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試し読み

【新連載試し読み】本多孝好『dele2』

11月13日発売の「小説 野性時代」12月号では、冲方丁、高杉良、東山彰良、本多孝好の4大新連載がスタート!
カドブンではこの新連載の試し読みを公開いたします。
本日は本多孝好『dele2』新連載第一回を公開いたします。

亡くなった作曲家の自宅で、祐太郎は警察と鉢合わせに。
依頼人は事件に巻き込まれていたのではと疑うが――。

<記憶>と<記録>を巡る好評連載、早くも第2シーズンへ!!

 地下にもかかわらず、エレベーターを降りた先の廊下はいつも乾いている。真柴祐太郎(ましばゆうたろう)は薄暗い廊下を歩き、正面にあるドアを開けた。ものが少なく、天井が高い事務所はがらんとした印象を受ける。その事務所のいつもの場所に坂上圭司(さかがみけいし)がいた。他では見たことがない頑丈そうな車椅子に座り、三つのモニタが並んだデスクに向かっている。その姿は、祐太郎の目に、特殊な乗り物のコクピットに座った、特殊な技能を持つパイロットのように映る。
 祐太郎は持っていた紙袋をデスクの上に置いた。圭司が顔を上げた。
「それで?」
 紙袋には目もくれず、圭司は聞いた。
「お土産の笹団子」と祐太郎は言った。
 紙袋に目をやり、一つ頷いて、圭司は繰り返した。
「それで?」
「いいところだったよ。広ーい空の下に、田んぼがずうっと広がっててさ。青空の中を雲が流れてて、その下で稲穂が揺れるんだ。ああいうところで穫れるお米はおいしいだろうね。ああ、お米がおいしければ、きっと地酒もおいしいだろうね。雰囲気のある温泉街だって、すぐ近くにあったし」
 圭司は車椅子の背に身を預けて、(いぶか)しげに祐太郎を見上げた。
「何の話だ?」
「一泊だったらねって話だよ」と祐太郎は言った。「せめて一泊させてくれたらね、もっといろんなことを報告できたと思うよ」
「報告するのは一つだけでいい」と圭司は呆れたように鼻を鳴らした。「依頼人は間違いなく死んでいるのか?」
「死んでたよ」と祐太郎は頷いた。「間違いない。お坊さんがずいぶん長々とお経を上げてたから、生き返る心配もないと思うよ」
「そうか」
 頷いた圭司は車椅子の角度を変えて、デスクトップとは別のノートパソコンを開いた。圭司がモグラと呼ぶそのパソコンだけが、依頼人に託されたデータとつながっている。
 しばらくタッチパッド上を動いた圭司の指先が振り上げられたとき、祐太郎は小さく喉の奥を鳴らした。無意識の反応だった。圭司の指先が振り下ろされるとき、依頼人とこの世界との縁が一つ切れる。それを無表情でやってのける圭司に、以前ほどの冷淡さは感じない。たぶん、今日、長々とお経を唱えていた坊主と同じくらいには、圭司も依頼人の魂が安らぐことを念じているのだろう。そう思えるようになった。それでもやはり、一筋の縁が切れるその瞬間に、痛みにも似た(うず)きを覚えることに変わりはなかった。
 新しいものと、甘いものと、若い女性が大好きで、農業の傍ら、長らく村議会議員も務めていたという七十代の老人。彼が最後まで残していたデータ。そして自分の死とともに消し去りたかったデータ。それはいったい何だったのか。
 考えてみたが、具体的なものが思い浮かぶほどには、老人のことを知らなかった。こんなにも老人のことを知らない自分たちが、そのデータを消し去ってしまっていいのか。祐太郎はやはり割り切れないものを感じる。モグラから目をそらして、祐太郎はデスクの端を眺めた。老人の家の玄関脇で朽ち果てていた古い木の切り株が、何となく頭に思い浮かんだ。
「人間、そうそうドラマチックには生きられないし、死ねもしない」
 気づくと、モグラを閉じた圭司が、淡々とした目で祐太郎を見ていた。
