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試し読み

規格外の大型新人、デビュー!小説 野性時代 新人賞受賞作『君の顔では泣けない』試し読み#3

圧倒的リアリティで「入れ替わり」を描く小説野性時代新人賞受賞作!『君の顔では泣けない』

9月24日に発売される小説 野性時代 新人賞受賞作『君の顔では泣けない』。
同級生と体が入れ替わって、元に戻れないまま15年が過ぎた――。
そんな驚きの設定とリアルな描写で発売前から話題沸騰の注目作です。
ありそうでなかった「入れ替わり」の物語、特別に試し読みをお届けします!

『君の顔では泣けない』試し読み#3

 結局その日は学校を休むことになった。ナプキンを替えられ、痛み止めを飲まされると、今日は大人しくしてなさいと布団に寝かしつけられた。冷たい手のひらを俺の頰に当てる水村の母の顔にはさっきの威圧感はなく、俺はほっとした。
 昼前になると痛みも治まって、その頃ようやく俺は自分の状況を飲み込みつつあった。
 どういう理由かは分からないが、俺は水村になってしまった。この状況を表す心当たりのある単語がいくつかある。入れ替わり。変身。様々な物語で目にしてきた現象だ。奇跡のような出来事だ。それが、おそらく俺の身にも起きている。
 意味が分からない。何が奇跡だ。そんな最低な奇跡、クソ食らえだ。
 そういえばそもそも、本来の俺は一体どうなってしまったのだろう。不安がよぎる。家に電話してみようか、と思い立つ。両親は仕事だし弟も学校に行っているはずなので、もしかしたら誰も出ないかもしれないが、かけるくらいしてみよう。一階にいる水村の母が、買い物か何かで出かけるタイミングを待とう。
 そう思っていると、急に部屋の中に音楽が鳴り響いた。思わずびくっと体を震わせる。聞き覚えのある曲だ。なんてやつだっけ。そうだ、オレンジレンジの『花』だ。そんなことを考えながら音の出所を探していると、机の上で携帯電話がぴかぴかと点滅しながら音を発していた。どうやって出るんだこれ。慌てながらそれっぽいボタンを押して、どうにか通話状態になる。
「もしもし」
 反射的にそう口にしてから、相手が誰か確かめることすらせず電話に出てしまったことに気が付いた。違和感を気取られてはまずい、と思わず身を硬くする。しかし、相手は何も言ってこない。恐る恐るもう一度「もしもし?」と声をかける。
「もしもし」
 今にも消え入りそうな男の声が聞こえてくる。そう言ったきり言葉を発する気配がない。
「あの、水村ですけど」
 無音になるのが怖くて、声をかける。相手が小さく、ああ、とつぶやくのが聞こえた。
「あの。私、たぶん坂平です」
 さっきよりもか細い声だったが、その言葉でようやく可能性の一つが確信に変わる。
「お前、水村だろ」
 電話の向こうから、大きく息を吸う声が聞こえた。
「坂平くん?」
 その言葉を聞いて、俺はその日初めてあんした。理由はどうあれ、今俺たちが置かれている状況をようやく知ることができたのだ。
「うわあまじか、まじでそういうやつか。そういうのってまじであるのか」
 状況を知ると同時に新たな困惑が襲ってくる。携帯電話を片手にベッドの上でのたうち回っていると、「ねえ。ねえ、坂平くん」と声をかけられた。
「とりあえず、会って話さない? 家出てこられる?」
「あ、確かに、それがいいな。お前の母さんいるけど、まあ、どうにかして家出る」
 じゃあ、三十分後に異邦人で、と約束して、大通りまで出る行き方を互いに教える。そこまで行けばきっと分かるだろう、と確認し合って電話を切った。
 とりあえず着替えなければ、と思いクローゼットを開けるが、見事に何を着ていいのか分からない。適当にシャツを選び、きちんと畳まれたスカートたちの奥から半ズボンを引っ張り出す。服を脱ぐときに一瞬ちゆうちよしたが、まあ今更かと思い直し、着替えて階段を下りる。
「ちょっと出かけてくる」
 テレビを見ていた水村の母親に声をかける。こちらを振り向く気配がしたが、顔を合わせないようにして玄関へ急ぐ。
「え、なにあんた、もう具合だいじょうぶなの?」
「大丈夫。行ってきます!」
 水村に教えてもらった通り、靴箱の上にある白い小箱から自転車のかぎを取り出し、並べてあったスニーカーを履き、ドアを開ける。途端にわん、と犬のえる声がして段差を下りようとしていた足が思わず止まる。真っ白い大きな犬が庭先から顔を出していた。
 あいつ犬飼ってんのか。鋭い動物のきゆうかくとやらで、もしかしたら俺が本当の水村でないことに気付かれるかもしれない、と一瞬身構えたが、当のそいつは間の抜けた顔で舌を出し尻尾を振っているだけで、思わず頰が緩んだ。頭をわしゃわしゃと撫で、車庫にしまってあった自転車にまたがる。
 異邦人に向かいながら、女というだけでこんなにも勝手が違うものか、と思っていた。まず自転車をぐ足に力が入りづらい。坂道がかなりしんどい。いつもしている立ち漕ぎも長い間はできなかった。そして、どこからかは分からないが風が吹くとふわりといい香りがする。これは多分俺の匂い、すなわち水村の匂いだ。シャンプーなのか洋服の洗剤なのかは分からないが、甘い匂いがして下半身がむずむずする。むずむずしながらもいつも勝手に反応するそれは存在しなくて、腹の奥がもやもやとするだけで居心地が悪い。そんなことを思いながらもかんからどろりと何かが滑り落ちる感覚が時折あって、不快さで思わずサドルから腰を浮かす。
 異邦人には水村が先に着いていた。扉を開くカランというベルの音で、ぱっと奥の席に座っている男が顔を上げる。間違いなく俺だった。俺の顔をした男が、不安げな表情でこちらをまじまじと見つめている。他に客は誰もいない。きちんと効いているのかどうかも分からない冷房の唸る音だけが響き渡る。
 いらっしゃいませ、という酒焼けした店主のおばちゃんの声を背に、そいつの向かいに座る。不安で曇っていたはずの両目がいつの間にか好奇心の色を帯びて俺をねめつけている。
 自分という存在がテーブルを挟んでそこにいる。でもそれは自分ではないのだ。ものすごい居心地の悪さを感じた。少し恐怖心に似ていたかもしれない。何も言葉を口にすることができなかった。それは相手も同じなようで、ただじっと俺を見つめ続けている。俺は気味が悪くなってじっと目を伏せ続ける。
 おばちゃんが水を持ってきてテーブルに置く。何にしますか、とかれ「アイスコーヒーひとつ」と答える。席には既に飲みかけのコーラが置いてあった。お待ち下さい、というしゃがれた声が聞こえたと同時に、俺は手ぶらで来てしまったことを思い出す。
「あ、やばい。どうしよう俺お金忘れた」
「あ、だいじょうぶ。私持ってきたから」
 その言葉に思わず顔を上げる。目が合った。俺がいる。あ、俺ってこんな顔してるんだな、と思った。見慣れているはずなのに、鏡に映っていた時とは違う違和感があった。よくよく見ると着ている青いシャツは俺のじゃなくて弟のだ。自分の顔をした人間が、か細い声で女言葉を使っているのを見ても、不思議と気持ち悪さは湧かなかった。全く性格の違う双子の相手を見ているようで、違う生き物なんだなと変に納得していた。
「だいじょうぶって言っても、坂平くんのお金だけど。ごめん」
「あーいや、まあしょうがないっしょ。むしろ、ありがとう」
 答えながら、俺の声ってなんか気持ち悪いな、みんな気持ち悪いって思いながら聞いてたのかな、なんて思っていたら、「私の声ってこんななんだ」と水村がぽつりと呟いた。
「機械とか通さない自分の声ってはじめて聞いたかも。なんで自分の声を聞くときってちょっと違く聞こえるんだろうね」
 言いながら水村が下唇をいじる。俺の口の形がぐにゃりとゆがむ。もう既に俺の体がなずけられた気分になって、少しムッとする。
「そんなことどうでもいいよ。問題はなんでこんなことになっちゃったのかってことだろ」
「そうそう、それだよね。ほんとびっくりしたよ、朝起きたら知らない部屋にいるんだもん」
「てか意味分かんなくね? 漫画とかドラマとかだとさあ、こういうのって何かきっかけみたいなもんがあるもんじゃん。そういうの一切なくね?」
「え、でも私あれだと思った。昨日のプール。っていうか、私と坂平くんの接点ってそれしかないかなあって」
 プール? その単語を反復してみて、ようやく思い出す。いくらこの状況に困惑しているからとはいえ、どうして気付かなかったのだろう。

