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試し読み

【話題作再掲】あの家はまともな手段で富を得たんじゃない。そう噂される一家が受けた婚姻差別。怒濤のどんでん返しミステリー!櫛木理宇『虜囚の犬』#14

カドブンで好評をいただいている、ミステリー『虜囚の犬』。
公開期間が終了した物語冒頭を「もう一度読みたい!」、「7月9日の書籍刊行まで待てない!」という声にお応えして、集中再掲載を実施します!
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(応募要項は記事末尾をご覧ください)

 ◆ ◆ ◆

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      5

 果子から白石に「急な接待が入った。今夜の夕飯はいらない」と連絡が入ったのは、午後の四時過ぎであった。

 自分一人ならば食事に凝る必要はない。夕飯はチヤーハンにした。冷凍しておいた白飯に、具はほぐしたじやけと卵、たっぷりのねぎだ。鍋に残っていた味噌汁を添えて、淡々と夕飯を済ませた。

 食器を洗ってしまうと、さて時間があいた。

 果子がハマっている『NCIS ネイビー犯罪捜査班』の新シリーズを観はじめるか、それともD・M・ディヴァインを最初から読みなおすか──。

 迷った末、白石は固定電話の子機を取りあげた。

 ある番号をプッシュする。和井田えいいちろうが個人名義で所有する、iPhoneの番号であった。

「なんだ白石、なんの用だ」

「いや、用というか……」

 白石は言いよどんだ。いつもと立場が逆である。

「あー、和井田、いま時間はあるか。電話をつづけて大丈夫か」

「待て。三十分ほどしたらかけなおす」

 言い終わらぬうち、通話は切れた。

 しかたなく白石は待った。とくに観たくもないテレビを流し観ながら、ペティナイフと肉切り包丁を研ぎ、洗濯機の糸くずフィルターを掃除しながら待った。

 電話が鳴ったのは四十五分後であった。

「で、なにか用か」和井田だ。

 白石はためらった。

「用というほどでもないんだが……」

「ちゃっちゃと言え。果子ちゃんがはにかむなら可愛いが、おまえがもじもじしても可愛くもなんともない。こっちは暇じゃねえんだ、早く話せ」

 あきらめて、白石は名取と会ったことを告げた。元家政婦の幸恵に会いに行ったことも、すべて話した。

「なるほど。やはり〝大須賀〟と〝アズサ〟が鍵だな」

 和井田が言った。

「こっちの調べでは、二十五年前に薩摩伊知郎がけいばいで土地を買いあげた履歴が判明している。間に不動産会社と銀行を挟んじゃいるが、もともとの持ちぬしは大須賀みつというそうだ。その売買のいきさつが、どうもきな臭い」

「きな臭い?」白石は問いかえした。

「詐欺ってことか」

「もうちょい調べてみないと断言できんがな。まあ詐欺まがい、ってとこか。伊知郎は悪徳不動産屋の片棒を担いで、うまいこと土地を手に入れたらしい」

「〝アズサ〟のほうは?」

「……まだ不明だ」

 和井田は悔しそうに認めた。

「治郎の元同級生に『あずさ』と『あず』が一人ずついた。しかしどちらも接点らしい接点は見つかっていない。ネットの履歴も調べたが、アズサというアカウントネームとの交流はなかった。また薩摩家から六百メートルほど離れた家の主人があずさという名だが、こっちは六十過ぎのおっつぁんだった。息子も娘もマル害の治郎とは歳が離れているし、接点は見込めないな」

「伊知郎さんの、先妻と先々妻の名は?」

「ちょっと待て。えー、先妻はで、先々妻はまさだ。どっちもかすってすらいないな。まあ、わからんものはしかたがない。地道に捜査範囲を広げていくさ」

「ところで、伊田瞬矢のアリバイは確かなのか」白石が問う。

「確かだ。おまえの元上司が正しい」

 和井田は即答した。

「マル害が刺殺された時刻、主犯の元少年こと伊田は、現場から約二十キロ離れた地点で働いていた。ビルの解体工事のため、足場を組んでいたんだ。作業場は外からまる見えで、仲間だけじゃなく元請け社員や出入りの弁当屋もやつを見ていた。崩しようのない確かなアリバイだ」

「そうか……」

「ほかに訊きたいことはないか? ないならこっちから訊くぞ」

 和井田は宣言してから、

「犬神筋とはなんだ」

 と尋ねてきた。

「近隣住民への聞き込みで、〝薩摩家は犬神筋でどうこう〟ってな話が二度ほど出てきた。一応の説明を聞いたが、オカルト的な悪口ってこと以外よくわからん。いわゆるきつね憑きみたいなもんを想像すりゃいいのか?」