「赤の他人のお前の心を揺さぶるようなデータが、今、この世界から消えたっていう可能性は限りなく低い」
「ああ、うん」と祐太郎は頷いた。「わかってるよ」
 もちろんそれは、家族には知られたくないというだけの、仲間とのバカ騒ぎの証拠だったのかもしれないし、ただのポルノ動画だったのかもしれない。今となっては、それを知るすべはない。削除したデータの復元は「原理的にできないことはないが、今の人類のデジタル技術では、ほぼ不可能」だという。
 祐太郎はデスクから離れ、いつものソファに腰を下ろした。その間に、圭司はデスクトップパソコンのモニタの前に戻り、何かの作業を始めていた。仕事が動いていないときの事務所はだいたいこんな感じになる。自分もパソコンを勉強してみようかと思い、圭司の作業を覗いてみたこともあったのだが、英字と記号がずらりと並んでいるだけの画面で圭司が何をしているのか、祐太郎にはさっぱりわからなかった。尋ねてみても、「入り口を探している」とか、「プログラムをブラッシュアップしている」とか、「忘れないようにおさらいしている」とか、よくわからない答えしか返ってこない。積極的に教えてくれる気配もなく、祐太郎はすぐに諦めた。
「そういえば、病院に行ったんだって? この前、(まい)さんに聞いたよ」
 ソファの上にあった、もう何度も読んだ雑誌を手にとって、祐太郎は言った。圭司の姉であり、このビルのオーナーでもある坂上舞は、上階で弁護士事務所を開いている。
「足のこと? 言ってくれれば、俺、連れていくよ」
「いや、いいんだ」
 どうせ生返事しか返ってこないだろう。そう思っていたのだが、意外にもしっかりとした返事が返ってきた。祐太郎が顔を上げると、圭司はモニタから目を離して、祐太郎を見ていた。
「いいって?」
「病院の用事はもう終わった」
「ああ、そうなんだ」
 圭司との間で、足の話が正面から出たことはほとんどない。祐太郎にしてみれば聞きにくい話だったし、圭司が自分から話してくれるようなこともこれまでなかった。今、圭司は両足とも膝から下の感覚がない。それを祐太郎に教えてくれたのは舞だった。
「高校二年のころだったかな。足先がしびれるって言い出して、病院へ行った。でも、原因はわからなかった。いろんな治療を試してはみたんだけど、どれも効果はなかった。そのうちにつま先の感覚がまったくなくなって、それが徐々に上に向かって広がっていった。最近では、広がりは収まっているみたいだけど、この先、また広がるのか、今のままで収まるのかは誰にもわからない」
「治らないんすか?」
「運動療法だけは続けようって医者は言ってたんだけど、二十歳を超えたころに、ケイは病院へ行くの、やめちゃったの」
「どうしてっすか?」
 運動療法がどんなにきつくても、圭司がそこから逃げ出す人間だとは思えなかった。
「たかだか歩けるようになるために、そこまでしなきゃいけないですかね」
 ぶっきらぼうな口調で言って、舞は呆れたような笑みを浮かべた。
「え?」
「そのときケイが医者に言った言葉。あれはそういうやつだよ」
「ああ」
 一向に効果の出ない運動療法に見切りをつけ、強がりの言葉を足がかりに、這い上がる道を自分で切り(ひら)こうとした。二十歳すぎの圭司の可愛げのない顔が思い浮かび、祐太郎も笑ってしまった。
「父も、生前、ケイのことをとても心配していた。足のことより、あの性格のことをね。だから、この前、病院へ行ったって知って、私は嬉しかった。ケイはケイなりに少しずつ変わっているんだろうって。たぶん、それは祐太郎くんのおかげでもあると思う」
 舞がそんな話をしてくれたのは、先週のことだった。が、「病院の用事はもう終わった」というのなら、圭司に治療を再開する気はないのだろう。
