デビュー20年!三羽省吾最新作『共犯者』試し読みを大ボリュームで特別公開
岐阜県山中で起こった殺人事件。週刊誌記者の宮治は事件を追うにつれて、自分の弟がなんらか事件に関わっているのではないかと疑念を抱いていきます。報道の使命か、家族を守るか……憎悪と献身のサスペンスミステリー『共犯者』、その一部を大ボリュームで公開いたします。
『共犯者』試し読み
一
夜の海が、目の前に広がっている。
月も星も
波は、ムンクが描く不穏な空のように黒の上に黒を重ねながらより黒くなり、渦を巻いてうねる。遠近感が
帰ろう。そう思うのだが、何故か身体が動かない。暗い海から目を
怖くて、悲しくて、涙が流れ落ちる。
泣きながら、しかし
昔から繰り返し見る夢だった。たまに、実際に枕を
ふと、今回はその夢の中で何度か小さな音を聞いたような気がした。そういえば、指先になにかが触れたような気も……。
夢から覚めて、その音と指先の感触が、アラームを繰り返し止めていたせいだと気付いた。目を開けると、広げられた地図と数枚の写真、新聞や雑誌のコピー、ノートパソコン、ショットグラスが見えた。グラスの中で、溶けた氷とバーボンが二層になっている。
ベッドではなくソファの上だということ、仮眠のつもりで横になったことを思い出した。
「うわ、やっべ」
時刻は午前十一時になろうとしていた。
出版社の雑誌記者である宮治は、基本的に出社は自由だ。取材で飛び回っている場合は、メールや電話を入れるだけで何日も出社しないこともある。そんな時は、週に一度の編集会議への出席も例外的に免除される。
だが今週は欠席するわけにいかなかった。その為に一晩中、情報を整理していたのだ。一時間だけ横になってから文書にまとめようと思っていたのに、三時間も眠ってしまった。頭の中で考えがまとまったことで、安心したらしい。
「まったく、自分に甘いって言うか、詰めが甘いって言うか……」
独りごち、重い身体をソファから引き
今から文書化していては間に合わない。口頭で伝えるしかない。
取り込んだままの洗濯物が、リビングの隅で山になっている。その中からポロシャツと靴下を引っ張り出して着替え、寝癖のついた頭のまま自宅を出た。
その遺体が発見されたのは今から約二ヵ月前、四月中旬のことだった。
発見現場は岐阜県北西部、
遺体はブルーシートに
発見直後の警察発表によると、遺体は四十代から六十代のアジア人男性で、身長約百八十センチ、体重約七十五キロ。死亡後三日から一週間以内。顔面と手指の損壊は死後のもので、直接の死因は窒息。
岐阜県警は殺人死体遺棄事件と断定し、
被害者の氏名は
佐合の四十歳前後の頃と
ワイドショーは、被害者の生前の暮らしぶりに謎が多いことと、遺体の損壊が
大きな事件や事故、芸能スキャンダルなどが少ない時期だったこともあってか、その「祭」は今も続いている。ワイドショーも同様で、生活実態が分からない人間が現代社会にいかに多いかという話題で盛り上がっている。
これほど世間の注目度が高い事件にも
例えば遺体の損壊方法は刃物か鈍器か、それとも焼かれたのか。
そんな、この手の事件の通例とは異なる部分が、宮治の想像力をかき立てる。
最初に勤めた新聞社で記者のイロハを
十五年のキャリアは、記者として決して長いものではない。だがどの会社でも文芸、スポーツ、芸能担当などへの異動を断わり、事件記者として経験を積んで来た自負もある。
その自負に基づく
「まだ
週刊誌『真相 BAZOOKA』編集長の
「前にも言ったが、掘ったところで、出るのは田舎ヤクザのいざこざくらいだぞ」
同席していた何人かが、緊張を解くように
週に一度『真相 BAZOOKA』発売日に行なわれる編集会議では、次号の
「暴力団絡みの線は否定しませんが、それにしては気になる点が三つほどあります」
宮治が言うと、幡野は「聞こうか」と身を乗り出した。
幡野に企画提案を何度か却下されるのは、いつものことだ。しかし殆どの場合、企画そのものが駄目というわけではない。事件を調べ直し、公表されていない事実を摑むか、宮治が感じた疑問や違和感、そこから導き出される可能性と記事の方向性を提示すればゴーサインが出る。つまり「世間の前に、まず俺に注目させてみろ」というのが、幡野のスタンスだ。
「まず気になったのは、遺体損壊の手段が公表されていないことです。岐阜で
「それは言葉の通りなんじゃないか? 過去に似たような遺体が上がった未解決事件があれば、
「自分が調べた限り、東海から
他の編集者たちは、黙って幡野と宮治のやり取りを聞いていた。大手出版社の週刊誌なら四十人前後、中小でも二十人程度いるのが普通だが、『真相 BAZOOKA』の専属編集者は幡野と宮治を含め八人しかいない。グルメ、ファッション、ブックレビューなどは社内の他の編集部に助けてもらえるが、それを加えても関わる人員は最大十二人。外部ライターや作家も数人しか使えず、専属編集者一人一人の仕事量は異常なほど多い。
「次に気になったのは、捜査本部の移動と他県への応援要請です」
遺体発見直後、高山西部署に設置された捜査本部は、一ヵ月後に岐阜県警に移った。規模は三十人に拡充され、新たに加わったのは富山、石川、両県警の捜査員だ。
「これも同じ人間からの情報です。各捜査員の所属部署までは、分かりませんでしたが」
「遺体が他県から運ばれたと断定しての合同捜査か? 愛知や滋賀なら分かるが……」
幡野が天井を見上げた。地図を思い浮かべていることが宮治にも分かった。
他の内陸県と比べて、岐阜はただ隣接県が多いというだけでなく、少し特殊な事情を持つ。南部は
逆に北部は、福井、石川、富山、長野と隣接しているものの、
「つまり富山と石川両県は、生前の被害者がいた場所、
「それは確かに妙だな。不審車両が特定されたとか、殺される直前の被害者の動きが分かったなら、普通は広く市民から情報を求めるよな」
宮治は「気になる点の三つ目が、その理由かもしれません」と続けた。
「遺体の発見現場は高山市の土建屋が所有する山で、現在は建材の保管場所ですが、以前は広範囲から産業廃棄物を受け入れる不法投棄場でした」
宮治は遺体の第一発見者である男性から、電話でこの話を聞いた。その投棄場はかつて、正規の七割くらいの金額で産廃を受け入れ、かなりの利益を上げていた。管理体制はずさんで、自然発火による
「現在はただの資材置き場だとしても……」