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試し読み

15年前まで男だった俺は、いまや結婚して子供もいる主婦だ。『君の顔では泣けない』試し読み#2

圧倒的リアリティで「入れ替わり」を描く小説野性時代新人賞受賞作!『君の顔では泣けない』

9月24日に発売される小説 野性時代 新人賞受賞作『君の顔では泣けない』。
同級生と体が入れ替わって、元に戻れないまま15年が過ぎた――。
そんな驚きの設定とリアルな描写で発売前から話題沸騰の注目作です。
ありそうでなかった「入れ替わり」の物語、特別に試し読みをお届けします!

『君の顔では泣けない』試し読み#2

 駅のロータリーに車をつける。窓越しに外をのぞく。見覚えのある気難しげな顔が、きょろきょろと辺りを見回しているのが見えた。窓を下げて、おーいと声をかける。こちらを見つけた途端に顔がぱっと人懐っこくなって、小走りでやってくる。
「おっす」
「おっす。お迎えありがとうー」
 そう破顔するその男の姿は一年前とほとんど変わらない。無表情なときの近寄りがたさと、笑った顔の陽気な大型犬みたいな能天気さのギャップもだ。くるくるとカールした濃い茶色の髪の毛も余計犬っぽさを演出している。
 お邪魔しまあす、と不必要なくらいのテンションの高さで助手席に乗り込んでくる。どことなく緊張をはらんだ声色だ。それを受けてかこちらもやにわに体がこわってくる。車が走り出してからは、しばらく無言だった。耐えかねて「昼食べた?」と尋ねる。声がやたらとかすれていた。
「新幹線の中でお弁当食べてきちゃった。食べた?」
「いや、食べてない。ほうじんで食べようと思って」
「あー、いいじゃん。あそこのサンドイッチ何気においしいよね」
 言いながら、くるりと半身を回転させ後部座席に視線を移す。
「なんかまた、新入り増えた?」
 おそらく後部座席の後ろに鎮座しているぬいぐるみたちのことを指しているのだろう。ずっと昔からあるもので、それが幼い娘の為だったのか母の趣味なのかは分からない。ただ、どこで買ってくるのか時折思い出したように増えたり入れ替わったりしており、たまに洗濯している様子もある。
「よく分かったな。なんか変な熊のキャラクターが増えたよ」
「これ、なんのキャラ? アニメ?」
「全然知らない。多分本人もよく知らないまま適当に買ってる気がする」
「あー、そんな感じするね、確かに」
 鼻歌交じりに返事をするその声はだいぶかんしてきていて、思わずほっとする。この男と会うたびいつも何か試されているような気がする。ちゃんと生きているか。悪いことはしていないか。健康でいるか。美しくいるか。そう詰問されているみたいだ。
 車を十数分走らせて、小さな駐車場に停める。異邦人という名前のその店は、幼い頃からずっとある喫茶店だ。会うときはここでお互いの話をするのがいつの間にか不文律になっていた。昔はスナックだったらしく、しばらくは酒に焼けた声のおばちゃんがカウンターで仕切っていたが、いつの間にか息子に代替わりしていた。それでもコーヒーとサンドイッチの味は変わらないままだ。
 席について、ハムサンドとアイスコーヒー、アイスクリームとコーラをそれぞれ頼む。妙にぬるい冷房も昔と変わらない。
