たまに出歩いているのは見かけましたが、挨拶なんかしてもらったことないです」

 近隣の証言は、どのウェブサイトでもほぼ一致していた。

 いわく、母親を殴っていたようだ。いわく、近くのコンビニなどに向かう姿しか見かけなかった。いわく、ちいさい子がいるご家庭は怖がっていた。

 治郎に同情的なニュアンスは皆無と言ってよかった。

 白石はマウスを離し、指でこめかみを押さえた。

 ──ぼくは犬だ。

 十七歳の、薩摩少年の声がする。

 ──ぼくは犬だ。犬だ。犬だ。犬だ。犬だ。犬だ。犬だ……。

 かれたように繰りかえし、少年は壁に頭を打ちつける。制止しても止まらない。額が割れ、血が流れてもなお、薩摩治郎は繰りかえしていた。ぼくは犬だ──。

 自虐的なその声に、別の少年の声が重なる。

 ──雌犬ビツチが。

 対照的と言っていい、侮蔑に満ちた声音である。

 ──ケツをこっちに向けろよ。雌犬。

 白石はきつくまぶたを閉じた。

 こめかみの脈動がおさまるのを待つ。どくどくと痛いほど鳴る血のざわめきが、鎮まるまでじっと待つ。左の手首に右手を当てる。

 ようやく脈が平静になったのは、たっぷり二分後だった。

 ブラウザを閉じる。パソコンを再度スリープ状態にする。

 デスクの抽斗ひきだしを開けた。古いスケジュール帳やメモ帳、文具をかき分けて、プラスチックの小箱を取り出す。

 退職の際、返却しそこねた名刺の箱であった。

      7

 中学生の薩摩治郎を診た精神科医は、さいわい白石を覚えていた。電話口の声は、変わらぬなめらかなバリトンだった。

「ああ、あのときの調査官の方ですね。……治郎くんの件は、非常に残念です。通院をつづけてくれていたらと、いまさらですが悔やむばかりですよ」

「ぼくも、まったく同感です」

 白石は彼に「退職した」とは告げなかった。

「じつは彼に関して、今回もぜひ先生のご意見をお聞きしたくご連絡しました。急なことで申しわけないのですが、今日か明日で、空いている時間はございますでしょうか?」
 といんぎんに訊いた。医師は答えた。

「外来は、午前十二時で受付を締めきります。遅くとも二時までには診療が終わりますから……そうですね、午後の診療まで、三十分ほどなら時間を取れると思います」

(つづく)

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