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試し読み

お前は、誰を守ろうとしてるんだ?――三羽省吾最高到達点!衝撃ミステリーサスペンス『共犯者』試し読み

 確かに、と思う部分は宮治にもあった。そもそもタロウを飼い始めたのも、二人暮らしの両親が生活に張りを求めてのことだった気がする。最近では宮治が帰省するスパンが徐々に長くなり、夏樹も滅多に帰省しない。沙知と莉菜も、別居以降は訪ねていない。座敷犬への昇格も、タロウの加齢だけが理由ではなさそうだ。
「タロちゃんがどうしたの?」
 ウィンナーのケチャップを口元に付けた莉菜が訊ねた。宮治には敵対心をむき出しにするタロウだが、どういう判断基準があるのか莉菜とは昔から仲良しだ。
 宮治はケチャップを拭いてやりながら「なんでもないよ、ほら」とスマートフォンで撮った昨日のタロウの写真を見せた。レンズに向かって、歯をむき出しにした写真だ。
「わぁ、タロちゃん、会いたいなぁ。でもこれ、なんか怒ってる?」
「お父さんがカメラを向けると、こういう顔になっちゃうんだよ。けど、元気な証拠」
 沙知はおにぎりを一口頰張って、海に目を向けていた。優しい風に、肩まで伸びた髪が微かに揺れた。莉菜を産んでからずっとショートヘアだったが、伸ばし始めているらしい。宮治はその横顔を見て、出会った頃を思い出した。
「近々、莉菜を連れて行ってみようかな」
 海を見たまま、沙知が呟いた。
「あぁ、きっと喜ぶ。けど、行くなら昼間にしろよ」
「なんで? 晩ご飯くらいいいじゃない」
 父は六十歳で校長を退き、その後五年間は県の教育委員会で働いた。実家の周辺には教え子が二十数年分おり、その中には大人になって実家の漁業を継いだり漁協で働いている者も大勢いて、なにかと言えば「先生、先生」と実家にやって来る。
 昨夜も宮治が夕食を終えて帰ろうとした夜八時頃に三十代から五十代の五人組がやって来て、「おう和、相変わらず馬鹿か?」「嫁と娘はどうした。お前一人じゃ酒が不味まずいよ」などと絡んで来たり、宮治が「人んち来て好き勝手言ってんじゃねぇ」と本気で怒ったり、それを母が「まぁまぁ」となだめたりタロウがえたりで、大変な騒ぎだった。
「やっぱ、寂しいんだよ」
 宮治は笑い話のようにしやべっていたのに、沙知はやはり深刻な顔のまま言った。
「ないない。あんなに面倒臭い連中に囲まれて寂しいなんて」
「分かってないなぁ。一回、ちゃんと話しな。血の繫がった家族だからこそ、言葉にしなきゃ分かり合えないことがいっぱいあるんだから」
 言った後で、沙知がハッとした表情になったのが宮治の目の端に入った。
「ごめん」
 今度は気付かない振りはせず、宮治は「そうだな」と答えた。
 左手におにぎり、右手に唐揚げを刺したはしを持った莉菜が、ニコニコしながら宮治と沙知を交互に見ていた。決して楽しい会話ではないのに、久々に両親がお喋りをしているというだけで嬉しいのだろう。
「よし莉菜、食べたらまたリフティングしようか」
「うん、あと三つおにぎり食べたらね」
 まぶしそうに目を細めて、莉菜が宮治を見上げた。少し茶色掛かった前髪が、汗ばんだ額に張り付いている。沙知の握るおにぎりは、コンビニおにぎりの二倍くらいのサイズがある。六歳のお腹に三つも詰め込むとすれば、日暮れまで掛かりそうだ。
 もっとお母さんとお話して。私、ずっと聞いてるから。
 たぶん、そういう意味なのだろう。
 沙知は少し困ったような笑顔で、莉菜を見詰めていた。
 何故か申し訳ない気持ちになった宮治は、海へ視線を向けた。
 どこかに行っていた二羽のカモメが、また空に並んで浮かんでいた。