「アイスクリームにコーラって」
 からかうと、いいでしょべつにー、と舌を出される。
「で、どうですか、最近は」
 目の前の男がおしぼりで手をきながら尋ねてくる。清潔感のある白いシャツの姿は相変わらず様になっていて、少し安心する。きっとそうあろうとしてくれているのだろう。ふわふわとしたパーマがきちんとセットされている。それはこちらとて同じことで、夫とデートしていたときよりも化粧や髪形に気合が入っている。れいなままだねと思わせないと負けだという気持ちと、相手の努力に見合う姿でいなければという気持ちがある。
「まあそんなに変わらずかな。夫も子供も元気だよ。娘はもうすぐ三歳だし、ようやくちょっと手がかからなくなってきたかなって感じ」
「へー。じゃあ今一番かわいいときじゃん」
「まあねー。でも生意気盛りでさ。もう毎日戦争だね」
「そりゃたいへんだ。で、ごめん、これ毎年聞いてる気がするんだけど、今はみずむらじゃなくて、なにさんになったんだっけ?」
はす。大丈夫、俺もいまだにいまいちしっくりきてないから」
 お待たせしました、との言葉と共にそれぞれが頼んだものが運ばれてくる。おーおいしそうー、と三十男がスプーンを手にはしゃぐ。
「水村は? 今の子とは結婚とか考えてないの?」
 んー、とアイスクリームを口に含みながらうなる。
「まあ仲良くはやってるよ、でも結婚ってのはあんまり考えてないなあ」
「でも三十にもなると周りから言われるっしょ。結婚しないの? って」
「言われる言われる。表向きはちゃんと言うよ、したいんですけどねえって。したくないって言うと根掘り葉掘り聞かれてめんどうなんだもん。まあ男だからね、女の子よりは口うるさくは言われないっていうのはあるだろうから、そこはいいんだけど」
「俺はそんなに色々言われなかったけどなあ」
「まあ、さかひらくん結婚したのわりと早かったもんねー。いつの間にかお母さんにまでなっちゃって」
 適当にあいづちを打ちながら、アイスコーヒーにガムシロップとミルクを入れてかき混ぜる。充分に混ざったのを確認すると、マドラーを取り出しくわえてなめとる。そしてそれを口から出すと、アイスクリームをうまそうに頰張る男に突きつける。
「言っとくけどな、お前な、さっきからところどころ女出てっからな」
 耐えきれなくなって指摘すると、えーうそやだーと口に手を当ててわざとぶりっ子する。
「でも言っとくけど坂平くんもだからね。さっきからちょいちょい一人称が俺になってるよ」
 さっきの仕返しのようにスプーンを突きつけられる。丸まったその背に店内の光が鈍く反射する。サンドイッチを頰張りながら、まじか、とだけ返す。
「まじだよ、まじ。かわいくないしやめてよねー」
「なんかあれかも。田舎に帰ると方言が出てきちゃう、みたいな。そういう感じ」
「あーでもそれわかるかも。二人きりだと油断して、素に戻っちゃう感じ。もうずいぶん経つのにね」
 そうだ。もうずいぶん経つ。今年で十五年。この体に慣れて馴染んだつもりでも、本来の自分のようなものはずっと奥に潜んでいるのかもしれない。
 十五年前。俺たちの体は入れ替わった。そして十五年。今に至るまで、一度も体は元に戻っていない。

