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試し読み

全世界累計1300万部突破のベストセラーが読めるのはここだけ! 東野圭吾“最初で最後かもしれない”電子書籍化記念!『ナミヤ雑貨店の奇蹟』第一章「回答は牛乳箱に」試し読み#1

これまで著書の電子化をしてこなかった東野圭吾氏が、ついに電子書籍の配信をスタートすることになりました。それに合わせてカドブンでは、記録的ベストセラーとなった『ナミヤ雑貨店の奇蹟』の第一章をまるごと試し読み公開します!

 ◆ ◆ ◆

第一章 回答は牛乳箱に

 あばらやに行こう、といいだしたのはしようだった。手頃なあばらやがあるんだ、と。
「何だよ、それ。手頃なあばらやって」あつは、小柄なうえに、顔にまだ少年っぽさの残る翔太を見下ろした。
「手頃っていったら手頃だ。身を潜めるのにちょうどいいっていう意味だ。下見に来た時、たまたま見つけたんだ。まさか、本当に使うことになるとは思わなかったけどさ」
「ごめんな、二人とも」こうへいが大きな身体を縮こまらせた。未練がましい目で、横に停まっている旧型のクラウンを見つめている。「まさかこんなところで、バッテリーが上がっちゃうとは夢にも思わなかった」
 敦也はため息をついた。
「今さら、そんなことをいったって、どうしようもねえよ」
「でも、どういうことなのかな。ここへ来るまでは何の問題もなかったのに。ライトをけっぱなしにしていたわけでもないし……」
「寿命だよ」翔太があっさりといった。「走行距離を見ただろ。十万キロを超えてた。老衰と同じだ。寿命が尽きかけてたところで、ここまで走ってきて完全にダウンしたんだ。だから盗むなら新しい車にしろっていったんだ」
 幸平は腕組みをし、うーん、とうなった。「新しい車は盗難防止の装備が充実してるからなあ」
「もういいよ」敦也は手を振った。「翔太、その廃屋ってのは近いのか」
 翔太は首をひねった。「急いで歩けば二十分ってところかな」
「よし、じゃあ、行ってみよう。案内してくれ」
「いいけど、この車はどうする? ここに置いといても大丈夫かな」
 敦也は周囲を見回した。彼等がいるのは、住宅街の中にあるつきぎめの駐車場だ。空いているスペースがあったので、そこにクラウンを停めたのだが、本来の契約者が気づけば、間違いなく警察に通報するだろう。
「あまり大丈夫じゃないけど、動かないんだから仕方がない。おまえら、素手ではどこにも触ってないよな。だったら、この車から足がつくことはないはずだ」
「運を天に任せるわけね」
「だから、そうするしかないっていってるだろうが」
「確認だよ。オーケー、じゃあ、ついてきてくれ」
 翔太が軽やかに歩きだしたので、敦也は後に続いた。右手に提げたバッグが重い。
 幸平が横に並んできた。
「なあ、敦也。タクシーを拾ったらどうかな。もう少し行けば、広い道に出る。あそこなら空車が来ると思うんだけど」
 敦也は、ふんと鼻を鳴らした。
「こんな時間に、こんな場所で、怪しげな男三人がタクシーを拾ったら、さぞかし運転手の記憶に残ることだろうな。俺たちにそっくりの似顔絵が公開されて一巻の終わりだ」
「でも運転手が、俺たちの顔をじろじろ見るかな」
「じろじろ見るやつだったらどうする。じろじろ見なくても、ちらっと見ただけで顔を覚える才能のあるやつだったらどうする」
 幸平は沈黙して少し歩いてから、ごめん、と小声で謝った。
「もういいよ。黙って歩け」
 高台にある住宅地を三人は歩いた。時刻は午前二時過ぎ。似たようなデザインの家が建ち並んでいるが、明かりのともっている窓はほとんどない。だが油断するわけにはいかない。下手に大声で話して、それを誰かに聞かれたら、「夜中、怪しい男たちが歩いていた」と警察にしゃべられてしまうおそれがある。敦也としては、警察には犯人は現場から車で逃走したと思ってもらいたかった。もちろん、あの盗んだクラウンがすぐには見つからない、という条件が必要だったが。
 道には緩やかなこうばいがあったが、しばらく歩くうちに傾斜が少しずつ大きくなっていくようだった。それと共に民家がまばらになっていく。
「なあ、どこまで行くんだ」幸平があえぎながらいた。
 もう少しだ、と翔太は答えた。
 実際、それから間もなく翔太の足が止まった。そばに一軒の家が建っている。
 さほど大きくもない店舗兼用の民家だった。住居部分は木造の日本建築で、間口が二間ほどの店舗はシャッターが閉じられている。シャッターには、郵便物などの投入口が付いているだけで、何も書かれていない。隣には倉庫兼駐車場にしていたと思われる小屋が建っている。
 ここか、と敦也は訊いた。
「ええと」翔太は家を眺め、首をかしげた。「ここのはずなんだけどな」
「何だよ、はずって。違うのか」
「いや、ここでいいと思う。でもなんか、前に来た時とは印象が違うんだよな。もう少し新しかったと思うんだけど」
「前に来たのは昼間だろ。そのせいじゃないのか」
「かもしれない」
 敦也はかばんから懐中電灯を取り出し、シャッターの周辺を照らした。上に看板が付いていて、雑貨という文字が辛うじて読めた。その前に店名があるようだが、判読できない。
「雑貨屋? こんな場所で? 人が来るのかよ」敦也は思わずいった。
「来ないから、つぶれたんじゃないの」翔太がもっともなことをいう。
「なるほど。で、どこから入るんだ」
「裏口がある。かぎは壊れてた」
 こっちだ、といって翔太は建物と小屋の隙間に入った。敦也たちも後についていった。隙間の幅は一メートルほどだ。進みながら空を見上げた。真上に丸い月が浮かんでいた。
 たしかに裏には勝手口があった。扉の横に小さな木箱が付いている。何だこれ、と幸平がつぶやいた。
「知らないのか。牛乳箱だ。配達の牛乳を入れるんだ」敦也が答えた。
「へえ」感心したような顔で幸平は箱を見つめていた。
 裏口の扉を開け、三人は中に入った。ほこりの臭いがするが、不快なほどではない。二畳ほどの土間には、おそらく壊れていると思われるさびだらけの洗濯機が置いてあった。
 靴脱ぎには埃まみれのサンダルが一足あった。それをまたぐようにして土足で上がり込んだ。
