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【伊東潤「上意に候」全文公開!⑩】秀吉の甥・豊臣秀次の悲運とは。最注目の合戦連作集『家康謀殺』より

桶狭間合戦、関ヶ原合戦、大坂の陣など、戦国時代の合戦や主要事件を網羅した、著者の集大成的短編集『家康謀殺』(著・伊東潤)より、「上意に候」を特別公開!第1回から読む

前回までのあらすじ:秀吉の甥・秀次は、石田三成の計略にかかり朝廷の怒りを買ってしまう。拾丸(秀吉の実子。後の秀頼)の誕生に伴い、秀吉の邪魔者になった秀次は政争から身を引こうとするが……。

 八


 まんじりともしない一夜が明け、七月三日になった。
 夜明け前に斎戒沐浴もくよくした秀次は、大坂に向かう支度を始めた。その最中に突然、大坂から奉行衆がやってきたとの知らせが入った。
 何事かと訝しみながら装束を整えた秀次は、奉行衆の待つ接見の間に向かった。
 そこにいたのは、前田玄以げんい増田ました長盛ながもり、石田三成、そして三成の下役の富田知信とものぶの四人だった。
「奉行がおそろいで、今日は何用かな」
 秀次はあえて陽気に言ったが、奉行衆は顔を強張らせたまま何も言わない。それだけで訪問理由は明らかだった。
「謹んで言上させていただきたい儀があり、まかり越しましたる次第」
 両拳りょうこぶしを突きつつ富田知信が膝をにじる。
「堅い言葉は使うな」
「はっ」
 秀次が知信を鋭くたしなめる。その時、三成と視線が合った。
 ──此奴こやつ
 秀次の胸奥から、憎悪の炎がわき上がる。
 凍えるほどの緊張に耐えられなくなったのか、知信が先を急いだ。
「大坂では、関白殿下が逆心を抱いているとの雑説がございます」
「逆心だと。無礼であろう!」
 反論しようとする秀次を三成が制した。
「まずは、われらの話をお聞き下さい」
「分かった。聞こう」
 知信が話を続ける。
「先日、関白殿下が鹿狩りをなさった際、配下の者どもは物々しいいでたちで、山野を駆けめぐったと聞きました」
「そうだ。鹿狩りと言っても実戦と同じように兵を進退させねばならぬ。それゆえ兵たちの心構えが緩まぬよう、甲冑を着けさせた」
「武具まで持っていたと聞きましたぞ」
 増田長盛が口を挟む。
 ──此奴も治部の同類か。
 秀次がにらみつけても、長盛は平然としている。
「太刀くらい勢子でも持つ。その何が悪い」
 知信が話を引き取った。
「聞いたところによると、長柄や鉄砲を挟箱はさみばこに入れていたとか」
「そんなことは知らん」
 秀次は馬鹿馬鹿しくなってきた。挟箱の中身まで、秀次が知るよしもない。
「また、夜の宴席では謀反の談合をなされていたとか」
「謀反の談合だと。戯れ言もほどほどにせい」
「戯れ言ではありません」
「それでは、そうしたことをいったい誰が申しておるのだ」
 知信に代わって、三成が答えた。
「木村常陸介に候」
「何だと」
「三日前、常陸介が大坂に逃れてきて、それがしに洗いざらい話してくれました」
「何を馬鹿な」
 酒井忠次の言ったことは事実だった。
「よいか。此度の鹿狩りも、それを実戦さながらの装束でやることも、すべて常陸介の献言によるものだ」
「それは初耳」
 三成がとぼけたように言う。
「此奴、常陸介を脅し、わしを陥れようとしておるな」
「何のお話か!」
 秀次と三成の間に火花が散る。
「お待ちあれ」
 すかさず前田玄以が間に入る。
「太閤殿下は関白殿下を罰しようなどと思っておりません。此度の件は、行き違いから生じたものとご存じです。それゆえ七枚継ぎの誓詞をお出しいただくことで、落着させると仰せです」
 秀吉は、牛王ごおう宝印を捺した七枚継ぎの誓詞を差し出せば「水に流す」と言っているらしい。
「そうか」
 秀次としても、それで済むなら、それに越したことはない。ましてや三成との間に遺恨を生じさせてしまっては、秀吉に何を讒言ざんげんされるか分からない。
 神職を呼んで祭壇を設け、様々な神を招くべく凄まじい祈禱を上げさせた後、神が乗り移ったとされる牛王宝印紙に、秀次は誓詞を書いた。
 その一部始終を見届け、誓詞を受け取った奉行衆は大坂へと帰っていった。
 ──果たして、これで済んだのか。
 奉行衆が聚楽第まで出張ってきたということは、それで済む話ではない。秀次は秀吉の沙汰に先んじて伏見に伺候し、秀吉に釈明しようと思った。だが下手に動き回れば逆に疑われると思い直し、静観することにした。
 秀吉は元来、堂々とした武辺者を好むところがあり、何かの弁明であたふたと動き回った者が、よい結果を得たことはない。
 ──ここは様子を見るか。
 だが秀次の知らないところで、事態は予期せぬ方向に動き始めていた。
 五日、三成は秀吉の許に伺候し、秀次が独自に毛利輝元とよしみを通じ、黄金三百枚を貸していたという事実を報告する。秀吉を介さずして大名同士が誼を通じることは、豊臣家中で禁じられており、それを破っただけでなく、金銭の貸借まで行っていたというのだ。
 秀吉は嘆息し、「こうした誤解が生じるのも、父子の間で顔を合わせていないからだ。秀次をすぐに呼び出せ」と三成に命じた。
 七日、前田玄以、宮部継潤、中村一氏、堀尾ほりお吉晴よしはる山内やまのうち一豊かずとよが聚楽第に現れ、秀吉のいる伏見城に伺候するよう伝えてきた。
 宮部継潤はかつての養父で、玄以を除く三人は、秀次が近江八幡二十万石の領主だった頃の年寄だった。五人は秀次に近い立場の者たちで、こうした者たちを派遣したということは、秀吉の怒りも収まってきているように思えた。
 支度を整えた秀次は早速、伏見に向かった。
 八日、伏見城に伺候した秀次が大手門で入城を請うと、「それには及ばず。木下吉隆よしたか邸に入り、上使を待つように」という秀吉の命が伝えられた。
 ところが木下邸に着いてすぐ、秀吉の使者がやってくるや、「ご対面に及ばず。本日のうちに高野山に向かうべし」と告げてきた。
 ──高野山だと。
 秀次はその理由を問うたが、使者は「上意に候」と言うだけで、取り合わない。

>>第11回



ご購入&冒頭の試し読みはこちら▶伊東潤『家康謀殺』
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インタビュー▷ネットが無い戦国時代の情報戦【伊東潤『家康謀殺』インタビュー】
対談▷悪魔の唄、ここに誕生――【伊東潤×金属恵比須】歴史小説家とロック・バンドの異色コラボ第二弾!
レビュー▷名作の誕生(評・縄田一男)


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