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試し読み

お前は、誰を守ろうとしてるんだ?――三羽省吾最高到達点!衝撃ミステリーサスペンス『共犯者』試し読み

「お父さん見て、並んで浮かんでる」
 娘のが指差す方に目を向けると、青い空に二羽のカモメが飛んでいた。海面に上がって来る魚を待っているのか、二羽とも翼を大きく広げ、風を受けてほぼ静止している。
 確かに、飛んでいるというより浮かんでいる。
「そうだな。上手に風を摑まえてる」
「きょうだいかな?」
「いやぁ、どうだろう」
 そこは東京湾に臨む、小高い丘のようになった公園だった。
 人為的に造られた丘の向こうに、パームツリーが並ぶ長い遊歩道があり、その先にキラキラと陽光を反射する東京湾が広がっている。海辺の街ではあるが、宮治が慣れ親しんだものとはあまりにも違っていた。まず、魚の匂いがまったくしない。
「莉菜ねぇ、リフティング十回出来るようになったよ」
 丘の上まで来ると、莉菜は繫いだ手を離して宮治が持っていたボールを奪うように取った。そしてリフティングを始めたのだが、どうしても七回以上続かない。
「おっかしいなぁ、もっかいね」
『真相 BAZOOKA』の発売日は水曜で、年に五回ある合併号と年末年始以外の公休は木曜しかない。この日は、出張準備の名目で久々に日曜に休みを取った。莉菜とは二週間に一度は一緒に食事をしているが、外で遊ぶのは約一ヵ月振りだ。
 深呼吸すると、芝生と潮がブレンドされた匂いが心地かった。
「肩の力を抜いて、膝はもっと柔らかく。るっていうより、勢いを殺す感じで」
 六歳児には難しい宮治のアドバイスに、なんとか八回をクリアした莉菜が唇をとがらせて「じゃあ、お手本見せてよ」とボールを差し出す。
「ゴムボールは難しいんだよな」
 と言いつつ、宮治は軽く二十回ほどリフティングし、最後は首の後ろにピタリと止めてみせた。莉菜は一ヵ月前と同じく、「すごーい」などと言わずに「くっそー」と顔をしかめる。そしてまた奪うようにボールを取り、リフティングを再開した。
「新しい幼稚園はどうだ、友達は出来たか」
「え? 前と一緒だよ」
「そうなのか。早起き、大変じゃないのか?」
「ううん。起きる時間は前と一緒。うらやすのお祖父じいちゃんに車で送ってもらってるから」
「お母さんはなにしてんだ」
「九時くらいに起きてぇ、会社行ってぇ、私が寝る頃に帰って来てる」
「じゃあ、莉菜のお迎えは」
「帰りもお祖父ちゃんだよ」
「おいおい、車で幼稚園の送迎かよ。どこのお嬢様だ」
「遠いんだからしょうがないって、お祖父ちゃんもお祖母ばあちゃんも言って……あ~! 八回! ちょっとお父さん、気が散るから黙っててくれる?」
 六歳児に叱られて、宮治は「悪い悪い」と謝った。
 妻のが莉菜を連れて実家に帰ってから、既に三ヵ月が経っている。幼稚園を変えていないということは、沙知は離婚を考えているわけではなく一時的な別居のつもりらしい。
 それが分かり、宮治はホッとして煙草に火を点けた。だがすぐに蛍光色のベストを着た年輩の男性が笛を吹き、両手でバツ印を作ったので、宮治は「すみませーん」とびて携帯灰皿に長い煙草を押し込んだ。
 宮治も沙知も都心に職場があり、結婚直後から都内の賃貸マンションで暮らしていた。沙知の実家は千葉県浦安市、宮治の実家は神奈川県ひらつか市なので、たまにどちらかの両親が東京に来てくれたが、日常的には家事も子育ても沙知一人に任せきりだった。
 なれそめは以前勤めていた大手出版社での社内恋愛だったので、沙知も宮治の仕事が一般常識にあてはまらない忙しさであることは理解してくれている。事実、莉菜がお腹にいる時から「イクメンパパなんか望んでない、似合わないし」と笑っていた。それでも急に実家へ長期帰省したのは「に、してもよ」ということだろうか。
 仕事にかまけて家庭を顧みなかった宮治に、家族の在り方や将来像を真剣に考えさせるには、これ以上ない荒療治ではあるが……。
「ねぇねぇ、お父さん」
 十回クリアを諦めたのか、ボールを置いて座り込んでいた莉菜が言った。
「小学生になったらスイミングスクール辞めてサッカー教室に行きたいんだけど、お母さんが三年生まで待ちなさいって言うんだよね。お父さんから頼んでくれない?」
「もうちょっと身体が大きくなるまでは、スイミングスクールでいいんじゃないか? 将来どんなスポーツをやるにしても、水泳はマイナスにはならないって言うし。サッカーは怪我も多いから、お母さん心配なんだよ」
