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試し読み

第41回横溝正史ミステリ&ホラー大賞〈読者賞〉受賞作『デジタルリセット』試し読み#1

第41回横溝正史ミステリ&ホラー大賞〈読者賞〉受賞作『デジタルリセット』

書店員さんたちの圧倒的な支持を受けて、第41回横溝正史ミステリ&ホラー大賞〈読者賞〉を受賞した『デジタルリセット』の冒頭を特別公開。理想の環境を求めて自らの基準にそぐわないものを殺しては次の人生を始める=「リセット」を繰り返す、新たなシリアルキラーの恐怖をご堪能ください!



『デジタルリセット』試し読み#1

 プロローグ 蟬

 少年は三十分近く庭の真ん中にりようひざを抱えて座っている。紺色の短パンにランニングシャツ姿で足元は裸足はだしだ。
 八月の太陽が容赦なく少年の頭を焼く。
 日差しの中で少年はジッと下を向いている。顔中から噴き出した汗があごを伝ってポタポタとひび割れた地面に黒いシミを作った。
 家の中ではまだ口論が続いている。
 ──パン
 風船が破裂したような音が聞こえた。
 少年はギュッと目を閉じた。膝にあとがつくほど指先に力が入る。
 ──いつもの、あの音だ。
 少年のまぶたには、父が座り込んだ母の胸倉をつかんで、その頰を平手でたたいている姿が浮かんだ。
 母が怒鳴り返した。
 ──パン
 瞼の父が母のもう一方の頰を叩いた。
 母が投げ付けた電気スタンドが壁にぶつかって砕ける音。また父が母を叩く音。母の金切り声。
 ──ガシャーン
 今まで以上に大きな破壊音がした。少年がビクッと顔を上げると、廊下のガラス戸を突き破って、足元に鏡台の椅子が転がって来た。母の鏡台が割られ、砕け散った鏡の破片が夏の陽光をキラキラと反射している。
 今度は父の怒鳴り声がする。耳を覆っても聞こえてくる。怒鳴っている言葉の内容なんてどうだってよかった。
 少年は怒鳴り声から逃れるように座ったままおしりを軸にクルリと反転して庭木の方を向いた。すると、庭木の木陰に暗がりよりももっと黒い塊がモゾモゾと動いているのが見えた。
 ──なんだ?
 その時、目の前の庭木で蟬が鳴き出した。
「ジージージージー」
 それを合図に、
「シャワシャワシャワ」
 複数の蟬が鳴き出した。
 暗がりに目が慣れると、黒い塊が黒猫だと分かった。うつむいたその口元で、地面に転がった蟬のがいを食べている。その猫がふいに顔を上げた。暗がりを真っ白にくりぬいた目が少年を観察している。
 少年は無性に腹が立って、足元の石ころを拾って投げ付けた。猫の背後の木にコンと当たると、猫は驚いて、跳ねるように庭木の間に消えていった。
 ──猫は嫌いだ。
