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試し読み

中国で100万部突破のSF短編集 劉慈欣『老神介護』特別試し読み

『三体』の劉慈欣、中国で100万部突破のSF短編集!

劉慈欣『老神介護』の中から表題作「老神介護」冒頭試し読みを公開します。



『老神介護』試し読み


 神はまた、秋生チウシヨン一家を怒らせた。
 ほんとうなら、すばらしい朝のはずだった。西せいしん村のまわりの田畑や野原には、大人の背丈よりも少し高いところに朝霧が薄くかかっていた。もやは真っ白な画用紙のよう、静かな野原はその紙から抜け落ちた絵のようだった。朝陽の光に照らされ、今年最初の露のしずくはその短い生命がもっとも輝く時にさしかかっていた。……しかし、そんなすばらしい朝も、神さまのせいでめちゃめちゃになってしまった。
 きょうの神さまはめずらしく早起きで、自分で台所に行って牛乳を温めた。扶養時代になってから牛乳市場は景気がよく、秋生家は一万元出して乳牛を一頭買い、流行に乗って、牛乳を水で割ったものを販売している。水で割らない牛乳は、この家の神さまの主食のひとつになった。神は牛乳をなべに入れてガスコンロで温めると、ガスの栓も閉めずに、鍋ごと居間に運んでテレビを見はじめた。やがて、秋生の妻の玉蓮ユーリエンが、牛舎と豚小屋の掃除を終えて戻ってきた。玉蓮は部屋中にたちこめるガスの臭いに気づくと、すぐにタオルで鼻を押さえて台所に行き、プロパンガスの元栓を閉め、窓を開け放って換気扇のスイッチを入れた。
「このくたばり損ない、あたしたち一家をみな殺しにする気かい?」玉蓮は居間に入ると大声で騒ぎ出した。プロパンガスが使えるようになったのは、扶養手当をもらってからのことだ。秋生チウシヨンの父は、プロパンガスなんかより練炭のほうがよっぽどいいと言って反対していたが、これでまたひとつ、父の主張に説得力が加わった。
 いつものように、神さまはうつむいて立っていた。雪のように白い、ほうきみたいなひげひざ下まで伸びている。まちがったことをした子どものように、おどおどした笑みを浮かべて言った。「わしは……わしはたしかに鍋を下ろしたぞ。なのにどうしてガスが止まっていなかったのか……」
「ここは宇宙船とは違うんですよ!」下の階から秋生が叫んだ。「ここのものはぜんぶ、勝手に動いてはくれない。あなたたちのところと違って、なんでもかんでもロボットがやってくれるわけじゃないんです。頭が悪い道具を使って労働しないとメシが食えない!」
「わしらだって労働していたとも。でなければどうしておまえたちが存在する?」神は用心深く答えた。
「ほうら、また出た。もう聞き飽きたよ」玉蓮はタオルを床に投げ捨てた。「やれるもんならやってみなさいよ、もういっぺん、孝行息子や気のきく孫でもつくって、そっちに養ってもらえばいい」
「わかったわかった。さっさと飯にしよう」いつものとおり、秋生が口論を仲裁した。
 そのとき、目を覚ました兵兵ピンピンがあくびをしながら降りてきた。「父ちゃん、母ちゃん、神さまがまた夜中にせきしてたよ。うるさくて眠れなかった」
「わがまま言わないの」玉蓮がたしなめた。「父ちゃんと母ちゃんなんか、壁一枚しか隔ててないのに我慢してるんだから」
 神は思い出したようにまた咳をはじめた。好きなスポーツでもやっているみたいに、一心不乱に咳をしている。
「まったく、うちの先祖がどんな罪を犯したっていうんだい」玉蓮は数秒のあいだ神を見つめ、ぷんぷんした口調でそう言うと、朝食の支度をしに台所へ行った。
 神はひとことも発さず黙って食卓につき、家族といっしょに漬物でかゆを一杯すすり、マントウを半分食べた。その間、ずっと玉蓮に白い目で見られていたが、それがガス騒ぎのせいなのか、食べ過ぎだと思われているせいなのかはわからなかった。
