本屋大賞作家・冲方丁氏待望の歴史長編『麒麟児』が2018年12月21日に発売となります。5年ぶりの歴史長編となる『麒麟児』で冲方氏が描くのは、勝海舟と西郷隆盛。幕末最大の転換点、「江戸無血開城」を命を賭して成し遂げた二人の“麒麟児”を描く、著者渾身の歴史長編です。
本作の発売を記念して、12月7日(金)より12月19日(水)まで計13日間連続での試し読みを実施いたします。『麒麟児』の「序章」と「第一章」、総計82ページ(紙本換算)、約4万字を発売前にお読み頂けます!
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五
勝は、その回想を振り払い、しいて笑みを浮かべ、山岡と益満にあっけらかんと言った。
「二人同行ということになるんだ。どれほど久し振りに会ったのか知らんが、今のうちに腹を割って話さないといかんな」
すると、益満がようやく口を開いて、言った。
「途中で、私を斬ることになるかもしれないからですか」
益満は、頼みを受けるとも受けないとも言っていなかったが、それで益満がその気になっていることが勝と山岡に伝わった。
山岡も、でかい顔に力強い笑みを浮かべてみせた。
「斬ることはないと互いに信じ合えねば、道中、歩みが遅くなりかねません」
勝は煙管を片付け、
「昔懐かしい話でもすればいい。そうだ、清河八郎について聞かせてくれないか。その間におれは、西郷さんへの手紙を書いちまうよ」
障子を開けて門人に筆と紙を用意させる勝を、山岡と益満が呆れたように眺めた。
決戦間近たる戦いを止めるための和睦の書をしたためながら、人の話に耳を傾ける。そういう器用さが勝にはあった。そのくせ、日記の日付などはでたらめに書く癖がある。物事の本質さえつかめば、枝葉末節はどうでもいいと切って捨ててしまうたちだった。
門人に言って茶を出させながら、
「さ、聞かせてくれよ。そもそも清河八郎ってのはどんな人だったんだい」
勝は、すらすらと筆を走らせながら言った。
最初に口を開いたのは、山岡であった。
「行動の人でした。誰よりも多くの土地を巡って遊説し、これと決めたことを必ず行うので
す」
益満が、遠くを見るような眼差しになって後を続けた。
「学問も剣も、尋常ならざる修め方でした。昌平坂学問所を目指し、北辰一刀流の玄武館で学び、やがて免許皆伝。それがしも清河先生に剣で勝つことは、かないませんでした」
思い思いに語る二人に、勝が筆を執りながら訊いた。
「そんな人物が、どうして湯島に塾を開いたんだい? 昌平坂学問所に行ったんだろう?」
益満が笑みをこぼしながら答えた。驚くほど屈託のない笑顔だった。
「ただ秀才たらんとすることに飽き、権威と地位を得るためだけの学問に倦んだと……」
「そりゃまったく剛毅だ」
勝が紙に目を落としたまま感想を口にすると、山岡の方も、笑いをこぼした。
「頑迷ですらありましたな。とても穏やかな方でしたが……間違っているとみなせば、何としても正さねば気が済まないのです」
「それがなんで激派を好むようになったんだい?」
山岡が、せっせと筆を繰る勝の方をちらりと見ながら言った。
「井伊大老が、僅か十八名の志士によって首をとられたからです」
「桜田門外のあれか。誰もかれもが、あれで常軌を逸するようになったもんだ」
益満が大きくうなずいた。
「そもそもそれまで、大老を斬るなどという発想自体、どの藩士にもあり得ませんでした。全ては、帝が水戸に勅を下されたがゆえのこと。清河先生は、いつか自分たちにも、勅を下されるときがくる、そうあるべきだ……とおっしゃっていました」
「その発想も尋常じゃないね。それで結成したのが、虎尾の会ってわけだ」
山岡が懐かしむように微笑み、当時の合い言葉らしきことを、独白めいて口にした。
「国を守るため、虎の尾を踏むことも恐れず。帝を中心として日本を一つにまとめねば諸外国がもたらす国難を乗り切ることはできぬ。ゆえに必要なのは、尊皇攘夷である……」
勝が己の文面を眺め、ところどころ修正しつつ口を挟んだ。
「清河先生は、外国人なんてみんな殺しちまえっていう考え方をしていたのかい?」
山岡がさっと笑みを消した。
「それがしが知る限り、清河先生の言う攘夷とは、対等な貿易と外交を意味しておりました。
むしろこれからは外国との貿易の時代であり、生糸などはこの国の重要な産業になるので、大いに生産者を育てるべきだとおっしゃっていたのを覚えています」
「そりゃ慧眼だ。なんでそれなのに、外国人殺しで幕府から睨まれたんだね?」
勝の問いに、益満が宙へ目をさまよわせながら言った。
「それも私の仲間の激発ゆえです。清河先生の意見も聞かず、隙あらば悪辣な外国人を殺傷して回り……、薩摩藩もこれを止めるべく、自藩の浪士を捕らえて流罪にしています」
山岡が苦いものを口にしたように顔をしかめた。
「おかげで清河先生も咎めを受け、路上で同心連中の罠にかけられたのです。清河先生は何とか逃れたものの、以来、お尋ね者となってしまった。虎尾の会も潰れ、清河先生の妻子も兄弟も家族はみな伝馬町の牢に入れられました。それがしや義兄が釈放を嘆願したものの、妻君をはじめ多くが牢死し、生きて出られたのは三人のみでありました」
初めて山岡の声に非難の調子が生じ、益満はじっと聞いていたが、やがて静かに語り返した。
