元「ベイビーレイズJAPAN」の渡邊璃生さん初の小説集『愛の言い換え』が5月2日に発売となります。発売に先駆けて、選りすぐりの傑作書き下ろし3篇を30日間連続で全文特別公開します。
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◆ ◆ ◆
「本当にどうしようもないな。じゃ、お前、今から自分がなにしたか言え。」
目的はわからなかったが、わたしは従うことにした。そうすることしかできなかった。
「はい、わたしは、わたしは清水貴之さんの、」
「声が小さい!!」
「わ、わたしは! 清水さんの下着を、ぬ、盗みました!!」
「何枚盗ったのかも言え!!」
「ご、五枚盗みました! ごめんなさい、ごめんなさい!!」
「それで、盗んでどうしたんだ!?」
「え!? そ、その、わたしは、清水さんの下着を盗んでっ……、」
顔に熱が宿る。
「ひ、ひと、ひとりでしたくなってしまって……。」
感じたことのないほどの羞恥心に、わたしの心臓ははち切れそうなほど鼓動した。
「『ひとりでしたくなってしまって』じゃねえよ、誤魔化すな!!」
「あ、つ、つまり、その、マスター……ベーションを、したくなってしまって……。」
「声が小さいんだよ、何回も言わせるな!!」
「マスターベーションをしました!!」
言われるがまま大声を上げる。近所に聞かれたかも知れない。
死にたい。殺して欲しい。いや、聞いたであろう人間全員を殺したい。
そう思わずにはいられなかった。
「変態だな。」
「ごめんなさい……。」
「はあ、まあ、いいや。」
あれだけ声を張り上げても、清水さんは呼吸すら乱れない。わたしは喉が痛み、意識は朦朧としているというのに。
「じゃ、お前は罪を認めるんだな?」
ゆっくり体を起こし、「はい、認めます!!」と声を張り上げると、
「うるっせえよ。」
清水さんは呆れた表情でわたしのお腹につま先を叩き込んだ。痛みより先に、息苦しさ。口からは唾液が漏れ、涙が溢れる。詰まった呼吸を解放すると、お腹が膨らむ度に痛みも大きくなっていくようだった。その中に、わずかな吐き気。
「はは、」
「おぇ、」
「……深川さん、」
「あ、」
「こっち向いて?」
這いつくばって呼吸を整えると、彼はわたしの頬を撫で、顔を上げさせた。
その顔にはいつもの笑顔が浮かび、視線は甘く優しい。窓から差した光に、栗色の髪が一本一本透けて見え、飴細工のような美しさを感じた。
ああ、やはり、わたしはこの人が好きだ。
このとき、わたしははっきりと「コリントの信徒への手紙一」を思い出していた。
「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。」
ならばわたしは、この痛みに耐えるべきだ。
同時に揺れる脳で、確信した。
人は神様を好きになるのではない。
好きになった人が神様なのだと。
気がつけば、わたしは清水さんと口づけを交わしていた。ほんのりと、紅茶の香りがする。清水さんがわたしのためにと、手ずから選んでくれた紅茶の香りが……。
「要ちゃん。」
「……あ、……貴之さん、」
「『要ちゃんは、俺の知らないことを知っている』の?」
彼がわたしをソファーに押し倒して……。
二十と少しの人生で、深川要は初めて朝帰りをした。
(つづく)
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