元「ベイビーレイズJAPAN」の渡邊璃生さん初の小説集『愛の言い換え』が5月2日に発売となります。発売に先駆けて、選りすぐりの傑作書き下ろし3篇を30日間連続で全文特別公開します。
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◆ ◆ ◆
「美味しい!」
「よかった。あ、紅茶もどうぞー。口に合うかはわかりませんが……。」
「ありがとうございます、いただきます。」
清水さんに促され、先ずはストレートでひと口飲む。苦味を心地よいと思ったのは初めてだった。茶葉や香りに詳しくないわたしでも、値の張る紅茶らしいことがわかる。そして、「いつもの分量」でミルクティーを作る。これもまた絶品で、ケーキに引けを取らない。幸福を味わうのは、祖母の肉じゃがと「カフェ・カナン」のフレンチトースト以来だった。
「紅茶も美味しいです! えっ、えっ、すごい! これは、どこの紅茶ですか?」
「たしかイギリスだったかな? なんか、本場の味っぽいですよね。」
「はい! でも、清水さんって紅茶飲まれるんですね。『カフェ・カナン』ではいつもカフェオレを飲んでいた印象なので、意外です。」
「あ、いえ、俺あまり飲まないんですよ。深川さんがいつもミルクティーを飲んでいたんで、いつかご馳走しようかと思って。紅茶、そんなに詳しくないから、俺好みの茶葉になっちゃったんですけどね。」
「じゃあ、わたしたち、味覚が合うのかも知れませんね。」
「美味しかったってことですか?」
「はい、とても!」
その後、わたしたちは紅茶の話題で盛り上がった。といっても先述の通り、わたしも紅茶には詳しくない。それを知った清水さんは、「なんだ、俺紅茶出すときメッチャ緊張したのにー。」と笑った。
紅茶に入れる砂糖とミルクの量について話していると、清水さんが気まずそうに、
「すみません、ちょっとお手洗いに……。」
と席を立った。
後ろ姿を見送ると、視界の隅に、寝室らしき部屋の扉が映る。半開きのそれは、かえってわたしの好奇心を煽った。といっても、最初は中に入るつもりなどなかったのだ。扉を閉めようと、寝室に近づくと、ベッドの上に衣服が見えた。朝、時間がなかったのか、畳むのが面倒だったのか、それは取り込まれたまま放置されたらしい洗濯物の山だった。
その中に見える、下着。思わず手を伸ばす。部屋の主人は、壁一枚隔てたすぐそばにいる。そのスリルが、かえってわたしを引き返せなくした。寝室から出て、扉を元の半開き状態に戻すと、わたしは再びソファーに座った。
清水さんの、下着。
罪悪感の中に、たしかな興奮が存在した。
少し顔に近づけると、ほんのり柔軟剤の香りが鼻腔をくすぐった。
だがわたしはこう思った。思ってしまった。
わたしが嗅ぎたいのは柔軟剤の香りではない。清水さんの匂いなのだ、と─。
震える手で下着を鼻に寄せると、壁の向こうから流水音が聞こえ、はっと我に返った。
扉の開く音と共に、「深川さん、お待たせしましたー。」と清水さんがわたしに呼びかける。
「は、はい。」
返事をすると、清水さんがわたしの姿を視認する前に、ソファーの傍らに置いたバッグに下着をねじ込んだ。声の震えは伝わっていないだろうか。
やってしまった。
だがもう元には戻れない。
じっとりと額に汗がにじむのを感じる。
「? どうかしました?」
胸にじくじくとした、嫌な痛みを感じた。
わたしは帰宅すると、部屋に鍵をかけ、一歩も出ることはなかった。バッグから下着を取り出し、ベッドに潜ると、わたしは毛布を頭まで被って、
「う、」
暗がりの中、喜びを内腿に這わせた。
この日からわたしは、四回につき一枚、勉強会にかこつけ下着を盗むようになった。
─そうして、現在に至るというわけだ。
現在わたしの部屋には五枚のボクサーパンツがある。返そうと何度も思ったが、わたしの手は自然と下着に伸びてしまう。というのも、清水さんは意外とだらしがないのか、朝でも弱いのか……家に上がるたび、いつも寝室の扉が半開きで放置され、ベッドに服が積まれているのだ。
(つづく)
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