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試し読み

【12・21発売】冲方丁最新歴史小説『麒麟児』13日連続試し読み 第3回

本屋大賞作家・冲方丁氏待望の歴史長編『麒麟児』が2018年12月21日に発売となります。5年ぶりの歴史長編となる『麒麟児』で冲方氏が描くのは、勝海舟と西郷隆盛。幕末最大の転換点、「江戸無血開城」を命を賭して成し遂げた二人の“麒麟児”を描く、著者渾身の歴史長編です。

本作の発売を記念して、12月7日(金)より12月19日(水)まで計13日間連続での試し読みを実施いたします。『麒麟児』の「序章」と「第一章」、総計82ページ(紙本換算)、約4万字を発売前にお読み頂けます!

>>第1回から読む。
>>前話はこちら

 第一章 使者二人


 一

 七日ほど前のことだ。
 勝は、初めてその人物が自邸に現れたとき、まずこう思った。
(また厄介者が来やがったぜ)
 わざわざ自邸に押しかけ、返答次第では斬るぞと吠えたけるやからだとみなしたのである。
 実際、そういうのは後を絶たなかった。
 あるときなど、徒士かち鈴木すずき杢右衞門もくえもんという男が勝の自宅に現れ、挙兵の後援を頼み、それが聞き入れられねば刺す気でいるのへ、こう言い放ってやったものだ。
「おれはもう戦いてえ人を止めねえよ。同志も求めねえ。このおんぼろ屋敷で、どうすればいいかと考え込みながら、己が正しいと思ったことをするだけだ。この身に迫る危険のことなど少しも構っちゃいられねえ」
 他にも勝がいろいろと話すうち、鈴木杢右衞門は途中で言葉を失って帰っていった。
 今では勝に共鳴する人々の中にも、かつては勝を暗殺する気でいた者は、存外多いのである。
 そのときやって来たのは、山岡やまおか鉄太郎てつたろうと名乗る男だ。
 三十三歳。とにかく、でかい男だった。まず図体がでかい。身長六尺二寸(百八十八センチ)、体重二十八貫(百五キロ)はあるという評判だった。しかもただでかいだけでなく、まさに黒鉄くろがねのように鍛えられた巨漢である。
 そして、声がでかい。
 勝の妻・民子たみこが、また刺客が来たと思って取り次ごうとしないのへ、
「火急、重大な用件につき、ご面談願っておる! どうか今すぐ、安房守様にお会いさせて頂きたい!」
 玄関でそうわめいているのが、はっきり勝にも聞こえた。
 案内させるよう門人に指示したのだが、間もなく近づいてきた足音もでかい。本人は普通に歩いているつもりなのだろうが、いちいち周囲を震撼しんかんさせずにはおかない男だった。
 山岡が入室し、きちんと正座をして勝と向かい合った。気魄きはくがみなぎっているが、勝にはいまいち相手の目的が見えない。
「何の用だい?」
 勝は鷹揚おうように尋ねながら、とっくり観察した。着物は粗末で、どうも携えてきた二刀と恰好がちぐはぐだった。金がないので誰かから刀を借りて来たのだろうと勝は見抜いた。
「それがし、重大な使命を背負うております。そのことにつき重臣の方々にご相談しましたが、語るに足らぬ者たちばかり。どうすればよいか考え、はたと、今まさに幕軍を統率しておられる軍事取扱の勝安房守様は、胆略ある御方とお聞きしておりましたので、急ぎ、ご面談を願った次第」
 山岡が一息に言うのへ、勝はのんびり相づちを打ってやった。
「うんうん」
 そうしながら、この巨漢がいきなり襲ってきても、気合いを込めた一喝で動きを止められるよう、はらに力を込めている。
(こいつは、うかうかすると斬られるぜ)
 かねて、山岡鉄太郎という人物がいることは勝の耳にも入っていた。
 ただ噂として聞いていたのではなく、大久保一翁が、気をつけろ、という意味でわざわざ耳に入れてくれたのである。
 この男は、かつて尊皇攘夷派の志士・清河きよかわ八郎はちろうとともに浪士組を結成し、上京したという。清河八郎が暗殺されて謹慎の身となって以来、幼少より鍛錬し続けてきた剣禅にさらに邁進まいしんし、その修練のほどは誰もが目をみはるほどで、幕臣のなかでも名が知られていた。
 慶喜を護衛するための精鋭隊を組織する際、推薦もあって組み入れられたのだが、同時に激派の徒ともみられ、危険人物とみなされてもいた。
