本屋大賞作家・冲方丁氏待望の歴史長編『麒麟児』が2018年12月21日に発売となります。5年ぶりの歴史長編となる『麒麟児』で冲方氏が描くのは、勝海舟と西郷隆盛。幕末最大の転換点、「江戸無血開城」を命を賭して成し遂げた二人の“麒麟児”を描く、著者渾身の歴史長編です。
本作の発売を記念して、12月7日(金)より12月19日(水)まで計13日間連続での試し読みを実施いたします。『麒麟児』の「序章」と「第一章」、総計82ページ(紙本換算)、約4万字を発売前にお読み頂けます!
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勝は、見つめ合うその二人を横から眺めるかたちで座り、言った。
「これは薩人の益満休之助さんだ。事情があって、おれが預かってる。こっちは山岡鉄太郎さんだ。上様の警護に就いていて、これからあることを頼もうと思ってる」
山岡が、何かに納得したようにうなずいた。
「どなたが来られるかと思えば、益満さんか」
益満の方はうなずきはせず、興味深そうに山岡を見たまま言った。
「お久しぶりです、山岡さん」
「以前に比べ、面構えが変わった。一見し、違う方かと思ったほどだ」
「そうですか。どうにも殺伐とした日々を送っていたせいでしょうか」
益満が笑んだが、人に内心や己の行いを指摘される怖さから、上目がちの、どこか剣吞な仮面じみた笑みになっていることを勝は見て取った。大義に没頭し、修羅場をくぐり抜け、ときには悪をなすことを受け入れてきた者に特有の顔つきだ。
一方、山岡は相変わらず堂々たる態度で、目を伏せて話すということがない。
「おや、知り合いだったのかい」
勝が、二人の顔を均等に視野に置きながら、そらっとぼけて言った。実は、そうであろうと推察して、二人を引き合わせたのだった。
「以前、同じ塾に通っていたことがあります。清河塾です」
益満が答えたが、山岡がさらに加えた。
「虎尾の会で一緒でした」
「ははあ、あの清河八郎の塾か」
勝はまたそらっとぼけ、あえてゆったりした態度で煙草盆を引き寄せた。
「おれは清河八郎という人を知らんが、聞いたところから感ずるに、良くも悪くも大豪傑というべきだね。なんといっても、尊皇と攘夷の思想をいっぺんに日本に広めた人だ。おれが師事した佐久間象山先生と同様、時代を推し進めた、風雲児ってやつさ」
山岡も益満も、勝が清河を非難すると思っていたらしい。二人とも意外そうに勝を見やり、いつの間にか張り詰めたようになっていた空気が、すっと和らいだ。
勝はその機を狙い澄まし、益満に告げた。
「益満さん。どうか、この山岡さんと一緒に、西郷吉之助に会ってくれないか。おれの手紙を届けて欲しいんだ。手紙は、これから書くから、ちょっと待っていてくれ」
「西郷さんに……?」
「そうさ。腹心の一人であるあんたと一緒なら、山岡さんもきっと無事に辿り着ける」
山岡が益満を見た。ただ見るだけでなく、興味津々の、強い眼光を伴っていた。
「ほう。そうだったのか」
益満は無言で目を伏せ、代わりに勝が、のんびりした口調で告げた。
「江戸弁が達者なことから、長らく薩摩の間者として働いていたんだそうだ。で、西郷さんからの命で、江戸を攪乱するよう言われたのさ」
「先ごろ、薩摩藩邸の焼き討ちが行われましたな」
山岡が言った。でかい面相に似合わず、つくづく頭の回転が速いことに勝は満足した。
「あれは幕臣側の暴発といっていい。おかげで鳥羽・伏見の戦いが起こっちまった」
「とはいえ、薩摩藩邸に多数の浪人や、やくざ者まで集め、幕府御用聞きの商人および無辜の市民を襲わせたと聞きました」
勝は何も言わず、益満が口を開くのを待った。
「はい。その通りです」
益満が目を伏せたまま言った。行いを恥じたり悔いたりしているというより、密命と大義に従おうとしたものの、最後の最後で事態を御せなかったことが辛いような様子だ。
「先年、徳川将軍と幕閣が大坂城におりました時期、江戸の私どものもとへ、命が下されたのです。朝廷が倒幕の密勅を我が薩州と長州に下された、よって三田の薩摩藩邸を本拠地とし、倒幕の策を実行せよ、と」
「盗賊行為が策であったと?」
山岡が、咎めるのではなく不思議そうに尋ねた。
「幕府の足下を動揺させるためです。倒幕、尊皇、攘夷。これらに応ずる諸藩の浪士を五百名ほど招き、幕府御用の者に限って襲わせよと……。目標は、幕府の御用商人、佐幕の諸藩浪人、外国品を売買していた唐物屋、金蔵持ちの富商です」
すらすらと益満が答えた。計画を立てて激派浪人を差し向けたことが窺えた。