   *

「先生、ちょっといいですか?」
 職員室の出入り口に、一人の男子生徒が立っていた。
 帰り支度の手を止めて「うすか、入れ」と手招きする。
 臼井は高校二年生にしては小柄で童顔の、まだ中学生と言っても通るような少年だ。勉強熱心で、放課後も頻繁に職員室にやって来る。クラス担任や部活動の顧問をやっている教師は忙しく、非常勤講師である僕が臼井の相手をすることは多かった。
「ここ、ちょっと難しくて」
 担当する英語の質問にいくつか答え、古文と数学についても分かる範囲で答えた。数学の分からない部分については「次までに調べておいてもらえますか?」と、宿題までもらってしまった。
「おう臼井、またか」
 彼の担任が職員室に戻って来たが、自分で質問を受けようとする素振りはない。ワイシャツからポロシャツに着替えると「あんまり宮治先生に迷惑掛けるなよ」と、テニスラケットを抱えて小走りで出て行った。
「すみません、時間外なのに」
「馬鹿、俺の雇用形態なんか気にしてくれなくていい」
 臼井は優秀な生徒だが、二年生になって少しずつ成績が落ちている。家庭の事情で塾に通えず、それがそのまま他の生徒との差になっているらしい。
 以前、担任からそんな話を聞かされていた。

