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【話題作再掲】征服欲と支配欲に囚われ、性的関係を強いる犯人。どこから彼は壊れ始めたのか? 怒濤のどんでん返しミステリー!櫛木理宇『虜囚の犬』#12

カドブンで好評をいただいている、ミステリー『虜囚の犬』。
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(応募要項は記事末尾をご覧ください)

 ◆ ◆ ◆

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 再生が終わった。

「北畠彩香の声を聴いてみて、どうだ」

 和井田が言う。

「なにかわかったか」

「ああ」

 白石は答えた。

「当然だが、北畠さんは傷ついている。無力感に打ちのめされている。だが監禁される前……いや夫にDVを受ける前から、おそらく自己肯定感の低い女性だった。稲葉千夏もそうだったと思うが、『わたしはこんな目に遭っていい人間ではない』、『一個の人間であり、不当な扱いは受け入れない』という、確固たる意志が乏しい。たぶん北畠さんの生い立ちも、恵まれていなかったんじゃないだろうか」

「当たりだ」

 和井田は低く言った。

「北畠彩香の生家は、ちょっとばかり特殊でな。父方の曽祖父母と祖父母、叔父、両親、弟、そして彩香の九人が一つの家にひしめき合って暮らしていた。しかし働いていたのは彩香の父親だけで、あとは全員無職だ。とくにこの叔父がくせもので、毎日ぶらぶらパチンコや競艇に通っては、彩香の母を殴って金をせしめていたらしい」

「それは虐待だ」

 白石は憤然と言った。

「子供を直接殴ることだけが、虐待じゃない。日常的に暴力をふるう姿を、子供に見せるのだって十二分に虐待なんだ」

「おれもそこは同感だ。……話を戻すが、北畠彩香は高校を卒業後に就職し、せっせと家に金を入れていたそうだ。『母のためだった』と言っている。苦労した母を守りたい一方で、彩香は生家を出たくてしかたがなかった。おかしな男に引っかかったのは、そのせいだろうな。自由のない女にとって、結婚は生家を出るための大義名分として最適だ」

「自己肯定感の低い人間ばかりだ」

 白石は声を落とした。

「治郎くん、北畠彩香さん、稲葉千夏さん。全員が虐待の被害者だ。治郎くんの『ぼくたちは、みんな犬だ』という自虐的な言葉も、いたって示唆的だ」

「かもな」

 和井田はいったん同意して、

「だがいまは示唆どうこうと悠長なことは言ってられん。それより、女を監禁する男の心理を教えろ。とくに薩摩治郎のような男が、女を監禁して殺す心理についてな」

「さっきも言ったが、治郎くんは自己肯定感と自尊心が低かった」

 白石はこたえた。

「彼は女性と対等な関係を築けない。自由意思がある女性や、自分の足で行動する女性は、性的対象どころか恐怖の対象だ。けっして逆らわない、出て行けない、彼を馬鹿にしない女性相手でないと、安らげないんだ」

「だから女が欲しけりゃ、さらって監禁するしかない、と? 要するに弱った女以外には勃起できないってことか」

「平たく言えば、そうだ」

「北畠彩香が言った〝支配したいというより、支配感覚〟ってのも、その延長線上にあるのか?」

「強姦は性欲より、征服欲と支配欲の影響が大きいとされているからね。たとえば泥酔させた女性や、薬物でこんすいさせた女性ばかりレイプする常習犯がいるだろう。あれも正気の女性とは向き合えない、もしくは向き合いたくない男が支配欲を満たすための犯罪だ。治郎くんの監禁は、それをエスカレートさせた一例だと思う。……ただ彼の場合は、もうすこし複雑かもしれない」

「どういう意味だ」

「ぼくが知っている治郎くんと、この犯行にいたった治郎くんにかいがありすぎるんだ。ぼくが担当をはずれてから彼は壊れていったのか、それともぼくが見ていた時点ですでに壊れはじめていたのか。われながら情けないが、まだ判断しきれない」

 白石はまぶたを伏せた。

 ──ごめん、ごめんよ……ほんとうは、殴りたくない。乱暴なことは、したくない。

 ──でもぼくは、こういう人間でいなきゃいけないんだ。

 ──ごめんよ、アズサ……。

「おまえ、アズサという名に心当たりはあるか」

 和井田が問う。白石は首を振った。

「ないと思う」

「そうか。男女問わず使える名だが、最近じゃ女性のほうが多いだろうな。おまえは『女の子とは無縁の少年』とマル害を評したが、同級生なり近隣住民なり、接点があった女性を一応当たってみよう」

 そう言いながら、和井田は空のカップを指した。催促するように彼を見る。

 白石は吐息とともに立ちあがった。自分のカップと和井田のカップに、サーバからコーヒーをなみなみと注いで戻る。

「ミルクは?」

「いらねえ」

「胃を悪くするぞ」

「心配するな。おれはおまえと違って頑健だ」

 白石は自分のコーヒーにだけミルクを入れ、和井田にカップを渡した。

 すこししゆんじゆんして、尋ねる。

「おまえ、北畠さんに……そのう、人肉の件は言ったのか。つまりその、ドッグフードに、稲葉千夏さんの肉が」

「言っていない」

 和井田は即答した。

「薩摩治郎が生きていたなら、いずれ裁判でわかっただろうがな。だがいまは事態がどう転ぶかわからん。知らずに済むなら、知る必要のないことだ」

「だな」

 白石はうなずいた。

 食べかけのバゲットサンドがまだ半分残っている。しかし食欲はとうになくなっていた。袋に戻しながら、和井田に問う。

「古い人骨のほうはどうした。身元は判明したのか」

「まだだ。歯があらかたたたき折られていて照合できんし、DNAも一致するサンプルがなかった。だが検視官によれば、股関節に脱臼の痕があったそうだ。おそらくは出産した際のものと推測される」

