中村憲剛『ラストパス』プロローグ

「この本が自分から皆さんへの『ラストパス』になると思います」――中村憲剛『ラストパス』プロローグ全文試し読み
2021年1月1日の天皇杯決勝戦をもって現役を引退した中村憲剛さん。「40歳での引退」は実は5年前、35歳のときに決めていたものだったそうです。現役引退の決断の裏側にはアスリートとしての判断だけでなく、家族への思い、夫婦での約束がありました。35歳から40歳までの5年間、川崎フロンターレと中村憲剛さんは多くのタイトルを獲得しましたが、この間に何を考え、どのような思いでプレーを続けてきたのか。これまで誰にも明かさなかったエピソードをまとめた新刊『ラストパス 引退を決断してからの5年間の記録』から、そのプロローグ部分を特別に全文公開します。
中村憲剛『ラストパス』プロローグ全文試し読み
プロローグ
朝、家を出るときから今日こそ伝えようと心に決めていた。妻の加奈子にも「今日、話そうと思っているから」と言ってクラブハウスに向かった。
あの人に伝えることで、〝すべて〞が動き出す。そう思っていたからだ。
2020年10月23日――久々にもらった連休が明け、練習が再開された日のことだった。僕にとっては、ずっと指標にしてきた40歳の誕生日を1週間後に控えていた。
練習を終え、食堂で昼食をすませた僕は、意を決すると、あの人のもとへと向かった。クラブハウスの2階にある部屋の前で、軽く深呼吸する。新型コロナウイルス感染症が広がり、それまでの日常が一変してからは、その部屋の扉はいつも開放されていた。
扉をノックし、部屋を覗のぞくと、あの人は机の前で仕事をしていた。そして、僕の顔を見ると、いつものようにこう言った。
「おう、どうした?」
だから、僕も努めていつものように振る舞うと、返事をした。
「ちょっといいですか?」
この部屋には何度も足を運んでいる。つい1週間前にも長時間、この部屋で話し込んだ記憶がある。それでも、部屋の空気がいつもと違って感じられたのは、これから自分が話す内容に、自分自身が緊張していたからだったように思う。
あの人とは、川崎フロンターレの鬼木達監督だった。
鬼木監督とは、これまで何度も、何度も、グラウンドや監督室で会話を重ねてきた。ときにはチームの戦い方や戦術について話をすることもあれば、ときには自分が抱いた思いや考えを伝え、聞いてもらってきた。かつてはチームメートとして、かつてはコーチとして、そして今は監督として。そのときどきで立場は違ったが、自分にとっては常に頼れる先輩であり、尊敬できる指導者であり、よき理解者だった。選手と監督という関係になって、かれこれ4年になっていたが、少しでもチームに対して気になること、思うことがあれば、常に本音でぶつかってきた。それだけに、このときも取り繕うことなく、自分の気持ちを真っ直ぐに伝えようと思った。
だから、ソファーに座り、向かい合うと単刀直入に言った。
「オニさん(鬼木監督)、オレ、今年でやめます」
鬼木監督が驚いていることは、表情を見ればすぐに分かった。
「えっ? 噓だろ? 本当に?」
何度も、何度も聞き返された僕は、もう一度、言った。
「35歳をすぎてから、40歳で選手をやめようということは、ずっと前から決めていたことだったんです。それに……」
本当に伝えたかったのは、次の言葉だった。
「オニさんがフロンターレの監督でいる間に引退したかったんです。それも戦力として見られているうちに。他の、見ず知らずの人が監督になって、その人に肩を叩かれるのではなく、オニさんに。だから……オレ、今年で引退します」
それは35歳をすぎて、40歳での引退を決めたその日から、今日までプレーしてきたなかで湧き上がってきた〝偽らざる思い〞だった。
旧知の間柄である鬼木監督が川崎フロンターレの監督をしている間に、選手を引退したい。
それも最後までチームの戦力として貢献できている状態で、選手を引退したい。
それはいつしか、自分の決意になっていた。
直前に行われた10月18日のJ1第23節、名古屋グランパス戦で、僕は先発に起用してもらった。史上最速でのJ1優勝を成し遂げることになるチームは、シーズン2度目の10 連勝中で、Jリーグ連勝記録におけるニューレコードが懸かった大一番だった。さらに相手は、前回の連勝を止められた相手、名古屋グランパス。2019年11月2日に左膝の前十字靭帯を断裂し、人生初となる長期離脱から復帰したばかりの自分にとっては、またとない舞台が整っていた。