 帰宅すると、待っていたかのように電話があった。
『そっちもお魚は美味おいしいんでしょうけど、こっちのシラスは懐かしいでしょ? 本当は生シラスか、かき菜の煮浸しにしたかったんだけど日持ちしないからね、干したのとかまげを渡しといた。和が、いつ行けるか分からないなんて言うもんだから』
「分かったよ、母さん。とにかく、和兄が近々こっちに来るかもしれないんだね」
『そう、こうちゃんには必ず会うって言ってたのに、弟の方は時間があればだって』
「幸ちゃんって、とりうちさん?」
『そう、父さんの教え子の鳥内こうろうくん。あんたも、よく遊んでもらったよね』
「あぁ、よく覚えてる。幸さん、今はこっちなんだ」
『お隣の富山。警察庁にいた頃はよく顔を見せてくれてたんだけど、今は管理官とかで、数年単位で東京と地方を転々としてるんだって』
「富山県警の管理官か、大変だな。和兄は、どういう用事で……」
『大変と言えば、あんたはどうしてんの? ちゃんと働いて、食べて行けてるの?』
「あぁ、こっちは問題ない。それより、和兄は……」
『あんたの場合、ひとまず国内にいてくれるだけで安心よ。それより、あんたももう三十六でしょ? 身を固める気はないの? いい人はいないの?』
「いや、まぁ、そういうのは適当にやってるよ。それより、和兄の用事って……」
『ちょっと、女の人と適当に付き合うなんて、三十過ぎてやることじゃないでしょ』
「違う、真面目にやってるってば。それは置いといて……」
『そりゃあんたは、和と違ってモテるタイプだと思うよ。親馬鹿かもしれないけど』
「いや、そうでもない。和兄と違って口下手だし、人付き合いは苦手だし。そんなことよりさ、和兄の取材ってなにか聞いてる?」
『和が仕事の内容を言わないのは、あんたも知ってるでしょ。父さんは幸次郎を仕事に利用するなって怒ったんだけど、あの子は聞く耳を持たなくて。ちょっとした口論になったんだけど、そしたらタロちゃんが怒ってねぇ……』
 母の話はいつものように、ディフェンスが巧みなボクサーの如くこちらが本当にきたい話のしんを絶妙に外しながら進む。
「ごめん母さん、ちょっと仕事中なんだ。うん、またゆっくり、じゃあ」
 電話を切った後もしばらく考え事をしていたが、「レオン?」と声を掛けられ我に返った。
「実家から?」
「あぁ、うん。平塚の母さん」
 振り返ると、彼女が膝を抱えて身体を小さくしていた。まるで固定電話にカメラ機能が付いている可能性を恐れているかのようだった。
「兄貴が仕事でこっち方面に来るんで、ここにも顔を見せるかもしれないって」
「いつ?」
「分からない。連絡もなく、いきなりここに来る可能性もあるらしい」
 膝を抱えたまま少し前後に揺れ、彼女は「そういうタイプがか……」と呟いた。
「あぁ、こっちの都合とか考えないタイプだな。母さんに似てる」
 彼女が湯飲みに手を伸ばしたが、空だった。
「じゃあ、急いで出て行かないとね」
 聞こえなかった振りをして、卓袱ちやぶだいきゆうを手にキッチンへ向かった。
 ここは2Kのコーポで、四畳半は寝室、六畳は居間として使っている。もつとも両室とも本棚やデスクに囲まれ、万年床と卓袱台によって辛うじて寝室と居間だと認識出来る状態だ。
 居間に戻ると、彼女は立ち上がって本棚の前にいた。壁一面に並ぶ本棚の中で、彼女が見詰める一角だけはたくさんの写真立て用のスペースになっている。
 写真の多くは海外の風景や様々な人種の老若男女で、その中に自分が写ったものは殆どない。僕は二十代の殆どを、半年ほどアルバイトをやっては一年ほど海外を放浪するという、いわゆるバックパッカーとして過ごした。行き先はアジア、中近東、アフリカ、中南米が多く、欧州や北米にはトランジット以外では足を踏み入れていない。
 大小様々な写真立ての中で唯一自分が写っているのは、十年ほど前に平塚の実家で撮ったものだ。家族四人、縁側に並んで腰掛けている。飼い始めたばかりの犬も、舌を出して「なにこれ?」という表情でカメラを見ている。二十代半ばの僕は日に焼けて、髪が長い。せてはいるが、今よりも健康そうに見えると自分でも思う。
 彼女は、その写真の左隅を指差して「この人がお兄さん?」と訊ねた。
 兄は縁側に座って後ろ手をつき、片頰だけ上げて笑っていた。柔和な笑顔ではなく、どこか挑むような目付きだ。投げ出した足の、片方のサンダルは脱げている。
「取材って、なにやってる人?」
 湯飲みに新しい茶を注ぎながら「雑誌記者」と答える。
「なんの取材でこっちに?」
「それは母さんも知らないって」
「富山県警に用があるの?」
「いや、それは古い知り合いに会いに行くだけで、取材とは関係ないかもしれない」
 彼女は家族写真を手にして卓袱台に戻ると、湯気を立てる湯飲みに気付いて「ありがと」と呟いた。だがすぐに飲もうとはせず、写真立てを卓袱台に置いてじっと見詰めた。口元に微かな笑みが浮かんでいるが、僕にはその目がどこか悲しげに見えた。
「なぁ、ジュリア」
 彼女は写真を見詰めたまま、「なに?」と答える。
「これからのことだけど……」
 僕があることを提案すると、彼女は顔を上げて口元の笑みを消した。そして小さく、「そうやね」とうなずいた。

作品紹介『共犯者』



共犯者
著者 三羽 省吾
定価: 1,870円(本体1,700円+税)
発売日:2021年09月08日

デビュー20年、著者最高到達点となる、衝撃ミステリーサスペンス。
お前は、誰を守ろうとしてるんだ?

迷走する警察。暴走する世論。壊れゆく家族。
ひとつの殺人事件が、隠された過去の真相を炙り出していく。
その罪は赦されるか。愛と憎しみの衝撃サスペンスミステリー。

岐阜県の山中で顔面を激しく損壊された男性の遺体が発見された。取材に赴いた週刊誌記者の宮治は、警察が何かを隠していると疑う。隣県にはひとつ歳下の弟・夏樹が住んでいた。久々に弟の部屋に立ち寄った宮治は、その言動に不信感を抱く。弟が事件になんらか関わっているのかもしれない。報道の使命を貫くか、家族を守るか、宮治は揺れ動くが……。

カバーイラスト/三部けい

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/321811000173/
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