「安房よ、くれぐれも興味があるからといって、あのような男に近づかんでくれ。機をうかがって叛逆はんぎゃくを企てているかもしれんし、下手をすると刺し殺されかねん」
 というのが大久保の忠告だった。
 だったらそんなのを精鋭隊に入れねばいいのに、と勝は思う。とはいえ、腕に自信のある者が不足しているのが現実なのだから仕方ないと勝もわかっていた。
 なんであれ、そんな人物が、使命、使命と繰り返すのである。おれを殺すのが使命かい、と聞き返しそうになったが、山岡の言葉は違った。
「重大な使命というのは、上様のご下命なのです。それがしを駿府すんぷの官軍総督府につかわし、上様の恭順謹慎の実情を知らしめよと」
「そりゃまた難儀だが、重大な務めを頂戴したね」
 気楽な口ぶりとは裏腹に、勝は少なからず驚き、また落胆し、ことが面倒な状態に陥る可能性について考えを巡らさざるを得なかった。
 ―大奥や坊さんと来て、護衛の人間にまで頼むようになったかい。
 すでに慶喜は、謹慎中の上野寛永寺かんえいじにいる、輪王寺りんのうじ門跡を継承した公現入道こうげんにゅうどう親王、のちの北白川宮きたしらかわのみや能久よしひさ親王を通じ、助命嘆願を出している。
 また、十三代将軍・徳川家定いえさだの正室・天璋院てんしょういんこと篤姫あつひめや、十四代将軍・徳川家茂いえもちの正室・静寛院宮せいかんいんのみやこと和宮親子かずのみやちかこ内親王を通じても、同様のことを行っていた。
 天璋院は薩摩出身で薩摩藩藩主・島津斉彬しまづなりあきらの養女であったし、静寛院宮は今上天皇の叔母にあたり、東征大総督たる有栖川宮の婚約者だった過去があり、さらには東海道鎮撫とうかいどうちんぶ総督たる橋本実梁はしもとさねやなの従妹であった。
 血縁・縁故を頼った嘆願がてんでばらばらに行われたのだ。
 勝も大久保もうんざりだった。いずれも官軍に止められ、手紙はことごとく敵将の目に触れている。それがどのような影響を及ぼすかわからなかった。たとえ首尾良く徳川に有利な条件で和議を成功させたとしても、一方でより不利な条件での嘆願受け入れが事前になされていたなら、勝の努力は水泡に帰す。
 そうならないよう、勝は自分が直接、使者となると主張してきたのである。
 あるいは、もし自分の代わりに使者に立てるとしたら、慶喜の警護についている幕臣・高橋精一たかはしせいいち(のちの泥舟でいしゅう)を指名していた。やりの達人であり、態度誠実にして剛毅ごうき剛胆の男だ。
「槍一筋で位をもらった大馬鹿」
 勝は好意と感心を込めて、高橋のことを評している。
 この男なら生きて官軍の中枢に辿り着き、また西郷に対し赤心をもって慶喜と勝の意を、それぞれ正しく伝えられるに違いない。そう見ていたが、この高橋も動けなかった。慶喜が大変厚く信頼しており、身辺から離そうとしないのである。
(そのまた代わりがこれか)
 慶喜がわざわざ下位の幕臣を頼ったということは、高橋の推挙があったとみていい。
(だが、どうにも疑わしいぜ)
 腕は立つし剛胆なのだろう。だが生きて西郷に会うことができたとしても、激派の徒として知られた男では、功を奏するとは思えない。
 この新たな使者は無難な場所に送り込み、大勢に影響を与えさせないに限る。勝は相づちを続けながら、早くもそう判断していた。
「安房守様にお尋ねしたきことが幾つかあります。まず、それがしは官軍のどの将に訴えるべきでしょうか。あるいは京に赴いて直接、みかどに訴えるべきでしょうか」
 どちらも勝からすれば論外である。だいたいこの情勢下で、やすやすと帝への拝謁が許されるわけがない。その前に捕縛され、有無を言わせず斬り殺されるだけだろう。
「そうさな。どっちにしたって難儀なことだ。まあ、まだ戦うかどうかもわからない時分に、下手に動いて損を出すのも勿体ない。おれがこれはと思う相手を一人二人思いつくまで、ちょっと待ってくれないか」
 勝の返答の最中にも、山岡のでかい面貌めんぼうがみるみる引き締まり、壮烈な気魄をみなぎらせていった。
「この期に及んで、何をためらわれるか!」
 俄然、吠えた。目に見えぬ剣尖けんせんを勝の胸板に突っ込むような一喝である。

 
(第4回へつづく)
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