KADOKAWA Group
menu
menu

試し読み

中山七里史上、もっとも狡猾な警官登場! この男正義のヒーローなのか、それとも──。 「こちら空港警察」大ボリュームの試し読み実施!



 咲良の所属する出発班は三つに分かれ、それぞれにシフトが組まれている。組み合わせは1班が早番の時は2班が中番、3班が遅番というように全フライトを洩れなく押さえるようにできている。咲良の勤務形態は4勤2休だが、早番→早番→中番→遅番→休み→休みの順番で回ってくる。
 その日、咲良は早番だった。早朝から十四時までの間、カウンターに立ち続ける。前夜にしっかり睡眠を取ってはいるが、それでも日替わりで生活時間が替わるため、時折睡魔に襲われる。
 だが、この日は違った。運航開始の午前六時からフロア全体が慌しかったのだ。空港職員の動きはいつも通りなのに、どこか空気が殺気立っている。咲良は隣に立つ2班の片山愛実に小声で話し掛けた。
「ねえ、今日、誰かVIPの搭乗か来日だったっけ」
「聞いてないです」
 愛実は咲良の三年後輩で、よく世間話をする仲だ。芸能人が大好きで海外スターの来日情報は誰よりも詳しくキャッチしている。
「少なくとも空港でファンが待ち構えるような人が来るなんて聞いていません」
「片山さんのレーダーに引っ掛からないなら、きっとそうなんだろうな。でも、何だか空気が変じゃない」
「それ、わたしも感じます。フロア全体が浮足立っているというか、緊張しているっていうか」
 やはり自分だけの思い違いではないらしい。では、いったい何が起きているというのか。
 搭乗手続きをこなしている間、何気なくフロアを眺めていると、次第に慌しさの元凶が分かり始めた。
 警官の数だ。
 先日、冴子と顔を合わせた時よりも行き来する警官が圧倒的に多い。制服姿の多さが物々しさを助長しているのだ。
「何だかお巡りさんが多いですね」
 愛実も気づいたらしい。
「でもあのお巡りさんたち、全員到着ロビーに向かっているみたいですね」
「来日客に問題でもあったのかな」
 だがトラブルやアクシデントが発生すれば、直ちに全スタッフに通知がなされるはずだ。今のところ咲良の携帯端末にはその気配がない。
 訳が分からぬまま仕事をこなし、休憩時間がきたので到着ロビーを覗いてみることにした。
 一階の国際線到着ロビーは想像していた以上の混乱ぶりが展開していた。
 この時間帯にしては、北ウイングに人が過剰なほど溢れている。しかもその半分以上を制服警官が占めている。
「Let’s go!」
「Son of a bitch!」
 汚い言葉のする方向を見れば、外国人の団体客が警官たちに取り囲まれている。全員が身柄を拘束されて抗議しているといった体だ。
 犯罪者の団体様か。
「そこ、騒がないで」
「おとなしくしていなさい。言い分は後で聞くから」
「Shut up!」
 彼らの抗議の声と警官たちの怒号は反対側からも洩れ聞こえてくる。まさかと思い南ウイングに移動すると、ここでも同様の逮捕劇が展開されていた。北と南、両ウイングの騒ぎで、一階フロアは騒然とした雰囲気に吞み込まれている。他の客は遠巻きに、しかし興味津々といった様子で彼らの横を通り過ぎていく。
 空港内での捕り物を目撃することは少なくない。置き引きに自販機狙い、中にはスマートフォンでの盗撮などというものもあり、容疑者が警官に連行されていく姿を咲良自身も何度か目撃している。
 しかし、これほど多くの容疑者が一網打尽にされているのは初めて見た。咲良はいつの間にか、目の前で繰り広げられる騒動に釘付けとなっていた。
「蓮見さんじゃありませんか」
 背後から声を掛けられ、咄嗟に振り返ると、そこに仁志村が立っていた。
「蓮見さん、チェックインカウンターじゃなかったんですか」
「あの、今は休憩時間で」
 何も疚しいことはしていないのに、後ろめたい気持ちになるのが恥ずかしい。
「そうですか。空港にお勤めの方には珍しい光景ではないでしょう」
「こんなに大掛かりなのは初めてです」
「それはそうかもしれませんねえ。過去の案件を見ても総勢四十名を超えるグループを一斉に摘発した前例はなかったようですから」
「総勢四十名、ですか」
 咲良は驚くとともに納得する。四十人以上といえば通常のツアーと同等かそれ以上の人数だ。北と南のウイング両方がこんな騒ぎになるのも当然だ。そういえば彼らの出立ちもラフな格好とスーツケースで、ツアー客にしか見えない。
「あのお客様たち全員が容疑者だなんて」
「それこそツアー客を装った運び屋ですよ」
「運び屋って」
「貨物は言うに及ばず手荷物にも違法薬物を仕込んで税関を通過しようとしている。本来は税関職員に任せている部分もあるのですが、これだけの規模になると空港警察総出で事にあたる必要があります」
 仁志村は自身を誇りもせず淡々と喋る。それだけ今回の逮捕に勝算があったことを物語っている。
「でもあの人たち、税関を通過しているんですよ」
「税関をパスすると大抵の人間は安心して警戒心を解きます。警戒心の抜けた人間は色々としくじりやすい。素人なら尚更です」