山岡の眉間に皺が寄った。勝は、煙草に火をつけ一服するふりをしながら呼吸を整え、山岡が益満に斬りかからんとしたときに備え、両膝に力を溜めていた。
「市中に火を放ち、無辜の民を殺害すること多数。婦女子を犯し、老人や子どもすら殺し、金品を奪ったと聞いているが」
山岡が、あたかも益満自身がそのような行いをしたかのように言った。
「はい。私もそう聞いています。大義の前の小事、と言い聞かせていました」
益満のいらえは、淡々と乾ききったものであった。
「大義という割に、挙兵もしなかったようだが」
「中止命令を受けたのです」
益満が変わらぬ調子で答え、山岡の眉間の皺が深くなった。
「なのに、薩摩藩の上屋敷が灰燼に帰するがごとき状況に陥ったと?」
「はい……。大政奉還がなされたため倒幕の挙兵は延期するはずでした。けれども昂然となる者たちを御すことあたわず、種々の暴発が起こったのです」
「また暴発か……」
山岡が深々と呼吸した。体内にわきかけた激情をすっかり吐き出したのだ。見事な息づかいだと勝は内心で大いに誉め、うっかり膝の力を抜きそうになってしまった。
「いかにも……。甲府城を攻めんとする者、あるいは相模で挙兵せんとする者、そういった者たちがあちこちで蜂起し、我々には止めることができませんでした。そうして敗れた生き残りが、続々と薩摩藩邸に逃げ込んできたのです。そればかりか、邸を見張っていた新徴組に追われて反撃する者があり、新徴組を預かる庄内藩の屯所に銃撃することまで起こりました」
山岡がじろりと益満を睨んで、さらに加えた。
「御城の二の丸に放火した者もいると聞く」
勝は、山岡が意外に事情通であることと、益満があえてその御城の放火にだけ言及しないことを見抜いた勘の鋭さに、心のなかでにやりとさせられた。
「それは……私どもに任された務めでした。その頃はまだ、中止命令が届いてはいなかったのです」
「誰彼構わず、市井の者を狙わなかったことを誉めるべきかな」
山岡が腕を組み、むしろ呆れたようにかぶりを振るのを見て、勝が言った。
「暴発は薩摩側だけじゃない。薩摩が騒動の黒幕だってんで、御城の留守居を務めていた老中の稲葉美濃守が強硬になっちまってな。庄内藩に、賊徒引き渡しを薩摩藩邸に求め、拒めば討ち入って召し捕れと、こう命じたんだ」
山岡が首を傾げた。
「庄内藩だけが薩摩藩邸を攻めたのではないようですが」
「たまたま銃撃を受けたからさ。私心で報復したとされりゃ庄内藩が咎めを受ける。だから他藩に協力を頼んだ。上山藩、鯖江藩、岩槻藩……それと、出羽松山藩だったか。おれの門人でもある庄内藩士の安倍藤蔵って男が、薩摩藩邸に単身乗り込み、賊徒の引き渡しを求めたんだ。その相手は、ええっと、誰だっけかな?」
勝は、益満を黙りこくらせないために話を向けた。
「留守居役の篠崎様です。引き渡しを拒み、安倍氏を邸の外に送り出したところを、庄内藩の兵に槍で殺されました……」
「それで、邸に大砲を撃ち込む焼き討ち騒ぎになった。邸を囲んでた方も、なかにいた連中も、邸の内外に火をかけてな。まあ、そんな騒ぎが起こったんだが、おれはそのとき海軍奉行で、海軍所は薩摩藩邸の件は何も聞かされてなかった。で、賊が海に逃げたから軍艦を出してくれ、と庄内藩から急に頼まれた海軍所が、急いで回天丸を向かわせて砲撃させたわけだ。この益満さんも、そこでお縄にかけられた。そしておれが益満さんと何人かを預かることになったんだ」
山岡がうなずいた。ひどく静かな眼差しを益満に向けている。
数知れない騒乱の火種を生み出し、ばらまいておきながら、ただ止められなかった、というのは勝手な言い分だと思っているようだったが、確かなことはわからない。基本的に質問をするだけで、非難めいたことは何も言わなかったからだ。
かつて同じ塾で尊皇攘夷の思想を学んだ相手である。多くの思いがあるのだろうが、黙然としてただ相手を見つめている。勝もあえて、その内心をあらわにさせようとはしない。
益満はただ、無言で畳に目を向けて微動だにしない。
彼の内心を満たすものがなんであれ、この時期、多くの人々の思いがそうであったように、数多の矛盾と変転を抱えながら、全ては一個の人間の脳裏と心髄のうちに秘匿されるばかりであった。
「もうこんなことは、終わりにしなきゃいけねえんだ」
勝が言った。二人とも多くを心に秘めたまま、ただうなずいていた。
(第8回へつづく)
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