「早い子は小一からやるよ。莉菜、泳ぐよりサッカーやってる方が好きじゃん? あ、でもさぁ、やるなら黄緑色のユニホーム着たいんだよね」
「じゃん?」とか「でもさぁ」という言葉遣いに〈もうギャル化が始まってんのかよ〉と噴き出しそうになってしまった宮治だが、その一方、黄緑色のユニホームを着たいという言葉には〈ほ~〉とうれしくなった。黄緑色はしようなんベルマーレのチームカラーだ。ベルマーレ平塚時代からどっぷりハマっていた宮治は、今でも毎試合テレビでチェックするし、タイミングが合えば莉菜を連れてスタジアムに足を運ぶこともある。
 莉菜がベルマーレに愛着を持ってくれていることは分かっていたが、なにしろ浦安には夢の国がある。六歳の女児にとってあれ以上に魅力的なものなどないような気がして、宮治はてっきり莉菜がここでの暮らしを楽しんでいるものだと思い込んでいた。
「だからさぁ、お父さんとお母さん早く仲直りしてよ。ここじゃ、平塚遠いでしょ?」
 莉菜は宮治に顔を向けず、シロツメクサが繁った場所に座り込んでいた。四葉のクローバーを探しているらしい。
 東京に戻ったとしても、平塚のサッカークラブに通わせるのはまず無理だ。だが宮治はそのことには触れず、別の点を否定した。
「仲直りって、別にお父さんとお母さんはけんしてるわけじゃないんだぞ」
「うん。それは分かってるけどさぁ……」
 ふと、莉菜が芝生の上でちゃんと正座していることに気付いた。以前はうちまたでおしりをペタンと付ける、いわゆる女の子座りしか出来なかったはずだ。わずか三ヵ月でも、この年頃の子は目に見えて成長していく。
「色々と気を遣わせて申し訳ないね、莉菜さん」
 冗談めかして言うと、莉菜はやはり顔を向けずに「ホントだよぉ」と唇を尖らせた。
 天気の良い六月の日曜ということもあって、丘の上にはたくさんの子供たちがいた。ゴムボールのリフティングくらいは見逃してくれるが、キャッチボールやサッカーは禁止されている。子供たちは、駆け回ったり縄跳びをしたり、フリスビーを追い掛けたりしている。海沿いの遊歩道には、ジョギングする人、洒落しやれた自転車で走る人、犬を連れて散歩する人々が見える。犬は、極端に大きいか小さいかのどちらかだ。
〈平塚とは全然違うけど、これはこれで平和だなぁ。シロガネーゼじゃなくて、このかいわいの人たち、なんかそんな呼び名があったよな……〉
 ぼんやりとそんなことを考えていると、「いたいた」と背後から声を掛けられた。振り向くと、トートバッグとバスケットを持った沙知が笑っていた。
「お母さ~ん」
 莉菜は満面の笑みで駆け寄って「はい」と四葉のクローバーを沙知に差し出した。
「あら、よく見付けたねぇ。もらっていいの?」
 沙知はクローバーを丁寧にハンカチに挟むと、ビニールシートを広げてバスケットを開けた。中には弁当が入っている。卵焼きとプチトマトが、目に鮮やかだった。
「あそこの水道で、手を洗って来なさい」
 莉菜はタオルを受け取り駆け出したが、一つしかない水道には行列が出来ていた。莉菜は最後尾に並んだものの、すぐにシロツメクサの方へ行ってしゃがみ込んでしまった。これはもう十分以上、戻って来ない。
「ここの海、あんまり好きじゃないでしょ」
 莉菜の背中を見詰めたまま、沙知が訊ねた。断定的な言い方に、宮治はウェットティッシュを受け取りながら「なんだよ、それ」と笑って答えた。
「砂浜もないし、さんもめったに見えないし、漁港も遠いし」
 宮治は鋭いなと思いつつ、なにも言わず黙っていた。
「確かに埋め立て地だけど、すごく考えて造られてるんだよ、ここ」
 宮治の無言の意味を勘違いして、沙知は先回りするように話し始めた。
 駅から公園までのメインストリートは真っ直ぐだが、脇道は故意にクランクしたりカーブしたりしている。効率だけを考えれば碁盤の目にすればいいのだが、敢えて地形に変化を造っている。これによって視線の抜け方、季節による日照、風の通り道に変化が生まれる。区画が画一的でなくなることで、建造物にも個性が生まれる。
「この公園だって、本来なら防風林を作ればいいのに、住民の集いの場になるよう開放的な丘にしたんだって。もちろん、海からの風は上に逃げるよう計算されてるんだよ」
 宮治は黙って、沙知の話を聞いていた。
 宮治にとって問題なのは、ここが埋め立て地だということではない。海と人との関係だ。
