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試し読み

同じ中学だった彼女。学年の中でだれが好みかといえば、必ず彼女の名前があがったくらい人気があった。 /芦沢央『バック・ステージ』試し読み③

「まさか、こうきたか」幕が上がったら一気読み!

いま、最も注目される作家・芦沢央による驚愕・痛快ミステリ『バック・ステージ』
9/21(土)の文庫版発売を前に、第二幕「始まるまで、あと五分」を大公開します!

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 伊藤みのりとは、元々同じ中学だった。
 かっこよくて、優しくて、実はかわいい。それが、当時の彼女への評価だったように思う。クラスは違ったけれど、たまに校内で見かける彼女はいつも背筋がピンと伸びていて、ふんわりしたショートカットが形の良い小さな頭によく似合っていた。冬でもコートを着ない女子という妙な肩書きがついていて、それでも風邪で休んだりすることはなかった。そう言えば、三年間無遅刻無欠席だった人しかもらえないという皆勤賞で表彰されていたのは、奥田の学年では彼女だけだった気がする。
 袴姿がかっこいいと評判で、女子弓道部の後輩たちの間ではファンクラブまでできているらしいという噂があったが、顔をよく見れば結構かわいいということでひそかに男子からも人気だった。
 うちの学年の中では誰が好みかという話になれば三番目くらいに挙げられるのが彼女の名前で、奥田も困ったときには「伊藤かなあ」と答えていた。
「伊藤? どっちの?」
「ばか、みのりの方に決まってんだろ」
 誰かが訊けば奥田が答えるまでもなく誰かが答えるというところまでが一連の流れで、それは同じ学年に他に二人も伊藤がいたからだ。バスケ部のキャプテンの伊藤ゆうと、制服のスカート丈が規定通りの優等生、伊藤しよう。裕也は、おそらく女子の中でも「学年の中では誰が好みか」という話をしていれば一番人気だろうとわかるほどしょっちゅう告白されていて、よくみのりとセットでお似合いの夫婦だとはやし立てられていた。
 夫婦と言っても、二人がつき合っていたという事実はない。ただ苗字が一緒だから夫婦という小学生みたいな発想で騒いでいただけで、みのりは誰に告白されても一度もOKしなかったし、裕也は誰かに告白されれば必ずOKしていた。彼女がいてもあっさりと乗り換えてしまうくらいだったから、好きだという子も多かったが嫌いだという子も同じくらいいたようだ。
 だから、もし人気投票が○から×を引かなければならないというルールだったとしたら、裕也が一位になることはなかっただろう。では、そのルールでは誰が一番になるのか──当時そうした話になったときに周囲が真っ先に挙げたのは、奥田の名前だった。
 奥田はサッカー部の部長を務めていて、女子にそこそこ人気があった。何度か告白もされたし、あいつおまえのこと好きなんだってよ、という話もよく耳にした。告白に対しても、部活が忙しいから、というストイックかつ害のない理由で断るので裕也のようにアンチが生まれることもなかった。
 ただし、部活が忙しいというのは一番の理由ではなかった。実のところ、そこまで本気で部活に打ち込んでいたわけでもない。
 奥田は、本当はサッカーよりも本を読む方が好きだった。だけど好きなジャンルはファンタジーで、お気に入りのシリーズのほとんどは女子向けのライトノベルのレーベルに入っていたから、友達にも言えなかった。
 もちろん、同じクラスの中に他にライトノベル好きがいなかったわけではない。奥田が好きなシリーズを好きだと口にして盛り上がっているグループは存在したし、奥田は彼らの会話の切れ端が耳に入るたびに、いやあそこでサミュエルが裏切ったからその後の展開に説得力があるんだろ、とか、あいつがかんがんだってことが伏線になるとは思わなかったよな、とかいう言葉を内心で語りかけていた。