 猫がいなくなると、一段と蟬の音量が大きくなった。その鳴き声の分厚い壁が外界の音全てを庭木の外へ跳ね返す。蟬の声以外何も聞こえなくなり、まるで耳の中で鳴いているようだ。
 少年は心の中で言った。
 ──うるさい。
 蟬は鳴き続けている。
 もっと大きな声で、
 ──うるさい!
 蟬は鳴きやまない。
 少年はイライラして、大声で、
「うるさい!」
 声に出して怒鳴った。
 蟬は鳴きやまないが、少年は自分の大声で我に返った。ふと家の中を見ると父も母も見当たらない。口論は止んでいる。
 少年は立ち上がった。足がしびれている。ふらつきながら縁側から、そっと中に入る。砕けた食器や、窓ガラスの破片が散乱し、テーブルも椅子もひっくり返っている。
 台所から水の音が聞こえて来た。足音を忍ばせて行ってみると、流し台の蛇口からチョロチョロと水が出たまま、母が背を向けて調理台の所に立っている。
 ──トン……トン……トン
 何かをまな板の上で切っている。少年は近付き母の斜め後ろに立った。
「お母さん」
 返事はなかった。
 横から母の顔をのぞくと、頰はれ、唇から血が流れている。その手元を見て少年は息をんだ。母はまな板の上で父のカッターシャツに包丁を突き立てていた。
 ──トン……トン……トン
 無表情のままうつむいて、同じ動作を繰り返している。
 少年は後ずさりした。お父さんは? と、聞く勇気もなく、母の背中を凝視したまま後ろに下がり、背後の居間に入った。
 廊下側の障子は開け放たれ、いつもは整然とハンガーに掛けてある父のネクタイが、なぜか障子の桟に何本も掛かっている。目を凝らしてよく見た時、少年はその場に凍りついた。十本近いネクタイが、乱暴に障子紙が破られた桟に、二重三重に固く縛りつけてあり、数本の桟が折れていた。
 居間の隣の部屋の中央には、真夏にもかかわらず大きな掛け布団が広げられ、中央がこんもりと盛り上がっている。柔らかい綿布団が、染み出した赤黒い液体を吸い込み、膨らんだ部分にベタリと張り付いていた。
 逃れるように布団から目を背け、トボトボと裸足で庭に降り、夏の日差しの中、元の場所にしゃがみ込んだ。背後では蟬が鳴き続けている。
 その横に、少年が二年前に拾ったしばいぬのソウ太が寄り添って来た。ソウ太は炎天下の土の上に足を折り畳んではらいになり、クンクン鳴いている。
 少年は立てた膝に左頰を乗せ、右手でソウ太の頭をでてやった。
 頭を撫でながら少年は、ソウ太を連れた自分が両親に挟まれている理想の家族の肖像がビリビリと破れて、心の中の真っ暗な空洞に舞い散っていくのを感じた。
 空洞を蟬の鳴き声が満たしていく。十分満たされ、口から、目から、耳からあふれそうになった時、パチンという音が頭の中で響いて、何かのスイッチが入った。

