電子エンタメ小説誌「カドブンノベル」2019年12月号では、『校閲ガール』の著者・宮木あや子さんが描くお仕事ストーリー「CAボーイ」が連載中!
その冒頭を公開します!
前回までのあらすじ
外資系ホテルからNAL(ニッポンエアライン)の客室乗務員に転職した高橋治真は、一人前のCAになるため訓練中。教官は、採用が決まる以前、機内での接客トラブルを助けた時のCP(チーフパーサー)・オブライエン美由紀だ。ある日治真は空港の展望デッキで、保安検査場に勤める小野寺と知り合う。彼女は、治真の父が機長の「96便」に小学生のころ乗っていた。同便は、一歩間違えば墜落事故になったとして、機長の薬物使用疑惑とともに当時報道され、治真の両親は離婚したのだった。
明治三十六年、東京でJR山手線の基となる日本鉄道
……もったいないとか、思わなかったんだろうか。
目の前にある、ひとつ二十億円のジェットエンジンを見ながら
今年からカリキュラムに組まれたという整備工場の見学で、元整備士の男が整備について淡々と説明をしているのをある者は真剣に、ある者は興味なさそうに聞いている中、治真は巨大な格納庫に収められ、ところどころ分解されているB社製中型機のコクピットのあたりを無意識に眺め上げた。途端、オブライエンの
「ミスター
「失礼しました」
「何も失礼はされていません。説明を聞いていましたか。この機体は今なんの整備を受けていますか」
「C整備です。約一年、時間にして三千時間から六千時間飛行した機体が部品の定期交換や機能試験などを受けています」
「どれくら」
「一週間から二週間かけて行われます」
たぶん心の中で舌打ちをしながら、エクセレント、と返された。
中途採用のアラサー男子の威信にかけて、年下の女子たちの前で叱られるのだけは避けたい。意地でも突っ込まれまいと今まで頑張ってきてはいるが、オブライエンも半ば意地になっていると思う。俺じゃなくてそこで
その日は整備工場に三機の飛行機があった。一機もない日もあるという。端にある中型機は訓練専用で、今の治真たちと同じような立場にある整備訓練生たちが教官の指導の下、機体の下方にある整備用の扉から代わる代わる中に
一時間ほどの見学を終え、バスに乗って訓練センターに戻っている最中、乗り込んだ順番的に隣に座った戸倉が小さな声で、
「ミスター、やっぱ教官から気に入られてるよね」
オブライエンがミスター高橋と呼ぶため、なぜか治真は同じ教場の訓練生からミスターと呼ばれている。
「どこをどう見たらそうなるん、ありえへんて」
「今日もひとりだけ絡まれてたし、ときどきお昼ご飯とか一緒に食べてるじゃん、ズルいよ」
「なんや
「勘違いすんなボケカス死ね、てかあんた女に興味あんの?」
「戸倉さん! 言葉遣いが悪い!」
前方からオブライエンの声が飛んでくる。地獄耳すぎる。そして戸倉も口悪すぎる。
集中的な基礎の座学を終え、訓練は実技を交えて行われるようになっていた。センター内は座学を行う教室のある管理棟と、実技訓練を行う訓練棟とに分かれ、訓練棟には実際の機内を模したモックアップと呼ばれるスペースがある。機内で使用されているのと同じ座席やギャレー、オーバヘッドストウェッジビン(頭上の物入れ)などが備えられており、窓もトイレも各備品もあり、要するに揺れないだけのリアル機内でサービスや緊急時を想定した実技訓練が行われる。ちなみに今後はパイロット訓練に使用するフライトシミュレーターと同じような「状況に応じて揺れる」モックアップが導入される予定だそうだ。
治真はモックアップでの初日、本来サービス訓練は日常訓練、緊急訓練および救助訓練のあとに行われるカリキュラムなのに、何故か「世界のロータス・オリエンタル仕込みのサーヴィスを見せていただきたいわ」などと理不尽な要求をされ、寒極の
──ひざまずくな!
──え!? すみません、でもなんでですか?
お客様役の訓練生の声が非常に小さかった。だから
──私たちはサーヴィススタッフを兼ねた保安要員であって、お客様のサーヴァントではない。お客様は日本人だけではなく階級制度のある国の方もいらっしゃる。一度でも床に膝などつこうものならフライト中ずっとそのお客様の言いなりにならなければなりませんよ。それでほかのお客様の充分なケアができますか。
──階級制度のある国の、階級が上のほうのお客様が単体で旅行をするとは思えないんですが。
──もちろんです。しかし彼らの使用人は同じクラスのシートには座れません。エコのお客様はファーストには入れない。この先、二階建ての機体が増えればなおのことです。
悔しいが、なるほど、と納得せざるを得なかった。治真が以前勤めていたロータス・オリエンタルホテルのペントハウススイートには、ゲストが連れてきた使用人のための部屋があった。ペントハウス自体も二階建て構造で、ゲストのためのベッドルームやリビングは二階部分、一階部分はスパルーム(部屋でトリートメントが受けられる)とシアタールーム、そして使用人やナニーのための小さな部屋がふたつ、という作りだった。既にいくつかのエアラインで導入されているA社の完全二階建て大型機も、国際線では二階部分のシートがファースト、ビジネスだけになる。NALでも現在は二機、同仕様でアメリカ便に使用されている。
今まで治真が注意されたのはその「教官……これ、パワハラじゃね……?」な一度のみだった。現在はエマ訓と呼ばれる期間である。エマージェンシー(緊急)訓練。どうせなら訓練のほうも英語にすれば良いのにね。
飛行機に乗ると必ず機内ディスプレイには緊急時の脱出に際しての映像が流れる。エマ訓ではその動作を実際に行う。判りやすいのだと、空気で膨らました滑り台からぐずる客を
──全身ずぶ濡れで化粧も落ちるし髪の毛も崩れるし、あれはうまく溺れられる人と組めないと訓練になりません。しかもプールの水を誤って飲むと腹を壊します。
どこも訓練は厳しい。
「……ぜんぜん聞き取れない! はっきり声に出しなさい!」
モックアップの中にオブライエンの声が響いた。治真はほかの訓練生と一緒に客として座り、通路には救命胴衣を着けた添島と戸倉が立ち、緊急脱出時のオペレーションを行っていた。
「座席に深く腰掛けシートベルトを腰の低い位置できつく……」
「その前に何かあるでしょう!」
〈このつづきは「カドブンノベル」2019年12月号でお楽しみください!〉