「狐憑きと似ている部分は、確かにある。狐憑きだの犬神だのはオカルトのようでいて、民俗学と心理学の領域なんだ」

 白石は答えた。

「かつて憑きものの概念は、全国津々浦々まで広まっていた。あまりの影響力の強さに、明治政府が偏見の払拭にのりだしたほどだ。『狐憑きはひようではなく、精神の病である』と、政府発行の官報にまで載せたんだ」

「官報にか。そりゃあ大ごとだな。で、狐憑きが精神の病なら、〝犬神筋〟とはなんなんだ」

「ぼくはさっき、狐憑きも犬神も民俗学と心理学の領域だと言ったよな。でも土壌が違う。狐憑きを生み、流行させたのはいな神の存在だ。つまり民間信仰が由縁だ。一方、犬神筋は呪術信仰から生まれたものなんだ。犬などのけものを、式神のように使う一族があると〝周囲が認定する〟ことからはじまるんだ」

「式神? どっかで聞いた言葉だな」

 和井田が考えこむ。

「ああそうだ、漫画で読んだんだ。だが具体的にどういうもんかは、ぴんと来ないままに読んだっけな。確かおんみようみたいなやつが、使い走りにしている小鬼のたぐいだったか」

「おおよそ合ってる」

 白石はうなずいて、

「犬神の呪術については、〝土中に埋めて極限まで飢えさせた犬の首を刀でねる〟だとか、〝数頭で戦わせて生き残った犬の首を刎ねる〟だとか、さまざまな説がある。しかし肝心なのは呪術の詳細うんぬんじゃない。犬神筋および筋持ちだとうわさされる家は、ほぼ例外なく富裕だ。そして富める家なのにもかかわらず、その噂によって、近所付き合いや婚姻関係などで差別を受けつづけるのがセオリーだ」

「つまり妬みか」

 和井田が一言で片付けた。

「金持ちに対する、やっかみが生んだ偏見だな。『あの家はまともな手段で富を得たんじゃない。まじないのたぐいで不当に富んだに違いない』という難癖を、ちょいと遠まわしにしたのが〝犬神筋〟ってわけだ」

「おまえにかかると、なんでも話が単純になってありがたいよ」

 皮肉でなく白石は言った。

 和井田はそれにとりあわず、

「しかし金持ちなのに、婚姻差別を受けるってのは妙だな。まわりのやつらはたま輿こしに乗りたかないのかねえ」

 と嘆息した。白石が言う。

「『犬神筋と結婚して血を入れると、子孫も筋持ちになる』と言われたんだ。だから彼らは一族内で結婚したり、土地とは無縁なよそ者を嫁にもらったりした」

「ふん。そういやあ薩摩伊知郎の妻は三人ともよそ者だったな。百合子、雅美、志津。全員が全員、薩摩家とも土地とも関係のない女だ」

 和井田はうなずきながら言った。

「薩摩伊知郎が子供嫌いだった理由が、すこしわかった気がするぜ。おそらく伊知郎は子供の時分から、犬神筋の件でいじめられ、からかわれてきたんじゃないのか。子供嫌いってのは、トラウマ持ちを含むからな。幼い頃にいじめられた子は、成長してからも子供特有の残酷さを苦手に思いつづけることが多い」

「鋭いな」

 白石は目を見張った。

「和井田、たまにはおまえも鋭い分析をする。えてるぞ」

「馬鹿言え。おれはいつだって冴えている」

 和井田は不愉快そうに応じた。

「話を戻すぞ。要するに薩摩治郎が『ぼくは犬だ』と自分を卑下していたのも、犬神筋どうこうのせいなのか?」

「かもしれない」

 白石は考えこんだ。

「でも治郎くんを『犬だ』と罵り、抑圧したのは伊知郎さんのはずだ。治郎くんの人格形成に強い影響力を持っていたのは、彼だからね。……あの人が犬神筋と呼ばれた過去をいといながら、治郎くんを『おまえは犬だ』と育てたのだと仮定しよう。だとしたらぼくの想像以上に、伊知郎さんはゆがんだ人物だったことになる」

「なにをいまさら」

 和井田は一蹴した。

「想像以上もなにも、薩摩伊知郎の評判はとっくに地に落ちてる。よし、そろそろ切るぞ。おれはやることが山積みなんだ。書かなくちゃいかんも溜まってきた。市民の善意と任意の協力に感謝する」

 切り口上だ。白石はわずかに苦笑を洩らした。

 耳ざとい和井田が聞きとがめ、

「なんだ、なにがおかしい」と問いかえす。

「いや、べつにおかしいってほどじゃないが……」

 白石はせきばらいした。

「おまえは相変わらずあっさりしてるな、と思ってさ。ぼくが家裁調査官を辞めると言ったときも、いっさい理由を訊かなかったよな。『そうか、辞めたきゃ辞めろ』。そう言っただけだった」

