9/26に発売された原浩さん最新長編小説『蜘蛛の牢より落つるもの』。ダムに沈んだ伝説の村で、かつて起こった猟奇事件。その真相に近づくほどに、恐怖と謎があふれ出す・・・・・・! 書店員さんお墨付きの「どんでん返しホラーミステリ」を大ボリューム試し読み公開。
原浩『蜘蛛の牢より落つるもの』試し読み#05
草彅柊真の自宅に着いたのは昼過ぎだった。佐比市街から離れた地域にある真新しい二階建ての一戸建てだ。交通量の多い県道からも距離があるので昼間でも物静かな場所だった。
玄関のチャイムを鳴らすと、すぐにドアが開いた。現れたのは長身の男性だ。草彅柊真本人だった。
草彅は無地の白いTシャツに濃いデニムの装いだ。三十六歳になると聞いていたが、実年齢よりもだいぶ若く見えた。ほっそりとした色白で肌艶も若々しい。名前を名乗り俺が挨拶すると、草彅はどこか浮かぬ顔で頭を下げる。冨さんがどう交渉したのか知らないが、少なくとも取材が歓迎されているようには思えない。
草彅はリビングに通してくれた。草彅に勧められ、俺は恐縮しながら二人掛けのレザーソファに腰を下ろす。
ひとり暮らしの男性としては広い家だ。地方では将来の結婚を視野に独身男性が大きな戸建てを買うのは珍しいことではないと聞く。草彅は役所勤めらしいから、収入は安定しているだろう。室内は綺麗に片付けられていて生活感に乏しい。無駄なものは置かない性格なのかもしれないが、どこか没個性というか無味乾燥といった印象だった。というか、ほこりひとつない室内は清潔で生活臭といったものすら全くないのだ。俺の部屋に比べれば無菌室さながらだ。同じ独身男性ながら、俺の暮らす1LDKの散らかった賃貸部屋とはだいぶ異なる。
「珈琲でよろしいですか」
草彅がキッチン越しに俺に声をかける。
「ありがとうございます。あの、どうかお構いなく」
俺の返答に草彅は無表情に頷いた。
珈琲を淹れてくれている彼の横顔はどこかこわばって見える。二十一年前、この人は義父の牟田雅久に弟を殺された上、自らの手で母親を含めた他者を生きながらに弟の死体と共に埋めた。そして自身も牟田に生き埋めにされている。どうにか助け出されたとはいえ、一緒に救出された母親は重い障害を負った。一度に家族を失ったのだ。どこか柔和で女性的な風貌のその横顔からは、そうした凄惨な経験を想像させるものは何もない。
草彅はソーサーに載せた珈琲カップをソファテーブルに置いてくれた。淹れたての珈琲の良い香りが漂う。
俺は立ち上がり、改めて草彅に名刺を差し出した。草彅は手にした名刺を眺め、ぽつりと言った。
「フリーライター……」
「はい。とにかく何でも文章を書くのが仕事でして」
「……なるほど」草彅は名刺をダイニングテーブルに置いた。「出版社の方ではないのですね」
「ええ、私は社員ではないんです。最近は天竜書房の専属ライターみたいになっていますが」
「私、天竜書房さんの本は持っていなくて」草彅はそう言って本棚にちらりと目をやった。
知らなくて何よりだ。月刊ダミアンのライターだなんて話したら、きっと敬遠されるに決まってる。
草彅はダイニングチェアをソファの横に引いてくると、そこに腰かけた。自然と草彅がソファに座る俺を見下ろすような配置になる。
草彅は自分の珈琲を一口啜り、窓の外に目をやった。
「……それで、私は何を話せばいいのですか? ダム着工前のすったもんだは子供だったので、あまりわかりません」
草彅の言葉に俺は頷く。
「そうですよね。草彅さんはお若いですし」
「ダム建設の歴史を中心に話を聞きたいと編集長の方は仰っていましたが」
冨さん、俺に面倒を押し付けやがったな、と思った。草彅から取材したいのは、言わずもがなダム建設にまつわる村の顚末ではなく、あの事件で起きたという怪異の話だ。どうやら冨さんは草彅が取材に応じやすいように、趣旨をぼやかして伝えたらしい。
俺は草彅の話すことに応じて答えた。
「そうですね。ダム建設計画に振り回された当時の村の様子など、子供の目線で感じたことなどをお話し頂いて、また、村で起きた様々な出来事についても色々とお話を伺えれば……」
「結局、あの事件の話をしろということでしょう?」草彅は遮るように言うと、冷たい視線を俺に向けた。
思わず口ごもると、草彅は小さく溜息をついた。
「……気持ちの整理はついているつもりです。ただ、どこまでお応えできるか自信がないんです。二十年以上も前ですし、当時の記憶は曖昧なことも多くて。何が起きたのか自分でもわからない部分があるんです。心の防衛機能なんでしょうかね。辛い過去を忘れようとしているのかもしれません」
俺は取り出したスマホをソファテーブルの上に置く。草彅の許可を得て、ボイスレコーダーのアプリを起動し、録音を始めた。