 そう、あくまでも内心で、だ。奥田は自分の趣味について打ち明けることは誰にもしなかった。表紙の全面にイラストが描かれた文庫本とアニメ雑誌を手にキャラクターの名前を連呼する彼らは、一様にヒエラルキーの底辺に追いやられていたからだ。あいつら、イタいよな。オタクじゃん。キモい。そんな言葉を一方的に向けられても言い返せない立ち位置。
 中一の秋、彼らの中の一人が生徒会役員選挙に立候補したことがある。
『魔界王宮伝』シリーズの「ルシフェル」というキャラクターが好きなやつで、彼は同じシリーズが好きな数人の女子から「ルシフェル」というあだ名で呼ばれていた。正直「ルシフェル」という感じの顔ではなかったけれど、目が細くていつも笑っているように見える穏やかな顔立ちをしていたし、実際とても優しくて親切だった。誰かが物を落としたらすぐに拾ってあげる、重たそうな荷物を持っている女子がいれば手伝ってあげる。それも恩着せがましかったりわざとらしかったりするわけではなく、当然だと思うことをやっているだけだというのが伝わってきた。
 奥田がライトノベルに出会えたのも、彼のおかげだった。入学してから二回目の席替えで隣になり、読書感想文の宿題で翻訳ファンタジーを取り上げた奥田に「だったら『魔界王宮伝』も好きなんじゃないかなあ」と言ってきたのだ。だけど彼の本は友達に貸していて、図書館の本も貸し出し中だったから、奥田はなかなか読めずにいた。
 彼が生徒会役員選挙に立候補したのは他薦だった。各クラスで一人ずつ候補者を出すことになっていて、自薦はおらず、他薦は、となったところで彼の名前が挙がったのだ。「まえじまくんがいいと思います」そう言ったのは野球部のこんで、特に前嶋と仲が良いわけでもなかったから意外に思ったのを覚えている。
 前嶋も不思議そうにしていたけれど、結局引き受けた。頼まれたことは断らないやつだったからだ。
 だけど選挙当日、選挙管理委員長は結果発表の前にマイクで言った。
『この中に、ルシフェルというあだ名の人はいますか?』
 その瞬間、全校生徒が集まった体育館には忍び笑いが走った。『何それー』『ルシフェルって堕天使?』委員長は慌てた口調で続ける。
『投票数が多いので、該当者がいれば有効票にしたいと思います』
 委員長に悪意があったのかどうかはわからない。だけど、奥田は紺野が笑いながら言うのをたしかに聞いた。
『やべー、みんなマジで書いたのかよ』
 それが悪意以外の何物でもないことは、奥田にもわかった。
 舞台の上のパイプ椅子に並んで座っている候補者を見上げる。二列目の右から四番目。前嶋は真っ赤にした顔をうつむけたまま、身動きをしなかった。
 奥田は、何も言えなかった。下手なことを言えば彼が「ルシフェル」だと全校生徒に知られてしまう。この流れでそうなるのは、彼だって望まないはずだ──そう考えたのが言い訳でしかないことは、奥田自身も自覚している。
 結局、前嶋は名乗り出ず、落選した。
 その後、しばらくして『魔界王宮伝』が図書館に返却された。奥田はこっそり借りて、そして彼の言った通りハマった。だけど、前嶋に直接感想を伝えることはなかった。
 それ以来、奥田は女の子相手だけではなく、男に対しても一定の距離を保った関係を心がけてきた。近づきすぎれば、いろいろと詮索されることになる。昨日の夜は何してたの、とか、今朝はどうして遅刻したの、とか。友達や彼女なら当然の質問なのかもしれないが、奥田はそれを詮索だと感じることしかできなかった。
 それでも、中三になって部活を引退すると、奥田は人生で初めての彼女を作った。断る口実がなくなったから、というのが表向きの理由だったが、一応人並みには女の子に興味があったからだ。
 それに──自分のことを好きな女の子が何人もいるということで調子に乗っていたのもあったかもしれない。自分には異性を惹きつける魅力があるのだと、自分を好きだという女の子は自分のことを丸ごと受け入れてくれるものなのだと思ってしまった。