「逃亡の折、清河先生と我が同朋が仙台で鉢合わせしたのです。薩摩同志は、水戸が帝を奉じるべく上洛すると考え、合力しようと考えていました。これに清河先生が、朝廷の内部の者を頼り、攘夷の勅を奉じて官軍として挙兵すべきとする策を与えたのです」
勝は清書の紙を机に広げ、右手に顎を乗せて言った。
「官軍、というところは現実になったねえ。だが当時、島津久光公がその動きを止めたって話だぜ」
「はい……。清河先生は、久光様が兵を率いて上洛するのに合わせ、尊皇攘夷を説いて志士を集めました。ですが、当の久光様は公武合体論者でしたので、勅を得て挙兵することはできないだろう、時宜はいまだ到来しておらずと、考えを改められたのです。しかし、一部の志士がことを急ぎ、久光様から謀叛を疑われてしまいました」
勝は、顔を手からどかし、筆に墨をつけながら深沈とした調子で言った。
「ずいぶん死んだって聞いたよ」
益満が、ぐっと息を詰まらせ、身を強ばらせてうつむいた。
「久光様は、志士の粛清を、お命じになりました。薩摩人同士、寺田屋で数多の者が斬り死にし……、清河先生は、挙兵は無理と見定めて京を出ており無事でしたが……、我が同志は、ことごとく死にもした」
益満の流ちょうな江戸弁が、同志の死について口にするときばかりは薩摩弁の響きを帯びていた。
「さようであったか……」
山岡が組んでいた腕を解き、詰問口調を和らげて言った。
「それがしが清河先生と再会したのは、その後のことであった。清河先生は、一族の入牢に大変心を痛めておった。そこで、改めて建白書を用意し、それがしの義兄が、それを政事総裁職であった松平春嶽様にお渡ししたのだ。結果、清河先生の意が汲まれ、入牢していた志士は解放されたが……先生の妻君はすでに亡くなられていた」
「さようでありましたか……さぞ、ご無念でしたでしょう」
「見ているこちらが辛いほどであった。だが清河先生の狙いは正しかった。幕府が浪士の扱いにほとほと困惑していたことを見抜き、浪士組を結成して上洛させんとしたのだ。幕府はこの建白を認め、清河先生も罪を赦されることとなった。それがしも浪士組に参画し、二百数十名の浪士とともに上洛した」
「そこで新撰組が生まれたと聞きましたが……」
「彼らは佐幕の者たちであった。上洛後、清河先生は浪士たちに倒幕を説いてな。本分は尊皇攘夷であると。よってこれより浪士組として朝廷より勅をたまわらんとす、とな」
「可能だったのですか?」
そこへ、さらさらと清書していた勝が、二人の横で呟いた。
「びっくり仰天することに、勅が下されたのさ。京都守護職にあった会津の容保侯は驚愕したというぜ。そりゃあ、将軍警護のために遣わされた二百数十名に、いきなり攘夷の勅が下されたんだ。誰だって驚いちまうよ。しかも一介の流浪の身で勅を下されたなんてのは、後にも先にも、清河八郎って男だけだ」
「まさに。下された勅命は、江戸での攘夷決行。しかし松平容保侯の配下になりたいと申し出る浪士十数名がおり、清河先生と袂を分かった。その者たちが、のちの新撰組だ」
山岡の言葉は、ほぼ益満に向けられたものだった。この鋭い男は、勝が何もかも知っていて、あえて二人に話させていることをとっくに悟っていた。
「ですがその攘夷が決行されたとは聞きません。清河先生は、江戸に戻ってすぐに……」
「そう。我々は江戸に戻ったが、幕府の厳しい警戒の下にあった。我が義兄が、清河先生に身を隠すよう勧めたが、先生は、尊皇攘夷の魁となることを決心し、そして死んだ」
「幕府の手の者に斬られたと……」
「講武所の六、七名に首をとられた。浪士組が、首を取り戻したが……。それがしは義兄の嘆願で入牢を免れ、謹慎となった。以後は、ただ剣と禅に励み、己を空しくする日々であった」
益満がうつむき、しばらく勝が筆を走らせる音だけが部屋に響いた。
やがて、益満がぽつりと訊いた。
「首はいずこに?」
山岡は答えない。宙に目を向けているが、意識は勝に向けられている。そのことを勝は肌で感じていた。
この場は、山岡と益満が二人一体となれるかどうかを判断するため、勝が急場で用意した面談である。そして勝は、かねて山岡について聞いていた、あることを確かめたいと思っていた。まさに益満が、その核心に触れる問いを口にしてくれたのだ。
山岡も、勝の意図を悟り、答えるべきか否か思案しているようだった。
勝は手を止め、筆を置いて山岡の横顔を見つめながら、穏やかに尋ねた。
「幕府の面々はすっかり忘れちまってる。誰も重要なことだとも思っちゃいないが、ともかく清河八郎の首は、どこかに消えたって話だ。今頃、大事に弔われているのかねえ。それとも、川にでも投げ込むか、地面に埋めるかしちまったのかい、山岡さん」
益満が、はっと顔を上げた。
山岡は、深く入念な呼吸を行い、それから、勝に顔を向けた。
「お察しの通り、それがしがひそかに清河先生の首を、浪士組結成の地である伝通院に葬りました。ご遺族には、すでにそのことを告げております」
「清河先生の首を、あなたが……」
益満が、それだけ口にし、絶句した。
勝は、書き終えた手紙に、ふーっと息を吹き、墨を乾かした。
山岡がしてみせたような、腹の底から出す息吹を込めて。
風雲児たちが推し進めた時代の舳先にしがみつき、荒海に落ちぬよう必死になる自分たちに、せめてもの天佑があらんことを願いながら、熱い息を手紙に吹きかけていた。
(第10回へつづく)
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