 仁志村は身柄を確保された者たちを顎で指し示した。
「彼らはほぼ全員が素人です。何度も捕まってマークされているような運び屋ではない。だから空港職員の目を盗めると考えたのでしょうけど、素人だからいったん捕まってしまえば易々と自供してくれる」
「そんな素人集団がどうして運び屋なんてするんですか」
「彼らの身なりをご覧なさい。普段から搭乗客を見慣れている蓮見さんの目にはどう映りますか」
「皆さん、ラフな格好です」
「もっと明け透けに言っても構いませんよ」
「……上等なお召し物ではありませんけど、旅慣れたようにも見えません」
「そうでしょうね。本人たちの所持金では国内旅行もままならない。彼らは貧乏白人、所謂ホワイトトラッシュです」
「誰かに雇われたんですね」
「お察しの通り。借金の返済なり小遣い稼ぎなりで、薬物犯罪組織に雇われたんですよ。報酬は雀の涙程度だが、一生に一度行けるかどうかも分からない日本に旅行できるのならと、尻尾を振って飛びついた連中です」
 穏和な表情ながら、彼ら容疑者に対する物言いには辛辣なものがある。
『人嫌いで酷薄で』
 不意に冴子の言葉が頭を掠める。人好きのする風貌に反して、その本質は非情ということなのか。まだ会うのは二度目なので断言はできないが、仁志村が見かけ通りの男でないことは確かだった。
 ホワイトトラッシュはプアホワイトとも呼ばれ、主に米国南部地域の白人貧困層を指す蔑称だ。生活水準や教育水準が低いことから蔑みの対象になっているが、咲良に言わせれば本人の責任で貧乏になった訳ではないので、明らかな差別だ。かの国はよく「自由」を謳っているが、低所得者の蔑称が世界的に知れ渡っていることからも、それほど自由な国ではないことが窺い知れる。
「ホワイトトラッシュという言い方が不愉快ですか」
「いえ、別に」
「蓮見さんは正直な人ですね。どんなに言葉を繕っても顔に全部出てしまっている」
「噓」
「まあ噓なんですけどね」
 からかわれたと知り、ついかっとなった。
「貧しい人を差別するなんて、あまり行儀がいいとは言えませんね」
「別に貧しさを論っている訳じゃありませんよ」
 仁志村は咲良の抗議などまるで意に介する様子を見せない。
「彼らの事情も知らないのに」
「いいえ。彼らについては一人残らずプロフィールを把握しています。出身地、学歴、家族関係、勤め先、SSN(Social Security Number 社会保障番号)、年収、そして逮捕歴。従って、彼らが大して多くもない報酬のために運び屋を務めている事情も知っています」
「だったら少しくらい同情してあげても」
「貧困層でも決して犯罪に手を染めない者がいます。逆に富裕層の中にも救いがたい犯罪者がいます。低学歴であっても善良な人間がおり、高学歴でも悪辣な人間が存在します。世の中のリベラリストがどう言い繕おうが、経済的貧困や教育的貧困は決して犯罪行為の言い訳にはならないと思いますよ」
 言っている内容自体はもっともなので言い返せない。
「署長さんの口ぶりだと、逮捕されている皆さんを入国前からマークしていたみたいですね」
「県警管内で麻薬関連の事件が頻発しているのはご存じですか」
「ニュースサイトで見ました」
「市中に出回ってからでは遅すぎる」
「『成田空港さえ押さえておけば市中に流れているクスリはやがて消費され使尽される。水道の元栓を閉めておけば水は出なくなる』、ですか」
「ほう。適確な比喩ですね。誰か他の捜査員から話を聞きましたか」
「いいえ」
「ただ、それでも若干の甘さは否定できない。税関職員の能力を疑う訳じゃありませんが、彼らの処理能力にも限界がある。検査対象が膨大な量になれば、どうしたって注意力も散漫になる。一番効果的なのは、向こうを出国した時点で容疑者を特定しておく方法です」
「そんなことが可能なんですか」
「今までは不可能でした。アメリカで麻薬を扱っている組織は星の数ほどあるし、そもそも違法薬物に対するハードルが低い州が少なくない。そんな状況では、持ち込まれる側も自ずと水際対策しか立てられない」
 そこまで聞けば充分だった。
「何か新しい方法を編み出したんですね」
「大きな組織だからこそ、責任者が替わったら大転換する可能性がある。蓮見さんには前にもそう言った記憶があります。また、そうでなければ責任者が替わる意味がないですよ」
「いったい、どんな手段を使ったんですか」
「それはさすがに捜査上の秘密ですよ」
「でも、どうしてわたしにそこまで教えてくれるんですか」
「口ぶりから、あなたには警察関係に知り合いがいらっしゃるようだ。今わたしがお話しした内容程度なら誰でも思いつく。それに、わたしがここまでお話しするのは、蓮見さんとパイプを構築しておきたいからですよ」
「何故ですか。わたしは地上スタッフの一人に過ぎませんよ」
「現場の情報は現場のスタッフに訊くのが一番です。上にいけばいくほど情報は少しずつ単純化され歪曲されていきますからね」
「そんなものでしょうか」
「付け加えれば、立っている場所で見える風景も得られる情報量も変わってくるのですよ。それではまた」