 入ってすぐのところは台所だった。床は板張りで、窓際に流し台とコンロ台が並んでいる。その横には2ドアの冷蔵庫があった。部屋の中央にはテーブルと椅子が置いてある。
 幸平が冷蔵庫を開けた。「何も入ってないや」つまらなそうにいう。
「当たり前だろ」翔太が口をとがらせた。「ていうか、入ってたらどうなんだよ。食うつもりか」
「入ってないっていっただけだ」
 隣は和室だった。たんと仏壇が残っていた。隅には座布団が積まれている。押入があったが、開ける気にはなれない。
 和室から先は店だ。敦也は懐中電灯で照らしてみた。商品棚には、わずかながら品物が載っている。文房具や台所用品、掃除用具といったところか。
 仏壇の引き出しを調べていた翔太が、ラッキー、といった。「ろうそくがある。これで明かりは確保できるぞ」
 数本の蠟燭にライターで火をつけ、あちらこちらに立てた。それだけでずいぶんと明るくなった。敦也は懐中電灯のスイッチを切った。
 やれやれ、といって幸平が畳の上で胡座あぐらをかいた。「後は夜が明けるのを待つだけか」
 敦也は携帯電話を取り出し、時刻を確認した。午前二時半を少し過ぎたところだ。
「あっ、こんなものが入ってた」仏壇の一番下の引き出しから、翔太が雑誌のようなものを引っ張り出した。どうやら古い週刊誌のようだ。
「見せてみろ」敦也は手を伸ばした。
 埃を払い、改めて表紙を見た。タレントだろうか。若い女性が笑顔で写っている。どこかで見たことがあると思い、じっと眺めているうちに気がついた。母親役などで、よくドラマに出ている女優だ。現在の年齢は六十代半ばというところか。
 週刊誌を裏返し、発行時期を確認した。今から約四十年前の日付が印刷されていた。そのことをいうと、二人とも目を丸くした。
「すげえなあ。その頃って、どんなことが起きてたんだろ」翔太が訊く。
 敦也はページをめくった。体裁は今の週刊誌と殆ど変わらない。
「トイレットペーパーや洗剤の買い占めでスーパーが大混乱……か。なんかこれ、聞いたことがあるな」
「あ、それ知ってる」幸平がいった。「オイルショックってやつだ」
 敦也は目次をさっと眺め、最後にグラビアページを見てから週刊誌を閉じた。アイドルやヌードの写真はなかった。
「この家、いつ頃まで人が住んでたんだろうな」週刊誌を仏壇の引き出しに戻し、敦也は室内を見回した。「店には少し商品が残っているし、冷蔵庫や洗濯機も残っている。あわてて引っ越したって感じだな」
「夜逃げだな。間違いない」翔太が断定した。「客が来なくて、借金だけが膨らんだ。で、ある夜荷物をまとめてとんずら。まっ、そんなところだろ」
「かもな」
「腹減ったなあ」幸平が情けない声を出した。「この近くにコンビニないかな」
「あったとしても、行かせないからな」敦也は幸平をにらんだ。「朝までは、ここでじっとしているんだ。眠れば、あっという間だ」
 幸平は首をすくめ、ひざを抱えた。「腹が減ると、俺、眠れないんだよなあ」
「それに、この埃だらけの畳じゃ、横にもなれないぜ」翔太がいう。「せめて何か敷くものがあればなあ」
「ちょっと待ってろ」そういって敦也は腰を上げた。懐中電灯を手にし、表の店に出た。
 商品棚を照らしながら店内を移動した。ビニールシートのようなものがあれば、と思ったのだ。
 筒状に丸めた障子紙があった。これを広げれば何とかなるかもしれない。そう思って手を伸ばしかけた時だった。背後で、かすかな物音がした。
 ぎくりとして振り返った。何か白いものが、シャッターの手前に置かれた段ボール箱に落ちるのが見えた。懐中電灯で箱の中を照らす。どうやら封筒のようだ。
 一瞬にして、全身の血が騒いだ。誰かが郵便口から投入したのだ。こんな時間に、こんな廃屋に郵便が届くわけがない。つまり、この家の中に敦也たちがいることに気づいた何者かが、彼等に何かを知らせてきたということになる。
 敦也は深呼吸をし、郵便投入口のふたを開いて表の様子をうかがった。もしやパトカーに取り囲まれているのではないかと思ったが、予想に反して外は真っ暗だった。人の気配もない。
 少しほっとして、封筒を拾い上げた。表には何も書かれていない。裏返すと、丸い文字で、『月のウサギ』と書いてあった。
 それを持って和室に戻った。二人に見せると、どちらも気味悪そうな顔をした。
「何だよ、それ。前からあったんじゃないのか」翔太がいった。
「今、投げ込まれたんだ。この目で見たんだから間違いない。それに、この封筒を見てみろよ。新しいだろ。前からあったものなら、もっと埃だらけのはずだ」
 幸平が大きな身体を縮こまらせた。「警察かな……」
「俺もそう思ったけど、たぶん違う。警察なら、こんなまどろっこしいことはしない」
 そうだよな、と翔太が呟いた。「警察が、『月のウサギ』とは名乗らないよな」
「じゃあ、誰なんだよう」幸平が不安そうに黒目を動かした。
 敦也は封筒を見つめた。持った感じでは、中身はかなり分厚い。手紙だとすれば、長文のようだ。投入者は、一体何を彼等に伝えようとしているのか。
「いや、違うな」彼は呟いた。「これは俺たち宛ての手紙じゃないぞ」
 どうして、と尋ねるように二人が同時に敦也を見た。
「考えてみろよ。俺たちがこの家に入ってから、どれだけ時間が経った? ちょっとしたメモならともかく、これだけの手紙を書くとなれば、少なくても三十分やそこらは必要だ」
「なるほど。そういわれりゃそうだ」翔太がうなずいた。「でも手紙とはかぎらないぜ」
「まあ、たしかにな」敦也は改めて封筒に目を落とした。固く封がされている。意を決して、その部分を両手で摘んだ。
「何するんだよ」翔太がいた。
「開けてみる。中を見るのが、一番話が早い」
「でも俺たちての手紙じゃないんだろ」幸平がいった。「勝手に開けるのはまずいんじゃないか」
「仕方ないだろ。宛名が書いてないんだから」
 敦也は封を破った。手袋をしたまま指を入れ、中の便びんせんを引っ張り出した。広げてみると、青いインクでびっしりと文字がつづられている。最初の一行は、『初めて御相談いたします。』というものだった。
「何だ、これ」敦也は思わず呟いた。
 幸平と翔太が横からのぞき込んできた。
 それはじつに奇妙な手紙だった。

