9/26に発売された原浩さん最新長編小説『蜘蛛の牢より落つるもの』。ダムに沈んだ伝説の村で、かつて起こった猟奇事件。その真相に近づくほどに、恐怖と謎があふれ出す・・・・・・! 書店員さんお墨付きの「どんでん返しホラーミステリ」を大ボリューム試し読み公開。
原浩『蜘蛛の牢より落つるもの』試し読み#07
「石……?」
意表をつかれた。女が出たんじゃないのか。
草彅はこくりと頷く。
「なんですかそれは。地面から出てきたんですか?」
草彅は腰ぐらいの高さを手で示した。
「これくらいの大きさの縦長の石の板です。表面に何か彫ってあって……」
単に平たい石というのではなく、どうやら人工物らしい。
「墓石ですか?」
「お墓なのかな」草彅は首を傾げてる。「……文字は書いていなくて、表面に、なんていうんだろう……ロケットみたいな形が浮き彫りになっていました」
石に彫られたロケット? 造形物のイメージが湧かない。とにかく加工された石材が出たということか。
「何かの石碑ですかね」
「かもしれません。ひとつだけ、マークみたいな模様が彫られてました」
ロケットの浮き彫りにマーク。猶更よくわからない。聞いていた話と少し違うようだ。女を掘り出したのではないのか。
「その石はどうしたんですか」
「石は邪魔だったのでテントの外に捨てました」
「石は……? 他にも何か出たんですか?」
俺の質問に草彅はしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「石の下から、小さな壺が出ました」
「えっ……壺ですか」
草彅は両手で壺の大きさを示す。どうやら一輪挿しくらいの小さなものらしい。何かしら過去の遺物を掘り当てたのだろう。
「興味深いですね。その壺、中身を見たんですか?」
草彅は首を振った。
「蓋は蠟か何かで密封されているらしく開かなくて。牟田は中身を確かめもせずに踏み潰すと、掘っていた穴の中に投げ捨ててしまったんです」
骨壺という単語が頭に浮かんだ。その壺が石碑と無関係なものでないとすれば、やはりお墓か何かを掘り当てたのだろうか。
「なるほど。それなら今でもその壺はダムの底にあるかもしれませんね」
「まあ……、そういうことになりますね」
「実は私、ダム湖の近くでキャンプするんですよ」
「えっ」と、草彅は眉を寄せて聞き返した。「キャンプ?」
「ええ。取材の一環で。六河原キャンプ場のあった場所のすぐ前の土地を借りたんです。何日も滞在する予定なんですよ。このまま水が干上がったら、その壺が見つかったりしないですかね」
「…………」
俺は冗談めかして言ったが、どういうわけか草彅は表情を曇らせた。何も答えずに視線を落とす。何か言うのかと彼の言葉を待ったが、草彅は何も言わずに俯いたままだ。
壺や石板はともかく、肝心の掘り出した女という話がまだ出てこない。その女の話はどこから出たのだろう。俺は俯く草彅に尋ねた。
「地中から女を掘り出した。二十一年前、あなたはそう仰ったそうですが」
俺の言葉に草彅の表情がふっと変わった気がした。空気が黒く冷えたようだった。草彅は目を落としたままだ。だが俯いたその顔色は蒼白に変わっていくように見えた。
「あの、何か……?」
「…………」
草彅は俺に答えず、視線を窓の外に向けた。落ち着きを失った目がせわしなく動く。窓の外には六月の日光を受けて濃緑に輝く木々が揺れているばかりだ。草彅は青ざめた表情で木立の中に視線を走らせている。俺もその視線を辿るが、木立の暗がりに何の変哲もない。
草彅はこの件について話したがらない様子だと冨さんは言っていた。軽々しく訊いたのはまずかったのか。それにしても、この草彅の反応は一体なんなのだろう。これまでとは雰囲気が一変し、どこか怯えたようにさえ見える。その急変ぶりは奇異に思えた。触れてはならないところだったのか。だがこれが本題なのだ。訊くしかない。俺は凍りついた草彅の横顔に尋ねた。
「当時、草彅さんが証言されていたと伺っています」
「…………」草彅は窓の外に目を向けたまま答えない。
「掘り出した女が──」
「やめてください!」
草彅は俺の言葉を遮るように叫んだ。その悲鳴のような声が物の少ない室内にびりびりと反響した。その声に応じるように、窓の外で木立が風を受けてざわざわと踊り出す。
草彅は立ち上がり、無言で歩を進めると窓辺に立った。背中を向けたまま言った。
「……お引き取りください」
「えっ」
驚いて草彅の背を見つめた。草彅は振り返りもしない。窓の外では木々がのたくるように風に揺れている。
「どうして……何かお気に触るようなことを申し上げましたか」
俺は控えめに尋ねたが、草彅は黙したままだ。わけがわからない。さっきまでの様子と比べれば、この急変は異常ともいえる反応だ。掘り出した石碑と壺。そして女……? 草彅は何かを怖がっているように思えた。
「掘り出した女が、それをさせた。二十一年前、あなたはそう証言したんですよね。女というのは……」
「やめろっ!」
草彅は叫び、振り返った。大きく見開いた目の端に朱が浮いている。血の気が失われたその顔には紛れもない恐怖がはりついていた。俺の予想以上に激烈な反応だった。一体、何に怯えているんだ?
草彅は俺を睨め付け、喘ぐような息をつくと、いきなり大股で近づいてくる。床を踏み鳴らす音が大きく鳴る。逃げる間も無い。俺は身を守ろうと反射的に手を翳す。
ずだんと床を打つ音がした。
見上げると、そこに生白く無表情な草彅の顔があった。俺の座るソファの傍らで草彅は立ち尽くしていた。彼は何かを踏みしめている。草彅がゆっくりと右足を引くと、そのスリッパの下から現れたのは、一匹の潰れた蜘蛛だった。腹から絞り出された黄褐色の内臓が白いフローリングの床にねっとりと広がっている。
「時期が、悪い」草彅は俺の顔を見ずに話す。彼は誰に言うでもなく、ひとり呟くようだった。「そいつの囁きを聞いたら……、終わりなんだ」
(続きは本書でお楽しみください)
作品紹介
蜘蛛の牢より落つるもの
著者 原 浩
発売日:2023年09月26日
取り憑くものは、怨霊か悪意か。 『火喰鳥を、喰う』の衝撃ふたたび!
フリーライターの指谷は、オカルト系情報誌『月刊ダミアン』の依頼で21年前に起こった事件の調査記事を書くことに。
六河原村キャンプ場集団生き埋め死事件――キャンプ場に掘られた穴から複数の人間の死体が見つかったもので、集団自殺とされているが不可解な点が多い。
事件の数年後にダムが建設され、現場の村が今では水底に沈んでいるという状況や、村に伝わる「比丘尼」の逸話、そして事件の生き残りである少年の「知らない女性が穴を掘るよう指示した」という証言から、オカルト好きの間では「比丘尼の怨霊」によるものと囁かれ、伝説的な事件となっている。
事件関係者に話を聞くことになった指谷は、現地調査も兼ねて六河原ダム湖の近くでキャンプをすることに。テントの中で取材準備を進める指谷だが、夜が更けるにつれて湖のまわりには異様な気配が――
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