忍び寄る違法薬物の脅威。仁志村は成田空港を守りぬけるのか──!
続きは、単行本でお楽しみください。

作品紹介



こちら空港警察
著者 中山 七里
発売日:2023年11月14日

役立たず署長、日本の空の玄関を守ります!
成田空港でGS(グランドスタッフ=空港業務スタッフ)として働く咲良は人気の芸人の帰国を知り、芸能人を間近で見れることにワクワクする。しかし、ゲートに現れた人気芸人・瀬戸は空港警察に先月から着任したばかりの仁志村賢作に身柄を確保されてしまう。普段から、「役立たず」と陰で言われている空港警察の行動に驚く咲良。何と瀬戸には麻薬密輸の容疑が掛かっているらしい。しかし、瀬戸の身体には麻薬犬もTDS(検査機器)もX線も金属探知機も反応を示さなかった。とんでもない濡れ衣だと瀬戸は激昂するが、仁志村は意外なモノに着目し、瀬戸を追い詰め始める。

詳細ページ:https://www.kadokawa.co.jp/product/322209001167/
amazonページはこちら


紹介した書籍

関連書籍

MAGAZINES

小説 野性時代

最新号
2025年5月号

4月25日 発売

ダ・ヴィンチ

最新号
2025年5月号

4月4日 発売

怪と幽

最新号
Vol.019

4月28日 発売

ランキング

書籍週間ランキング

1

意外と知らない鳥の生活

著者 piro piro piccolo

2

ご自愛サウナライフ

原案 清水みさと 漫画 山本あり

3

雨の日の心理学 こころのケアがはじまったら

著者 東畑開人

4

気になってる人が男じゃなかった VOL.3

著者 新井すみこ

5

あきらかに年齢を詐称している女子高生VTuber 2

著者 なまず

6

メンタル強め美女白川さん7

著者 獅子

2025年4月14日 - 2025年4月20日 紀伊國屋書店調べ

もっとみる

アクセスランキング

新着コンテンツ

TOP