 食べ終わると、神はいつものようにせっせと食器をかたづけ、台所で洗いものをはじめた。玉蓮が向こうの部屋から叫んだ。
「油を使ってないお皿は洗剤使わないでよ! 洗剤だってタダじゃないんだからね。あれっぽっちの扶養手当じゃ、なんにもならない。ふん」
 神さまは台所でいちいち「はい」と返事をした。
 夫婦は畑仕事に出かけ、ピンピンは学校に行った。そのころになってようやく、秋生チウシヨンの父親が起き出してきた。目をこすりながら一階に降りてくると、大きなちやわん二杯のお粥をズズズとすすり、パイプに火をつけ、それからようやく神の存在を思い出したように、台所に向かって怒鳴った。
「なあ、老いぼれ、洗いものなんか放っといて、一局やろうじゃないか」
 神はエプロンで手をきながら出てくると、へつらうような笑みを浮かべてぺこぺこした。秋生の父と囲碁を打つのはつらい仕事だった。勝っても負けても楽しくない。もし神が勝つと、秋生の父は必ず地団駄を踏んで烈火のごとく怒り出す。「この老いぼれが、ちくしょう、なにさまのつもりだ! おれに勝って、神さまだってことを見せつけたいんだろ? このクソが! そりゃ神さまなら、おれに勝つぐらいなんてこたないだろうよ! おまえな、うちの門をくぐってもう長いこと経つだろ。この家に対する礼儀ってもんをわきまえろ!」もし神が負けると、この老人は同じように地団駄を踏んで怒り出す。「この老いぼれが、ちくしょう、なにさまのつもりだ? おれさまの腕前は、半径百キロに敵がいねえんだ。おまえに勝つなんざ、蟻を踏みつぶすくらいたやすい。おまえなんかに譲られる覚えはねえぞ! この野郎……」文明的に言い換えれば、つまり〝侮辱された!〟ということだ。どちらにしろ、結果は同じ。老人は碁盤をつかんでひっくり返し、碁石が宙を舞う。秋生の父はもともとひどいかんしゃく持ちで有名だったが、ようやくそのはけ口を見つけたのである。
 しかし、この老人は根に持つタイプではない。神がこっそり碁石を拾ってこっそりもとに戻すと、また腰を下ろして神と碁を打ちはじめる。そしてまた同じことをくりかえす。何局か打って、二人とも疲れてくると、時刻はすでにお昼近くになっていた。
 神は立ち上がった。野菜を洗わなければ。神さまは料理が下手なので、玉蓮ユーリエンも神に食事をつくらせようとはしなかったが、野菜は洗っておかなければならない。しばらくして夫婦が畑から戻ってきたときに準備ができていないと、玉蓮にまたちくちくと責められる。
 神が野菜を洗っているあいだ、秋生の父は隣家に行って世間話に花を咲かせることが多く、神にとってはそれがいちばん心休まるひとときだった。昼の陽光が庭に敷かれたレンガの割れ目に射し込み、神の深い記憶の谷まで照らし出した。この時間、神はよく物思いにふけって仕事を忘れ、村はずれから帰ってきた夫婦の声が聞こえるとはっと我に返り、やりかけの仕事をあわてて終わらせながら、長いため息をつくのだった。
 ああ、どうしてこんなことになってしまったのか──。
 ため息をついたのは神だけではなかった。そのため息は、秋生の、玉蓮の、秋生の父のため息であり、地球上の七十数億人の人間と二十億柱の神のため息だった。

(続きは本書でお楽しみください)

作品紹介



老神介護
著者 劉 慈欣
訳者 大森 望
訳者 古市 雅子
定価: 2,200円(本体2,000円+税)
発売日:2022年09月07日

『三体』の劉慈欣、中国で100万部突破のSF短編集!
老神介護
扶養人類
白亜紀往事
彼女の眼を連れて
地球大砲
訳者あとがき 古市雅子

書誌ページ:https://www.kadokawa.co.jp/product/322202000263/
amazonページはこちら


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