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試し読み

【第1章がまるごと読める!】ホラー界の異才が満を持して放つ、因習に満ちた村の怪異――芦花公園『極楽に至る忌門』試し読み

「あ、電話だ。俺、出ますねっ」
 隼人は逃げるように立ち上がって、廊下まで歩を進めた。
「出なくてえい!」
 祖母が怒鳴ったのと、隼人が受話器を耳に当てたのはほぼ同時だった。
『ととをくうちょるんですよねえ』
「はあ?」
 あいさつも無しに相手が意味不明な問いかけをしてくる。何を聞かれているのかも分からないから、自然と返答もぶっきらぼうになる。
 相手は隼人の様子など気にも留めず続けた。
『ととを、くうちょるんですよねえ』
 電話口の相手の顔は見えない。ただ、声の調子から、にやついているのは分かる。悪意を持って。
 ついさっきまで目の前の老人を不気味だと思っていたが、その感情は消える。代わりに、怒りがいてくる。
 やはり、村八分になっていたのだ。
 これが、嫌がらせか、と思う。
 彼女がおかしくなるのも当たり前だ。
 嫌がらせを受けて、おかしくなって、あんな変な問いかけをしてしまったのもそのせいだ。
「ふざけんなよ」
 隼人ののどから絞り出すような声が漏れた。
「ふざけんな、お前、誰だか知らねえけど、おばあさんにこんな下らねえことして」
「やめてっ」
 遮ったのはほかならぬ匠の祖母だった。
「もう聞かなくていい、切ってっ」
 悲鳴のように言う。隼人はおびえる彼女の様子を見て、ますます許せなくなった。再び、電話口に向けて怒鳴る。
「てめえ、どこの誰だよ」
『まわりまわりのこぼとけはぁ』
 やめてえ、やめてえ、と繰り返している。
『なぁぜにせがひくいぃ』
 電話の主はあざけり混じりに歌っている。
『おやのたいやにととくうてえ、そおれでせがひくいぃ』
 ブツッと、脳に響くような音がした。
 匠の祖母が受話器を奪い取り、強制的に電話を切る。
「やめてって言うたがでしょう!」
「ご、ごめんなさい……」
 祖母ははあはあと荒く呼吸をしてから、よろよろとした足取りで居間に戻り席に着く。
「ごめんなさい、勝手なことして……でも、俺……」
「もうええから」
 弱々しいが、有無を言わさない口調だった。
「もうええから、食べ終わったんやから、おに入りなさい」
「あの、匠は……」
「あの子のことは、ええから。あなたは、お風呂に入りなさい」
 隼人はうなずいて、食器を重ね、シンクまで運ぶ。
 不気味な声だった。年寄りというよりは、むしろ若者に近い男だ。悪意しかない、粘着質な声色。バスの中に若者はいなかった。匠の話では、学校もかなり遠かったと言うから、このあたりには若い人間自体ほとんどいないような気もする。年寄り連中が嫌がらせのためにわざわざ若者を雇って電話をさせたのだろうか。あるいは、声を変える機械を通してしゃべっているとか──しかし、そんな複雑なことが可能なのだろうか。
 そこで隼人の思考は中断された。
 祖母が、隼人の顔をじっと見ている。
 責められているような気分になって、「ごめんなさい」と再びつぶやき、廊下に置いてあるかばんを取りに行く。
 回り回りの小仏。
 やなぎくにの著書で見かけた記憶がある。
 これはいわゆる当て者遊び、というジャンルのもので、歌と、人を選ぶという手順があるから、かごめかごめと似ているらしい。遊んだことはないが、今でも本に書かれていたイラストを思い出すことができる。
 回り回りの小仏は
 何故に背が低い
 親の逮夜にとと食うて
 それで背が低い
 よく考えると不気味な歌詞だ。
 逮夜というのは命日や忌日の前夜のことで、いかにも不吉だ。魚を食べたところで一体なんなのかと思うが──かごめかごめといい、わらべ歌は怖いものが多い。だから、この不気味さは、歌が本来持つもので、無性に不安になってしまうのは、ただの勘違いだ。
 ただの、田舎の、下らない、嫌がらせ。
 自分で自分に言い聞かせる。
 そして、いちいち田舎だの、都会だのにこだわってしまうこと自体、良くないことだ、と恥ずかしくなる。知らず知らずのうちに、もしかして、田舎を下に見てしまっているのではないか。
 大学にも「東京の人間は冷たい」とか「東京のご飯はしくない」とかわざわざ言う地方出身の人間や、逆に、「田舎の奴はすぐたたりとかのせいにするんだろ」など田舎についてのひどい偏見を吐く、ずっと都会で暮らしてきた人間がいる。
 住んでいるところだけで個人のパーソナリティを決めつけるなんて恥ずかしいことだ。
 出身地は違えど、隼人と匠は、そういう価値観を共有できたからこそ、親しくなったのだ。
「匠、どこにいるんだよ」
 脱衣所で服を脱ぎながら、そう呟く。
 匠の祖母はああ言ったが、風呂から出ても帰ってきていなかったら、このあたりだけでも捜してみようと思う。
 隼人は息を止めて、風呂に頭まで浸かり、十秒数えた。
 小さい頃、母が言っていた。
「嫌なことがあった日はね、お風呂にザブーンって浸かるの。それで、十秒間お湯の中で、『今日のことは忘れる』って唱えてから頭を出すと、スッキリするよ」
 アルバイト先に遅刻したとき、課題のことで先生に怒られたとき、彼女とけんをしたとき──隼人は大学生になっても、必ず母の言うとおりのことをしていた。そして、そうすると、本当に少し気分がマシになるのだ。
 今日のことは忘れる。
 今日のことは忘れる。
 今日のことは忘れる。
 心の中でそう唱え、勢いよく立ち上がる。
 電話のベルだ。耳が、その音を拾う。
 気のせいではない。また、電話が鳴っている。
 いやでも応でも、あの不気味な声を思い出す。せっかく忘れようと思っていたのに。
 隼人は大きくためいきを吐いた。
 洗い場で、緩慢に体を流し、風呂場の内扉を開ける。年代ものの曇りガラスの扉は、きゅうきゅうと嫌な音をたてた。
 髪の毛をタオルで乾かしている最中に、ふと違和感に気づいた。
 電話が鳴っている。
 まだ鳴っているのはおかしい。
 いい加減、匠の祖母が取るはずだ。
 匠の祖母は隼人に先に風呂に入るように譲ってくれたから、まだ起きているはずだ。
万が一うとうとするようなことがあっても、ここまでやかましく鳴りつづけていたら誰でも目が覚めてしまうはずだ。
 不安が止まらない。
 隼人は髪から水がしたたり落ちるのも構わず、上半身裸のまま廊下に出る。
 大丈夫だ、と言い聞かせる。あんな変な電話があったから、今日はもう電話を取りたくないだけだ。だから、自分が出ればいいだけのことだ。
 大丈夫だ。大丈夫。大丈夫。
 電話の置いてある場所に辿たどり着くには、居間を突っ切る必要がある。
「あのお、電話」
 隼人は──安心するために、誰かの声が聴きたくて、そう言いながら扉を開ける。
 大丈夫だ。
 大丈夫。
 大丈夫。大丈夫。
 体の全身から、力が抜けていく。足に力が入らない。床に座り込む。
 目の前の光景を信じたくない。
 するべきことは分かっている。それでも、立ち上がることができない。
 靴下を穿いた、小さな足の裏が見える。
「おばあさん」
 返事はない。
 電話が鳴っている。


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