 そのことについて、圭司ともう少し話してみるべきかどうか、祐太郎が考えていると、モグラが目覚める音がした。祐太郎はソファから立ち上がった。
dele.LIFE(デイーリー・ドット・ライフ)』と契約すると、依頼人はまず、該当するデジタルデバイスに、圭司が作ったアプリをダウンロードする。アプリは『dele.LIFE』のサーバーと定期的に交信する。依頼人が設定した時間以上、そのデバイスが操作されなかったとき、サーバーが反応し、モグラが目を覚ます。それを受けて、祐太郎は依頼人が本当に死んでいるのかを確認する。死亡確認が取れたら、モグラを通じて、圭司が依頼人のデジタルデバイスから指定されたデータを削除する。
 祐太郎はデスクの前に進んだ。圭司はモグラで依頼内容を確認していた。
「今回の依頼人は、横田英明(よこたひであき)氏、三十五歳。パソコンが七十二時間以上、操作されなかったとき、そのパソコンからあるフォルダを削除するように設定している」
 圭司はタッチパッドを操作して、軽く舌打ちした。
「そのパソコンにアクセスできないな。依頼人が操作してないのではなく、単に三日間電源が切られていたか、オフラインにされただけかもしれない」
 アプリはバックグラウンドで動いているので、契約者がそれを意識する機会はほとんどない。契約を忘れて、設定した時間以上、サーバーとの交信ができない状態にしてしまっただけというケースも、これまでに何度かあった。
「まずは、死亡確認を取ってくれ。これが電話番号。もし依頼人が本当に死亡しているなら、どうにかしてパソコンをオンラインにさせてくれ」
「んっと、他に情報はない?」
 祐太郎は聞いた。依頼人のことを少しでもわかっていたほうがコミュニケーションは取りやすい。
「スマホの中は見られないの?」
「今回の依頼対象はパソコンだけだ。緊急連絡先として電話番号が登録されているだけで、依頼人はうちのアプリをモバイル端末には落としていない」
「じゃ、ネタは何もなしか」
「モバイル端末がガラケーではなくスマホなら、今からマルウェアを仕込むって手もなくはないけど、必要か?」
「マルウェア? って、ん? ウィルス? ハッキングってこと? いや、そこまでは、うん、わかった。何とかする」
 凝った身分を偽ることができなくても、死亡確認ぐらいはできるだろう。そう考えて、祐太郎はモグラの画面にある携帯番号に電話をかけた。つながらない、あるいは誰も出ないというケースも多いのだが、幸い、今回は応対があった。
「はい」
 応じた声は女性のものだった。若い声ではない。どこか外のようだ。背後にざわめきがあった。祐太郎は意外そうな声を上げた。
「あれ? これ、横田さん、横田英明さんの携帯ですよね? 俺、真柴っていいます。横田さん、いますか?」
「英明は」
 そこで相手は小さく息を吐いた。
「亡くなりました。私、母親です。横田ユウコといいます」
 子供を亡くしたばかりの母親に嘘をつくのは忍びなかったが、他にどうしようもなかった。
「俺、友達なんですけど、横田さんが亡くなったって、え? いつです?」
「一昨日、池袋の道で倒れて、病院に運ばれまして、その日のうちに。連絡がありまして、私だけこちらにきて、家に連れて帰りよるところです。今、船を待っておって」
 息子の死で気が動転しているのか、ひどく気落ちしているのか。話が今ひとつ要領を得なかった。イントネーションに強い癖があったが、どこの方言なのかは祐太郎にはわからなかった。
「あの、船っていうと」
「島への船です。ああ、もうきよるようです」
 依頼人はどこかの地方の島の出身だった。一昨日、路上で倒れて病院に運ばれたが、その日のうちに死亡した。連絡が実家に行き、母親だけが上京して、息子の死を確認し、今、遺体とともに実家に向かっている。そういうことだろうと見当をつけた。息子の遺体とともに旅をしている母親の心中を思った。