 ──二〇一八年七月一七日 午前八時

むらおかさん戻ってる?」
 かわしまたかゆきがグレース不動産本社の表のシャッターを開けようとした時、背後から声を掛けられた。確認するまでもなく、声の主ははす向かいにある工務店オーナーのである。
「戻るのは、まだ先ですよ」
 振り返らず、一気にシャッターをガラガラと押し上げた。
「連絡もないんかいな?」
「そうですよ。休暇ですから。まぁ、社用のスマートフォンも、使うときだけ電源入れるような人なんで。急ぎの用ですか?」
「えっ、いや、そういうわけやないんやけど」
 社長の村岡が長期休暇をとって一週間が経つ。全社業務は孝之自身がシステム化したので、村岡が不在でも孝之が困ることはない。
「また、コレですか?」孝之はゴルフのスウィングをした。
 木田は右の目じりを下げてニコリと笑った。村岡と同じ六十代であるが、肥満体形のせいか笑うと妙にあいきようがある。
「建築士会のコンペなんや。ワシから村岡さん分も申し込んどくけど、一応本人の了解得ておいた方がええからな」
「ははは」孝之は明るく笑った。「そんなことだと思った。緊急用に、社長個人のスマートフォンの連絡先聞いてるんで、僕から一報入れておきますよ」
 孝之が内側のガラス扉を開け天井照明をけている間に、木田は「ほな、頼んだで」と言いながら、先に社内に入って行った。
 ここ何日かは、村岡さん戻った? から始まる一連の会話が木田との朝のあいさつになっている。
 村岡と木田は、村岡が大手ゼネコンの営業マンだった頃から、かれこれ三十年来の付き合いだと聞いている。
 孝之が玄関先に立ち、外の空気を大きく吸い込むと、夏の早朝の空気がピリピリと鼻孔を刺激した。このオゾンの刺激がすがすがしい。
 孝之が勤めるグレース不動産の本社があるこう西にし区企業団地はろつこうさん系の山を切りひらいた台地にある。やまあいを縫う目の前の高速道路で南に下ると見えてくる海は、地元漁協が定置網を設置して水質の定点観測を行い、漁場として再生中である。
 グレース不動産は土地売買以外に別荘・リゾートマンションや賃貸物件の中でもデザイナーズマンションなどの高級物件を扱っており、業績は絶好調のため、孝之の目には見渡す周囲の風景全てが優し気に映る。
 ひとしきり朝の外気をたんのうして孝之は屋内に入った。
「今、コーヒーいれますからちょっと待ってて下さい」
「いつもすまんねぇ」
 木田は来客用のソファに座り、マガジンラックから手に取ったゴルフ雑誌に目を落としたまま答えた。木田はリフォームからリノベーションまで手掛ける会社の社長職を義理の息子に譲り、毎朝ここにやって来ては村岡と世間話をするのが日課である。村岡が不在でもその日課は変わらない。今は孝之が相手をしている。
「ところでなぁ、今回の村岡さんって休暇なん? それとも出張?」
 孝之が離れたちゆうぼうにいるため、声を張り上げている。
「その両方ですよ。以前からお付き合いのあるお客さんが別荘を手放したいって言ってるんです。旅行のついでに、物件を見せてもらいに、なんにも寄るって言ってましたね。だから休暇旅行がメインで、そのついでにちょっと仕事するって感じですかね」
 孝之も、コーヒーサーバーに水を入れながら大声で答えた。
「別荘ですか、それはそれは、よろしおますな」
 木田は独り言を言いながら雑誌を繰っている。しばらくして、湯気の立ったカップを二つ持って孝之が戻ると、木田は雑誌をソファに置き、組んだ脚を律義に揃えて背筋を伸ばした。
「ありがとうね。やっぱ、夏場でも朝はホットやねぇ」
「フレッシュここに置いときますね」
 孝之は応接テーブルの上に小瓶を置くと、手に持ったカップに口をつけてすすりながら、自分の事務机に向かった。孝之の机は大きなテラス窓際にある。厨房やテラス窓があるわけは、元はレストランだったこの建物を、村岡が知人から格安で買って、改築せずそのまま自社の本社社屋として使っているからだ。厨房の調理器具は取り外されているが、バーカウンターもあれば、優に数名が入ることができる冷凍室まである。
 グレース不動産はきん圏にここ数年で二十店舗ほど営業所を展開しているが、村岡の方針で本社同様、元レンタカー会社、元レンタルビデオ店、中には元貴金属店など既存の店舗を買い取っては、ほとんどそのまま改築せずに営業所として使っている。それが可能なのも、孝之が業務をデジタル化し、PC、タブレット、スマートフォンさえあればどこででも業務可能にしたからだ。
 午前中は各営業所との連絡や、ネットユーザーからの問い合わせや資料請求への回答など単純ではあるがやることが多い。孝之は朝の仕事を始めた。

(つづく)

作品紹介・あらすじ



デジタルリセット
著者 秋津 朗
定価: 792円(本体720円+税)
発売日:2021年12月21日

第41回横溝正史ミステリ&ホラー大賞〈読者賞〉受賞作!
許すのは5回まで。次は即リセット――。理想の環境を求めるその男は、自らの基準にそぐわない人間や動物を殺しては、別の土地で新たな人生を始める「リセット」を繰り返していた。
一方、フリープログラマーの相川譲治は、シングルマザーの姉親子の失踪に気付く。姉と同居していたはずの男の行方を追うが……。
デジタル社会に警鐘を鳴らすシリアルキラーが誕生! 第41回横溝正史ミステリ&ホラー大賞〈読者賞〉受賞作。
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322107000431/
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