 ──経産婦か。

 白石は心中でひとりごちた。

 頭蓋骨ほうごうちやくから見て二十代から三十代の女性で、埋められたのは十年以上前だと以前に聞いた。仮に十四、五年前だとすると、治郎は当時十歳前後である。あらゆる意味で、彼には荷が重い相手のはずだ。

 そんな思いを見透かしたかのように、

「薩摩治郎のおやは、人を殺せるやつだったか?」

 和井田が問うた。

 白石は建前で返答しようか、一瞬迷った。だがやめた。吐息とともに正直に答える。

「被害者の性別による、としか言いようがない。たとえば息子以外の若い男だったら、否だ。ろうさんは尊大で傲慢だったが、馬鹿じゃなかった。けんをすることはあっても、勝てない相手と見たら引いたはずだ」

「では、相手が若い女だったら?」

「──可能性は、ゼロではない。そうとしか言えない」

「充分だ」

 和井田は自分の膝を叩いた。

「おまえら心理学の専門家は、〝虐待の連鎖〟ってのをよく説いてるよな。マル害は、父の伊知郎に肉体的にも精神的にも虐待され、支配されていた。おまえだってその事実は認めるだろう?」

「そういうきかたをするか」

 白石はいやな顔をした。

「虐待だけでなく、殺人などの犯罪行為も連鎖する──とでも言わせたいのか? 答えは『そんな馬鹿な』だ。確かに精神の発達は、生育環境によって大きく左右される。だがぼくは、人間というのはもっと善なるものだと思っている。犯罪者の子供が、成長して犯罪者になるという考えには反対だ。……ただ」

「ただ?」

「弱者である自分を乗り越えたい、コントロールする側にまわりたいという欲求は、治郎くんにもあったと思う。はや先生はライウスコンプレックスについて言及したが、それと対となるエディプスコンプレックスは『父との同一化を望み、かつ乗り越えるために父殺しをはかる』という衝動だ。父との同一化をもくろんだ時点で、いびつな精神が停滞してしまったという推測は、充分に成り立つ」

「いちいち面倒くさい言いかたをするなよ」

 和井田が肩をすくめる。

「つまり北畠彩香たちにやらかした暴力行為や支配は、親父のものだったかもしれん、ってことだろ。だったらおれの意見と同じじゃねえか。おまえだって、伊知郎に疑惑を抱いてないわけじゃない」

「まあ……、そうだな」

 白石は認めた。指を組み、組んだ指をまたひらいて、顔をあげる。

「そういえば、伊知郎さんの死は事故で間違いないのか? 捜査や検視はしたんだろう。和井田の担当じゃなかったのか」

「おまえな、県警の捜査一課にいくつ班があると思ってる」

 和井田は顔をしかめた。資料とICレコーダをバッグに詰めなおして、

「というか四年前に薩摩伊知郎の家に臨場した管理官は、から捜査員を三名しか送らなかったようだな。一応の捜査はさせたが、はなから事故と見込んでいたらしい。資料を見ても、半月足らずで事件性なしと断定している」

「で、いまはどうだ」

 白石は尋ねた。

「いまもおまえは、事件性なしだと思っているのか」

「…………」

 口の減らない和井田が、珍しく言葉に詰まった。眉間のしわがさらに深くなる。ただでさえ険の強い顔が、いっそう凶相になる。

 しかめ面のまま資料を詰める和井田に、白石は尋ねた。

「……さんの様子はどうだ?」

「まあ、元気とはお世辞にも言えんな。なんだ、会いにでも行く気か」

 白石はすこし考えてから、あいまいに首を振った。

 和井田がバッグを抱えて腰を浮かせる。「おい白石」

「なんだ」

「一つだけアドバイスしておくぞ。おまえは家裁調査官だと名乗るな」

 鼻先に指を突きつけ、きっぱりと命じる。

「誰に会おうと好きにすりゃあいい。だが資格詐称の罪は犯すな。いいか、絶対に名乗るんじゃねえぞ」

      3

 翌朝、白石はいつもの時刻に起きた。

 朝食は季節にふさわしく、たけのこ飯を炊いておいた。メインは飯なので、おかずは簡単に巻き玉子と漬物、筍と薄揚げのしるである。

 脳内はあいかわらず例の事件で占められていた。だからこそルーティンな作業をこなすことで、体から日常に戻していきたかった。

 キッチンを覗く。

 はきれいに朝食をたいらげていったようだ。残されていた〝ごちそうさま〟のメモに、和井田への言及はない。なんとはなし、白石はほっとした。

 予報によれば今日の降水確率は六十パーセントらしい。洗濯は明日にまわし、代わりに念入りに掃除をした。貯蔵庫のストック残量を調べ、冷凍庫の霜取りをし、ガスコンロの五徳を磨き、マンションの自治会費を集金にまわった。

 家に戻って、時計を見る。

 昼どきまでには、まだ間があった。すこし休憩するかと、借りてきたD・M・ディヴァインのミステリをひらく。

 しかし内容は、さっぱり頭に入ってこなかった。目で文字を追っているだけだ。視線はページの上を移動するものの、あらすじすら飲みこめない。

 鼓膜の奥で、声がやまない。

 ──ぼくは犬だ。

 犬だ。犬だ。犬だ。犬だ。犬だ。犬だ……。

 白石はあきらめて本を伏せた。

 リヴィングを出て自室へ向かう。昔のスーツが掛かっているクロゼットを開けた。

 だが手はスーツより先に、収納チェストに伸びた。ひきだしに、ここ数年分の年賀状をおさめたチェストであった。

(つづく)

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