 そうではないのだと知ったのは、彼女との三回目のデート中だった。
 奥田たちがプリクラの機械の前に腕を組んで並んでいると、リュックサックの口から丸められたポスターを突き出した男が奥田たちの前をぬっと横切った。男は小走りにクレーンゲームに向かい、拳の中に握り込んでいた小銭を投入口の横のスペースにぶちまけるようにして置いた。
 ああ、両替してきたのか。奥田が男の駆け寄った台に何気なく視線を移すと、台の正面に張りついていた男は、景品の位置を確かめるように横に回り込む。
「あ」
 思わず声を漏らしたのは、その景品が奥田が好きなアニメのグッズだったからだ。ライトノベルが原作の中華風ファンタジー。作品内に出てくる国印は物語の核になる最重要アイテムで、アニメ化後に出版された設定集には原作者自らが考案したというデザインが八カ国分載っている。ファンの中には印鑑屋に発注して再現したという人もいて、奥田はその人のブログを見ながら消しゴムを彫刻刀で彫って作れないかと挑戦したものの挫折したばかりだった。そして、目の前の台には、まさにその国印のレプリカが積み上げられている。
 ──誰だか知らないけど、景品化したやつナイス!
 興奮のあまり、隣に彼女がいることも忘れて足を踏み出しかけたときだった。
「何あれ、キモい」
 彼女の声に、二の腕がざわりとあわった。台の横に額をつけて目をすがめていた男も、ピタリと動きを止める。男は二秒ほどその体勢をキープし、ケースから額を離さずにずるずると身体をずらして奥田たちに背を向けた。
「でも、俺も実は結構オタクだけど」
 奥田がそう言ったのは、男のためではない。今すぐプリクラをやめて男の後ろに並びたいからだった。堂々と言いきってしまえば、意外と受け入れてもらえるのではないかという甘い考えもあった。だって、俺のことが好きだって言うんだし。
 しかし彼女は「え?」と言って奥田の腕から手を離した。
「うそ」
 彼女は、美しくカーブしたまつ毛をまぶたに張りつきそうなほど持ち上げて奥田を見上げた。奥田は反射的に目を逸らしてしまう。
「いや、ほら、ゲームとか」
「ああ、何だびっくりした。このタイミングで言うからああいうのかと思っちゃった。ゲームって言っても奥田くんならサッカーゲームとかでしょ? 大丈夫、あたし結構理解ある方だから」
 奥田は訂正することができず、あいまいにうなずいた。
 その後のデートで何の話をしたのかはよく覚えていない。ただ、次の日の夜、彼女を家まで送った帰りにそのゲームセンターに向かうと台にはもう別の景品が並んでいて、店員に訊いたら「昨日の夜景品を入れ替えちゃったんで」と答えられて愕然としたことだけは鮮明に覚えている。
 その子とは、結局それからすぐに別れてしまった。切り出したのは奥田の方で、彼女は初めは泣いていたものの、途中で「奥田くん、思ってた感じと違ったんだよね」と言い始め、やがて「ごめんね、でも奥田くんにはもっとふさわしい子がいると思う」と締めくくって、最終的にはなぜか振られたのは奥田ということになっていた。
 それからというもの、奥田は告白されることがあっても「好きな子がいるから」と断るようになった。「好きな子って誰」と訊かれれば、とりあえず「伊藤みのり」と答えるようにした。そう答えれば誰もが納得してくれたし、彼女ならもし自分が好きだと言っていたと伝わってしまっても「ならつき合いましょう」とはならないだろうとわかっていたからだ。
 だから実際のところ、中学の頃は彼女が好きだと思ったことは一度もない。
 伊藤のことが好きになったのは大学に入ってから、二カ月前に高田馬場の書店で再会してからだ。

〈第4回へつづく〉

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