僕たちは、未来をどう生きるか。――感動の人生哲学!
3.11で卒業式が中止になった生徒たちへ贈られたメッセージは80万回以上の接続を記録。若者に勇気を与えた校長(当時)として人気の著者・渡辺憲司(現・立教大学名誉教授、自由学園最高学部長、元立教新座中学・高等学校校長)の教師生活51年の最終講義。混迷の時代に、生きることの意味を問う、多くの気づきと自信を与えてくれる人生哲学書。
2月25日(木)の発売に先駆けて【第一章 時に海を見よ】より「卒業式を中止した立教新座高校三年生諸君へ」をお送りします。
卒業式を中止した立教新座高校三年生諸君へ
諸君らの研鑽の結果が、卒業の時を迎えた。その努力に、本校教職員を代表して心より祝意を述べる。
また、今日までの諸君らを支えてくれた多くの人々に、生徒諸君とともに感謝を申し上げる。とりわけ、強く、大きく、本校の教育を支えてくれた保護者の皆さんに、祝意を申し上げるとともに、心からの御礼を申し上げたい。未来に向かう晴れやかなこの時に、諸君に向かって小さなメッセージを残しておきたい。
このメッセージに、二週間前、「時に海を見よ」と題し、配布予定の学校便りにも掲載した。その時私の脳裏に浮かんだ海は、真っ青な大海原であった。しかし、今、私の目に浮かぶのは、津波になって荒れ狂い、濁流と化し、数あ また 多の人命を奪い、憎んでも憎みきれない憎悪と嫌悪の海である。これから述べることは、あまりに甘く現実と離れた浪漫的まやかしに思えるかもしれない。私は躊躇した。しかし、私は今繰り広げられる悲惨な現実を前にして、どうしても以下のことを述べておきたいと思う。私はこのささやかなメッセージを続けることにした。
諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、いかなることなのか。
大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。
大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準にあるかもしれない。しかし、地球全体の視野で考えるならば、大学に行くものはまだ少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権意識を持つ者の驕りがあるといってもいい。
多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。そうか。友人を得るためなら、このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。どの社会にあろうとも、よき友人はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった保証はどこにもない。そんな思い上がりは捨てるべきだ。
楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。
君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。
学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。
誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。
大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。
言葉を換えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。
中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。
大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。
大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。
池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。
「今日ひとりで海を見てきたよ」
そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷うなずいてくれるに違いない。
悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。
時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。
いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。
海を見つめ、大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。
真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。
鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。
教職員一同とともに、諸君等のために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそう。
「真理はあなたたちを自由にする(H AΛHΘEIA EΛEYΘEPΩ ΣEI YMAΣ ヘー アレーテイア エレウテローセイ ヒュマース)」 (ヨハネによる福音書8章32節)(後略)
梅花春雨に涙す二〇一一年弥生一五日。
立教新座 中学・高等学校 校長 渡辺憲司
(第2回では【おわりに+解説の一部】をご紹介します)
書誌情報
生きるために本当に大切なこと
著者:渡辺憲司
発売:2021年2月25日(木)※電子書籍同日配信予定
定価:本体700円+税
体裁:文庫版
頁数:240頁
装画:坂之上正久
装丁:アルビレオ
ISBN:9784041110621
発行:株式会社KADOKAWA
初出: 著者ブログ「自由学園再校学部学部長ブログ」
https://www.jiyu.ac.jp/college/blog/ga/65171
詳細ページ:https://www.kadokawa.co.jp/product/322010000447/
著者プロフィール
渡辺憲司(わたなべ けんじ)
1944年函館市生まれ。立教大学大学院博士課程修了。横浜市立横浜商業高等学校定時制教諭、私立武蔵中学校高等学校教諭、梅光女学院大学短期大学部・文学部教授等を経て、2010年8月より立教新座中学校高等学校校長。専門は日本近世文学。著書に『近世大名文芸圏研究』『江戸遊里盛衰記』『新版色道大鏡』等がある。現在、自由学園最高学部学部長。