「葬儀は内々で済ませます。また、改めてご連絡いたします」
 ごめんくだっしゃい、と電話を切られそうになり、祐太郎は慌てて声を上げた。
「あの、DVD。俺、横田さんに、DVDを貸したんです。記念で撮った映像が入っているやつで、こんなときにごめんなさい、どうしても返して欲しいんです。横田さんのパソコン、ありませんか? 横田さん、DVDはパソコンで見てたから、そこに入れっぱなしじゃないかと思うんです」
 圭司にも聞かせようと、祐太郎はスピーカー通話にした。
「パソコンですか。パソコンのことは、わからんです。部屋に、あるのかもしれません」
 息子のことを冷静に話せるほどには、感情がまだ落ち着いていないのだろう。言葉の間に感情を鎮めようとするかのような()が入った。長く会話を続けたくないという気持ちも、言葉の端々に(にじ)んでいた。申し訳ないとは思ったが、祐太郎は無遠慮な人間を装って、会話を続けた。
「ええっと、部屋っていうと……」
「英明が住んどった目白(めじろ)の部屋です。いろいろ急だったので、そのままにしてあります。ソウスケが整理すると言っとるんで、見つかったら、連絡します」
 新しい名前が出てきた。
「ソウスケ」
「ソウスケです。弟の」
 知っていることをあらかじめ期待しているような言い方だった。横田英明にはソウスケという弟がいて、その弟も上京していたということだろう。
「ああ、横田さんの弟さんの、ソウスケくん。ああ、はい、はい」
「ご存じですかね。そしたら、ソウスケから連絡させますので」
 また電話を切られそうになり、祐太郎は再び声を上げた。
「ああ、いや、ソウスケくんのことは知らないです。横田さんから名前を聞いたことがあるだけで。あ、DVDはひょっとしたら郵便受けに入っているかもしれません。前に一度、そうやって、ものをやり取りしたことがあったんです。横田さんが俺に渡したい荷物を郵便受けに入れておいて、それを俺が取りに行って、みたいな。郵便受けの開け方は知ってるんで、確認してみていいですかね」
「それは、ええ、どうぞ」
「横田さんの部屋って、あれですよね、目白の……」
「ヴェルデ目白というマンションです。どうぞ、ご自由になさってくだっしゃい。それでは、失礼します。ごめんくだっしゃい」
 これ以上の会話は酷だろう。電話が切られるのに任せようと、祐太郎は口を開かなかった。が、母親は電話を切らなかった。
「真柴さんでしたかね」
 一度切りかけてから、思い直したような間だった。
「はい。真柴です」
「英明の友達だったんですね?」
 胸の疼きを(こら)えて、祐太郎はスマホに向かって何度も頷いた。
「はい。友達でした」
「ありがとうございます。友達でおってくだっしゃって。あの子、こっちでは友達なんて、さっぱり」
 ぐすりと(はな)をすする音がした。
「気の優しい、言いたいことも言えん子だったもんで、軽う見られるばっかりで」
 友人として、故人を(たた)えるような言葉をつけ足したかったが、何も言えなかった。
「ずっといい思い出だけ、持っとってやってくだっしゃい」
 電話が切れた。
「ずいぶん、動揺してるな」とパソコンを操作しながら圭司が言った。
「子供が突然死んだんだ。無理もないよ」
 電話アプリを閉じて、祐太郎は深く息を吐いた。
「いい思い出だけ、か。何か悪いことがあったってことか?」
「そこまで深い意味はないんじゃない?」
 少し考え、圭司は首を振った。
「まあ、いい。今、お前のスマホにマンションの場所を送っておいた」
「わかった。取りあえず、行ってくる」

(このつづきは、「小説 野性時代」2017年12月号でお楽しみいただけます)
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