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試し読み

「なんでもします、なんでも……。」「じゃ、頭踏んでいいですか?」 渡邊璃生のデビュー小説『愛の言い換え』発売前に傑作3篇を全ページ試し読み!#8

元「ベイビーレイズJAPAN」の渡邊璃生さん初の小説集『愛の言い換え』が5月2日に発売となります。発売に先駆けて、選りすぐりの傑作書き下ろし3篇を30日間連続で全文特別公開します。

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 ◆ ◆ ◆

 そして今、わたしは六枚目の下着に手を伸ばしている。
 一切の躊躇はなく、頭の中は欲望と情欲でいっぱいだった。
 今度の獲物は真新しい灰色のボクサーパンツだった。
「(もしかしたら、減っているのに気づいて買い足したのかも知れない……。)」
 柔らかなそれを手に取ると、わたしは寝室から出るべくゆっくりと後退した。これまでの経験から、盗んだ下着はすぐさまバッグに入れ、堪能するのは帰宅後が望ましいと判断したからだ。
 寝室から這い出て、そっと扉に手をかけると、
「なにしてるんですか?」
 お尻になにかが当たる感触と、聞き慣れた声。
 清水さんだ。
「(終わった。)」
 シンプルにそう思った。
 もはやこの耳には、トイレの流水音さえ届かなくなっていたのだ。
 ゆっくり振り返ると、清水さんは困惑の表情を浮かべていた。当たり前だ。友達ですらない、勉強相手の女が、家に上がり込んで下着を盗んでいたのだから。
 絵に描いたような好青年の信頼を裏切り、恐怖を覚えさせてしまった。
 わたしは今にも泣きそうで、喚き出しそうで、でもそんな資格なんてなくて─。
 怯える清水さんの足元で、土下座の姿勢を取った。
 すべてを認め、お金でも警察でもなんでも、彼の望み通りにしよう。
 まずは謝罪をしようと口を開くと、飛び出したのは思いもよらない言葉だった。
「ごめんなさい! つい、つい出来心だったんです! 許してください! 本当にすみません! お、お、お金なら払います。だから、どうか許してください! わたしに、あなたをまだ好きでいさせてください! ごめんなさい! ごめんなさい! 好きです! ごめんなさい!」
 必死で額を床に擦り付けた。感情の波に脳は揺さぶられ、まともな思考は失った。この瞬間、わたしは「深川要」ではない、ただの女になり果てたのだ。
「あ─、……どうしようかな……。」
 耳元でスリッパと床の擦れる音がする。足元で弄んでいるようだ。
「なんでもします、なんでも……。」
「うーん。そうだ、じゃ、頭踏んでいいですか?」
「あ……、どうぞ……。」
「てか、敬語やめよ。俺の方が年上だし。」
 そう呟くと、清水さんはわたしの頭を踏んだ。下へ下へと強く押しつけ、ぐりぐりと額と床を擦り合わせる。彼の姿を視界にとらえることはできなかったが、声色から察するに、動揺や戸惑いは消えているように思えた。
 靴下越しに、清水さんの体温が伝わる……。
 足の下でゆっくり呼吸を整えていると、彼は言った。
「なあ、おい、どうしてくれるんだよ、ん? 気づいてないとでも思っていたのか? 四枚くらい盗ってたよな、謝罪の気持ちあるのか? 申し訳ないと本当に思うのか? 態度で示せよ。わかるか? なあ、おい。返事しろよ。その口はなんのためについてんだよ、飯食うためだけじゃないだろ? お前、人間社会で生きる意味ないじゃん。コミュニケーション取れないならさあ。なんか言えよ、お前。」
 頭上から言葉の雨が降り注ぐ。その勢いに気圧され、謝罪以外の言葉が浮かばない。それでも、一生懸命に次の台詞を探す。
「わ、わか、わかりましたっ……。ご、ごめんなさい、ごめんなさい……っ! わ、わたし……!」
「なに?」
「す、すみま、すみませんっ……! どの質問に答えたらいいか、わ、わかりません……っ。」
 清水さんがため息をついた。心臓がちくちくと痛い。様々な感情が浮かんでは消え、思考を鈍らせた。頭痛が酷くなっていく。
「じゃ、一個ずつ聞くけど、お前、謝罪の気持ちあんのか?」
「あります!」
「本当に?」
「はい、本当です!」
 頷く代わりに語気を強めた。
「お前は罪を贖いたくて謝ってんの? それとも許されたくて謝ってんの?」
「あ、あがな……?」
「お前は勉強会でなにを聞いてたんだよ! わかりやすい言葉使ってやる。罪償いたいのか、許されたいだけなのか?」
「す、すみませんっ……! わたしは、わたしは許されなくてもいいです、でも罪は償いたいです! そのためならなんでもします!」
「……は─……。あのさ、俺はクリスチャンなんだ。」
「え? は、はい……。」
 知っている。そうでなければ、わたしたちは出会えなかったのだから。
「『主の祈り』くらいは覚えてるだろ? 『わたしたちも人を許します』って言葉があるんだ。でも、お前が愚図で、馬鹿なせいで……、人を理想的な信徒じゃなくして、楽しいか?」
「う、す、すみません、すみません……!」
 頭が鈍い痛みから解放された。瞬間、わたしの横っ腹に強い痛みが走る。思わず蹲り、口からは「うぐぅ、」と唸り声が漏れた。

(つづく)



渡邊璃生愛の言い換え』詳細はこちら(KAODOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321904000345/


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