「ずっと、こちらにお住まいなんですか」
俺の質問に草彅は頷く。
「ええ、事件後はしばらく親類の家に住まわせてもらっていました。とても良くしてもらいましたが、やはり他人の家って感じですからね。気を使うのも嫌だし、早く独立したくて。それで高校を卒業したらすぐに地元の市役所に就職しました。それっきり、こっちです」
「なるほど。でも独立して生活するにしても、地元に戻る以外の選択肢もあったのではないですか?」
草彅は苦笑した。
「わかりますよ。心の防衛機能なんて言いながら、わざわざあんな事件があった場所に戻らなくてもいいんじゃないかってことでしょう?」
「ご家族との思い出もありますもんね」
「まあ、そうですね。それに……」草彅は体を起こすと自分の後ろに目をやった。「お墓から離れるのもね」
草彅の視線の先には真新しいリビングには不釣り合いな古い仏壇が置いてあった。置いてある位牌はおそらく弟と実父のものだろう。置かれている仏具も年代物らしく、黒塗りの小壺などは蜘蛛の巣みたいな大きなひびが入っていて、とりわけ古そうだ。仏壇の隣には写真立てに入った写真が置いてある。小学校に上がる前くらいの男の子がふたり。その後ろには笑顔の男女が写っていた。おそらく草彅兄弟と母親の静代、それから実の父親だろう。
「ご家族から離れるのも、お寂しいものでしょうね」
草彅は位牌を見つめたまま頷くと、ぽつりと呟くように答えた。
「ええ、寂しいし……不安でしてね」
草彅がこの地に留まるのは亡き家族への思いということか。忘れたい程の酷い体験をした故郷であっても、家族への思いはそれを上回るということらしい。
草彅は俺に向き直ると言葉を続けた。
「……それに、母が見つかるまでは、ここを離れる気にはなれないんです」
草彅柊真の母。草彅静代のことだ。
「手がかりは何も……?」
俺の問いかけに草彅は首を横に振る。
「駄目ですね。今となっては新しい情報は何もありません。半分、いえ、もう完全に諦めてはいるのですが……」
草彅の母、静代は生き埋めにされた地中から生きて救助された。彼女と一緒に埋められたビニールシートのたわみに空気だまりが出来たらしく、そのためになんとか生存できたのだ。草彅が高校卒業後に地元から離れなかった理由はこの母親のことが大きいだろう。事件から六年後、徐々に回復を見せた静代は奇跡的に意識も戻り、会話できるまでになったという。だが、ある日突然病院から失踪した。自ら病室を抜け出すと、病院前の停留所から市営バスに乗り込み、降車したところから目撃情報は途絶えたという。失踪からすでに十数年が経っており、法的にはすでに死亡認定されているはずだ。
草彅は沈んだ面持ちで溜息をついた。
「せめて遺体だけでもあがってくれれば、心の区切りにもなります。けれど、まだどこかで母が生きているんじゃないかと思うと……母が帰った時に私が待っていてあげないと可哀想で」
俺は今なお母を気にかける草彅の言葉を取材手帳に書きつけた。しかし、だ。草彅静代が生き埋めにされたのは、柊真が埋められる前だという。つまり、彼女を生きたまま埋めたのは牟田雅久と、この目の前にいる草彅柊真なのだ。柊真もまた、自分の母親に土をかけたはずだ。
俺は言葉を選びながら尋ねた。
「ご家族のこと、思い出されますか」
「弟……流生は」草彅は話しかけたが、続く言葉を飲み込み、俯いた。やがて痛みに耐えるように小さく言った。「……流生には、酷いことをしました」
(つづく)
作品紹介
蜘蛛の牢より落つるもの
著者 原 浩
発売日:2023年09月26日
取り憑くものは、怨霊か悪意か。 『火喰鳥を、喰う』の衝撃ふたたび!
フリーライターの指谷は、オカルト系情報誌『月刊ダミアン』の依頼で21年前に起こった事件の調査記事を書くことに。
六河原村キャンプ場集団生き埋め死事件――キャンプ場に掘られた穴から複数の人間の死体が見つかったもので、集団自殺とされているが不可解な点が多い。
事件の数年後にダムが建設され、現場の村が今では水底に沈んでいるという状況や、村に伝わる「比丘尼」の逸話、そして事件の生き残りである少年の「知らない女性が穴を掘るよう指示した」という証言から、オカルト好きの間では「比丘尼の怨霊」によるものと囁かれ、伝説的な事件となっている。
事件関係者に話を聞くことになった指谷は、現地調査も兼ねて六河原ダム湖の近くでキャンプをすることに。テントの中で取材準備を進める指谷だが、夜が更けるにつれて湖のまわりには異様な気配が――
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