3 -0で勝利したその名古屋グランパス戦で、僕は2アシストという結果だけでなく、自分が今、持っているもののすべてをピッチで表現した。
それは〝中村憲剛〞という〝サッカー選手〞の集大成でもあった。
子どものときから、繰り返してきた〝ボールを止めて蹴る〞という技術もそう。学生時代に培った〝考えてプレーする〞こともそう。川崎フロンターレに加入してから磨いてきたパスや戦術眼もそう。40歳での引退を決意した35歳を過ぎ、さらに研ぎ澄ましてきた〝立ち位置でチームと相手を動かす〞こともそのひとつだった。
何より、前十字靭帯の断裂から復帰した試合でゴールを決めていたが、チームの力になったとは到底、思えていなかった。
だから、あの試合に、〝中村憲剛〞のサッカー選手としての誇りであり意地、今まで築いてきたすべてを込めてプレーした。
それだけに名古屋グランパス戦で勝利し、J1新記録となる11連勝を達成したときには、心からこう思った。
「これでようやく今シーズンのチームに貢献することができた」
それと同時に、「これで引退を告げられる」と。〝中村憲剛〞というサッカー選手の誇りや意地をかけた人生の大一番、名古屋グランパス戦での己のプレーが、決め手になったのだった。
一方で鬼木監督は、あの試合のプレーを見て、「あぁ、これでまだまだプレーを続けたくなるだろうな」と思ったと話してくれた。それは自分の思いにもあったように、「戦力になれていた証」だっただけに、素直にうれしかった。
チームという現場を束ねる指揮官に、自分が長い年月をかけて出した「引退」を伝えることで、このあと、チームメートや関係者、さらにはファン・サポーターと、自分を支えてきてくれたすべての人たちがそれを知ることになる。これまでは自分と妻、二人だけの秘め事だったものが、明るみになる。自分で決めていたこととはいえ、背筋が伸びる思いだった。
「自分が監督をしているときに、いつかそういう日が来ると思って覚悟していたけど、まさか今とは思っていなかった」
僕の意思を尊重しつつも、涙ぐみながらそう語ってくれた鬼木監督の顔は、今も忘れることができない。
鬼木監督と話し始めてから2時間近くが経っていただろうか。監督室を出ると、僕は改めて決意を固めていた。
「ここからが〝中村憲剛〞というサッカー選手の最終章のスタートでもあるな」
学生時代まで全くの無名だった僕は、川崎フロンターレに拾ってもらいプロへの一歩を踏み出した。そこから川崎フロンターレというクラブの成長とともに、選手としても階段を駆け上がってきた。そうやって育ってきた、歩んできた自分だけに、心のなかでは常にこう思っていた。
「いつも、どこかで、誰かの、何かの力になりたい」
35歳を過ぎ、妻と40歳での引退を目標にしてから、そこに向かって進んでいくことで、ひとつずつ、ひとつずつ、素晴らしい出来事を経験していったように思う。
36歳という歴代最年長でのJリーグ最優秀選手の受賞――。
37歳で自分にとっても川崎フロンターレにとっても初となるタイトル獲得――。
38歳でのJ1連覇とカップ戦の優勝――。
39歳で初めて経験した前十字靭帯断裂という大ケガと復帰――。
40歳での3度目のJ1優勝と天皇杯優勝、そして引退――。
この5年間で僕は数え切れないほど、本当に、本当に多くのものを手にすることができた。
それはタイトルという星の数だけでは測ることができない。その過程にはすぐに思い出すことができる栄光や歓喜もあれば、誰にも言えないような多くの葛藤や苦悩もあった。振り返れば、プロサッカー選手として過ごした18年間で経験してきたすべてが、かけがえのないものだったと、先のステージに進んだ今、改めて言い切ることができる。
だから、そのすべてをここに綴りたいと思う。
僕が過ごしてきた18年という日々が、誰かの、何かの力になるならば、というメッセージを込めて――。
書誌情報
ラストパス 引退を決断してからの5年間の記録
著者 中村 憲剛
定価: 1,650円(本体1,500円+税)
中村憲剛は5年前に引退を決断していた。誰にも明かしていなかった内実。
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