「理由なぞ、訊く意味がねえからな」

 和井田は言った。

「捜査ならしつこく取り調べるが、おまえはマル被じゃない。話したくなりゃおまえのほうから話すだろうよ、いい大人なんだから」

 と言ってから、声を低める。

「なんだ、まさか話したくなったのか? いまはやめろよ。おれはに詰めてる身だ。おまけにしらふだ。打ちあけ話がしたいなら、ひとまずベランダのプチトマトにでも聞いてもらっとけ」

「おまえはほんとうに面白い男だよ」

 白石は感心して言った。めたつもりだった。

 だがよくわからない罵声とともに、通話はぶつりと切れた。

      6

 白石は夢を見ていた。

 夢を見ているという自覚がありながらの、浅い眠りだ。

 世界は夏で、そして夜だった。夢の中の白石はひがしぎん駅で電車を降り、指定された居酒屋へ向かっていた。

 金曜の夜だけあって人通りが多い。ノースリーヴの女性と腕が当たりそうになり、慌ててける。一瞬、甘い香りが鼻さきをくすぐった。すれ違いざまにふっと上がった口角の、唇があざやかに赤い。八時すこし前の銀座は、人だけでなく街そのものが華やかに浮きたっていた。

 指定の店は、やや大衆的なかつぽうといったたたずまいだった。

 暖簾のれんをくぐる。涼しげなちりめんをまとった店員が出迎えてくれた。幹事である主任の名を告げると、奥の個室に案内された。

 ふすまがひらいた。

「よう、遅いじゃないか」

「来ねえから、とっくに乾杯を済ませちまったぞ」

 先輩たちが口ぐちに言う。職場である家庭裁判所ではむっつりと真面目な同僚たちが、ネクタイをはずし、早くもビールで顔を赤くしている。

 白石は片手で拝みながら、靴を脱いで座敷に上がった。

「すみません。なかなか切り上げられなくて」

 入り口近くの、空いていた席に着く。

「なに飲むよ?」

「とりあえず生で」

 お決まりの台詞せりふを交わしてから、白石も先輩たちにならってネクタイを緩める。

 隣の席には、紺野美和がいた。

 彼女の前にもビールの中ジョッキが置いてある。へえ、飲むんだな、と白石はすこし意外に思った。

 べつだん下戸だと思いこんでいたわけではない。ただ紺野美和とアルコールという組み合わせを、いままで考えてみたことがなかったのだ。白石の知る美和は、いつも冷静で上品で、近寄りがたいほどに理知的だった。

 白石のジョッキは、じきにやってきた。

「さて白石くんも来たことだし、乾杯をやりなおすか」

「よしみんな、グラス持て」

 かんぱーい、の唱和がされる。

 白石はぐっとジョッキを傾けた。

 きんきんに冷えた、さわやかな苦みが喉から胃へと落ちていく。そういえば昼食をとったきり、水一杯飲んでいなかったとその瞬間に思い出した。きっ腹に、炭酸とアルコールが染みた。

「今夜の名目は納涼会だが、遅ればせながらの歓迎会だと思ってくれ」

 主任が言った。

「四月は案件が多すぎて、歓迎会どころじゃなかったからな。白石くんと紺野さんには、悪いことをした」

「おい、それにしちゃ二人とも下座にいるじゃないか」

「ほんとうだ。きみたち、もっと奥の上座に来なさいよ」

 訟廷管理官が笑顔で手まねく。白石は笑いかえして「いえそんな、ここで充分です」と断った。美和も同じく遠慮する。

 先輩たちが、半分がた空のジョッキを手に笑う。

「お二人さん、そうやってるとお内裏さまとおひなさまみたいだぜ」

「美男美女の組み合わせだからな。絵になるなあ」

「やめてくださいよ」

 白石はビールをあおりながら言った。

 しかし正直言えば、まんざらでもなかった。紺野美和は美人なだけでなく有能だ。ときに気の強い一面を見せるが、勝気な女性は嫌いではない。母や妹で慣れているぶん、ろくに意見を言わない女性よりずっと好ましかった。

「ぼくはいいけど、紺野さんが困るでしょう」

「おっ、意味深な言いかたをするな」

「『ぼくはいいけど』かあ。もてるけつかいた気がするぞ」

「いやほんと、やめてくださいって」

 照れながら、白石は先輩たちの冷やかしに手を振った。

 料理の湯気と煙草たばこの煙で、視界がほの白くかすむ。霞の向こうで美和が笑っている。苦笑ではない、ほんものの屈託ない笑顔だった。

 切れ長の澄んだ瞳。長い睫毛。透明感のある白い頰に、髪の毛がひとすじかかっている。思わず触れてみたくなるほど、艶のあるきれいな黒髪だ。

 白石は、いつにないピッチの速さを自覚していた。

 ジョッキに残った最後の一口を飲み干し、

「紺野さん」

 思いきって美和に話しかけた。

「紺野さん、今夜はぼく──」

(つづく)

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