(つづく)


書影

『ナミヤ雑貨店の奇蹟』(角川文庫)


あらすじ

悪事を働いた3人が逃げ込んだ古い家。そこはかつて悩み相談を請け負っていた雑貨店だった。廃業しているはずの店内に、突然シャッターの郵便口から悩み相談の手紙が落ちてきた。時空を超えて過去から投函されたのか? 3人は戸惑いながらも当時の店主に代わって返事を書くが……。悩める人々を救ってきた雑貨店は、再び奇蹟を起こせるか!?

著者 東野圭吾(ひがしの けいご)

1958年、大阪府生まれ。大阪府立大学電気工学科卒業後、生産技術エンジニアとして会社勤めの傍ら、ミステリーを執筆。1985年『放課後』(講談社)で第31回江戸川乱歩賞を受賞、専業作家に。1999年『秘密』(文藝春秋)で第52回日本推理作家協会賞、2006年『容疑者χの献身』(文藝春秋)で第134回直木賞、第6回本格ミステリ大賞、2012年『ナミヤ雑貨店の奇蹟』(KADOKAWA)で第7回中央公論文芸賞、2013年『夢幻花』(PHP研究所)で第26回柴田錬三郎賞、2014年『祈りの幕が下りる時』(講談社)で第48回吉川英治文学賞、さらに国内外の出版文化への貢献を評価され第1回野間出版文化賞を受賞。

書誌情報

発売日:2014年11月22日
定価:本体680円+税
体裁:文庫版
頁数:416頁
発行:株式会社KADOKAWA
公式書誌ページ:https://www.kadokawa.co.jp/product/321308000162/


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