       15

 鮮烈に記憶に残っているのは、目の前に広がるピンク色のカーテンだ。朝の気持ち良い目覚めには向かないショッキングピンクの水玉は、俺の寝ぼけたのうを一気にかくせいさせた。そもそも自分が寝ているのがベッドなのだというのに気付く。いつもは畳に布団を敷いて弟と並んで眠るのに。そういえば弟もいない。そもそもこの部屋は和室ですらない。見覚えのない机、見覚えのない本棚、見覚えのないパジャマ。気味が悪くなって半身を起こす。途端に鈍い痛みが下腹部に走った。腹をさすりながら、ベッドから這い出て姿見を確認する。
 そこには見覚えのある女がいた。同じクラスの水村だ。水村が、チェックのパジャマを着て腹を押さえた姿が映っている。
 それまで混乱に支配されていた頭が、その姿を見たとき何故かすうっと冷静になった。そして自分の置かれた状況を把握する。理由は分からないけれど、俺は水村になってしまった。夢とか妄想のたぐいではない、とどうしてかそのときははっきり思えた。腹の奥の鈍痛のお陰かもしれない。
 それにしても何故水村なのだろう。特に親しくもないし、それどころかろくに話した記憶もない。ただ同じ授業を受けている大勢の中の一人だ。それに前日は何事もなく眠りに就いたのに。両親におやすみを言って、弟と一緒に布団に潜り込んだ。いつもと変わらない一日の終わりだったはずだ。
 ふと時間が気になって部屋を見回す。壁の時計は七時の少し先を指していた。いつもよりだいぶ早い目覚めだ。学校に行かなきゃ、という考えが浮かんでくるあたり、我ながらなかなか優等生だと思う。
 パジャマのまま部屋を出る。当然だが見覚えのない家で、無意識に足音を殺しながら階段を下りる。
 一階に降りると、卵の焼ける香りが漂ってくる。キッチンを覗き込むと、エプロンをつけた女の人の後ろ姿が見えた。きっとこの人が水村の母親なのだろう。一気に手足が冷たくなる。この人を欺かなければ。躊躇ためらいもなくそう思った。娘になりきらなければ。からからに渇いた口を開く。
「おはよう」
 ゆっくりと声に出す。自分が発したとは思えないほど高い声が出て面食らう。おはよう、と背を向けたまま水村の母親が返してくる。その後どう言葉を続けていいか分からず、思わず立ち尽くしてしまった。
「なにぼーっとしてんの。早く席着きなさい」
 水村母がフライ返しを手にしたまま振り返る。目が合ってぎくりとする。水村には似ていないな、と思った。丸いひとみをした水村とは対照的に三角の少しきついまなしをしていて、薄い唇は気難しげにへの字に曲がっている。じわりと恐怖心がにじんでくる。
「なんであんたまだパジャマなの。顔洗ったんなら着替えてきなさい」
 今思えば単なる母親から娘への小言程度のしつせきだったのだろうが、その時の俺にはたったそれだけの言葉がえぐるように突き刺さった。だんだんと増していく腹の痛みのせいもあっただろう。ごめん、と掠れた声を出すので精一杯だった。
 よほど顔色がそうはくだったのだろう。り上げたまゆを今度はひそめて、顔を覗き込んでくる。
「どうしたの、具合悪いの?」
 うん、ちょっと、とうなずく。
「あらあ。もしかして、昨日れちゃったせいじゃないの。熱は? 計った?」
「ちょっと、トイレ」
 それだけ告げると心配そうな視線を背に廊下へ出る。ここだろうと思って開けたドアの先は浴室だった。慌てて閉めて、今度こそトイレのドアを開けて入る。
 ズボンと下着を脱いで便座に腰掛ける。今思えば目の前にき出しの異性の性器があったというのに、その時は興奮どころではなかった。胃でも腸でもなく、腹の下の辺りがぎりぎりと締め付けられる痛みがある。排便痛ではないことは明らかだった。どうしたらいいか分からずただ腹を押さえて唇をむ。
 すると、またから何かどろりとしたものが這い出た。同時に生臭い臭いがする。恐る恐るシャツをたくしあげて、便座を覗き込む。白い便器には、濁ったゼリーに似た血の塊がべったりと落ちていた。
 くらくらと目眩めまいがした。泣きそうになりながら性器をトイレットペーパーで拭く。だが、拭いても拭いても紙が赤く染まる。どうにか拭き切るとトイレを流し、扉の外へ出た。それでも痛みが治まらない。腹をかばうようにしてうずくまる。また体の奥から生暖かい液体があふれて、尻を伝う感触がした。赤く汚れていく下着やパジャマのズボンを想像して、俺は思わず強く目をつぶった。
 水村の母親が慌てて駆け寄ってくるまで、俺はひとり廊下で丸くなって泣いていた。

つづく

作品紹介『君の顔では泣けない』君嶋 彼方



君の顔では泣けない
著者 君嶋 彼方
定価: 1,760円(本体1,600円+税)

圧倒的リアリティで「入れ替わり」を描く小説野性時代新人賞受賞作!
高校1年の坂平陸は、プールに一緒に落ちたことがきっかけで同級生の水村まなみと体が入れ替わってしまう。いつか元に戻ると信じ、入れ替わったことは二人だけの秘密にすると決めた陸だったが、“坂平陸”としてそつなく生きるまなみとは異なり、うまく“水村まなみ”になりきれず戸惑ううちに時が流れていく。もう元には戻れないのだろうか。男として生きることを諦め、新たな人生を歩み出すべきか――。迷いを抱えながら、陸は高校卒業と上京、結婚、出産と、水村まなみとして人生の転機を経験していくことになる。
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322105000257/
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9月24日発売予定単行本・第12回小説 野性時代 新人賞受賞作『君の顔では泣けない』(著・君嶋彼方)と、10月22日発売予定単行本・第41回横溝正史ミステリ&ホラー大賞〈大賞〉受賞作『虚魚』(そらざかな)(著・新名智)という、ふたりの実力派新人のデビュー作を盛り上げるべく立ち上げられたプロジェクトです。 文芸界の新たな才能をお見逃しなく!



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