2/21(金)発売、伊坂幸太郎さんの文庫最新刊『AX アックス』より、冒頭試し読みを特別公開。『グラスホッパー』『マリアビートル』に連なる<殺し屋シリーズ>の最新作をお楽しみください。
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恐ろしいことを言うな、と声を大きくしてしまった。
「え、この天気のお姉さんだよ。この間、ネットニュースに載ってたけど、この番組のプロデューサーと不倫してるんだって」
「ああ、そっちか」
「そっちってどういうこと」
「いや」兜は言った後で、曖昧に応じていると良からぬ誤解を受ける、と思い、「俺は浮気をしていないぞ」と説明を加えたが、それはそれで余計に怪しくなった。
「やっぱり
「男はさ、美人の前ではもう、なすすべがないでしょ」
「高校生が何を知った口を利いてるんだ」
「学校で教えてくれるんだよ」
「学校で? 何の学科だ」
克巳はそこで、父親がいることに気付いたかのように、はっとした態度で姿勢を正した。「違うんだ。うちに今、産休の先生のかわりに美人教師が来ているんだけど。一カ月前から」
「美人は主観だ」
「国語の先生なんだけど、全然、なってないんだよ。漢字も書けないし、
「そんなことでよく務まるな」
「美人だから、オッケーなんだよ」
「そんなわけにはいかないだろ」
「明らかに、他のおじさん教師たちの顔がゆるんじゃって、校長とかさ、もう、めろめろだよ」
「おまえたちもそうだろうが」
「否定はしないけど」
その後、克巳は黙り、兜もトーストを食べ、テレビを眺めていた。少ししてから、「この間、実は目撃しちゃったんだけどさ」と克巳が言い、会話は続いていたのかと気づく。同時に、目撃した、とは自分の物騒な仕事の場面のことではないか、と早合点し、またしても、「どういうことだ」と語調を強くした。
「放課後、だいぶ暗くなってきた頃に、視聴覚室に、その先生がいたんだよ」
「美人教師がか」
「もう一人、若い男の教師も。隣のクラスの担任なんだけど、熱血の、真面目な先生でさ。
「がんばれ山田先生。どきどきする展開か」
「そんな
「何と」兜は自分の体を両手で抱えるようにして、顔をしかめる。「別の意味でどきどきしてくるぞ。気をつけろ山田先生」
「どういう意味だよ、親父」
「その山田先生と、美人教師は公然の仲なのか?」
「たぶん、俺たちだけだよ、知ってるのは。視聴覚室にいたら教師二人が入ってきて、こっちは隠れるしかなかった」
「俺たち? 不倫の二人を目撃したのはおまえだけじゃないのか。おまえと、誰だ?」
〈第5回へつづく〉
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