 ここでは、海は眺めるものだ。お洒落な住民たちは誰一人、レジャーに利用する以外に海と関わる暮らしをしていない。それを象徴するのが、遊歩道と海の間にあるさくだ。漁港には柵がない。あそこでは漁に関わらない子供でも、海が豊かな恵みを与えてくれる場所であると同時にとても危険な場所でもあるということを、いやが応でも学ばされる。
 そういうことが、この街には欠けている。もちろん住宅地として造成された街のすべてを否定しようとは思わないが。
「人為的に造られた街が、そんなに気に入らない?」
「造られた街?」
「そう。だから、あなたは気に入らない……」
 なにかに気付いて、沙知は言葉を吞み込んだ。そして「ごめん」と謝った。
 沙知がなにに対して謝ったのか分かってはいたが、宮治は気付かない振りをして「漁港だって、人の都合で造られたものだよ」と答えた。
 海に目をやると、二羽のカモメはもういなくなっていた。
 莉菜はタオルをちっとも使わず、濡れた手をぶんぶん振り回して戻って来た。
「今日は、莉菜に会いに来ただけ? 父さん、あなたと吞みたがってたけど、時間ある?」
 手をいてやりながら訊ねる沙知に、宮治は「無理だ。夜遅く出張に出る」と答え、両手を合わせてから卵焼きを指でつまんだ。
「長くなるの?」
「取り敢えず二週間だけど、数ヵ月掛かりの取材になるかもしれない」
 沙知の手が止まった。
 莉菜が、まだ濡れた手でおにぎりに手を伸ばした。だがラップはぴっちりと巻かれていて、上手うまく剝がせない。見兼ねて、宮治が剝がしてやった。
「なんか、逃げてない?」
「逃げる気なんてない。時間を見付けて電話するから、俺たちの今後については、それで話し合おう。どうしても気になる事件なんだ」
 仕事に夢中になると寝食もおざなりになる宮治の癖を、沙知はよく分かっている。
 プラスチックのコップに茶を注ぎながら、彼女は「出張ってどこへ?」と話題を変えた。
「明日からの二週間は岐阜と、時間があれば富山と石川にも」
「岐阜かぁ。せきはらなががわと白川郷だ。いいなぁ」
「白川村には行くけど、観光してる暇はない」
 沙知は莉菜がお腹にいる時に大手出版社を辞め、今は旅行代理店の広報部で印刷物とホームページの編集に携わっている。宮治が御母衣湖の近くには必ず行くことを告げると、即座に二本の桜の老木が有名だから写真を撮って送って欲しいと言った。
「桜が満開の写真はいくらでもあるけど、新緑のは少ないんだよね。それくらいの時間はあるでしょ? 看板とか自販機とか入らないアングルでね」
「あぁ、素人の写真で良ければ送るよ」
「あと、石川に行くならなつさんに会うよね? よろしくお伝えしてね」
 母と同じことを言われ、宮治はフッと笑ってしまった。
 昨日の夜、宮治は数ヵ月振りに平塚の実家へ行っていた。かつて中学校の教師だった父、ひろの教え子が富山県警にいることを思い出し、父からアポイントを取ってもらう為だ。
 その時、母のゆうから「石川に行くなら夏に会うんでしょ?」と訊ねられた。
 夏ことなつは、宮治和貴の一歳違いの弟だ。今は石川県まつ市で塾講師や私立高校の非常勤講師をやっている。帰省は三年に一度くらいで、電話も滅多にない。昨年、両親が訪ねた時もかなざわで食事をしただけで、どんな暮らし振りなのかも分からなかった。ちゃんと食べているのか、ずっと石川にいるつもりなのか、結婚する気はないのか。母は、それらのことを宮治に確認して欲しいと訴えた。
「夏には、なんとか時間を作って会おうと思ってる。母さんからも頼まれたし」
「平塚、帰ったんだ」
「あぁ、ちょっと親父に用があってな」
「ごしちゃってるなぁ。変わりなかった?」
さいなことだけど、あると言えばあったかな。二人じゃなくて、タロウだけど」
「タロちゃん? 病気でもした?」
「いや、元気なもんだよ」
 そう答えて、宮治は右腕に残った歯形を見せた。
 タロウは、殺処分寸前だったところを父母がもらい受けて飼い始めた犬だ。両親の言うことはよく聞くのだが、数ヵ月に一度やって来る宮治のことは完全に下に見ている。昨日も父と軽い口論のようになった時、宮治は右腕を軽くまれてしまった。
「十歳を過ぎてもう老犬の域だからって、庭で飼ってたタロウを家の中で飼うようになっててな」
 宮治はなんでもないように言ったのだが、沙知は少し深刻な表情になって「それって寂しいからだよ、きっと」と呟いた。


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