つづく

作品紹介『君の顔では泣けない』君嶋 彼方



君の顔では泣けない
著者 君嶋 彼方
定価: 1,760円(本体1,600円+税)

圧倒的リアリティで「入れ替わり」を描く小説野性時代新人賞受賞作!
高校1年の坂平陸は、プールに一緒に落ちたことがきっかけで同級生の水村まなみと体が入れ替わってしまう。いつか元に戻ると信じ、入れ替わったことは二人だけの秘密にすると決めた陸だったが、“坂平陸”としてそつなく生きるまなみとは異なり、うまく“水村まなみ”になりきれず戸惑ううちに時が流れていく。もう元には戻れないのだろうか。男として生きることを諦め、新たな人生を歩み出すべきか――。迷いを抱えながら、陸は高校卒業と上京、結婚、出産と、水村まなみとして人生の転機を経験していくことになる。
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322105000257/
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実力派新人のデビューを応援する「ナキザカナプロジェクト」進行中!

最新情報は特設サイトで↓
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「ナキザカナプロジェクト」とは?
9月24日発売予定単行本・第12回小説 野性時代 新人賞受賞作『君の顔では泣けない』(著・君嶋彼方)と、10月22日発売予定単行本・第41回横溝正史ミステリ&ホラー大賞〈大賞〉受賞作『虚魚』(そらざかな)(著・新名智)という、ふたりの実力派新人のデビュー作を盛り上げるべく立ち上げられたプロジェクトです。 文芸界の新たな才能をお見逃しなく!



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